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文藝散歩 

野坂昭如 著 「絶 筆」
新潮社 2016年1月20日

焼跡闇市(無頼)派を自任する小説家・マルチタレントが、脳梗塞で倒れてから2015年に急逝するまでの12年間の日記

野坂昭如氏の小説は、私は「火垂るの墓」(他短編を含む)1冊しか読んでいない。そして知っていることは童謡「おもちゃのチャチャチャ」の作詞、「ソ、ソ、ソクラテス」の歌、そして大島渚のある祝賀会で夫人小山明子のまえで、泥酔した野坂昭如が大島渚を殴った映像ぐらいである。今回ある本(白井聰著「戦後の墓銘碑」金曜日)で、戦後派野坂氏の反軍国主義的な生き方の評価を読んで、興味を持った。そこへ2016年1月20日に本書が出版されたことを新聞広告で知り、買い求めて読んだ。野坂氏は2003年5月26日、72歳で脳梗塞で倒れ、その後も夫人の手を借りて口述筆記により作家活動を続行したそうである。本書は脳梗塞で倒れた2003年から21015年12月9日夜に誤飲性性肺炎で急逝するまで12年間の日記である。享年85歳であったというから、男としては長生きの方であった。そこで野坂昭如氏のプロフィールを調べて本書の理解の序としたい。破天荒な言動の多かった自称「アルコール依存症(アル中)」の逸話は数限りなくあるが、そんなことは個人のことに属するので全部割愛する。野坂 昭如(のさか あきゆき)、1930年(昭和5年)10月10日 - 2015年(平成27年)12月9日 は日本の作家、歌手、作詞家、タレント、政治家。実父は土木技師で戦後に新潟県副知事を務めた野坂相如(すけゆき)氏。当時野坂家の住いは東京市麹町区隼町だったが、産み月近くなって両親が別居。鎌倉で実母ぬいは昭如を産んだ二月後に亡くなった。生後半年で神戸の張満谷(はりまや)家へ養子に出される。11歳の時、戸籍謄本を偶然に見て、自分が養子であることを知り、後には妹2人も別々に養子として入る。その後、上の妹を病気で、1945年6月の神戸大空襲で養父を、下の妹を疎開先の福井県で栄養失調で亡くした。後に福井県で妹を亡くした経験から贖罪のつもりで「火垂るの墓」を記したという。14歳で終戦を迎える。17歳で旧制新潟高校に編入。なお、高校の上級生に丸谷才一がいた。1949年に新制新潟大学に入学するも3日で退学。東京でに出てアルバイト生活をするが、1950年シャンソン歌手を志して早稲田大学第一文学部仏文科に入学。学校には全く行かず、新潟の禅寺・大栄寺で修行した後、父の参議院出馬にスタッフとして参加したりした。後自身も参議院議員になるのは、父親の性格を引き継いだのだろうか。1955年に再上京し、暮れに三木鶏郎音楽事務所の事務員となる。1956年、鶏郎が有限会社冗談工房を発足(社長・永六輔)。専務職に就くが実質業務は鶏郎のマネージャーだった。この年、大学を中退した。1957年、27歳でテレビ工房の責任者になり、阿木由紀夫の筆名で放送作家としてコントを量産。いずみたくと組んでCMソング作詞家として活躍。小林信彦編集の雑誌「ヒッチコックマガジン」の表紙のモデルもつとめた。1962年に刊行した「プレイボーイ入門」で「元祖プレイボーイ」として脚光を浴びる。小説『エロ事師たち』で1963年に作家デビューする。1967年には、「火垂るの墓」、「アメリカひじき」で直木賞受賞。また、社会評論も多数執筆するようになり、「焼跡闇市派」を名乗り、その体験から既存の右翼・左翼それぞれを批判していく評論活動を行う。1985年「我が闘争 こけつまろびつ闇を撃つ」で講談社エッセイ賞受賞、1997年に「同心円」で吉川英治文学賞受賞、2002年に「文壇」およびそれに至る文業で泉鏡花文学賞を受賞。作詞家としては「おもちゃのチャチャチャ」で第5回日本レコード大賞童謡賞の受賞、放送局初のPRソング「OBCソング」を作詞している。1973年2月21日、編集長を務めていた月刊誌「面白半分」に掲載した「四畳半襖の下張」(伝 永井荷風著)について、「猥褻文書の販売」違反に問われ起訴される。1976年4月27日、東京地裁にて有罪判決(罰金刑)。この頃、今東光を会長とする無頼派作家の集まり「野良犬会」のメンバーとなる。副会長柴田錬三郎、メンバー吉行淳之介、黒岩重吾など。