ベートーベン「交響曲第3番」をウィーンフィルとベルリンフィルで聴く


クラウディオ・アバド指揮で、どうしてこうも違うの



ヨーロッパで名だたる管弦楽団には、ウィーンフィル、ベルリンフィル、旧レニングラードフィル(現サンクトペテルスブルグ)、コンセツトヘボーフィル、シカゴフィルが有名である。私はこれまでベートベンの交響曲のCDはカラヤンで聴いてきた。アバド指揮によるウィーンフィルのペルゴレージ作「スターバト・マーテル」を聴いてからはすっかりそのロマン派的演奏にはまってしまった。そしてアバド指揮によるウィーンフィルのベートーベン「交響曲第3番 英雄」を聞いてすっかり感心したが、最近リリースされたアバド指揮によるベルリンフィルのベートーベン交響曲第3番を聴いてびっくりした。スピードが全然違うではないか。ここで簡単にアバドの経歴に触れておきたい。アバドは1986年ウィーン国立歌劇場音楽監督に就任しその間にベートーベン交響曲全集をグラモホンからリリースした。1989年にはカラヤン亡き後ベルリンフィルの常任指揮者に納まった。1999年から2000年にベートーベン交響曲全集を同じグラモホンからリリースした。そういうわけで私たちはベルリンフィルとウィ−ンフィルのベートーベン交響曲が聴けるわけである。かなり演奏内容が異なっていることに驚愕した。

ここに面白い本がある。中野雄著「ウィ−ンフィルの音と響きの秘密」にプロローグ「良い指揮者とは」があり興味深く読んだ。1978年レオポルド・ハーガー指揮のモーツアルト交響曲ト短調でウィーンフィルのコンサートマスターを務めたライナー・キッヘルが後年に「良い指揮者とは私たちの音楽を邪魔しない指揮者のことを言います」と語った。絶賛を浴びたハーガーであるがキッヘルに言わせると「彼は何もしなかった。自分の分際をわきまえて、すべてオケ任せ」ということであった。これが真実であるなら、指揮者はカラヤンのように指揮棒を持って舞台で華麗に踊っていればいい。音決めはオケがやるそうだ。しかし指揮者は独裁者だという論点もある。彼が一振りすればたちまち田舎オケが華麗に変身するという話は本当なのか。

ここでウィーンフィルの伝統を紹介する。楽団経営は自主性で自前の年金制度を持つ。女人禁制であまりにも有名である。カラヤンは女性のクラリネット奏者ザビーネ・マイヤーを入団させようとして楽団と対立し失脚した。オーナーは楽団自身である。常任指揮者は1933年以来不在(置かない)。責任者である楽団長は選挙で選ぶ。コンサートプログラムは自主決定。指揮者、独奏者、歌手もオケが選び招聘する。つまり客人である。定期演奏会のチケットはいつも完売で現地でも入手不能。ウィーンフィルというオケはその響きの質をメンバーが交代しても微動だにさせないという制御力と技術力の高さが空前絶後である。ウィーンフィルというオケと長い間格闘しオケの音をつく上げるのに功績のあった指揮者群像には、フルトベングラー、カール・ベーム、シャルル・ミンシュ、カラヤンが燦然と輝いている。ウィーンフィルのコンサートマスターや奏者の群像には、ゲアハルト・ヘッケル、ウエルナー・トリップ(フルート)、ウィリー・ボスコフスキーなどが控えていた。

我々の世代が知っている指揮者ではヘルベルト・フォン・カラヤンがあまりにも有名である。しかしかれの功績にはいつも疑問点も付せられる。カラヤンは輝かしい資本主義の夢の拡大主義を代表するバブル世代の代表者であったことは、功罪取り混ぜて評価する際の歴史的事実である。CDという新兵器を携えてクラシック界ビジネスに旋風を吹き込んだカラヤンは、幸いというかバブル崩壊の前に他界した。それからのクラシック業界は経済界の動きと歩調を合わせて低迷の時代に呻吟している。クラシックCDの売り上げは激減し、レコード会社はクラシック離れ傾向を加速した。歌田ひかるが数百万枚のCD売り上げをする時代に新譜クラシックCDは数万枚が精一杯である。この傾向をさらにデフレスパイラルで加速しているのが米国流音楽ビジネスの独占によるグローバル化である。ヨーロッパの片田舎で発達したクラシック音楽の命脈は風前の灯に化した。片田舎のよき伝統と本物の味わいよりも米国流の空疎な画一化、高速化が支配している。

