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文藝散歩 

柳田国男著 「桃太郎の誕生」
角川ソフィア文庫 (1932年初版 1973年改版 2013年新版)

昔話と伝説の起源を神話時代(日本人の古層)に求める柳田民俗学の提案

昭和7年11月(1932年)の初版の自序において柳田氏は「各地の忠実なる採集者によって全国の隅々から珍しい昔話が寄せられてる。せっかくの資料を埋没させないために、此の興味深い比較研究を行わなければならない。」と述べている。また昭和17年(1942年)の改訂版の序においても氏は「『桃太郎の誕生』は少し世に出るのが早かった。しかしそこで提案した昔話の起源論、そして中間の成長発展段階を分けて考える方法論は誤っていなかったようである」と本書の意義を顧みている。本書角川ソフィア文庫本「桃太郎の誕生」は500頁に及ぶ分量を持つ労作である。「竹取物語」を始め、お伽話の類には昔ばなしを潤色したものが多い。また「今昔物語」などの中世の仏教説話集には、昔話が多く含まれている。日本における昔話収集の始まりというと、明治40年ごろ日露戦争が終わってから、文部省が全都道府県の小学校に委嘱して行った「童話」募集事業があった。幸運にも残った資料によると、福岡県だけで219の昔話が集められた。まだ童話、昔話の区別も定かではない時期の事業である。明治44年(1911年)に古井民司氏が行った「日本全国国民童話」の調査によって、本土内で74篇、外地(植民地を含む)で7篇、記紀神話から8篇が収録された。世界的な科学的昔話研究は1812年10月ドイツのグリム兄弟に始まる。その2年後に「ドイツ伝説集」を刊行し、彼らは昔話をゲルマン神話の遺産と主張した。日本で第2次世界大戦後、民主化運動と連動して、民話や昔話採集が異常な興隆期を迎えた。西欧諸国では文明国の昔話以外にも、アジア・アフリカの資料の刊行が相次いだ。日本でも今や2万篇以上の昔話資料が収録されている。柳田国男氏は明治42年(1909年)に「遠野物語」を刊行し、大正3年(1915年)には「郷土研究」が創刊され、日本の昔話の組織的研究がスタートした。グリム兄弟に遅れること1世紀であった。スタート時には、昔話、民譚、民間説話、伝説、童話はほぼ同意語で区別していなかった。昔話、伝説の概念規定は、グリム兄弟が昔話について1815年、伝記については1816年に述べた。日本にグリム童話が英訳から翻訳されて輸入されたのは明治20年(1887年)のことである。グリムの昔話理論が日本に紹介されたのは大正の初めである。「山島民譚集」、「一つ目小僧」など、柳田氏の研究は伝説研究に始まった。伝説研究の理論は昭和3年(1928年)の「木思石語」に表現されているように、伝説の三要素を@伝説は無形式である、「昔々、あるところに爺と婆が住んでいました」で始まる様式・決まり文句がない、A伝説には、具体的な物や場所がある。信憑性を得るため具体的な足場が必要である。B伝説は信じられることを要求する。神話は改まった日に特定の人によって厳粛に語られ、忘却を防いだ。 そして昔話の重要な点は、伝説の要素の裏返しであるが、繰り返すと@形式せい、語り方に一定の型がある。「昔昔」で始まり「とさ、げな」とか「そればっかり、ドンとはらい、これで一期栄えた」という結語を持つ。伝統と違い場所、時、人物の規定がない。A伝統と異なり、固有名詞の省略がある。伝説と昔話の異なる点は、信憑性の有無である。