1983年6月の第13回参議院議員通常選挙に、第二院クラブの比例代表名簿1位として出馬し、当選した。しかし当選から約半年後に、田中角栄がロッキード事件の1審公判において実刑判決を受けたことをきっかけとしておこなわれた12月の第37回衆議院議員総選挙に出馬するために議員を辞職。新潟3区から立候補し、全国的な注目を集めたが、遊説中に暴漢に斬りつけられるアクシデントにも見舞われ、落選した。人物像はアルコール・ニコチン依存症のことは別として、文壇界きっての犬猫好き、酒好きである。農業の重要さを訴え、自身で米を作る活動も実施。「ゴルフのような軟弱なスポーツは嫌いだ」と、中年になってからラグビーやキックボクシングを始めている。2000年から東京・阿佐ヶ谷で「野坂塾」を開塾し、戦争体験などを語っていた。麺類、特に蕎麦が好きで、鴨南蛮が好物である。このような逸話は本書「絶筆」にも何回となく述べられている。1950年代から歌手活動もしている。歌手名はクロード野坂、1969年にレコードデビュー。「マリリン・モンロー・ノーリターン」「黒の舟唄」「バージン・ブルース」や、本人出演の「サントリーゴールド」CM曲である「ソ・ソ・ソクラテス」が代表曲。作詞活動の実績もある。特に50年代後半から60年代前半にかけてCMソングを多く作詞した。「おもちゃのチャチャチャ」が代表曲である。テレビタレントとして多くの番組に出演し、しばしば酩酊状態で暴力沙汰を起したという。小説家・雑文家として作品は多数に上るが、私はほとんど読んでいないのだから紹介することはできない。

小説家の書いた日記というと、どうしても永井荷風著 「断腸亭日乗」(岩波文庫)を避けて通るわけにはゆかない。「断腸亭日乗」とは荷風が38歳の時から死の前日(1959年4月29日)まで書き綴った日記である。断腸亭は荷風の雅号、日乗は日記の事である。この岩波文庫本は、岩波版全集でおよそ3000ページにのぼる全文から磯田光一氏が摘録して約4分の1に縮小したものである。「断腸亭日乗」は1年を1卷として、和紙に墨書して綴じたらしいが1947年以降はノートへのペン書きとなったという。荷風は外遊時代にも日記をつけていたが、明治40年代は日本の文壇に迎えられて忙しくなったのだろうか日記をやめている。大正時代になり慶応大学教授を辞め、三田文学編集をやめてから、文壇を含め現代社会に対して隠遁的態度を取り始めた。大正5年雑誌「文明」を創刊して、荷風は花柳小説「腕くらべ」を発表して、文語調の文体意識が顕著になるにつれて荷風は日記への関心が強くなったといわれる。外遊時の日記を編集しなおして「西遊日誌抄」を「文明」にだしたのもこの現れである。日記の再開は1917年(大正6年9月16日)からである。弟との決別(荷風が妾を家に入れたことから)より、隠遁生活を決意したことと日記の再開が一致している。荷風は突如大久保の邸宅から出て、築地の陋屋へ移った。その時代は大正の米騒動が起って、不安な世の中へ移りつつあり、荷風のいらいらと不安げな様子が伺え、次第に世の中の動きに冷淡な隠遁生活にのめりこんでいった。1920年(大正9年)に麻布偏奇館へ転居する時代は、原敬首相襲撃事件、関東大震災へと動いてゆく。この関東大震災で社会の風俗の変化が著しくなり、荷風の日記は世相風俗を映し出す風俗史資料である。昭和の時代となり芥川龍之介の自殺にいささかの反応も示さなかった荷風の筆は、満州事変とともに軍国主義へ傾斜してゆく社会情勢には、事実を記録し批評を加える目は確かである。一時期当局の目を恐れて、日記を切り取り削除する箇所が見られたが、北村均庭の雑録に励まされて、記録者としての覚悟を決め、日記の復元をはかった。このような抹消、切り取り、さらに復元という行為は、日記を書くことが荷風にとっていかに真実で妥協のない営みであったかを物語っている。1937年の母の死においても、家族関係の克服はならなかったようで、ますます独居凄涼の自由と孤独不自由さを味わう生活にのめりこんでいった。荷風が見出した唯一の安息場のひとつに浅草公園6区があった。オペラ座の舞台と楽屋は荷風の心のオアシスになり、オペラ脚本「葛飾情話」などを書いて入り浸っていたが、1939年にはオペラ座も閉鎖されて行く場所を失った。