160909

文藝散歩 

柳田国男著 「日本の昔話」(改訂版) 
角川ソフィア文庫 (1960年5月)

「日本の伝説」姉妹編、「むかしむかし、あるところに・・」で始まる全国で語り継がれた昔話106篇

柳田国男氏が民間伝承に注目した最初の著作は、明治43年(1910年)に刊行された「遠野物語」であった。その当時口承文芸をジャンルン分類するという認識は存在しなかったので、「遠野物語」の伝承群は、地方・村落の神話、噂話、伝説、中央の話の引水などの混合状態であった。後に定義される口承文芸の一ジャンルとしての「昔話」は話に過ぎなかった。というよりそもそも「昔話」という概念さえなかったので、「昔話」を集める意図は存在しなかった。民俗学あるいは口承文芸の黎明期を経て「昔話」研究が取り上げられるにはかなり時間を要した。それはほぼ柳田国男氏の研究史に重なる。研究者は柳田氏しかいなかったからである。昭和8年(1933年)「桃太郎の誕生」、「民間伝承論」(1934年)、「昔話と文学」(1938年)、「昔話覚書」(1943年)を集中的に発表し、戦後1947年のにその総決算というべき「口承文芸史考」を出して、昔話研究を締めくくった。柳田国男の民俗学の業績は、山人論に見られる日本人起源論、村落の生業・生活・祭祀・宗教・家族・習俗などの分野から、日本語への関心から方言や地名の研究、教育への関心から教科書や啓蒙書の刊行など多岐にわたるが、一定期間集中的に取り組むことで成果を発表し、次の関心に繋げるという道筋で展開された。その中で昭和5年から終戦時までの間は昔話や口承文芸に集中的に取り組んだ。そのきっかけは大正2年(1913年)高木敏雄とともに「郷土研究」という雑誌を創刊したことに始まる。この雑誌は1917年まで続いたが、その後復活して1931年から1934年まで継続された。各地からの昔話や伝説の報告が掲載され、それが本書の出版に大いに貢献したという。「日本の昔話」が出版された昭和5年(1930年)という年は、柳田国男が本格的に昔話研究に着手する年となった。本書は非売品で地方の研究者に分配された。その後、昭和9年(1934年)に「日本の昔話」と改版された。昭和5年版の「日本の昔話」は数が少ないことと、文献資料からの転記に近いものも含まれていたので、改定版が昭和16年、昭和28年と続いて、昭和35年(1960年)に、「改訂版 日本の昔話」が出版された。それ以前の版の収めていた108話の内45話を削除し、残った63話に新たに43話を加え合計106話によって「改訂版 日本の昔話」は構成されている。半分近くが新しい話に入れ替えたところに柳田国男の編集方針が見て取れる。その作業は、柳田の指示で丸山久子氏と石原綏代氏によってなされた。文献からの話は削除し、口承の話を採用した。各話の末尾にはカッコ内に伝承地、資料集の名または採集者の名が記されている。日本の昔話の標準形が示された。柳田氏は昔話の分類を、「日本昔話名彙」(昭和23年 1948年)を編集して、完形昔話と派生昔話という二分類法を提起した。完形昔話には、因縁話、化物話、笑話、鳥獣草木譚が含まれる。関敬吾氏はヨーロッパの昔話研究に基づいて日本の昔話を、動物昔話、本格昔話、笑話という三分類法をとり、「日本昔話集成」(岩波文庫より三分冊で刊行された。別のところで紹介する)を完成した。柳田国男氏が口承文芸を重視したのはなぜかと言うと、彼が詩や短歌から出発した文学者だったからであろう。本書の「はしがき」に柳田国男氏は「日本の昔話」は、昔から代々の日本の児童が、常に聞いて来たお話の標準形(お手本、典型)になることを意図して編まれたと書いています。だからどこかで聞いた気がする話が満載です。この中から聞いたことがあるとする話の数が多いほど、その児童のいる家庭の豊かさ(経済的ではなく、児童をはぐくむ気持ちや環境の良さ)を示しています。そういう家庭がどんどん少なくなってきています。子供たちに本を読んであげる事は重要ですが、口承で話を聞くことは児童の想像力(創造力)を広げることにおおいに役立ちます。昔話は少数の人々で聴いて話し合うものです。間違っているとかいう者はいません、その話の面白いところだけが詳しく話され、ほかの部分が省略されたり脱落してゆくものなのです。話される度にその話は変形を受けます。最後に昔話は場所、時は問いません。「昔々あるところにお爺さんとお婆さんがいましたとさ・・・」という点で、伝説とは一線を画します。しかしながら話の雰囲気や納得の仕方には、有無を言わせず地方性が入ってきます。標準語で話される昔話はつまらない。「・・これでおしまい、どんとはれ」で終わってこそ喝采を受けるのです。



1) 猿の尾はなぜ短い

昔、猿のしっぽは50−60mはあったそうです。ある時猿は熊に魚を捕るコツを教えてもらいました。それには寒い晩にしっぽを水の中に漬けておくことだというこおです。猿は教えてもらった通りに、しっぽを水に漬けて置いたら次第に重くなり、しっぽを引き上げようとしましたが抜けません。水が凍っていたのですが、無理に引っ張ったものだから、しっぽが根元から切れてしまいました。猿の顔が赤いのもその時頑張ったためです。

2) 海月骨なし

竜宮のお妃がお産の前になって、猿の肝が食べたいと言いました。家来の亀が猿をだまして竜宮につれてくる役を引き受けました。猿に御馳走をいっぱい食べさせてあげると嘘をついて、亀の背中に載せて竜宮につれてきましたが、門番の海月(クラゲ)がこっそり猿に「おまえさんは肝を取られるためにやって来た」と教えますと、猿は亀に肝を陸の木に置き忘れてきたので取りに行くと言って、また陸まで送らせました。そこで亀はウソがばれたことを知り、竜宮の王様に報告しました。すると王様はクラゲの仕業に違いないと言って、クラゲは皮を剥がれ、骨を抜かれて、とうとう今のクラゲの姿になったそうです。

3) 雀と啄木鳥

雀と啄木鳥は姉妹であったのですが、親の危篤の知らせを受けお化粧も放り出して飛んできたので親の死に目に間に合いました。啄木鳥は念入りにお化粧していたので間に合いませんでした。だから雀の姿はきれいではありませんが、人の傍で暮らして穀物を食べる事ができますが、啄木鳥は森の木を叩いて苦労して虫をとっています。夜は嘴が痛いよと言って泣いているのです。

4) 鳩の孝行

鳩の息子はねじけ者で親のいう事の反対の事ばかりしています。親はいよいよというときになって、反対のことをするだろうとおもって「川原に墓を作ってくれ」と頼みました。ところが親が死ぬと息子は急に反省をして親の遺言通りに墓を河原に作りました。水が出るたびに墓が流されそうで心配でとっぽっぽと鳴くのだそうです。

5) 時鳥の兄弟

時鳥の弟は大変兄思いでした。自分は薯の茎しか食わないで、兄には薯の一番おいしいところを食べさせました。ところが兄は弟がもっとうまいところを食っているのだろうと邪推をして、弟を殺してしまいました。弟の腹から出てきたのは筋だらけの薯でした。兄は反省して芋の季節になると、「弟恋し、ほって煮てくわそ」と鳴くのだそうです。

6) 時鳥と百舌

時鳥は沓を作る職人でした。百舌は馬方でした。百舌は毎度馬の沓を作ってもらっていましたが、代金を支払いませんでした。そのため時鳥は沓の代はどうしたと鳴くのですが、百舌は気恥ずかしくて時鳥が来る頃には姿を隠していなくなります。

7) 片足脚絆

「とくぼう」というなの鳥がいました。麦畑で穂を食べているといががのどに刺さって苦しみだしました。親鳥は脚絆を片方にしか履かず、急いで駆けつけたのですが、かいなくとくぼうは死にました。麦が稔る時期になると、親鳥はとくぼうと子の名を呼ぶのです。この鳥はいまでも片方の足だけの毛が生えています。

8) 雲雀の金貸し

雲雀は金貸しだったそうです。お天道様に金を貸しましたが、何時までも返して貰えません。雲雀はゼニクレ、ゼニクレと鳴いて上がりますが、お天道さんは暑いので、今度はクレー、クレーと言って降りてきます。

9) かせかけみみず

ミミズと蟇は着物を作ろうと相談しました。ミミズは細い糸で丁寧に作ろうといい、蟇は早く太い糸で作ろうと言いました。ミミズは細いいとでぐるぐると首の周りを編みましたがこんがらかって始末に負えませんでした。このため首の周りに縞模様が残っています。蟇が汚らしい姿をしてるのは粗末な着物のためです。

10) 梟染め屋

フクロウは染屋でした。真っ白な烏がきて美しい衣裳に染めてほしいと頼みましたが、梟は真っ黒に染めてこれが一番美しいと言い張りました。烏は怒って梟の姿を見ると追いかけまわしていじめる様になりました。

11) 鷦鷯も鷹の仲間

鷹が酒盛りをやっているところに小さな鷦鷯も加わりたくて行ったところ、鷹は小さな鷦鷯をばかにして、猪を獲ってくれば仲間に加えてやると言いました。そこで鷦鷯は猪の耳の中に飛び込むと、猪は苦しくて狂ったように走り出し岩にぶつかって死にました。それで鷦鷯は大きな顔をして鷹の仲間に食われてもらいました。この時大きな熊鷹が小さな鷦鷯に負けてなるものかと、二匹の猪を両足で掴んだのですが、二匹の猪が勝手な方向へ逃げ出したため、熊鷹は体を裂かれて死にました。

12) 狸と田螺

狸と田螺が揃って伊勢参りに出かけました。そして伊勢大神宮まで駆けっこをしようという事になり、田螺は素早く狸の尾の中に隠れました。狸は鳥居まで来たとき自分が勝ったと思いうれしくてしっぽを振ると、田螺は石にぶつかって殻が割れました。田螺は見え坊で痛いの我慢して「遅いじゃないか、僕は先ほど着いて肩を脱いで休んでいるところだ」と言いました。