昔話は語る内容の真偽は問題としない。事実の報告ではなく、娯楽のためのお話であると誰もが認識している。とはいえ現実を離れ過ぎては相手にされない。昔話の本来の中心課題は生活に必要な物資、富の獲得であり、幸福な生活が最終的な目的である。昔話に異常能力者の成功譚、異界の結婚譚が語られるが、そういった傑出した人物を始祖に持つとする一門の繁栄を願っている。これを柳田氏は「本格説話」と呼び、動物譚や笑い話を派生説話とした。ヨーロッパではこれらの説話を「魔術譚」の昔話と呼んでいる。以上に述べた昔話の構造的規定は記紀神話にその先駆的形式を持つが、「豊玉姫説話」、「八岐大蛇」、「三輪山伝説」が昔話にあたる。我国の英雄伝説は極めて少ないが、神武天皇東征伝説も昔話といえる。柳田氏は昔話の根本範疇を完形説話と派生説話に分ける。動物譚と笑い話は派生説話である。完形説話とは主人公の誕生から婚姻までの生涯を説くのに対して、派生説話は事件との遭遇を逸話的に語ったものである。伝説の起源を神話の断片に求める、それが文字のなかった弥生式時代の記憶であれ、神話が説話の中に紛れ込んでいるかもしれない。この神話という信じられた説話から、@真実または確信を伝えようとする伝説、A信仰はなくなっても型を追う歌物語、B面白さを語ろうとする昔話に分裂し、今日の口碑文芸が生まれた。柳田氏は昔話、伝説の研究によって、神話や固有の信仰に到達できるという構想を持つ。すなわち現在の昔話、伝説は神話もしくは固有信仰の残滓かもしれないという考えである。この考えは柳田氏独自の考えではなく、19世紀初めグリム兄弟によって提唱されたインドゲルマン説の系統を引くものである。それによってドイツ、日本の民族性を鼓舞することが目的の、いわゆる遅れてきた民族のイデオロギーに結び付いたと言えば言い過ぎかもしれないが、日独の説話に対する考え方には共通性が多い。一方、昔話が神話に先行するという考え方や、両者の相生説からモチーフの相互借用という説があることも考えなければならない。本書「桃太郎の誕生」のなかには、9篇の論文が含まれる。最初の4編、「桃太郎の誕生」、「海神少童」、「瓜子織姫」、「田螺の長者」には昔話の神話起源の仮説に遡ろうとする試みである。神話と言っても昔話から想像してゆく神話は、記紀神話のように明確な政治的意図を持った大和政権の正統性起源論に行き着くわけではなく、弥生式時代の生活感情に根差した心のまほろばをぼんやりイメージさせるに過ぎない。野山の邪鬼を払って生活を良くしたい、成功して長者になりたいといった程度のごく普通の希望である。これが柳田国男氏の言う神話である。国家イデオロギーに統一された権力確立神話ではない。後半の5篇の論文は伝統と昔話の関係、笑話と昔話に関する論述から構成されている。これらには昔話の日本的特徴がしきりに強調される。これが柳田民俗学の中心課題である。しかいここに採用された昔話が日本特有なのではなく、世界的に広がる昔話の範疇を出ない。それでもその展開と変化が日本的であるとされるのも、日本の昔話が崩壊と消滅の過程が非常にゆっくりとしていたため中間形が豊富に残っているという。幸か不幸か日本での文明開化思想の定着が遅れ近代化・合理化の洗礼に遭遇するのが遅れたに過ぎないと思われる。日本は昔話の宝庫の国というよりは、知性の発達が遅れて昔の残滓が大事に保存されてきたというべきであろう。なお本書の題名である「桃太郎の誕生」とは「昔話の誕生」と解すべきであろうか。