日米開戦後の荷風は庶民と同じく空襲に追われて転転と逃げ惑う生活となった。それでも書き上げた「断腸亭日乗」は知人の手で安全な場所に隠し、毎日の日記原稿用紙を持っての逃避行であったという。私はこの永井荷風の日記である「断腸亭日乗」を10数前に読んで、好色老人のたわ言かと思った。今では永井荷風という小説家がいたことは教科書でしか知らないだろうし、その小説を読む人もめっきり少なくなった。なにせ「売春禁止法」ができ、赤線地帯が消えてすでに50年以上たつので、花柳界なぞ知らない人の方が多くなったからだ。江戸時代の三大花町として、江戸の吉原、京都の島原、長崎の丸山があり、遊郭に商人、文人墨客、庶民が集まり、管弦・遊楽の地であると同時に遊里文藝が栄えたという。花魁といえ教養がなければ武士・豪商・文人の遊興の相手が出来ないのであった。文人とは遊里文化人を指す。この江戸情緒は明治時代まで色濃く東京の下町に残っており、吉原、浅草、深川、向島、亀井戸、柳橋など神社のあるところ必ず花町があって、庶民の行楽の楽しみのひとつは「悪所」を散歩することであった。その江戸情緒の名残りも関東大震災で江戸が完全に破壊されたと同時に消滅した。永井荷風(1879−1959年)は明治11年文京区小石川に生まれ、父は文部省の高級官僚であった。したがって教育レベルも高く、明治の文豪達(生涯、森鴎外を師と仰いだ)の薫陶を受け、江戸文人文化の伝統をその精神としたのである。唯美主義としては谷崎潤一郎と共感するところがあり、無頼派としては太宰治と性格が似ている。好色文学・花柳文学としては江戸戯作文藝の正統的継承者ではないだろうか。 私はこの永井荷風の日記である「断腸亭日乗」を10年以上前に読んで、好色老人のたわ言かと思った。今では永井荷風という小説家がいたことは教科書でしか知らないだろうし、その小説を読む人もめっきり少なくなった。なにせ「売春禁止法」ができ、赤線地帯が消えてすでに50年以上たつので、花柳界なぞ知らない人の方が多くなったからだ。江戸時代の三大花町として、江戸の吉原、京都の島原、長崎の丸山があり、遊郭に商人、文人墨客、庶民が集まり、管弦・遊楽の地であると同時に遊里文藝が栄えたという。花魁といえ教養がなければ武士・豪商・文人の遊興の相手が出来ないのであった。文人とは遊里文化人を指す。この江戸情緒は明治時代まで色濃く東京の下町に残っており、吉原、浅草、深川、向島、亀井戸、柳橋など神社のあるところ必ず花町があって、庶民の行楽の楽しみのひとつは「悪所」を散歩することであった。その江戸情緒の名残りも関東大震災で江戸が完全に破壊されたと同時に消滅した。永井荷風(1879−1959年)は明治11年文京区小石川に生まれ、父は文部省の高級官僚であった。したがって教育レベルも高く、明治の文豪達(生涯、森鴎外を師と仰いだ)の薫陶を受け、江戸文人文化の伝統をその精神としたのである。唯美主義としては谷崎潤一郎と共感するところがあり、無頼派としては太宰治と性格が似ている。好色文学・花柳文学としては江戸戯作文藝の正統的継承者ではないだろうか。

さていよいよ野坂昭如の日記「絶筆」に遷ろう。72歳(2003年5月)で脳梗塞で倒れ、85歳(2015年12月)で亡くなるまでの12年間の日記である。72歳以前の日記があったかどうかは知らない。そういう意味では野坂氏晩年の病後日記である。病後のリハビリと身辺雑記(主として猫にまつわる)、思い出、そして折に触れての時事問題への感想をつづった日記である。毎日日記を書いていたかどうかはわからない。「○月某日」という日付しかないからである。編集の関係でかもしれないが、2015年でいうと月当たり大体5日ほどの日記が掲載されている。2004年と2005年の日記には、○月○日と書いているだけで月も表記されていない。内容から季節は分る。2004年は合計37日分、2005年は27日分、2006年は無し、2007年は63日分、2008年は89日分、2009年は75日分、2010年は66日分、2011年は59日分、2012年は61日分、2013年は62日分、2014年は60日分、2015年は55日分であった。合計565日分の日記が収録されている。途中何回かは入院などで中断しているはずである。