13) 貉と猿と獺

貉と猿と獺の三人が揃って弥彦詣りに出かけました。その途中で三人は拾い物をしました。茣蓙1枚と塩1叺と豆1升ですが、これをどう分配するかでもめましたが、賢い貉は、猿さんはは茣蓙1枚を以て木の上に登ればいい、獺さんは池に行って詩を相手魚を浮かせたらどうか、自分は豆でいいと提案しました。猿は茣蓙をすべらせ木から落ち足を怪我しました。獺は塩を振ってから池に入ったので目が真っ赤にただれました。貉は豆をたらふく食いました。

14) 猿と猫と鼠

爺は婆が織った木綿を町にもっていって売る生活をしていました。ある時山道で猟師が木の上の猿に狙いをつけうとうとしていますが、猿は手を合わせて逃がしてくれと頼んでいます。爺はかわいそうに思って猟師を止めようとしたとき鉄砲は爺の肩を抜きました。驚いた猟師は逃げだしましたが、猿たちは爺を介抱し、御馳走をしてくれ爺は元気になりました。爺が帰る時猿は「猿の一文銭」という金持ちになる宝物を与えました。それから爺と婆の家は裕福になりました。これを見た近所の人がこれを盗み出しました。爺と婆はこの「猿の一文銭」を探し出すため、まず猫に命じました。猫は鼠に命じて箪笥の中にある宝物を探し当てました。

15) 猿と蟇との餅競争

正月近くになると里ではお餅を搗く威勢のいい音が聞こえてきます。やまの猿と蟇は相談をして餅を手に入れるために里に下りてきました。庄屋の家に入り、まず蟇が池にどぶんと飛び込みました。庄屋の家の人が池の周りに集まってきたのを幸いと、猿は臼ごと餅を掴んで山の中へ逃げ込みました。そこで足の速い猿は蟇に言いました。臼ごと谷に向けて転がして早く掴んだ方が全部取るのはどうかと持ち掛けました。蟇は自分がのろいことは十分承知の上で合意しました。臼が転げるにつれ中の餅が木の枝に引っ掛かりましたが臼だけは谷に転がってゆきました。猿が追いかけたのは空の臼で、蟇はまんまと餅を全部独り占めしましたとさ。

16) 古屋の漏り

爺と婆が雨漏りのする古い家に住んでいました。爺と婆は虎狼より怖いのは「古屋の漏り」だと話をしているのを、外にいた虎と狼が聞きました。俺たちより怖い「古屋の漏り」という化け物がいるようだ、油断がならないと思いました。ちょうどそこへこの家に入ろうとしていた馬盗人が馬だと思って虎の背中に飛び乗りました。驚いた虎と猪はこれが古屋の漏りだともい込んで一目散に駆け出し、途中も道端の古井戸の中へ盗人を落としました。そこに猿がやってきて何をしているのだ虎と狼に聞くと、この井戸に古屋の漏りという化け物を落とした。猿はよし俺がが調べてやろうと、長い尻尾を井戸に降ろして探りました。穴の中の盗人はしっぽをしっかりつかんだので、猿は驚いてしっぽを引くと根元から切れてしまいました。猿の尻尾が短くなったのはこの時からだといいます。

17) 猿婿入り

山の畑で働いていた爺が、畑仕事の手伝いがほしくて、手伝ってくれたら三人ある娘の一人を嫁にいぇるがと独り言をつぶやきました。これを聞いた猿がせっせと手伝いました。三人娘と相談すると、一番下の娘が結婚を承諾し、嫁入り道具に縫い針をたくさん入れた壺を持ってゆくことになりました。山に向かう嫁入り道中で、一本橋が細いので、ちょっと壺に手が触れた猿はびっくりして川に落ちました。(この話は何かが抜けていて理解不能です。脚色して書きましたが、これでは騙しであって善意の猿の恨みを買う)

18) 鷲の卵

百姓の爺には一人の娘がいました。稲代を見回っていると蛇が蛙を追いかけ田を荒らしていました。蛇よ蛙を追うな、娘を嫁にやるからと言いますと、蛇はおとなしく帰ってゆきました。そのよから娘のところへ蛇の婿殿が通ってくるようになりました。ある日家の前を見かけない易者が通るので、この婿殿の素性を聞いてみました。易者が言うには娘は人間でない婿を取って、人間でない子を産もうとしている。裏の山の木の上でわしが卵を産んでいるからそれを飲めば娘の身体もよくなるというということでした。そこで爺は婿殿に鷲の卵を取るように頼みますと、婿殿は蛇となって木に登り鷲の卵を二個とってきて、さらに三個目を取りに登った時爺はその蛇を突いて殺しました。易者はもうこれで娘さんは助かったと言いました。そして3月3日の節句に酒に桃の花を浮かしてのむとさらに娘は丈夫になってゆきました。この易者は助けてやった蛙でした。(娘が孕んだ蛇の子どもがどうなったのかは書かれてない。蛇は爺に何も悪いことはしていないので、爺は蛇を利用して後で殺したことになり、道徳性に一抹の不安を覚える)

19) 春の野路から

貧乏な爺が毎日働いて、今日は休みだから酒でも飲もうとしているところに、用事がはいり出かけなければならなくなった。徳利を下げて野原に出て石に腰を掛けると、足元に骸骨が転がっていた。この骸骨にも酒をやり歌を歌って慰めた。用事が終わってたそがれ時に同じ野原に差し掛かった時、美しい娘が立っていた。娘が言うには「私は3年前この野原で病気で倒れて死にました。今日は本当に楽しい思いをしました。で28日の実家の法事に一緒に来てください」というので、爺は娘の実家に行き、幽霊の娘の着物の陰に隠れて法事の御呼ばれを戴きました。そして娘がいなくなると爺の姿は親戚の人に丸見えになり、一部始終を爺は話しました。そして親戚・坊さまとともに骨を迎えにゆき、娘の葬式を執り行って娘の供養をしました。爺様はその娘の実家の世話になり老後を安泰に暮らしましたとさ。

20) 金の斧銀の斧

正直なきこりがいて、ある日池の傍で木を切っている時、鉄製の斧を池に落としてしまいました。すると池の中から白いひげのお爺さんが出てきて、落とした斧はこれかなと金の斧を見せましたが、爺さんはいやそれでないというと、つぎには銀の斧をみせてました。嫌私が落とした斧は鉄製だといいますと、白いひげ爺様はまた池にはいって、近、銀、鉄の斧を持って来ました。正直者のおまえには全部やろうと言いました。それを聞いた隣の欲張り爺は自分も金の斧を貰おうと思って池に行き、わざと鉄の斧を落としました。すると池の中から白いひげのお爺さんが出てきて、落とした斧はこれかなと金の斧をみせますと、欲張り爺さんはそうです金の斧ですと言って受け取ろうとしましたが、白いひげのお爺さんはお前はウソを言っている、金の斧も、銀の斧も、鉄の斧もやらんと言って池の中へ姿を消しました。

21) 黄金小臼

奥州みぞろヶ沼のほとりに二人の兄弟が住んでいました。兄はすこし愚かで弟はこざかしい男でした。弟は兄を追い使って草刈りばかりさせていました。兄が沼のほとりにいると、沼から美しい女性が現れて一通の手紙を御駒が嶽のふもとにある八郎が沼に住んでいるしまいに渡してくれるよう依頼しました。兄は手紙をもって八郎が沼に行き、手を叩くと池の中から美しい女性が現れ手紙を受け取りました。そして手紙に書いてあるとおり、何時のお世話になっている男にお礼として石の挽臼を渡しました。この臼は一粒のコメを入れて挽くと黄金が一粒でてくる魔法の臼だったのです。これを見た欲の深い弟は兄のいない時に臼を取り出し、一挙に金持ちになろうとお椀に一杯の米を入れ挽きますと臼はコロコロ転がって小池に沈みました。

22) はなたれ小僧様

肥後の国の貧しい木こりの爺がいました。薪を採って町に売りかすかな暮らしをたてていました。薪が売れない時は町の中を流れる粟に薪を投げ込んで帰りました。するとある時川から美しい女が出てきて、「いつも薪を竜神様に供えてくれてありがとう、竜神様からこの鼻たれ小僧をご褒美に上げるから、毎日えびの膾を挙げると、何でもいうことを聞いてくれます」という事でした。爺ははなたれ小僧を大事に育て、お米でもコ小遣いでも頼むと、鼻をかむようにして出してくれました。こうしてなに不自由ない暮らしができると爺は仕事もやめ安逸に暮らしました。そのうちはなたれ小僧のお世話をするのもおっくうになって、はなたれ小僧を竜神様にお返ししようとして追い出しました。すると鼻他小僧が家の外でスーと息を吸うと、家も物も全部消えてなくなりもとの貧乏な爺だけが残りました。

23) 蛇の息子

富山の町に子供のいない爺と婆が住んでいました。ある時蔵に行くと一匹の蛇の子がいました。かわいいので蔵でコメでもやって飼うことにしました。「シド―」となずけた蛇はだんだんおおきくなり、今では蔵に入りきれないほど大きくなりました。そこで因果を含めてシド―を蔵から外へ出すことにしました。シド―は何処ともなく出てゆきました。ある時神通川の舟橋に大きな蛇がとぐろを巻いて通行人も怖くて近寄れない騒ぎが起り、殿さまはこの蛇を退治したら褒美の金を与えるお触れを出しました。爺と婆はきっとシド―に違いないと思って、舟橋に行きシド―に話しかけました。みんなの迷惑になるのでここを去るように説得されたシド―は大海に向かって去りました。そこで爺と婆は殿さまより大金を戴き一生安楽に暮らすことが出来ました。

24) 水蜘蛛

奥州の沼である人が釣りをしていると、たくさんの魚が釣れ魚籠は一杯なり、もうこれでいいだろうと足を沼の水に浸して一休みをしていると、どこからともなく水蜘蛛が現れ吊り人の足の指に蜘蛛の糸を巻き付けました。釣り人ははこれに気がついて糸を柳の木に結わえました。そして水蜘蛛がみんな来いと呼びかけると魚籠の中の魚が一斉に飛び出し、エントエンヤラサーという掛け声とともに柳の木が倒されました。それからこの沼で釣りをする人はいなくなりました。