1) 桃太郎の誕生

五大お伽話として、「桃太郎」、「猿蟹合戦」、「舌切雀」、「花咲爺」、「カチカチ山」が言われるが、「桃太郎」昔話の現在の伝承は変化に乏しく定形化しており、子どもさえあまり喜ばなくなっている。したがってこの昔話の歴史を研究するということは、周辺のこれと関係ある話と比較しなければならない。桃太郎昔話は、「昔々、爺さんと婆さんがいました。爺さんは山に柴刈りに、婆さんは川に洗濯にでかけました。」で始まる典型的な昔話の語り口です。話の構成は以下である。
@川上から流れてきた桃をを婆さんが拾う、桃から生まれてきた男の子が主人公です。
A桃太郎は成長して鬼ヶ島征伐に行く。その目的は不明である。脱落か。
B途中三匹の動物と黍団子と交換条件で征伐に参加させる。動物の目的と機能分化をどう解釈するか議論が分かれる。恐らく動物援助民話は桃太郎昔話よりも古い。
C桃太郎が鬼が島に渡った手段は描かれていない。外国の伝承では水陸両用車が使われるが、宝を運ぶ手段も含めて脱落しているのだろうか。D最終目的が婚姻だったのかどうか不明である。岩手の話では誘拐された娘を救うとか、八岐大蛇では桃太郎は解放した娘と結婚している。本格説話では主人公の幸福な結婚をもって終わるのが定型であるが、桃太郎昔話は本当は「妻覓ぎ説話」であったのではなかろうかという説がある。
この話から柳田氏は昔話と神話の関係を強調する。つまり主人公は人間の腹から生まれず、婆さんが川で拾った桃の実から生まれた。最初は極めて小さかったからである。このモチーフは我国の古伝承の小男神(スクナヒコナ神話)と結びつくからである。貴い一族の租は小蛇の姿をした神か、或は海神の女が人間と通じて生まれたという記紀神話と結びつきます。昔話は神話の断片か、或は神話は昔話に材を取っているという説に別れる。貴種漂流神伝説は「うつぼ舟」問題としてアジア・ヨーロッパに広く分布している。越前の桃太郎異伝を媒介として、東北地方の「ちから太郎」昔話に結び付く。ちから太郎も桃から生まれ、急速に成長し旅に出る。途中で動物に変わり得る従者を味方にして、化け物に誘拐された娘を救い出し結婚するという話である。グリム童話「六人の家来」と同系統の話である。桃太郎はアジア・ヨーロッパ型の系統の派生型と位置付けることができる。イギリスの「シンドレラ」、グリム童話の「灰かつぎ姫」、日本の「糠福米福」という物語は少なくとも我国に入ってから一千年は越えているが、話はその間わずかな変化しか受けていない。国内では青森県から南は壱岐の島の海邑まで分布している。記録文芸では「紅皿欠皿」として知られている。滝沢馬琴の「皿皿郷談」は丸写しであった。今ある「住吉」、「落窪」といった継母話はおそらくくこれをもとに生まれた者であろう。日本の類話としては、お伽草紙の「鉢かつぎ姫」もこれにあたる。日本の口承文芸においては「シンドレラ」は奥州では「糠子米子」、津軽では「粟袋米袋」の名で伝わっている。この世界的に著名な一つの昔話が我国において比較的まとまった形で保存されていること、さらにほかの多くの説話にこれという影響感化を与えなかったというのは注目に値する。欧州でもてはやされている昔話に「歌う骸骨」の明るい話がある。これ日本に渡来して仏教説話集「日本霊異記」に取り込まれている。欧州の「灰かつぎ姫」や「歌う骸骨」が成熟期を過ぎた完成された話として日本に輸入され、その渡来後の話の変化が案外少なかったようである。神聖な限定された条件の物語である「神話」と娯楽のための話の芸術である「民間説話〈昔話)」は本来違う類型の話で、かつ神話に因縁の深い「伝説」が三つ巴になって交錯しているのが日本の口承文芸の特徴である。中でも神話だけは数が非常に少なく委縮しており、これから伝説と民間説話へ移ってゆく様子は窺い知ることができる。昔話の成長には3つの形があるという。@説話が非常に古い時代に完成し芸術化された形で広く流布しているもの。「歌う骸骨」、「紅皿欠皿」 A説話の信仰上の基礎が崩壊せず、これに準拠した伝説や語り方が残っているもの。「蛇婿入」のような一部の異類婚姻譚 B近世になって急に成熟したが、まだその原型が伺えるもの。「桃太郎」、「瓜子姫」 以上の様な説話が混在することが日本の昔話研究に活気を与えている。とくに江戸時代の文明がそういう環境をつくりあげるのに適していたとみる。庶民は文字文明に明るくなく、一部の読書階級の書いたものの忠実な模倣によって広まったからである。