さて本論に戻ろう。アバド指揮によるベートーベン「交響曲第3番 英雄」が管弦楽団によって音が違うとしたら、その原因は何であろうか。ひとつは上で長々と述べた楽団の音つくりが優先して指揮者の寄与分は少ないという見解。別には指揮者の演奏法が変わったという見解。3つ目は指揮者の音作りはオケとの共同作業で変化するのはやむをえないという見解。さてどちらでしょうか。それを検証するためアバド指揮によるベートーベン「交響曲第3番 英雄」を、ウィーンフィル(1986)、ベルリンフィル(2000)で聞き比べてみた。

(1)試聴システム

私のオーデイオシステムを下の写真に示す。タンノイスターリングを5極管EL34ppアンプ(30W)でドライブした。

  

トータル試聴システムの装置仕様
CDプレーヤ:TEACのVRDS-50:フルエンシー理論(20KHz再生)RDOT類推補間技術、VRDSメカニズム
真空管式コントロールアンプサンオーディオSVC-200: ECC82×2本 10Hz-100KHz タムラSPT-P1
メインアンプ5極管EL34ppアンプ(30W): サンバレーVP-3488(上の右の写真)
スピーカタンノイ スターリングHE:10インチ同軸2ウエイ、能率91dB、クロスオーバ1.7KHz、35Hz〜25kHz
スーパツィータータンノイ ST-200: 25mmチタンドーム型、能率95dB、18KHz〜100KHz


(2)アバド指揮  ベートベン「交響曲第3番 英雄」の試聴CD

聴き比べの結果をしたの表に示したが、超一流の楽団の良し悪しは云々できない。違うところはスピードである。演奏時間が全曲で5分以上異なる。約1割違うわけである。カラヤン仕込のベルリンフィルはスピードと華麗さという都会派感覚が売り物であるに対して、ウィーンフィルでは分厚い響きと豊穣な世界という田舎派感覚が売り物である。どちらがわたしの好みかと問われれば、ウィーンフィルだと答える。するとやはり指揮者アバドはどこにあるのだろう。

   
アバド指揮:ウィーンフィル 1986 グラモホン  アバド指揮:ベルリンフィル 2000 グラモホン

ウィーンフィルの音を一言で言うと豊穣な響きである。多少くどいくらいの丁寧さ。
第1楽章:冒頭の爆発的な響きは見事である。低音が分厚く残響も程よい。◎
第2楽章:葬送行進曲にふさわしく悲しみのアダージョを包み込む弦のふくよかさ。ゆっくりとエネルギーを蓄えるように進行する。多少くどいくらいの丁寧さが好感。○
第3楽章:小気味よくスケルッツオが進行して次第に金管の大合唱につながる。○
第4楽章:主題は明るくテンポがいい。コーダーは抑制のきいた金管の強音で終わる。○

ベルリンフィルの音は一言で言うと都会的なスピードと華麗さである。ウィーンフィルに比べると全曲の演奏時間は5分ほど短い。
第1楽章:冒頭はそれほど強くなく、速く疾走する。低音は強く爽やかなスピード感に酔いしれる。○
第2楽章:あまりメリハリを利かせないで、華麗なアダージョが展開される。美しい曲である。重低音が爽やかに疾走する。◎
第3楽章:弱音と強音が急速に展開され、波のうねりのようだ。○
第4楽章:強いユニゾンと弦のスタッカートのメリハリがいい。明るく規則正しく進行し響きも豊かである。○



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