25) 山父のさとり

一人の桶屋が外で仕事をしていると、一つ目一本足の化け物が現れました。桶屋はこれが山父というものだなと思って震えていました。すると山父は桶屋の思うことがすぐにわかるらしく、桶屋は益々怖気ついて震えて、思わず手に力が入り箍の竹がはねて山父の顔を叩きました。これには山父がびっくりして「人間は時々思わぬことをやるからこわい」と言って逃げかったという事です。(なんか脳科学の話を聞いているようです)

26) 飯食わぬ女房

桶屋の男が飯を食わない嚊がほしいと独り言を言うと、その夜女が来て、よく働いて飯は食わないから嫁にしてくれと言いましたので、女房にしました。それから確かに飯は食った様子はないのですが、コメと味噌がどんどん減ってゆきます。おかしいとおもって外に出るふりをして、天井から家の様子を伺っていると、女は蔵からたっぷりの米と味噌をもってきて、おにぎりとみそ汁にして、髪をばらして頭のてっぺんの口を開いて流し込み、後は髪を元通りにして何食わぬ顔をしています。そう女は山母(山姥)だったのです。そこで桶屋は女を追い出そうとして、逆に桶の中に閉じ込められ山へ連れ去られました。なんとか逃げようとしましたが桶が深いので出られませんでしたが、山母が桶を木立において休憩しているとき枝を掴んで外に出て里に向かって逃げました。ところが気が付いた山母が桶屋を追いかけましたので、草叢に逃げ隠れました。山母が草叢に飛び込んだ時、菖蒲の葉が右目を、蓬の茎が左目を突き破って山母はメクラになり谷に落ちて死んだそうです。そこで5月5日の節句には蓬と菖蒲で屋根をふき、湯にその葉を入れて厄を落とす習わしが始まったそうです。

27) 牛方と山姥

牛方がたくさんの塩鯖を牛の背に積んで町に売りに出ました。峠で山姥に出会い、塩鯖を全部食われ、そして牛まで食われて、自分も食われそうなので必死に逃げました。沼の端の木の上に隠れていると山姥は沼に映った牛方の影を牛方と思って沼に飛び込みました。この間に牛方は必死に逃げ、山の仲の家に入り天井に隠れてたのです。この家は山姥の家で、山姥が帰ってきて囲炉裏の傍で餅を焼いて食い、木の櫃の中で眠ってしまいました。牛方はその中に煮えたぎった湯を注いで山姥を殺しました。

28) 人影花

貧しい生活をしていた夫婦がいました。盗賊に妻を盗まれ3年間妻を差がいて旅をしました。そこに白髪の老人が現れ、妻の居場所を教えてくれました。そこは盗賊の大きな屋敷で、再会をした夫を空の甕に入れて隠し蓋をしました。この家にはアスナロ―という不思議な花があって男が来ると男花が咲き、女が来ると女花が咲きます。盗賊が帰ってきて男花が二つ咲いていることに不審に思いましたが、妻は男の子ができたせいだと騙して、強い酒を飲ませて眠らせました。そして夫を甕から出して、刀で盗賊を刺殺しました。夫婦はめずらしいアストローという花を御殿様に進呈し、褒美に千人の人と千頭の馬を殿さまから拝借し、盗賊の家から宝物を全部運びだしお金持ちになったということです。

29) 天道さん金ん網

母と三人の子どもが住んでいました。母が留守の時山姥が現れ、一番小さな子を食べ、二人の子は井戸の傍の桃の木の上に逃げました。山姥は木を登り始めると、おいつめられた二人の子は「天道さん金ん網」と大声で叫ぶと天から鉄の鎖が下りてきて子供らを天に上げました。山姥も同じように叫びましたが、腐った縄が下りてきてそれにつかまった山姥は高いところから落ちて蕎麦畑の石垣に頭をぶつけて死にました。そのときから蕎麦の茎は真っ赤になったのです。

30) 山梨の実

母と三人の娘が住んでいました。母親は病気で今にも死にそうになって、最後のお願いに山梨の実が食べたいと言いました。娘たちが山梨を採りに行くと言いますと、母親は途中で嫁御が出てくるので言うとおりにしなければならないと言いました。まず一番上の娘が出かけますと、嫁御がでてきて、行けと戻れを繰り返しますので、短気を起して無視して前に進もうとするとその嫁御に食われました。一番上の姉が帰ってこないので二番目の姉が出かけると同じように嫁御は行ったり戻ったりの繰り返しを命じます。短気な二番目の姉も食われてしまいました。最後の3番目の娘が出かけ、嫁御の言う通り辛抱強く繰り返していますと前へ進めと嫁御が言い続けるので、ついに野の中に山梨の実を見つけ持って帰りました。母親はそれを食べて元気になり親娘二人は幸せに暮らしました。末子成功譚の一つです。

31) 三枚のお札

ある寺の小僧は杉の葉を拾いに山へゆきました。そこに女が現れ、私はお前のおばだが遊びにいらっしゃいという。寺に帰って和尚さんに話をすると、おかしいねおまえには叔母はいないはずだが、ひょっとすると山姥かもしれないのでお札を持って行きなさいと小僧にお札を渡しました。小僧は山のおばのお家に行きました。御馳走ができるまで待っていなさいとうので、隣の部屋から覗くと山姥が湯を沸かして包丁を研いでいました。小僧は山姥に違いないと思って逃げようとしましたが、捕まりました。腰を縄で結わえられた小僧は便所から逃げようとして、縄を解いて柱に結び付け、お札に返事をするよう言いつけて逃げました。山姥はまだかというとお札はまだだと答えます。何時までも便所に居るのはおかしいと思った山姥が縄を引っ張ると便所の柱が壊れました。小僧は一目散に逃げましたが、山姥が迫ってくるたびにお札を置いて、川に成れ、山に成れと言って、お寺まで逃げ帰りました。和尚さんは小僧をお経の箱の中に隠しました。手も足も出ない山姥に、和尚さんは化け比べをしようといって和尚さんは豆腐に、山姥は味噌に化けたところを素早く和尚さんは味噌をぺろりと食べました。

32) 古箕にふるしき、古太鼓

化け物が出るという噂の立った荒れ寺には住職もいません。度胸のいい旅人が一人この寺に一夜の宿を雁に来ました。村の人は止めた方がいいと言いましたが、なに構うものかと言って泊まりました。夜も更けて古太鼓がごろっと鳴って、次にすごい音がするふるしきが出て、そして箕が出て藁に大きな音がして欠けたさわちがで揃うと、四ツがぐるぐる踊り出しました。夜が明けるるようになるとそれぞれ隠れてしまいました。 何のことはない、寺の古いものが出て踊っただけのことで、旅人は平然と寺を後にしました。

33) にわか入道

ある村で悪い狐がでて悪戯をして困っていました。狐には騙されないぞといっていた人が、河原で狐が赤ん坊を抱いた女に変身するのを見ました。男が路端の石をぶつけますと赤ん坊の頭に当たって死にました。おんなはどうしても承知しませんので、見誤ったかもしれないとして坊主になって詫びることになり、寺の和尚さんに頭を丸めてもらうことになりました。ところがその剃り方のあまりに痛いことで、ふと我に返ると、そこには赤ん坊も女もお和尚さんもいなかった。狐に騙されたのです。

34) 小僧と狐

昔ずいてんという名の小僧がいました。和尚さんが出かけたのでお寺の留守番をしていました。すると玄関でずいてんと呼ぶ声がします。賢い小僧さんだったので、本堂の窓から様子をうかがっていたら狐が戸を叩いていました。本堂に追い込んで捕まえようとすると、なんと二人のお釈迦様が立っていました。小僧は本当のお釈迦さまは念仏をあげると舌を出すというと、狐のお釈迦さまは舌を出しました。そして庫裏に行って食事をするとき狐のお釈迦さまはのこのこついてきました。まず行水をしましょうといって大釜の中に狐を招き入れて、蓋をして火を焚きました。和尚さんが帰って来た時には狐の丸煮が出来上がっていました。

35) 片目の爺

奥州の田舎に爺と婆が住んでいました。爺は右目が潰れた片目でした。ある晩遅く「婆帰ったぞ」といって左目の片目の爺が帰ってきました。婆はすぐこれは狐が化けたなと分かり、「爺は酔って帰ると、すぐに俵に入って縄をかけてくれというぞな」というと。狐の爺はそう言って自ら俵に入りましたところ、婆はきつく縄をかけて吊るしました。本当の爺が帰ってきて狐汁を二人して食べたということです。

36) たのきゅう

「たのきゅう」という旅役者が、母を故郷に残して稼ぎの旅に出ていました。母親が病気になったという知らせを受け取り急いで帰る途中、大きな山の麓の茶屋の婆さんが、この山にはうわばみがでるのでもう今日は遅いので泊まって山越えは翌朝にしなさいと言った。しかしたのきゅうは少しでも急ぎたいので山道に入り、峠で一休みをしました。そこへ白髪の爺さんが出てきておまえは誰だと問いかけました。「たのきゅう」ですと言うと、老人は狸と聞き間違えて、実は私も人間ではない、うわばみじゃといいました。一つ化けてみてくれといいますので、たのきゅうは芝居で使うお面をかぶって踊りました。そして世間話をしてうわばみはお前の嫌いなものは何だと聞きますので、たのきゅうは小判だといいました。うわばみの嫌いなものはたばこのやにと柿の渋だと言いました。人間には言うなと言って姿を消しました。これはいいことを聞いたと思って翌朝一気に山を下りて村の人にこのことを告げると、村人はうわばみ退治の用意をしました。これを知ったうわばみは山から逃げて、たのきゅうの家に行き小判を山ほど投げ入れて、仇討ちをしたつもりで退散しましたとさ。

37) 化けくらべ

お花という狐と権兵衛という狸が化け比べをしました。明日の夜明神様の境内で会うことになり、お花狐は精一杯きれいな娘に化けて、明神様の鳥居の前までくると、その前に湯気を立てたおいしそうな饅頭が落ちていました。狐は思わず饅頭を取って食べようとすると、「勝ったぞ」と饅頭が口をききました。権兵衛狸が饅頭に化けて、食いしん坊のお花狐をだましたのでした。