日本では口承文芸の童話化はそう古いことではない。近世になってからの事と思われる。童話の根源はたくさんある昔話から比較的子供にふさわしい教育効果のあるものを選び取ることであった。何を教えるかは、子どもだけが聴衆だという場合には、用語や内容を分かりやすくし話術の向上も図られる。家庭の童話の管理者は母親である。母親の教育環境・生活環境が、話そのものに影響を与えたであろうと想像することは難しくはない。そして村の祭りや家庭内での夜話の衰微が、話を省略したり、短縮したりして、聴衆はだんだん子どもだけになって来た。こうして昔話は急速に童話化せざるを得なかった。今日のいわゆる五大お伽話が、書物の力によってほぼ現状の形に編集されたのは江戸時代中期にできた「雛乃宇計木」からだと言われている。中国の翻訳ものも含めて翻案され、そのまま受け入れられていった。文字記録と口承文芸と二つあった場合、どちらが古いかというと、文字記録だと考えるのは早計である。ただ二つの話が流行していただけのことで、どちらが古いかは類似話を良く分析しなければわからない。「宇治拾遺物語」と「醒睡譚」にある二つの「瘤取り話」をみると、両者の書かれた時期は400年も離れているのに、「醒睡譚」のほうが「宇治拾遺物語」より古い形の昔話を収録しているのである。また「かちかち山」では、民間説話では爺が種まきをしているところを狸が皮肉を言ってからかうので、木の株に餅を縫って狸を捕まえることになっている。そしてぐるぐる巻きにされた狸が狸汁にされる前に婆さんを騙して縄を解き、逆に婆さんを殺して食べてしまう。後半部では兎が婆さんの仇打ちをする段になると狸は全くのお人よしになって容易に捕まる話となる。狸の性格が前半と後半で矛盾しているのでこれは異なった由来の二つの話を継ぎ合わせたことがわかる。前半を更に二部すると、爺をからかっていた皮肉屋の狸が爺に捕まるというドジな狸の性格と、婆さんを騙して逆襲する狡猾獰猛な狸の性格を描き、後半では狡猾な兎に関単に捕まり仕返しをされるという愚か者に変身をする3つの性格転換をしている。「かちかち山」の第1段は北欧の「赤頭巾物語」と対照できる「瓜子姫譚」の骨子である。瓜子姫を食べた狸(山姥)がその骨を糠屋(台所)の隅に隠しておくという結構残酷なシーンが展開される。「舌切雀」と「猿蟹合戦」も安定した形かというとそれが怪しいのである。雀報恩譚は朝鮮にある「瓢の米」、柿の種は「猿蟹の餅争い」などから筋を引いているのである。「舌切雀」と「猿蟹合戦」の二つのお伽噺は相互に関係を持ち、また「桃太郎」と似通った点がある。桃太郎では桃の実が割れて中から子供が生まれる話は日本尾桃太郎以外にはないようだが、動物に助けられて事業を成し遂げた話は外国にも多い。すると桃太郎の日本的特徴とは、その英雄の名前「桃太郎」とその誕生のいきさつだけである。「瓜子姫」も瓜から誕生したことが日本的なのである。それ以外の話の筋は外国からの移動であっても構わなかったのである。奥州における「瓜子姫」は誕生においては「竹取物語」のかぐや姫と近くなっている。山姥(天邪鬼)に食われウまでの瓜子姫話の前半はグリムの「狼と子羊」やペロ−ルの「赤頭巾」などによく似ている。その残虐さは「かちかち山」と密接なつながりがある。人腹ではないところから小さい子供が生まれて急速に成長する「桃太郎」、「瓜子姫」、「一寸法師」、「竹取物語」の話は、一般的には「小さ子物語」と言われる。山の狩猟や採集生活に頼っていた縄文式時代から、日本人は紀元前後から山(天)から平野(豊葦原)の干拓に乗り出し稲作を主とする弥生式時代を迎える。山から下りてきた人々を「神」(上に通じる)と呼び、川に沿って生育する蛇や、山から流れてくるものに精霊を認める信仰が生じたようである。記紀神話に山代賀茂の丹塗の矢、出雲加賀窟の黄金の箭、光がそれである。桃と瓜の媒体はどちらが古いかというと、瓜は中が空洞で「うつぼ舟伝説」に通じるものがあり、瓜の方が古いという説がある。桃太郎が鬼ヶ島征伐をするという英雄であったからこそ、常人ではない異能を持った異界の貴種であるという信仰が生まれた。「桃太郎」の英雄譚の遠征目的がはっきりしない。鬼が人間の世界を脅かさないなら、桃太郎の方が侵略者になる。むしろそれらを手段として、よき配偶者を得て家が栄えるということが主目的であったのかもしれない。また「瓜子姫」にはよき配偶者を迎えることを結末とする話もある。これら昔話の本来型を「妻覓ぎ説話」と呼ぶ。英雄が良い婚姻をするだけでなく、怠け者や貧乏人が美しい高貴な女を嫁にする話が、「ものぐさ太郎」、周防の「寝太郎荒神縁起」がそれである。これらは運が良ければ英雄に成れる希望を抱かせるものであったと言える。蛇(猿)婿入譚も桃太郎話とかすかな連絡があった。日本の小さ子説話が、最初小さな動物の形をもって生まれた英雄を描き、奇怪な妻問いの成功を中心に展開していることは、それが神人通婚の言い伝えがまだ固く信じられていた証拠である。桃太郎説話は神人通婚をあっさり捨て去った。彼ら英雄が神として祀られることはなかった。神話を分離してしまったのである。最後に本章では、「犬子噺」と「あくと太郎」の二つの話を桃太郎説話と連絡が付く例として紹介している。