編集においてご家族との了解で没となった部分もあるだろうが、出来のいい部分だけを採用するような編集はしないだろうから、体の調子の良くない日は日記を書かなかったとしても、日記にしては少ない気がする。本書によると、野坂昭如氏は脳梗塞後は筆を執ることができず、口述で夫人に書き取ってもらって原稿としていたとのことである。日記の一日分は、本書1頁の半分ぐらいで。ほぼ400字詰め原稿1枚分である。書かれている内容は日記であるので、毎年の繰り返しが多いのはやむを得ない。時候・天候はもちろん、時に触れての思い出話(空襲、原爆、終戦、憲法、自分の生い立ちなど)は毎年同じような内容の繰り返しとなっている。身辺雑記(住居、服装、食事、猫、花見、軽井沢別荘)や時事の導入部だけは繰り返しはないが、感想や嘆きや不満はこれは個性・思想に属することなので繰り返しが多い。なお2007年よりこの日記には「だまし庵日記」という名がついた。2004年と2005年の日記は参考程度という意味(2006年の日記はない)で、将来出版することをはっきり意識して「日記」を書いたのが2007年からという意味であろう。また年度の替わる節目に短文のエッセイの1−3篇が挿入されている。これも文壇や野坂氏の交友を知るうえで面白い。そしてこの日記の特徴として、野坂氏の戦中戦後の体験からくる反戦・反政府批判の意見が随所に表れていることである。特に日記が書かれた時期からして、安倍政権の戦争準備政策に対する批判には鋭いものがある。本書の内容で傾聴に値する言葉を拾い集めて記してゆこう。

2004年
* 都合のいい記事だけ、いい子いい子するのは権力者の常。今やマスコミは世論を形づくる力の大きな一翼をになうのだ。
* テロの場合敵は分かりにくい。暴に報いるには全をもってするしかない。
* (俳句)風強し 花散るらん 我生き残る 昭和18年、花曇りの日、神戸市立神戸第1中学校入学式
* 今回、靖国人神社参拝、違憲判決が出た。弔う気持ちがあるなら、何も靖国神社へ行かずとも、自分の家で静かに冥福を祈ればいい。そこに総理大臣の肩書きはいらない。(小泉首相の靖国神社参拝問題について)
* 僕は14歳まで六甲山の目の前、灘に住んでいた。養父と六甲山に登った。養父はお洒落で、背広にドイツ製のソフト、靴を着用、子ども心に誇らしい存在だった。
2005年
* 僕は子供のころから嘘ばかりついてきた。幼年期は、他人に嫌われやしないかとの怯え、食べられなくなることへの怯え、「火垂るの墓」で直木賞を取り時代の寵児となったが、事実は違う。ぼくは、あんなに優しい兄ではなかったという罪悪感。流行作家になり、自分が中心にいることへの怯え。生きている以上、僕と嘘は切り離せない。
* 今は酒を飲まないが、少し前までアルコール依存症だった。乾杯のシャンパンほんの一口が地獄への入り口。連続飲酒の結果、まともな人間に戻るまでに3日を要する。
* 新潟に震度6強の地震あり。昭和20年、当時収容されていた少年院より、副知事だった実父にひき取られ、新潟に移った。新潟の思い出はひたすら酔っぱらいの日々。反省の気持ちから寺で修業し、毎日ひたすら草むしり。今回の地震の問題は雪。野も山も雪に埋め尽くされる辛苦は、しからざる土地に住む者の想像を超えている。
* みんな、僕がリハビリをまじめにやっていないように思うらしい。運動歴は自信があるが、問題は言語、もともと明確ではない発音、幼少より吃音も入交り、甚だ不明瞭言語となった。発音リハビリの毎日。朝食後、口述開始。しかしいざ神とペンをもって聞き手(夫人)が目に座ると、なにも出てこない。
* ぼくには3つの名前がある。まず本名野昭如(のさかあきゆき)、コント作家だったころのペンネーム阿木由紀夫、シャンソン歌手の芸名クロード野坂である。素人じゃなくて玄人だという意味。
* うちの女ども(夫人、娘)は恐い。どうしてこんなに恐くなれるものか不思議。一言不平を言うと、十倍の抵抗文句が返ってくる。
* 我が日記には色気がないことに気づく。もはや小便だけの道具と相成った。永井荷風先生にあやかりたい。だが、荷風先生もどこまで本当やら怪しい。
* 来客あり。こちらがレロレロなら相手もロレロレ、お互いどこまで話が通じたか、すっかり年老いた相手に自分の巣があを見る思い。僕は目下リハビリ仙人を志ざした。