38) 猫と狩人

狩人の家で古猫を飼っていました。大きな古猫ほど横着なものはいません。戸棚の魚は盗むし、犬を追いかける、子どもにとびかかるなど悪戯が度を越していました。そこで御かみさんにこっぴどく叩かれて恨みに思い仕返しをしようとしました。狩人が鉛を溶かして鉄砲の玉を13個こしらえたのを古猫はじっと見ていました。かりゅうどが鉄砲と玉を持って山に入るると、大きな岩の上に見たことのない獣がいました。狩人は鉄砲をどんと打ちましたが、当たったはずなのに獣はまだ立っています。狩人は続けさまに13発撃ちましたが、それでも獣は立っています。狩人には「守り玉」と言って最後の一発を肌身離さず持っています。それを籠めてドンと打つと確かに獣は倒れました。なんとそれは自分の家の古猫だったのです。古猫は玉は13発だと勘定して、茶釜の鉄の蓋を盗んで楯にして玉を防ぎ玉が無くなったら襲い掛かろうとしていたのです。守り玉を持っているとまでは知らなかった古猫の知恵の限界でした。

39) 湊の杙

三河の平坂の湊に悪い狸が杙の化けて、船頭が杙に縄を巻き付けると、そのあと舟を流してしまうのでした。湊の元気のいい者が狸退治に乗り出しました。夜船を岸に近づけ、杙がないところに行って杙がないと大きな声で言うと、ひょこと杙が出て来ると荒縄で杙をぐるぐる巻きにして棒で杙を滅多打ちにすると狸の化けの皮がはがれました。

40) 味噌買橋

乗鞍岳の麓に長吉という正直な炭焼きがいました。夢で高山の味噌買橋に行けがきっといいことがあるというお告げでした。炭を背負って橋のたもとで何日も経っていましたが何にもいことはありません。橋のそばの豆腐屋ががやってきて、どうしてここに立っているのかとと聞きました。長吉は夢の話をしましたが、豆腐屋は笑って「お前さんはどうかしてるよ、私もこの前夢を見て乗鞍岳の麓の村の長吉という炭焼きの家の傍の杉の木の下に宝物が埋まっているという夢さ。夢なんてあてになるものか」と言いました。長吉はハッとして家に飛んで帰り、杉の木の下を掘ると、金銀の財宝が出てきて、たちまち長者になりました。(この話は実に虚を突く話です)

41) 夢を見た息子

親も匙を投げるほどののら息子が夢を見ました。とてもいい夢だったので誰にも話しません。野原の一軒家に鬼婆がいました。鬼婆は息子の夢が聞きたくて空を飛べる団扇を交換しようとしましたが、息子はまず試してみると言って団扇を取って空を飛んで逃げました。海の上で疲れて小さな島に着陸しましたら、それはクジラの背中だったのです。鯨は夢を聞きたくて、刺すと死ぬ針と、生き返る針と交換しようと言いました。息子は死ぬ針で鯨を殺し、ある城下町に降りました。城下町ではお姫様が亡くなって悲しみに沈んでいます。息子はお姫様を生き返らせることができると言って城に行き、生き返る針で刺すとお姫様が生き返り御殿様から大変なお金を戴き、両親と平和に暮らしました。

42) 寝太郎三助

朝から晩まで寝ている寝太郎三助が何を考えたのか、山に行き雉を捕まえてきました。その雉を抱えて、庄屋の家にゆき木の上に隠れて主人の帰るのを待ちました。そして主人に「寝太郎三助を婿に取らないと、三日以内に家が焼ける」といって、雉の尾に提灯を下げて飛ばしました。主人はきっと神様のお告げに違いないと思い込み、翌日寝太郎三助を婿にしてくれるよう頼みに行きました。こうして寝太郎は一生安楽に寝て暮らしました。

43) だんぶり長者

奥州では蜻蛉のことをだんぶりと言います。よく働く百姓でしたが、畑で一休みして寝ている時、女房が見ていますと蜻蛉がたくさんやってきて男の顔の周りを飛び回りました。男は起き上がっていい夢を見たといって岩の陰に行くと泉酒が流れ出していました。また山に行くと黄金が出てきたのでお金持ちになりました。それでだんぶり長者と呼ばれるようになりました。長者には美しい娘がいてさる高貴な方の妃になりました。

44) 藁しび長者

金持ちの家の隣に貧乏な男が住んでいました。貧乏な男は隣の家に行き金持ちの娘さんを嫁に欲しいと頼みましたが、金持ちは一本の藁しびを与えて、この藁しびを元手に千万長者に成ったら娘をやると言いました。後は連鎖反応のように藁しび→芭蕉の葉→味噌→剃刀→脇差→殿さまから大金を得ることができ、金持ちの娘を嫁にすることが出来ました。

45) 炭焼小五郎

豊後の真野長者は昔三重の内山に住む小五郎という貧しい炭焼きでした。そこに京都の清水の観音様のお告げであなたの嫁になるためといって美しい娘がやってきました。食べるものもないのでお断りをしたら、男に小判2枚を渡して町で食料を買ってくるようにといいます。途中の池のおしどりが二羽いたので、小判2枚を投げても当たりませんでした。男がしおしお家に帰ってくると娘はびっくりしてあれは小判というもので石ではない、あれで食料ならかなりのものが買えたのにと残念がりました。小五郎はあんなものなら裏山にころがっているといいます。つまり小五郎は小判や金の価値を全く知らなかったのです。そして二人は裏山に行き金塊を拾って小屋に入れ、おお金持ちになったそうです。観音信仰と金の価値のお話です。

46) 金の椿

気の短い殿さまがいました。宴会が夜遅くまで続いたので奥方は思わずあくびをしました。すると殿さまは怒って奥方を島流しにしました。その時お腹にいた子供が島で生まれ12歳になった時、島流しの話を聞いて、殿さまに談判をするため城に往きました。山に咲く椿を手にもって、もし絶対にあくびをしな人がいたらこの木は金の椿になると言ったところ、殿様は笑ってあくびをしない人がいるものかといいました。そこで1回あくびをしたばかりに島流しにあった奥方の話をすると、殿さまは自分の非を悟りました。

47) 鶯姫

かぐや姫のお話です。駿河の竹取の翁が竹林に入って、鶯の巣に光り輝く卵を見つけました。卵を持ち帰って卵からお姫様が生まれました。光輝くゆえに「かぐや姫」と名付けました。後はかぐや姫の話と全く同じです。

48) 瓜子姫

むかしむかし爺と婆がありました。爺は山へ芝刈りに、婆は川に洗濯をしました。(出だしは桃太郎の話と同じです) 川上から瓜が一つ流れてきました。瓜を拾って帰って割りますと中から瓜子姫が出て来ました。大事に育てて大きくなったので、鎮守様のお祭りに出かける籠を求めに町へゆきました。瓜子姫は機を織っていますと、天邪鬼が入ってきて瓜子姫を裏の柿の木に縛り着物を奪って瓜子姫に成りすまして機を織っていました。そこへ爺と婆が籠を買って帰ってくると、天邪鬼はさっそく籠に乗り込もうとしました。すると裏で「瓜子を載せないで、天邪鬼ばかり載せる」と言って泣く瓜子の声が聞こえました。気が付いた爺は鎌をもっ天邪鬼の首を切り落とし、黍畑に捨てました。吉備の茎が赤いのはその血のせいです。

49) 竹の子童子

桶屋の三吉という小僧がいました。樋に使う竹を切り出しに裏の竹山に入りました。するとさんちゃん、さんちゃんと呼ぶ声が竹の中からしました。竹を切ると中から5寸ばかりの男の子が出て来ました。悪い竹につかまって天に帰れなくなった竹の子童子といい、年は1234歳だといます。お礼に三ちゃんの願い事を聞いてくれるというので、三吉は侍にしてもらい武者修行に出かけました。

50) 米袋粟袋

シンデレラの継母物語です。姉は米袋と言い母親はなくなりました。妹は粟袋といい継母の子です。継母は姉を憎みました。山に栗を拾いにゆくとき、姉には腐った古叺を持たせ、妹には新しいこだすを持たせました。妹の方はすぐ一杯になりましたが、姉の方は袋から落ちていつまでも一杯になりません。一人山に取り残された姉は川に降りて水を飲もうとすると、一羽の小鳥が現れ、私はお前のお母さんだったといい、晴れ着の小袖と葵の笛と新しいこだすを娘に与えました。あたらしいこだすを使って栗を一杯集めて持って帰りました。隣の村のお祭りには貰った小袖を出して着て笛を吹て出かけました。村の人たちの評判の娘となりました。姉妹の器量の違いは一目瞭然で、姉は嫁に貰われて幸せになりました。妹は荷車に載せて「嫁はいらんかね」と売り歩くうちに転げて妹は田螺になり、継母は堰貝になったそうです。

51) 山姥の宝蓑

山国の田舎に美しい娘がいました。春の日村人らと山に遊びに出かけましたが、一人はぐれて道を見失いました。夜になって灯りが見えたので喜んでいきますとそれは山姥の家でした。ここは人間のくるところではないが可哀そうなので、山姥は娘に何にでも変身できる宝蓑をあげました。娘は鬼さえ食わないよぼよぼの婆さんに化けて、知らない里の長者の屋敷にたどり着き、そこでお世話になりました。昼はい糸つむぎなどをして暮らし、夜は娘に戻って手習いなどをしていました。長者の息子がある夜灯りが付ている部屋を見ると美し娘が手習いをしていました。おかしいこの屋敷に娘はいなはずなのにと、翌日長者が問い詰めますと、娘はこれまでの出来事を話して、寶蓑を脱いで本の娘に戻りました。そして自分の家に送り届けてもらい、しばらくして娘は長者さんの家に嫁入りをしました。