2) 海神少童

本書「桃太郎の誕生」は、五大お伽話の「桃太郎」、「猿蟹合戦」、「舌切雀」、「花咲爺」、「カチカチ山」は相互に関係し生育したものであるという前提に基づいている。「海神少童」もこれらの説話に関係してゆく。記紀に始まる海神宮(竜宮)の信仰もこれらの一連の昔話に歴史的につながる。魚を助けるとか、薪を淵(海)に投げ入れると、若い美しい女性が現れ、穢い、黄金を生む小さい子を爺に託する。ある条件通りにしないとこの子は黄金を生まない。@少童はハナタレ小僧、ヨケナイ、ウントクという名を持つ汚い小僧である。これが問題とされる小男神と関係する。A小僧以外には、子犬、黒猫など小動物が変わることがある。B福徳小槌は富を生み出す呪宝である。使用者はある規範を守らないと機能しない。規範を守らず、欲張って多くの宝を欲しがると、小童は去り小槌は機能しないばかりか、それまで得た財宝も富も喪失する。水神の霊威によって小童を得るだけならば、多くの国にある一種の信仰である。日本は海に囲まれた島国であり、うつぼ舟が漂着したり、川上からいろいろなものが流れて来るお国特有の説話が多い。話の構成や構造は外国の説話と同じでも、海や川にちなんだ名を持つ昔ばなしが多いことが日本の特徴であり、日本昔話の特徴のすべてである。日本の昔話も広くはアジア・ユーラシア型の昔話である。グリムの「漁夫とその妻」はこの系統の昔話であり道徳心の強い話になっている。貧乏漁夫が魚を捉えるが逃がしてやる。魚は恩義を感じその女房に願い事を何でも叶えてやる。ところが女房の欲望は果てしなく拡大し、最後は国王・法王・神になる事と要求し、これが契機に一切のものを失う。この昔ばなしはトルコよりアジア寄りでは、カンボジア、インドネシア、マレー、インドに広がっている。