* 「小説新潮」2005年1月号に載ったエッセイ「ニセ年貢の収めどき」: 酒の入らぬ正月を迎えること2年目。罰当たりの老人はリハビリ仙人を目指す。最大の難関のリハビリは言語だ。不明瞭な言語で、人嫌いになった。通じやすい日本語こそ大事だ。
* 「小説新潮」2006年1月号に載ったエッセイ「文字がよぎった」: 今年は戦後61年となる。日本は経済大国として世界の強国になったと威張っていたが、しかし忘れてはならないものは食と農の自作自給がない。食い物とエネルギーを他国に任せ、豊かな国と錯覚している。貧困化、果ては戦争か。少しでも戦争を知る人間は戦争について語り伝える義務を持つ。戦争を書き続ける自分がある。それを自分の業だと思っている。未来を担う若者が戦争のない世の中を考えるのは当然。戦争は何も生み出さない。僕に「戦争童話」という作品がある。13篇すべて戦争中の出来事をテーマにしたお伽噺。脳梗塞で倒れて3年、昨年10月車いすで沖縄を訪れた。地上戦を経験した沖縄は僕には書けなかった。
* 「小説新潮」2007年1月号に載ったエッセイ「リハビリ老人プレイボーイ篇」: 世の中はますます高齢化社会。リハビリ老人は増えるばかり。プレイボーイの老人篇を編む。リハビリ老人の先駆者たらんと勤めている。
2007年
* ぼくはあらかた嘘でかためた世を過ごしてきた。半分はでまかせ、半分は世渡りの術。全部合わせるとすべて嘘。うそつきは物書きに向いている。それはなぜか、それは僕の出自による。空襲で養父が死んだ。生活苦もあわせ一層、嘘で固めざるを得なかった。あることないこと嘘を並べたて、相手を困惑させる。こういう時根っからの小説家だと思う。(本当にしてはいけないが、なんと調子のいい文章だ、太宰治が聞いたら、それは俺のセリフだというだろう)
* 黒川紀章さんが都知事選に立候補するらしい。石原都知事は何かやりそうに見えたが、これは裏切られた。ありきたりに変わって、しゃべる言葉が尊大になっただけ。黒川さんは都知事になりたいだけ。
* 花の幻想は時間を逆行させる。神戸正徳小学校入学式の日の思い出、養母と食堂で食べたランチの味。
* 能登で震度6強の地震。日本は地震国である。国は何もしてくれない。何故なら国は組織を守るためにある。地震の一番の特徴は組織を崩すことである。
* 最近の原発事故隠し。原子力発電は原爆の次にあたりを荒廃させる危険を含む施設。(原発の必要を認めながら)原発に関する事故隠し、未来に対する犯罪だ。
* 白内障手術のため入院。手術は数分で終わった。見舞いに訪れた娘に「男って大体気が小さいけど、パパは小心者」とからかわれた。結局両眼とも白内障の手術をうけ、視力は1.0に回復。
* 昭和20年6月5日 (空襲で)神戸の家が失われた、好きだった養父が死んだ。僕だけが残った。6月になるとあの朝に引き戻されてしまうのだ。
* 7月新潟が再び地震に見舞われた。そして今回は柏崎刈羽原発で火災『が起きた。日本は被爆国である。関係者の緊張感がみじんも感じられない。原発側は最初から住民に理解なぞは求めていない。昔から密閉社会なのだ。刈羽原発の事故は天災ではない。活断層の上に原子力施設を建てるなど世界にこんな杜撰な例はない。
* 本日は防災の日らしい。僕は根っからの小心者。どこに出かけてもまず逃げ道を探していた。地震は天災、起ってからは人災が加わる。寝室にはタンスの類は置かない、防災袋完備、乾パン、ペットの水、マッチ、ローソク、軍手、浄水器、食料は猫の分も含めて妻が備蓄
* 世の移ろいは早い。安倍晋三が辞任、福田康夫が登場。戦後の平均では首相は1年やれば御の字だそうだ。
* 台風が怖いのは、今も昔も変わらない。農業が主体だったころ、我々にとって脅威と恩恵は一つのものと教えてきた。
* 二か月に一度の通院診察日。病院は患者の多いのに驚かされる。長い時間待たされて診察は異常なし。薬をもらうのにまた1時間。結局一日がかりとなる。いまの日本では病気にもなれない。
* このところ嚥下障害がでてむせやすい。とろみのついた食物が多くなった。どうしたわけかパン食が具合がいいのが不思議だ。
2008年
* 餅なしの雑煮で祝う新年。餅なしの新年はこれで5回目。日本人が餅を口にできなかった時代は悪い。昭和20年、21年はその典型で、14歳だった僕は森口にいた。敗戦の日本は混乱していた。食べるものはなく、着るものは焼かれ、敗戦の年はひたすら寒かった。