52) 姥皮

この話の後半は前の「宝蓑」を蛙に貰った「姥皮」に変えると同じ話になります。前半の話は、旱の水乞いで沼の主(大蛇)に嫁入りする一番下の娘の親孝行話です。水鳥玉と針千本と火とり玉で大蛇を焼き殺すまではいいのですが、後半の話とつながらない。つまり二つ以上の話を結び付けた話の構成になっており支離滅裂です。

53) 絵姿女房

昔奄美大島一番の貧乏と評判の一人の若者が住んでいました。畑に芋を植えようと耕している前にそれは美しい女の人が立っていました。嫁にしてくださいというのですが、一人でさえままならぬ暮らしで女房が養えるわけはないと断りましたが、嫁になってからは田畑を耕して拡大し次第に大地主になり、機を織って、屋敷も広げて近在では2,3位を争うおお金持ちになりました。そして若者は嫁の顔を見ていないと働けなくなるというので、自分お姿を描いた絵を畑に貼って仕事をしていました。あるとき大風が吹いて姿絵がどこかに飛んでゆきました。吹き飛ばされた姿絵は殿さまの屋敷に落ちました。これを見て殿さまはこの女を嫁に欲しいと思うようになり家来に探させました。そして男に二人の相撲取りの勝負をかけ、男が勝ったら500両を取らせ、負けたら嫁を差し出すという無理難題を吹っ掛けました。男は夜も寝られないくらいに困りましたが、嫁は70歳と80歳のがりがりの爺様の相撲取りを用意し、御前試合が行われました。爺様相撲取りが殿さまの用意した巨漢相撲取りを打ち負かして500両を獲得しました。その後嫁は長い間のお務めは終わりましたのでお暇をしますと言って、すがる男に自分の手を切って渡して姿を消しました。すると不思議なことに、家の裏にある社の男の神様の首に100両が下がっており、真ん中の女の神様の片手が亡くなっているという噂が立ちました。男はすぐさま社に駆け付け、一切の事情を知りました。貧乏な若者に憐みを掛けて裕福にしてくれた女神と、相撲取りになって勝った爺様二人の神の仕業であることが分かりました。男は片方の腕をご神体に戻して、ていねいに祀ったということです。

54) 竈神の起り

昔百姓が帰り道ににわか雨が降って来たので道碌神の森の陰で休んでいました。すると馬に乗った人が道碌神の社に向かって声を掛けました。今日はある村でお産が二件あるので生まれた子の運決めに参りましょうという。道碌神は今日は客があって動けないと答えう?と、では一人で行ってきますと言って通り過ぎました。だいぶして馬に乗った人が帰ってきて、何々村で男の子と女の子が生まれましたが、男には運がなく女には運がアあるので、これを結婚させれば家は栄えると言いました。傍で聞いていた百姓は自分の村のことで、女房が今日お産だという事でしたので気が気でなく,急いで帰りますと自分お家では男の子が生まれ、となりの分家では女の子が生まれことが分かりました。早速両家で縁組させ、子どもが大きくなって夫婦になると家は繁盛してきました。ところが亭主は嫁の事が気に食わず、嫁を牛の背に載せ追い出しました。嫁はあるところの百姓家に入り、行くところもないのでその家の嫁になりました。するとその家は次第に栄え、本の亭主の方の家は零落しとうとう笊売りになっていました。売れない笊を持って本女房のいる家で買い上げてもらいましたが、亭主は女房の顔さえ覚えておりません。本女房が情けないとなじると本亭主はびっくりして泡を吹いて死んでしまいました。そこで本女房は死体を竈の後ろの土間に埋めて牡丹餅をお供えしました。これが竈の神のお祭りの始まりです。

55) 寄木の神様

「いさぎやし」とは運命を授けるいう意味です。話の内容は前の「竈神の起り」の前半と同じです。漁夫が釣りに出て潮待ちをしている間、寄木を枕に昼寝をしました。すると誰かが「寄木ドン、近くでお産があるからいさぎやしに参りましょう」という声を聴きました。「今人の枕になっているので動けないのでひとりでいってください」という答えが返ってきました。しばらくして「女の子が生まれました。18の歳に水の難にあいますがこれを乗り切ると七倉建てるほど運に恵まれるでしょう」という声が再び聞こえました。不思議だなと思って猟師は自分の家に帰ると、女の子が生まれていました。猟師は自分の娘の事だったのかと思いましたが、誰にも話さないでいました。娘が18歳の時嫁入りが決まって、父は蓑笠を用意し娘に付き添って隣村まで行く途中、俄雨が降って来たので岩陰で休もうかとしたのですが、父親は娘に蓑笠を着せ道を急ぎ、婚礼の式を行いました。同行のものが帰りに同じ場所を通ると岩が崩れ落ちていました。娘は命拾いをしたことになります。嫁いだ家は七倉を建てるほど繁栄したそうです。

56) 矢村の弥助

昔信州の山奥に矢村の弥助という親孝行で働き者の若者が母親の婆と一緒に暮らしていました。しかし家は極貧で僅かな金を持って正月の買い物に出かけました。途中の道に罠にかかった小鳥がいましたので、罠を緩めて小鳥を逃がしてやりました。それでは鳥刺しも困るだろうと思って、持っていた金を罠の前において、何も買わずに手ぶらで帰りました。母親もそれはいいことをしたと言い、何もない正月を迎えました。そこへ若い娘が訪ねてきて旅のものですが雪が解ける春までおいてくださいよく働きますのでというので家の手伝いをさせて暮らしました。弥助の母親は息子の嫁になってくれと頼みましたが、喜んで承知をして嫁になりました。その時田村将軍が有明山の鬼退治にやってきて、弓の射手を募集しました。嫁は弥助に有明山の鬼は魏死鬼といって普通の矢では射殺すこては出来ない、ここに13の節のある山鳥の尾羽の矢なら倒すことができる。実は私は助けられた山鳥です、最後のご奉仕に、この尾羽の矢を使って鬼退治をしてくださいと言ってどこかへ飛んでゆきました。弥助は鬼退治をして将軍から莫大なご褒美を得ました。

57) 狐女房

能登の万行の三郎兵衛が帰ってみると、女房が二人いました。姿、言い方もそっくりでどちらが本物か見分けがつきません。そこで何らかの感で一人を追い出し、残った女房を家に置きますとと家は栄え、二人の子どもも授かりました。子供が大きくなってお母さんには尻尾があると言い出しました。正体は狐であって,子どもを残して帰ってゆきました。それから毎年稲が実るころには狐が三郎兵衛の田の周りを「穂に出いでっつぱらめ」と唱えながら歩いたそうです。それは稲の検見がやってくる頃は実が入らないので年貢は免除され、刈り取ってから穂がよく実ったのです。この家は豊かになりました。

58) 蛙の女房

むかしお兄ちゃんとおばあさんが住んでいました。ある日蛇に飲まれそうだった蛙を助けてやると、数日後美しい姉さんがやってきて嫁にしてくれと頼みました。この嫁さんは飯も食わないでよく働きました。ある日嫁さんは実家で法事があるので帰らしてくれというので、兄ちゃんはいいよといって後をつけてみました。山奥に大きな池があって、嫁さんはその池にドボンと飛び込み、後に続いて蛙がたくさん飛び込みました。そして賑やかな蛙の念仏の合唱が聞こえて来ました。兄ちゃんは悪戯心で大きな石を池に投げると蛙のお経は止みました。翌日お嫁さんが帰ってきて蛙と分かったようなので、お暇しますと言って帰ってゆきました。

59) 蛇の玉

柳田国男著「日本の伝説」に同じような話があった。大蛇が目を抜いて人に与えたという話は広く全国の昔話になっている。肥前の温泉嶽の付近の住む狩人の家に若い娘が嫁に来ました。本当は蛇であったのですが、お産を覗いてはいけないと言われ、不審に思って覗いてみると大蛇が生まれた子供を抱えていました。女はみられたのでここにいるわけにはゆかないが、子どもが泣く時には目玉を置いてゆくのでしゃぶらせてと言って山に逃げ帰りました。その大事にしていた目を聞きつけた殿さまに取られ、途方に暮れた狩人はまた山の沼に行き泣いていると、大蛇が出てきてもうひとつの目をくりぬいて与えました。そうして子供を育てていますとまた殿さまに目玉を取り上げられました。同じ山の沼に来て狩人と子供は身を投げて死のうとしたら、両目を失った大蛇がでてきてたいそう怒り、狩人を安全な場所に避難させてから、山が噴火し街を火山灰で埋め尽くしました。これが大蛇の仕返しでした。 舞台設定と最後の落ちが違うだけである。この話は近江の三井寺で、蛇は復讐しないで子どもを三井寺の鐘撞にする点である。この話はドラマ性には欠けるが、庶民の悲しみがよく表わされている。

60) 爺に金

良い爺と悪い爺がいました。良い爺が山に入って仕事をしていると、どこからともなく「取っつこうか、くっ付こうか」とう声が聞こえました。爺は「取っつけば取っつけ、くっ付かばくっ付け」と答えると松林の中から金と銀が飛んできて潟や背中にくっつきました。それを聞いた悪い爺が同じように山に入って答えると、松脂が飛んできて体にくっ付きました。家に帰って婆が燈火を背中に近づけるとと松脂が燃え出し悪い爺は大やけどを負いました。

61) 大歳のたき火

昔貧乏な馬方がいて正月を迎えるにも仕事がありません。空の馬を引いて帰る道端に乞食が倒れていました。可哀そうにと思って荷台に乗せてかえり、土間に莚を敷いて寝かせ、家の盧の火だけは一杯焚いて一夜を過ごさせました。翌朝乞食が起きてこないので、筵をめくるとそこに金塊があったそうです。そして馬方はお金持ちになりました。

62) ものいう蝦蟇

これも良い爺さんと悪い爺さんのお話です。良い爺さんが藪の中を通ると、蝦蟇が蛇に飲みこまれようとしていました。爺さんは蛇を殺して蝦蟇を助け家に連れて帰りました。ある日蝦蟇は「私は唄が歌えるから、町で一稼ぎしましょう」と言いました。町辻で「物言う蝦蟇」という触れ込みで人気を博し、お金をたくさん儲けました。隣の悪い爺は自分も儲けたいので、むりやり蝦蟇を借り受け唄を歌わせようとしましたがさっぱり言うことを聞きません。怒った悪い爺は蛙を殺しました。悲しんだ良い爺は蛙の肉を半分貰って自分の家の前に埋めてやりました。すると家の周りにかつらの木が生い茂り金銀の実をつけました。これを見た悪い爺は残り半分の蛙の肉を埋めますと、家の周りにかつらの木が生い茂り牛の糞が落ちていました。

