J.S.バッハ 「チェンバロ協奏曲」をカール・リヒターで聴く
妙に心を惹きつけるこの一枚・・カール・リヒターの古楽演奏を超えた表現力・・
1台のピアノが全オーケストラを相手にするピアノ協奏曲がコンサートの重要な位置を占めて久しい。これはフォルテピアノの時代のモーツアルトや、ハンマークラビーア時代のベートーベン以来の伝統である。それほど現代ピアノの音は強くなった。そのためか弦楽器とのピアノ四重奏曲、五重奏曲では弦楽器が負けてしまい、私には妙に陰気ないやな音楽ジャンルである。強力な鋼鉄製ピアノ線を、鋳物で鍛造したこれまた強力なフレームでしっかり締め上げているために実に強力な音が出る仕掛けになっている。
ところでバロック時代の鍵盤楽器はチェンバロ(ハープシコード、クラビーア)であり、柔らかな青銅線を楊枝のような爪先で引掻いて音を出す仕掛けである。バロック時代の協奏曲では独奏楽器といえばヴァイオリンさらにフルート、オーボエ、リコーダといった管楽器が多く、チェンバロやオルガンは通奏低音の役割を担うのが一般的であった。ところがバッハのチェンバロ協奏曲は鍵盤楽器を独奏楽器に設定した最初の例となった。
バッハは次の15曲のチェンバロ協奏曲を作曲した。注目すべきはこれらの協奏曲がヴァイオリンなどの協奏曲からの編曲である。
多くの台数のチェンバロが使用されているのは、やはり基本的に弱い音しか出せないチェンバロを束にして効果を挙げるためであろう。
私が妙に心を惹きつけられた1枚のチェンバロ協奏曲のCDとはJ.S.バッハ 「チェンバロ協奏曲」 指揮とチェンバロ:カール・リヒター ミュンヘン・バッハ管弦楽団 1971 ARCHIV のことである。わくわくするような躍動感と響きを持ちチェンバロの音が実に説得的に聞こえてくる感動を覚えた。グレン・グールズのバッハ「小プレリュードとフーガ」(CBS/SONY 1980)と同じような説得力である。このような感覚はバッハの魅力なのか、それとも演奏者の演奏法によるものなのか。 そこで古楽演奏家として名高いトレヴァー・ピノックの演奏と比較した。トレヴァー・ピノックとイングリッシュ・コンサートの演奏はひとつも面白くない。まじめに丁寧に演奏しているようだが、躍動感が全く感じられない。これはある意味ではカール・リヒターのロマン的演奏法によるものかもしれない。制約された条件でもここまで魅力的な演奏が可能だということを示したカール・リヒターの力は天才的だ。古楽演奏必ずしも人を楽しませるものではない。200〜300年前にどんな音楽が喜ばれたか、そしてそれを文献学的に再現することが目的化しても意味が無い。要は人に感動を与えることであって、昔の人の趣味に合わせることではないはず。しかしながら現代のグランドピアノによるバッハのピアノ協奏曲は全くチェンバロ協奏曲とは縁のないものでることだけは明記したい。
J.S.バッハ 「チェンバロ協奏曲」 指揮とチェンバロ:カール・リヒター ミュンヘン・バッハ管弦楽団 1971 ARCHIV |
J.S.バッハ 「チェンバロ協奏曲」 指揮とチェンバロ:トレヴァー・ピノック イングリッシュ・コンサート 1980 ARCHIV |