* 正月の楽しみは、恒例大学対抗ラグビー戦だ。今春は帝京対早稲田。僕が40台前半ラグビーのチームが出来上がった。名前はアドリブ倶楽部という。中年のおやじたちは嬉々として大地を駆け回った。怪我も負った。すべてが楽しかった。
* 妻とワインを飲む。自分から酒を飲む気力はない。しんしんとした冬の夜だ。
* 過日発覚したエコ偽装。冗談みたいな話。日本人の頭のねじは緩むばかり。
* アメリカではオバマ氏が勝利すれが初の黒人大統領誕生となる。日本では大阪知事選で38歳の橋下氏が知事となった。個性ある大阪を目指せ。
* ふと童謡が口をついてでる。"春よ来い、早く来い、歩き始めたみいちゃんが、赤い鼻緒のじょじょはいて・・・・・" 本来日本語は美しい。都都逸、小唄、民謡、いずれも洗練された言葉の宝庫だ。
* (俳句)しだれ梅 まず一番の 春を告げ   春浅き 弥生の月に 猫の恋
* 某紙に農水省が一面広告を出した。自給率を示してこのままでは日本の食が危ないという。自給率を下げたのは誰だ、農水省ではないか。アメリカの自給率は128%、フランスは122%、オーストラリアは200%を超えている。40%に満たない日本を滅ぼすのは簡単だ。核もミサイルもいらない、食料輸出を止めればいい。
* アメリカとの関係を言えば昭和16年のころと大差はない。アジアを見る我国の眼差しも当時と変わりはない。このままでは日本は危ないと甲斐なきことを思いつつ、かくして老人はふけゆくのかと苦笑するのみ。僕にできることは過去と向かい合うことだけ。
* 知人がしゃれた贈り物を下さる。毎月「今月の一夜干し」ということで玄界灘の春の魚が届く。れんこ鯛、寒いさき、のどぐろ、一塩さわらの一夜干し
* 後期高齢者医療被保険者証なるものが届く。75歳以上の人間を後期高齢者と呼ぶ。後がないのでは戴けない命名だ。むしろくそ爺、死にぞこないなら腹もたたないが、後期高齢者の言葉の裏にいやらしさを感じる。偽善者メ
* 昭和20年5月11日昼過ぎ、空襲で神戸の家が焼かれた。おしゃれで素敵な養父、養母がなくなった。
* 若いお母さんに申し上げたい。子供にたべさせろ。食べ物は人間を豊かにする。食べる事で身も心も大きくなる。
* また6月5に日が廻りくる。昭和20年6月5日、この日を期して僕は大人になった。神戸大空襲によりすべてを失い、浮浪児への道をまっしぐら。
* 梅雨の真っ最中、紫陽花が雨の中艶やかに咲いている。でんでん虫がいないと妻が言う。紫陽花の葉には毒がある。
* イタリアフィレンツェにおける落書き騒動。落書きは万国共通の悪戯。落書きができる世の中は悪くない。
* 福田首相には、政治家としての言葉がない。わが首相は、やや失語症の傾向がうかがえる。変な時に福田首相が政権を投げ出すコメントを発表。別に驚くこともない。世襲政治家の常。一国の首相がぼそぼそ恨み節をつぶやきながら姿を消すのは無責任以上だ。麻生首相が誕生した。挨拶で同日に祖父吉田茂が誕生したことにふれた。それがどうした。偶然を、もっともらしく語る輩は、怪しい買ト者におおい。誰も戦争を知らない。
* 疑惑をかけられ解雇されたロシア人力士の腹いせで浮上した相撲界八百長疑惑。八百長疑惑は絶えない。
* 若者のアルコール離れが進んでいるらしい。人狂わせる水だが、人類最高の発明に違いない。人が生きる以上、鬱屈が溜まって当然。僕らの世代はこれを酒で晴らした。
* 自民党・民主党の大連立といったって、雑魚の集まり。日本人はこれに気が付いているながら黙って見ている。この他人事視はどうしたことか。
* 「新潮45」2003年1月号に載ったエッセイ「モテる男」: 小説家で女性にモテる男といえば、五木寛之、吉行淳之介、梶山季之、川上宗薫、近藤啓太郎、谷崎潤一郎、泉鏡花、三保敬太郎、西村楽天、渡辺淳一、柴田錬三郎、山本夏彦、いずみたく、なかにし礼、久世光彦、矢崎泰久などなど、映画監督、画家、俳優まで数知れない。世間の多くお男は、女嫌いなのだ。女すきには自己破滅型、アナーキーな雰囲気を有する。女房一筋は女嫌い。
2009年
* 昨年暮れから、リストラ、派遣切りが連日伝えられ、倒産の噂も聞く。アメリカの金融がひっ迫し、世界経済に影響を与えた。(リーマンショック)日本はいつひっくり返ってもおかしくない。アメリカがつぶれたら日本もつぶれる。