63) 笠地蔵

有名な笠地蔵(六地蔵)のお話です。心の優しい爺と婆が住んでいました。編笠を作って町に売りに出る稼ぎで暮らしていました。明日は正月だというのに笠は一つも売れません。仕方がないので笠を担いで家に帰る途中から雪が降ってきました。野中の地蔵さんが吹雪の中に寒そうに立っていました。爺は気の毒だと思って六つある笠を六つの地蔵さんの頭にかけてあげました。婆はそれはいいことをしましたねと言ってその夜はすぐに寝ました。すると夜明けごろ遠くの方からドスンドスンと音がして、六人の地蔵さんがそり一杯に米や宝物を運んできて爺の家に投げ込んで帰りました。

64) 銭の化け物

年中あくせく働いても少しも生活が楽にならないので、爺様は正月に氏神様にお願いに行きました。氏神様は「今夜お前の家の前を行列が歩くからその先頭に来る者の頭を叩くといい」というお告げでした。するとその夜、金の刀を差した立派な侍行列がきましたが、爺は怖気づいて叩けませんでした。次に来たのは銀の刀を差した侍がやって来ましたが、これも爺さんは恐くて叩けません、三番目に来たのはびっこで片目の仲間の行列でしたので気軽にに頭を叩けました。すると一文銭が2.3枚落ちました。そこでもう一度氏神様に文句を言いに行くと、「最初の行列は三千両、次の行列は千両、最後の行列は三文だ、金持ちになるのは諦めろ」と神様に言われたそうです。金持ちになるにはリスクと投資が必要だという資本主義の原則を教えられた様です。

65) 見るなの座敷

良い爺さまと隣に悪い婆さまがいました。良い爺様が山に入って木を切っていますと、きれいなお姫様が現れ「この木は切らないでください、いいところへ案内します」と言ってご馳走をしてくれました。決して見てはいけない部屋の約束を守った爺様に、帰りに杓子をおみゃげとしてあげました。この杓子はお湯に入れてかき混ぜると、ご飯でもお汁でも欲しいものができるといいました。家に帰ってよい爺様と婆様はご馳走が戴けました。これを見た隣の悪い婆様は爺様を山に行かせました。同じようにお姫様が出てきて爺様が見た部屋は、大きな木の鶯がいる部屋でした。見るなの座敷の約束を守れる人と守らない人の運の違いです。

66) 鼠の浄土

ある山里に仲のいい爺と婆がいました。爺は山へ芝刈りに、婆は家で団子を作って爺のお昼を届けに行きました。峠でけつまずいた婆様の重箱の蓋が開いて団子がコロコロ転がって穴に落ちました。婆様も穴に入って探しますと、奥では鼠が「鼠の浄土にゃ、猫さえ来なければ、浮世は極楽」と歌いながら臼を搗いていました。そこで婆様はにゃーと鳴く真似をしますと、鼠たちは一目散に逃げました。婆さんが近づくと金の臼や杵、宝物がいっぱいあったのでみんな背負って穴を出ました。こうして爺様と婆様の家は金持ちになりました。これを見た悪い婆様が同じようにして鼠の穴に入り猫の真似をすると鼠たちは「この前みたいに騙されるものか、欲張り婆め」といって悪い婆を臼に入れて搗き殺しました。

67) かくれ里

喜界島のお話です。男が岬の渚にある大岩に牛を繋いで昼寝をし目を覚ますと、無数のアリが牛を穴の中へ引っ張り込みました。牛と一緒に穴に入った男が見たのは大きな野原で牛が畑を耕していました。農夫が出てきて牛のおかげで堅い畑を耕すことが出来ました。お礼ですと言ってたくさんのお金をくれました。そしてこのことを誰にも言わなければ、必要な時に来ればお金を差し上げると言いました。こうして男はおお金持ちになりましたが、あるとき酒に酔っぱらってこのことを友達に喋りました。友達も往きたいというので連れそってその岬に出かけますと、穴は締まって開きません。そうしているうちに男も金が無くなって元の貧乏に戻りました。

68) 団子浄土

春の彼岸に彼岸団子をこしらえていたところ、団子がコロコロ転がって、地蔵さんの穴に入ったとさ。爺さんも追いかけて穴の中に入りました。地蔵さんお前で団子を捕まえ、土の着いている部分を自分で食べ、土の着いてない部分をお地蔵さまに上げました。すると地蔵さんは爺に自分の頭に上れ、今ここに鬼どもが来て博打を始めるから、扇子を叩いて鶏の鳴く真似をしろと言いました。その通りにしますと鬼は朝が来たと思って銭や金をおいたまま逃げてしまいました。爺様は金をもってかえりお金持ちになりました。これを聞いた隣の爺が団子をこしらえ、地蔵の穴に投げ込み自分も穴に入りました。土の着かない団子の部分を自分で杙たべ、地蔵さんには土の着いた部分をあげました。そして地蔵さんが上れとも言わないのに地蔵の頭にあがり、鬼の博打を見て鶏の鳴く真似をしました。ところがが一匹の鬼が逃げ遅れ囲炉裏のカギに鼻をひっかけ難儀しているのを見て爺は笑いました。怒った鬼どもは人間がいるので寄ってたかって爺様をいたぶったという事です。

69) 風の神と子供

村のお堂の前で子供らが遊んでいると、見知らぬ人がやってきて、栗や柿や梨がいっぱいなっているところに連れて言いて遣るといって、子どもらを背中に載せてごーという風と共に知らない土地に着きました。夕方になってその人はどこかへ行ってしまいました。子供たちは灯りの見える家にたどり着くとそこんは太った大きな婆さんがいました。子供らがいきさつを話すと婆さんは、それは叔父の南風の仕業だといって、ご飯を食べさせたうえ息子の北風に子供らを乗せて村まで送らせました。大騒ぎをしていた村人らに北風が吹いて子どもたちが帰ってきました。

70) 瘤二つ

有名な瘤取り爺さんお話です。目の上に大きな瘤のある坊さんがある古辻堂に入って夜を明かしました。夜更けて天狗が集まってきて酒盛りをして踊り出しました。そこで爺さんも円座を腰に括り付けて天狗の踊りに加わりました。明け方、天狗は面白い爺さんだから明日もこい、質としてこの瘤を預かっておくといって目の上の瘤をむしり取りました。爺さんは大喜びで里に帰り、この話をおなじ瘤を持つ爺さんに話しますと、この爺さんは古辻堂に出かけ天狗たちと踊りに興じました。天狗たちは喜んで、よく来たほうびにこの瘤を返すと言って、目の上のもう一つ瘤をくっつけました。爺さんは目の上の瘤が二つになりました。

71) 灰まき爺

有名な「花咲爺さん」の話の変形です。唄の文句で話が展開する歌物語です。ただ灰をまくと花が咲くのではなく、雁の目に入って雁汁が食べられ、悪い爺は灰が目に入って屋根から転げ落ちて婆が大きな槌で打ったで終わります。

72) 鳥呑爺

爺が山の畑でお昼にかい餅を食べ、残った餅を木の枝に塗りつけて昼寝をしていると、山雀が餅に着いてバタバタしていました。山雀の足に着いた餅を嘗めて取ってやろうとして、鳥が爺さんのお腹の中へ滑り落ちました。そしてへその辺りから鳥の尻尾が出て来ました。その尻尾を引っ張ると変な音がするおならが出ます。家に帰って婆さんにこのことをやってみせると、婆さんは面白いので殿さまの前でやったらどうかといいました。「日本一の屁ひり爺」と銘打って殿さまの前で演じると、大喜びした殿さまから褒美をたくさんいただきました。

73) 団栗を噛んだ音

正直な爺様が山に薪拾いに出かけました。道で3つの団栗を拾って、帰り道を急ぎましたが暗くなって古びたお堂に泊まることにしました。真夜中ごろ大勢の鬼がやってきて鉄の棒で床板をドンドンと叩いては、黄金出ろ、銀出ろと怒鳴っています。爺さんは恐ろしくなって拾った団栗をカチリとかみ砕きました。すると鬼どもは大変だ家が潰れる音だと言ってそのまま逃げ出しました。床には金、銀がいっぱい散らばっていたので拾って持ち帰りました。隣の悪い爺がこの話を聞いて、自分もやってみようとお堂に出かけ、鬼がやってきてドンドンやっている時、団栗をカチリと口でくだきました。すると鬼は昨夜の音だ、家はつぶれていなし金や銀はなくなっていた、これは誰かの仕業に違いないといって堂の中を屋探しして爺さんを見つけ散々な目にあわせました。

74) 白餅地蔵

爺さんと婆さんが二人で畑で麦や粟をつくっていましたが、実りの時期を迎え猿が田畑をあらしにやっていきます。そこで爺さんは体に白餅を塗り付け、お地蔵さんの格好をして猿の見張り番をしました。猿たちは目障りだと言って、みんなでお地蔵さんを担いで河原に棄てにゆこうとしました。爺さん地蔵が少し傾くと千両箱を持ってきて支え、爺さんは面白がって反対に傾くと反対に千両箱を置いて支えました。そして猿たちはどこかへゆきました。こうして二千両を得て持参と婆さんは喜びました。これを聞いた隣の悪い婆さんは、爺さんに同じ格好をさせ白餅の地蔵さんにしました。猿たちが地蔵さんを担いでゆく途中、爺さんはおかしくてくすくす笑いました。それに気が付いた猿たちはニセ地蔵を見破り、さんざん引っ掻いたということです。