3) 瓜子織姫

柳田氏がこの論文で使用した資料はたった11の話である。それからすでに250近い話が採集されている。この11に話から基本的な問題はすべて提出されている。瓜子織姫と桃太郎の話は対照的である。主人公が男、女の違いをもちろんとして、川に沿った生活圏が舞台である。川を流れてきた桃から生まれた男の子、瓜から生まれた女の子を主人公とする。そして桃太郎、瓜子姫を養う老婆はいずれも子がなく、しかも善人である。そして申し子の霊験を得るのである。これが最初の要件である。念願すれば応験を得るの関係にある。桃太郎の桃は瓜子姫の瓜より後の話であることは明白である。瓜はうつぼ舟の前提であったからだ。桃太郎は鬼ヶ島の征伐に出かける武勇譚であり、瓜子機姫は技芸であり機織である。機織というのは神に仕える少女の役目であり巫女に通じるのである。そして最後の共通点は動物の援助によって成し遂げっれる。瓜子姫では天邪鬼が姫を殺して身代わりになって嫁入りすることを、小動物(小鳥)が天邪鬼の正体を見破り、姫を助けるのである。瓜子姫の嫁入りの実質は神の衣を織った娘が神の妻になる話を表現し、天邪鬼がこれを妨害するという設定であろうと柳田氏は看破した。瓜子織姫の日本東西の話の特徴が顕著に異なる。東日本では瓜子姫は残虐な仕方で殺され、顔の皮を剥がれて天邪鬼がそれを被って瓜子姫に成りすますのである。それにたいする罰は天邪鬼の追放ぐらいである。これに対し西日本では瓜子姫の着物をはぎ取って木に縛り付け、その着物をきて瓜子姫に化ける。天邪鬼に対する懲罰は残酷で股裂きの刑に処するのである。東日本の話では小鳥は天邪鬼の正体を暴く死んだ瓜子姫の魂であったろうが、西日本では小鳥は瓜子姫を助ける援助動物であった。瓜子姫の話はほぼ全国に分布している。瓜子姫昔話は国際的昔話基準「偽の花嫁」型の変化型である。そのまとまった形式は「三つのシトロン」と呼ばれ、ユーラシア型の昔話である。概要は、若者が王女を探しに出かける。老婆が3つのシトロンをくれる。その三つ目のシトロンから美しい娘が生まれる。娘(王女)に木の上で待っているようにと言って若者は出かける。そこへ悪魔のジプシー女が現れ王女を泉の中へ投げ込む。王女は泉の中で魚(または鳥)に替わる。魚(小鳥)が若者に捕らえられると鱗から木が生え娘は若者の元に帰る。王女に成りすましたジプシー女は処罰される。それに比べると瓜子姫の話は単純化されている。南西諸島に残っている話を組み合わせると国際型に近くなり、同じ系統の昔話であることが分かる。

4) 田螺の長者

この昔話も「桃太郎昔話」と共通するモティーフを持っている。子のない夫婦が神に祈願して、田螺(蛙、小男)を授けられる。人の腹から生まれるのではなく、指が腫れてそこから生まれる。(あるいは田螺を拾って育てる。)長じて嫁探しの旅に出る。長者の家に泊まり、携えた餅、黍を食ったもの(受諾の意志の表れ)を女房にすると親に約束させる。そして寝ている間に末娘の口に餅を咥えさせ、翌朝娘を嫁にする。成功の秘密は奸計によって婚姻を獲得することで、道徳的に見て如何と思わせる話である。この主題は旧約聖書土師記によって「エフタモティーフ」と広く呼ばれている。娘は田螺を嫌がって短刀で田螺の殻を割るとか風呂に入れてかき回す。これらは成人式の割礼の式に一致する。田螺はこれによって若者に転化し娘と結婚することになる。この話は柳田昔話の「本格的昔話」の基本構造である。貴い童子が信心深いものの希望によって与えられ、童子は成長して驚くべきことをやり遂げ、名家の娘と結婚して家を興す。すなわち誕生ー成人ー結婚という仮定をたどる。同系統の話にはグリムの「蛙の王子」があり、異類結婚譚である。