* この頃、目にする数字に実感が薄れた。問題の定額給付金約2兆円、そしてこれに約1000億円の費用がかかる。日本の借金は約850兆円、個人金融資産約1500兆円、そして日比谷公園に約500人の派遣労働者が年を越した。
* 個食の時代、一家団欒は昔のこと。戦中配給制度は始まっていたが、各家庭工夫して、今より豊かなお膳を囲んでいた。
* インフルエンザ予防は手洗いとうがい、人と逢わなきゃいいんだ。
* 四月は値上げの月、戦争中も国鉄、郵便、米など値上げ。昭和20年買おうにも物がない。物価について昔の文人は日記に詳細を記していた。荷風先生も細かに値段を記し、行間から息遣いが伝わる。
* (俳句)うつむいて 歩けば桜 盛りなり
* 38度線の北の国が人工衛星と称するものを発射予告。まず何より静観が一番と考える。かの国を見ていると、どうもぼくには戦中の日本と通ずるものがあるように思われる。世間一般もマスコミに踊らされてはいけない。淡々としているのがいい。
* 午前中はリハビリ病院へ。50−60m歩いてい息があがる。足はガタガタ、腰が震え、目はうつろ、座って休憩。この病に倒れて以降、あちこちに故障が目立つ。お上はせっせとリハビリの時間を削減する(医療費削減のため)。
* ぼくはいずみたくと組んで、300曲のCMソングを作詞した。「カワイ肝油ドロップの歌」、「キスミー・セクシーピンクの歌」、「ハトヤの歌」、「カシミロンの歌」など
* とうとうGMが倒産した。この会社の倒産は日本の会社にも及ぶ。アメリカの国債の多くを買い取っていつの間にやら運命共同体。
* 都議選が始まった。自公の過半数割れに注目が集まっている。政権交代はどうなるか。麻生首相にとって退陣を迫られるか、自ら解散するかどうかの正念場と言われる。そもそも彼のプライドや、恥の意識が僕には分からない。
* 7月知人からいただいた入谷鬼子母神の朝顔の鉢。朝顔、花火、祭り、この3大風物詩は昔からある。
* 夏の甲子園が始まった。まもなく終戦記念日を迎える。8月15日ぼくは福井県春江に疎開していた。14歳の夏、玉音放送を聞いて、日本帝国の負けを知った。
* 9月の総選挙で政界は逆転した。何より民主党は内心どぎまぎしているのではないか。こんどの政権交代は積極的に民主党を支持したというより、反自民の気持ちが強かったためである。世間の選択はもう少し危惧の念を持った方がいい。思いつくままの公約を掲げた民主党政権、前自民党政権とどう違うのか。
* 文化庁が国語世論調査を行った。10代の若者が日本語に魅力を感じているらしい。意味よりもまず肌で日本語を感じることが大切。古典を何でもいいから読めるようにすること、日本語の美しさ、国語の奥深さが身につく。
* 年末町中のイルミネーション、ネオンが煌いている。エコの時代とは言い難い。クリスマスと騒ぐのも結構だが、電気の無駄遣いにしか見えない。
* 「小説新潮2009年7月号」に載ったエッセイ「黒眼鏡文壇酒場放浪記」: 昭和25年、新宿「五十鈴」で飲みだした。火野葦平、新庄嘉章、新宿武蔵野館裏の「和田組マーケット」で三木鶏郎、水口義郎、銀座クラブ「ラ・モール」で田川博一、吉行淳之介、梶山季之、新宿「カヌー」で川鍋高孝文、矢口純、石堂淑郎、田村隆一、井上光晴、新宿区役所通り「とと」で、吉行淳之介、北杜夫、四谷「まろうど」で、田中小実昌、永田力、丸谷才一、「ユニコン」で唐十郎、昭和42年直木賞を貰ってから急に仕事量が増え、飲み仲間も増えた。「酔狂連」というおふざけグループを作って飲み歩いた。新宿ゴールデン街「まえだ」で、田中小実昌、石堂淑郎、黒田征太郎と飲んだ。
2010年
* 迷走を続ける鳩山首相。政策はすべて政府が主導と口にしてきたが、小沢幹事長があれこれ要望だとか指示だとかをし始めた。マスメディアが一斉に批判する。小沢さんについては良く知らないが、異口同音、こぞって悪く言うのは少し面妖。
* デパート業界は売り上げ減により青息吐息が続く。ネット通販は好調とか。現在生鮮食品から多種多様世界中からクリック一つで買い物ができる。小売店は消え、隣に住む人もしらない。これで世界が広くなっているのだろうか。
* 冬晴れ、風が冷たい。言葉を持たない人が増えた。テレビの討論番組の類は少なくなるばかり。戦争中、男は喋らなかった。喋る前に黙って行動してしまう。これが危ない道に続く。