75) 狼の眉毛

大変貧乏な人がいました。生きていても仕方がないので狼に食べてもらおうとして山に入りました。だけど狼は男をみても食べようとはしません。なぜ食い殺さないのだと狼に聞くと、狼は誰でも食うわけではなく、畜生に劣る人間しか食わないといいます。どうしてそれが分かるのだと問いますと、狼の眉毛で見ればわかると言います。そこで狼の眉毛を一本もらい受け、山を下りて四国遍路に出かけました。あるところで宿を乞うと婆さんはだめだというで、狼の眉毛をかざして見ますと牛に見えました。

76) 狐の恩返し

爺さんが豆を一粒畑にまきますと、大きな木になり豆が一斗も二斗もとれました。ある日狐がやってきてその豆をペロリと平らげました。爺さんは狐を捉えて殺そうとしましたが、狐は命を助けてくれれば金儲けさせてやるというので許しました。狐は馬に化け、長者に買ってもらいました。狐はすぐ逃げ帰ってきて次は茶釜に化け和尚さんに売りつけました。ところが火にかけると狐は堪えられず、尻尾を巻いて逃げ出しました。(詐欺行為なので男の行為は許されません)

77) 木仏長者

貧しいが正直で働き者の男が、ある村の長者の家の下働きをしていました。長者の家には金の仏像がありましたが、下男は山で見つけた仏像そっくりの木の株を自分の部屋に祀って毎日お膳を供えて拝んでいました。そこで長者は木の仏と黄金の仏に相撲をさせ、金御仏が勝ったら一生下男はこの屋敷で働くこととし、木の仏が勝ったらこの屋敷とも下男のものになって長者は出てゆくという取り決めをしました。多くの人の見る前で、二つの仏の相撲が始まりました。すると金の仏が意外にも次第に力を失い木の仏によって押し出されました。木の仏の下男が長者になり、長者は金の仏を抱いて放浪の身となりました。元長者は金の仏になぜ負けたのかと愚痴を言いましたが、金の仏が言うには、木の仏は毎日篤く信心されていたが、私には年に数回縁日や忌日にか拝まれるだけでは力は出ませんと言いました。

78) 聴耳頭巾

この話は二つの話からなり、長いので最初の話だけをまとめる。貧しい善良な爺様が氏神の稲荷様に、碌なお供えもできなくて申し訳ないので自分を食って下さいと拝みました。すると氏神様はお前が貧乏なことは分っている、一つ運を授けようといって、動物のいう事なら何でも聞こえる宝頭巾(聴耳頭巾)をくれました。街道の木の上に鳥が集まって話しているのを見つけて早速聴耳頭巾をかぶって鳥の話を聞きました。浜の長者は蔵を立てて5年ほど経つが、その時一匹の蛇が入口の屋根に釘で打ち付けられ、半死半生になって苦しんでいる。それが祟って長者の娘が長患いとなり、蛇を助けないと娘も死んでしまうという事でした。そこで爺様は八卦卜の姿をして長者の家に行き、八卦の結果だとしてそのいきさつを長者に語りました。言った通り蔵の屋根板を外すと白くなった蛇がいました。蛇を介抱して元気になったので放してやると娘の患いも消えてなくなりました。長者さんから三百両を戴き爺さんは金持ちになり、お稲荷さんの社も立て直しお供えもすることができるようになりました。

79) 黒鯛大明神

土佐の山奥の村に魚商人が山を登ってゆきました。林の中の罠に山鳥がかかっているの見て、誰もいないので自分の黒鯛三匹と山鳥を交換しました。村の人が来て罠に黒鯛が置いてあるのを見て、評議の末これは神様の仕業に違いないとという結論になり、「黒鯛三所権現」として祀りました。方々からの信心を集め有名になったので、魚商人はなかなか言い出だせなかったそうです。

80) 山の神と子供

この話は複雑な構成をしていて、3つの依頼事項と、3つの結果を対応させ最後は婿入りで結実させる話です。プロのシナリオライターの仕事で、話好きの爺婆のできることではない。母親と幼い息子がいました。その子が12歳ほどになった時その子が山に薪集めに入ることになりました。お母さんは息子のために弁当を作ってやりました。子供が弁当を枝にかけて仕事をしていると、木の下で白髪の爺さんが勝手の弁当を食べました。子供は怒らずに「僕の弁当はおいしいでしょう」と言って家に帰りました。このことをお母さんに話して翌日からは弁当を二つ持って山へゆきました。爺さんは二つとも弁当を食べました。三日目子供は早く帰らなければならないので、爺さんの分の弁当を一つだけ持ってゆきました。すると白髪の老人は子供を呼びとめ、実は私は神様で私のいう事を聞いたらきっといいことがある。お前は天竺のお寺へお詣りに行きなさい。その時道中で誰かが依頼ごとをするから、その頼みも聞いてあげるといいというと爺さんは樫の木になりました。子供は母親にその話をすると、母親も喜んで賛成をしてくれ天竺へゆくことになりました。道中の食料のコメと味噌を借りに長者の家にゆきました。天竺へゆくなら娘が長患いをしているので病気回復をお願いしてもらいたいと言いました。これが第1の依頼事項です。途中で宿を借りた立派な家の主は、サンダン花を売っているのだが三つの株の二つが枯れて困っている。天竺でお祈りをしてくださいちいました。これが二つ目の依頼事項です。大きな川の前に行くと対岸に腫上がった顔をした醜い女がいました。何千年も生きてきたもので人間ではないが天に上がりたいがそれがかなわなくてこんな顔になってしまった。天竺で天上れる方法をお願いしてくれと言いました。これが三つめの依頼事項です。そして子供を頭の上に載せてすスーと川を渡りました。ようやくして天竺に到着した子供の前には、山で会った白髪の爺様がいました。どんな依頼があったかというので答えると、それは簡単な事だ、長者の娘の長患いの原因は結婚相手が見つからないだけのこと盃を取った相手が婿になる、サンダンの花の株が枯れたのは先祖が黄金の壺が埋まっていることを知らせためで掘り出して一つをお前がもらえばいい、醜い顔の女は欲が深すぎて、隠し持つニンジョの玉を一つあげれば天に行けるということを子供に教えました。そして爺さんは樫の木になりました。天竺のお寺のお詣りもすぎたので、子どもは岐路につきました。樫の木の老人に教えられたとおり依頼ごとの解決を行いました。まず醜い顔の女にはよくをはらないで玉を一つわたしにください、そうすれば楽になって天へゆけますというと、女は子供に玉を一つ渡して、轟音と共に天に上って行きました。次にサンダンの花の家に着くと、主人に枯れた木の下を掘りなさいというと、2本の木の根元から2個の黄金の壺が出て来ました。一つを子供に上げますと枯れた木は芽を吹き出しました。最後の長者の家に行き男たちを集めて娘に盃をささせましたが、娘は誰にも盃をさしません。しかし天竺から買って来た子供に盃をさしました。こうして娘の病気も治り、子どもは長者の娘の婿になり、母親と共に幸せにくらしました。

81) 三人兄弟の出世

これはアンデルセン童話のパクリではないかと思います。知恵のある末子成功譚の典型です。三人の兄弟がいました。仕事をさぼって遊んでいると親父に見つかり追い出されました。そこで三人は別々の道をたどって修行の旅に出ました。長男は大工、次男は弓、三男は泥棒を習いました。何年か経って三人は再会しました。その時殿さまのお姫様が鬼に取られ、取り返した者には褒美をやるというお触れが出ました。三人は鬼の居る所に出かけ、次男に木の人形を娘そっくりに作らせて、むすめの膝枕で寝ている鬼の娘とと取り換えました。そして舟で沖へ逃げてゆくと、鬼は船を鍵で引っ掛けて引っ張りました。引き寄せられて近くなったところを次男は弓で鬼を射殺しました。三人はお姫さんを取り返し殿さまからご褒美を戴きました。この劇の指揮者が三男の盗人でした。

82) 槍を持った星

長者の家に七人の息子がいて、隣の貧乏な家に一人の息子がいました。みんなは寺小屋に行っていました。寺小屋で船を作る宿題があり、長者の息子たちは大工に頼んで立派な木の舟を作りました。貧乏人の息子は困ったと言って泣いていましたが、とおりすがりの修行者に板切れのfyねと泥人形の乗った船を作ってもらいました。翌日船を浮かべましたが、貧乏人の息子の舟は泥人形のかじ取りでよく走りました。あくる日扇子に絵を書いてくる宿題がありました。長者の息子らは扇子屋から立派な扇子を取りそろえ、絵師にに絵をかいてもらいました。貧乏人の息子に修行者は鶏の絵を描いてやると寺小屋でその鶏が鳴きました。二回とも負けた長者の息子らは槍となって貧乏人の息子を追いましたが先生が仲介に入りました。香川県佐柳島では北斗七星を長者の子、根の星を貧乏人の子、間にあるヤラエ星を先生となぞっています。

83) 海の水はなぜ塩辛い

金持ちの兄と貧乏な弟の兄弟がいました。弟の家では米もなく年越しができないので兄の家に米を借りに出かけましたが、米を貸してくれませんので、 しかたなしにとぼとぼ山道を歩いて帰りました。途中白い髭の爺様に会い事情を話すと、麦饅頭1個をくれて、この先のお堂の穴に小人がいるから石の臼と交換するがいいと教えられました。こうして右に回すと欲しいものが出て、左に回すとでなくなる石臼を持って帰り、女房と臼を回して、米よ出ろ、鮭よ出ろと言って正月を迎えることだ出来ました。俄か長者になって次は家を出し、蔵を出し、馬を出し、酒を出し、親類縁者を読んで大宴会を催しました。急に羽振りがよくなった弟の家に呼ばれた兄はその臼に気が付きました。弟夫婦が寝た後、臼を盗み出し食料を一杯船に載せて沖に出ました。塩気がほしくなった兄は塩よ出ろと臼を回すと塩が出続け、止め方を知らないのでその臼は今でも海の底で塩を出しているそうです。

84) 餅の木

金持ちの兄と貧乏なお弟がいました。兄は人がよく、弟は智恵があるので、兄をだまして金儲けをたくらみました。木の枝に餅をつけ餅を食ってもいくらでも餅が出てくるとう触れ込みで、兄に売りつけて金をせしめました。兄は餅が出てこないので弟に文句を言うと、弟は「それは、大きな親となる餅を最初に食べたから子供餅を産まなくなったのだ」と言ってすましていました。「亀一万年目」の話と同じです。