5) 隣の寝太郎

1)桃太郎の誕生、2)海神少童、3)瓜子織姫、4)田螺の長者が本書の前半を構成し、本格的昔話の代表である桃太郎昔話と関係する昔話の基本構造を説明してきた。本書後半の第5章から第9章は、直接的に「桃太郎昔話」との関係を意識しないで読める題目となっている。これより伝説と昔話の関係を、7)狼と鍛冶屋の姥、8)和泉式部の足袋に考察し、笑話の由来を5)隣の寝太郎、9)米倉法師で考え、ちょっと風変わりの輸入昔話として6)絵姿女房に見てゆこう。まず笑話の「隣の寝太郎」である。この昔話は「宇治拾遺物語」の「博打婿入りの事」によって知られる。昔話の基本テーマが本来ありえない画期的なことを遂行し、花嫁を貰って家を興すことであるとするならば、長州の話では寝太郎は治水干拓の功績のために祀られた寝太郎荒神の由来譚となり、寝太郎餅と結びついた。笑話はここから始まる。柳田氏の定義では笑話は派生説話で、ある一つの事件を問題とした逸話風の説話という位置づけであった。この話の主人公は豊後の吉四六話と同じように、奸策による婚姻である。怠け者でも出世できるという昔話の定番である。そこにあるのは奸智である。良くない智である、悪智恵ともいわれる。酷く醜い顔をした若者が、自分は美男子であるという触れ込みで長者の婿募集に参加し、長者の愚鈍を利用して婿入りに成功するというストーリである。笑話は内容がおかしいから笑話ではなく、神の恩恵を受けている者だけが成功すると説かれている。笑話の世界では神は信じるべき対象ではなく生活の手段として利用するという様に、神は衰退している。笑話と昔話の間には神に対する大きな差異がある。

6) 絵姿女房

この話はこれまでのテーマとは異質であり、小男神とも結びつかない。下賤な男が美女と結婚する。仕事が手につかないくらいの美しさのため、似顔絵を描いて貰って畑仕事の脇に掛けておくのである。フェチズムの極みである。その絵が風に飛ばされて殿さまの手に入ったところからストーリが展開する。この話の後半は二つに分かれる。@殿さまがこの絵の主を女房にしたくて、出来なければ女房と交換に無理難題を三つ申し渡す。女房がその問題をやすやすと解決するので殿さまは降参する。この話は西日本に多い。A女房が殿さまとの強制結婚で連れ去られるとき、亭主に城下に桃売りに来るように言いつける。亭主が御殿の周りを触れ歩く声を聴いて、城内の連れてこられた女房が初めて笑う。これを見た殿さまは女房の御機嫌を取るため、亭主の桃売りの服と自分の殿さま衣裳とを取り換え、桃売りの姿をして城外にでる。夕方になって殿さまは城内に入ることができず、亭主はそのまま殿さまになって二人は城を乗っ取るのである。この第2の形式は東日本の話に多い。東日本と西日本の話の内容の違いは、国際的には「オイコティーフ」(国民的地域的相違)と呼ばれる。柳田氏はこの相違を日本的な原因に求めることには成功していない。この話は中国の「絵姿女房」に多くの例が見られるそうである。この話はトルコより東ではインド、中国、日本で収集されている。「絵姿女房」を「帝王求婚」という風にとらえると、「竹取物語」にまでさかのぼることができる。アジア・ヨーロッパ型の昔話である。

7) 狼と鍛冶屋の姥

ここで問題とされるのは、昔話の存在形態から見ると事件の場所、参加した人物を述べる伝説に近いのであるが、明確に伝説とも昔話とも規定できない説話を「世間」という分類で呼んでいる。そういう説話がいかにして伝説となり昔話となるのか、または逆に伝説・昔話が崩壊して世間話化するのか、これを習俗との関係で述べられている。この「狼と鍛冶屋の姥」という話は、土佐野根山の産杉伝説から始まる。産杉伝説には共通する3つの条件がある。@大杉の梢でお産をした妊婦の事、A群狼の危難に遭遇してかろうじて助けられたこと、B狼の巨魁が鍛冶屋の姥であったことである。木の上での分娩は土佐の話以外には見られない。この話は伝説または昔話として東北地方から南西諸島まで分布している。大杉の根と称するものが残っていること、妊婦が無事出産したことからその木を削って安産の護符とする習俗と結合していること、そして鍛冶屋の屋敷跡がが残っていることによって半ば伝説化している。山の峠の奇形の木にはそもそも伝説化しやすい要因が付着している。この談話の米子地方の伝説では、山伏が狼の群れに襲われ、大きな木に登って難を避けると、二、三十匹の狼が背継ぎをして迫ってくる。最後のところでもう一匹分が足りないので、五郎太夫姥(鍛冶屋姥)を呼びにやれといって、姥がきて先頭に立つと、山伏は脇差を抜いて、その大狼に切りつけた。狼は退散し、翌朝五郎太夫の屋敷に行くと、婆が木から落ちてけがをして行方知れずだという。「狼と鍛冶屋の姥」の話には国際的に共通する挿話が多い。「千匹狼の大梯子」、樹上の旅人を攻める話には、猫か狼かの二系統がある。猫は積極的に兜(茶釜)をかぶって防戦している話も国際的には多い。古猫が茶釜の蓋で鉄砲の玉をよける「狩人」形式もある。化け物の正体と所在が聞こえた話からすぐに分かる「悪魔の謎」形式である。土佐野根山鍛冶屋の姥には屋敷跡があって、子孫には代々背中に毛が生えていたとする伝承があるという。これと同様の伝承は越前にもある。但馬の加門塚の伝説は複雑である。加門の妻は山路で罠にかかった狼を助け狼の首領となった。駿河の朝比奈の先祖も狼に助けられた児童であった。八幡様に祈って授かった子は狼が咥えてきた子であった。その肩には狼の歯形があったという。その子は武勇豪傑となり、狼明神を夏ったとされる。狼が人を助ける動物謝恩の昔話で多いのは、人が狼の喉に刺さった骨を取ってやることで、子孫繁栄のもとになり狼を神として祀ったのでる。ユーラシア型の昔話で紀元前数千年にさかのぼる。ローマ人の始祖を狼とする神話はことに有名である。狼はモンゴルの説話の主役である。柳田氏は狼=産婆=乳母という信仰の系列を述べている。狼以外では鷲に連れてこられた東大寺の高僧良弁の出生を説く良弁杉の伝説が知られている。こういった話はスウェーデンに同じ系統の話がある。

8) 和泉式部の足袋

狼や鷲が赤子を運ぶ説話は古くて世界中に分布している。鹿の子の伝説はほとんど歴史上の人物と結びつく。第1は鹿娘もしくは鹿姫という。岩手では昔話として皿々山の求婚譚と結合している。伝説としては和泉式部、浄瑠璃御前、光明皇后などと結合する。優れた人、貴人の異種誕生譚となる。そういういみで桃太郎説話の主題となる。鹿は神の使いとすれば、鹿が人間として生まれたら、その人は神と同格である。その証拠を求める話である。その実例として「和泉式部の足袋」が取り上げられた。鹿の子なるがゆえに足の趾が二つに割れていることを隠すため足袋が発明されたという、いかにも嘘臭い理屈が述べられる。しかし虚を突かれたような話の落ちである。これは、矢作の兼高長者が子供がいなかったので、鳳来寺の峰の薬師に願かけて、満月の夜薬師が白い鹿となって現れ一つの玉をを賜ると身ごもったという。或は鹿の子を授かったというときは浄瑠璃姫である。この足袋の由来は肥前と三河にある。和泉式部の生地・埋葬地も全国に多く分布している。これは歌比丘尼、薬師信仰者が運んだものであろう。人と鹿の婚姻譚は「今昔物語天竺篇」に見られる。

9) 米倉法師

「米倉法師」は柳田氏の数少ない笑話研究の一つである。日本の盲法師に類する遊行僧が、笑話の発展に参与したことに着目している。「桃太郎の誕生」に関係するものの一つが、桃太郎童話の傍系である米倉法師である。正直な爺が水神から黄金を生む少童、小動物を授かる話は「海神少童」においても述べられている。米倉法師も水神の贈り物として打出小槌を授かった。ここで語呂合わせのように「米倉」(”こめ”、”くら”と叫ぶと米と蔵が出てくる)を「小盲」に通じると理解するとこの落語の意味が明白となる。ここに盲坊主が参加して、昔話が笑話の方へ引きずってゆくことに積極的に加担したというのだ。二つを同時に欲しいと欲張って連続して”こめくら”と叫ぶと、盲坊主がぞろぞろ出てきたという。グリム童話では「お膳」では、巡行する神や僧を泊めて、そのお礼に3つの願い事をかなえる呪宝を授かる。欲深い女房は多くのものを望んで失敗しすべてを失う話である。


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