85) 分別八十八

八十八という名の男が6人いました。あだなは外道、博徒、百姓、米屋、盗人、分別でした。あるとき外道が博徒と喧嘩し殺してしまいました。分別に相談に行くと、他の傍に置けといいます。百姓がでてきて水泥棒だと思って一撃をくらわしました。自分が殺したと思い込んだ百姓が分別に相談すると、死体を米俵に入れて米屋におくと、盗人が盗んで俵を開けると博徒の死体でした。盗人が分別に相談すると、博徒の家に持って行き、今けえったぞと言わせると嚊は死んでしまえと言うので、自殺に見せかけ井戸に放り込みました。翌朝博徒は井戸から引き揚げられました。分別は三人よりお礼を貰って丸く収めました。

86) 二反の白

五月人形を箱から出し、田原藤太だ、いや八幡太郎だと嫁と姑が争っています。そこで和尚さんに判定を頼むことになり、嫁と姑は白木綿一反づつ持って、自分に有利な答えを出すよう頼みに行きました。翌日和尚はこれは「仁田(二反)の四朗(白)」と言いました。ちょっと高級な落語の落ちです。

87) 仁王とが王

日本の仁王様のところに唐のが王が力比べにやってきました。仁王の女房が鉄棒をちぎって団子を作りが王に出すと、が王はこれを食べました。二人は観音様の門番となり、仁王は鉄棒を持ち、が王は大きな口を開けています。

88) 無言くらべ

餅が好きな夫婦がいました。腹いっぱい餅を食べて少しばかり餅が残ったので、これは今晩だまり比べをして勝った者が貰うことを約束して棚に入れました。ところがその晩泥棒が入り、あちこち探しています。二人は気がついていたのですが、声を出すと負けになるので黙っていました。しかし泥棒は戸棚に入れた木の鉢の餅を持ち去ろうとしましたので、女房がたまらず「あれ!盗人が餅を持ってゆく」と叫びました。亭主は餅は俺のものだといったそうです。

89) 鼠経

昔狩人が山に狩りにゆきました。暗くなったので一軒家に泊めてもらいました。その家には爺と婆が住んでいました。二人はお経を聞いたことがないので、狩人にお経の文句を教えて貰いたいと頼みました。しかし狩人もお経の文句は知りません。鼠がちょろちょろしてしゃがむのを見て、「ちょろちょろするのはなんじゃいな、そら、そけ、しゃごだ」とでまかせに言いました。爺と婆はそれ御経だと思って繰り返し唱えておりました。ある晩その家に泥棒が入り中の様子を伺いっていました。二人は仏壇に向かって「ちょろちょろするのはなんじゃいな、そら、そけ、しゃごだ」と唱えていますと、泥棒はてっきり見つかったものと勘違いして慌てて逃げだしました。

90) 蛙の人まね

岩手県二戸郡仁佐平という山村に、蛙が一匹棲んでいました。あるとき博労が馬に乗って歌を歌いながら通り過ぎました。蛙は何処へゆくのだと聞くと博労はお伊勢参りに行くのだと答えました。蛙は一緒に往きたくなって馬の背に乗っかりました。そこで蛙は、人は二本足で歩くのに蛙だって二本足で歩けないわけはないと思って、二本足でどんどん歩きました。ところがだんだんもと来たところに帰ってゆきます。そうです蛙が立ち上がると目は後ろを向くからです。後ろに向かって歩いたのです。

91) そら豆の黒い筋

お婆さんが豆を煮ようとして鍋に入れ、焚きつけの藁で炭に火をつけました。その時そら豆が一個、藁一本、炭一個が下に落ち、庭の隅に集まりました。豆、藁、炭はあつまってお伊勢参りに行こうと相談がまとまり、揃って出かけました。小さな川を渡るとき、藁が橋になり、炭が渡り始めると藁が燃え出して川に落ちました。それを見て豆が大笑いをした時、お腹がパチンと弾けました。通りがかった裁縫師に針と糸で縫い合わせてもらいました。それが豆の黒い筋です。

92) 百足の使い

あるとき百足と蚤と虱が寄り集まって酒を飲もうとしました。誰が酒を買いに行くか問うことになりますと、蚤は跳ねて瓶を割るからダメ、虱は足が遅いからダメという事になり、百足が買いに行くことになりました。しかしいくらたっても百足が出かける様子がありません。見に行くと百足はまだ百本の足にわらじを履いている最中でした。

93) 清蔵の兎

昔、清蔵は友達と山に遊びに行きました。野の中に兎が一羽昼寝をしていました。清蔵はこの兎は死んでいると言いました。みんなで兎をつつくと、兎は驚いて起き上がり逃げました。いい加減なことを言うことを「清蔵さんの兎」といいます。

94) 鳩の立ち聞き

川を挟んで爺が二人畑仕事をしていました。こちらの爺が「おーい、何を撒くんだ」と問いかけますと、向こうの爺はシーという仕草で手招きをしました。川を渡って行き内緒にする理由を聞くと、豆をまくことを鳩に知られたくないのだと言いました。

95) 杖つき虫

座頭が杖をつき琵琶を背負って山村を歩いていました。川向こうの爺が「やい見ろ、杖つき虫がでたわ」と言いました。杖つき虫が出ると小豆が良く採れるのです。

96) 首筋にふとん

貧しい農家の親父はいつも藁をかぶって寝ていました。子供には藁では恥ずかしいから布団と言えと教えていました。ある席で子供が「おとう、首に布団の葉がくっ付ている」といったそうです。

97) 木のまた手紙と黒手紙

ある山の村に婆と娘がいました。娘は簡単には往けない遠い村にお嫁に行きました。ところが行ったきり何の音さたもないので、婆は心配になりある人が隣村にゆくので手紙を書いて言づけました。その人は婆さんが手紙を書けると知って感心しました。娘もすぐに返事を書いて渡しました。この婆さんもえらいが娘さんもえらいとえらく感心しました。実は婆さんの手紙には∧∧∧∧としか書いてありません。娘には「あねまた、んなまた、なぜまた、来ねまた」と読めるのです。娘の返事も紙一杯墨で塗られていました。「暇がなくて帰れない」という意味です。

98) 知ったかぶり

初めてうどんを食べた人が、給仕の小僧ににこれはなんていう名だと尋ねますと、小僧はてっきり自分の名を問われたと思って「弥二郎」ですと答えた。こんど村の人と一緒に街に出た男は、うどんが干してあるのを見て村人に「干し弥二郎」だと得意げにいました。

99) やせ我慢

侍が田舎の農家に来て泊まった。今晩はひどく寒いので茣蓙を掛けて寝てくださいとと言われると、いや武士は物を掛けて寝たことはないと断った。しかし夜中に寒くなってきて我慢できないので、鼠に踏まれると着物が汚れるので茣蓙をだしてくれと頼んだそうです。

100) 欲ふか

あるところに欲の深い婆があって、なんでも人のものを見ると、もしご不要なら私に下さいと言って貰い受けました。あるとき家の猫が鼠を食って尻尾だけ残しておいたのを見た婆は、その尻尾がご不要なら私に下さいと言いました。驚いた人は何に使うのかと問うと、錐の鞘にしますと言ったそうです。

101) 物おしみ

昔、二人の物惜しみ(吝嗇 ケチ)がいました。あるとき一人のケチが隣のケチに金槌を借りに行きました。隣のケチは木の釘を打つのか鉄の釘を打つのかと問うので、鉄の釘を打ちますと答えるとあいにく金槌はないと断りました。あきれたケチだ、仕方ないから自分の金槌を使うかと言ったそうです。

102) 盗み心

ある男が雪の降った日、友達の家に遊びに行きました。外が明かるかったので家に入ると急に暗く感じました。足で何かを踏んだので取り上げてみると鉈でした。日頃からこんな鉈がほしかったので、思わず懐に入れました。暗いと思ったのは本人だけで、薄明りで家人はこのことを見ていました。そこへまた人が入って来て暗いとうので、その男は鉈を懐に入れると明るくなると言ってその男に鉈を渡しました。

103) 婿の世間話

婿殿が舅の家に行くことになりました。友達に何か面白い世間話の一つでもするものだと言われましいた。舅殿の家に行き挨拶も済んで、酒の膳が出ました。婿殿は舅殿に、義父さんは一抱えもある鴫を見たことがありますかというと、舅はないと答えて話は終わりました。

104) 下の国の屋根

大うそつき(ほら吹き)の話です。どこまでも井戸を掘り続けていったら、下の国の屋根に出たという。(チャイナシンドロームのような話です)

105) 博打うちの天登り

博打が賽を転がして遊んでいるところに、天狗が来て賽と天狗の団扇を交換しました。団扇を煽ぐと鼻が長くなり、裏返して煽ぐと鼻が元通りに小さくなります。このう団扇をもって長者の家の前に行き娘が出てくるところを団扇で煽ぎました。鼻が七尺にもなって娘は外に出られません。長者は娘の鼻を元通りにしてくれたら婿にするとふれますと、この男は団扇で裏返しに煽いで鼻を短くしました。こうして婿になった男は座敷で昼寝をするとき団扇で煽ぎ続けたので、鼻が天まで伸び、天の川に橋普請があり丁度棒がニューと出てきたので杙の代わりに縄で固定されました。鼻の先が痛いので目が覚めた男は慌てて団扇を裏返しで煽ぎましたが、先が固定されていますので鼻が縮むと体が天の川に引き寄せられました。

106) 空の旅

運の良い男が、鉄砲を撃ちますと一発の玉が何十羽の雁を貫いて雁が落ちてきました。それを腰に束ねて路を歩いているうちに雁が生き返り、一斉に飛び上がって狩人を大和国の五重塔のてっぺんまで運びました。おお声で助けを求めると、寺や村の人がやってきて、大きな風呂敷を広げ綿を一杯敷き詰めてこの上に飛び降りるように言いました。風呂敷の四隅を持った坊さんがガチンコをして目から火が出て綿に燃え移り、風呂敷も五重塔も狩人も焼け死にました。


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