* 電子書籍とやらがアメリカでは盛んらしい。書き手の側も大きく変わった。昔は編集者と直接やりとりしていた。やがてファクシミリ登場。こんどはパソコンでメールとなった。そのうち原稿用紙も鉛筆も消えるだろう。私は天然記念物的存在に思えた。
* 2月ハイチ大地震。阪神淡路大震災15年目と重なり注目を集めたが、やがて関心が薄れた。世界が最貧国と認めるハイチ。瓦礫の下の生命力は強い。
* 今春卒業の大学生の就職内定率が低かったという。ぼくらのときはもっとひどかった。大げさじゃなく、30−40人に一人決まればよい方だった。(終戦後の大学は出たけれど時代) 今日ときめく大企業も、もとは中小企業だった。名も知れぬ中小企業を自分の力で大きくしようという気迫を持つぐらいでないと、どこへ行っても成功しない。
* 時代の流れ、東芝が白熱電灯の製造をやめた。昭和を生きた人なら電球のある風景を思い浮かべるだろう。空襲警報のたび母が電球の傘に黒いカバーをかけた。戦後電球の明るさにしみじみ平和のありがたさを知った。
* 上海万博が始まった。中国パワーを見せつけられる。中国は日本がいつか来た道を歩んでいるというが、中国は独自の道を歩んでいる。中国は大陸の国、日本は島国。
* 普天間基地問題が迷走。ずっと先おくりにしてきたツケが目の前に突きつけられている。基地は日本の問題で、沖縄だけの問題ではない。
* 鳩山さんが辞任し、菅直人が代表に選ばれた。目新しいうちは良かったが、支持率低下は政治力低下と比例している。こんな薄っぺらな時代は、世間がしっかりしないと、そうとも思えない。
* 参議院選がはじまった。民主党はうろうろするだけで何もしていない。かっての田中角栄の如き強い政権を求める時代は良くない。
* ぼくは自分が何者なのか判らない。物書きに違いないが何にでも首を突っ込んだ。38年前には裁判にもでた。猥褻文書販売の罪で罰金刑10万円の罪。雑誌「面白半分」の編集長だったとき、全文掲載した「四畳半襖の下張」(永井荷風作といわれた)は、男女のひそかな事柄を描いた優れた戯文、今の日本でこれを原文で読み、かつ興奮できる人は少ない。
* 日本では、住民基本台帳という制度によって、国民ひとりひとりに背番号が割り当てられている。すべてお上の都合。そんな国で年金は消え、人間も消えている。消えた老人騒動が問題の典型、お上が何でも管理しようとする国になど住みたくない。
* 秋晴れの空、午後散歩に出る。神田川 よろめき歩く われ傘寿
* 北朝鮮の暴走がいわれる。何かにつけて物騒な脅迫めいた言葉を発し、極めて物騒。そしてこのことは、大日本帝国時代の日本によく似ている。
* 世の中どんどん清潔主義がはびこった。特に都会ではぐるり人工的なものに囲まれ、非動物的な生活を送っている。打がきれいで清潔なのはうわべだけ、化学物質に犯されながら大量のごみを出して生きている。
* マスコミと世間は市川海老蔵の暴力事件に興味津々。たかが酔っ払いの喧嘩じゃないか。自慢じゃないがぼくも40台あたりまで、よく喧嘩した。新宿ゴールデン街で飲むと唐十郎と渡り合った。喧嘩はコミュニケーションの一つ。
* 「小説新潮2010年10月号」に載ったエッセイ「どこがめでたい長寿大国、安楽死こそ最高の老人福祉」: 今の若者は人が死んでゆく姿を見ていない。そして死を自分のこととして考えていない。死こそは個人に属する。自分だけの死なのだ。特に安楽死は個人の問題。死を他人任せにしてはいけない。死はお国や企業のためにあるのではない。尊厳をもった安楽死は人間を人間たらしめるべくある。
2011年
* 昨年2010年は、日米安保条約50年の年だった。日本は敗戦のゼロから、信じがたい成長を遂げ、先進国の仲間入りを果たしたが、自日米軍基地の根本的な見直しもなされなかった。平和憲法については水掛け論を繰り返した挙句拡大解釈がまかり通っている。冷戦時代が終ったのち、今度は中国が脅威だという。それもアメリカの戦略の受け売りである。日本が中国を軍事両で支配することなど考えられない。自立した考えなしに独立国家はあり得ない。アメリカ頼みの日本独立はない。
* ニュージランド地震。日本人の若い命の犠牲は痛ましいが、危険を伴うが、若い時期に外に出てみることを勧める。
* 我国の政治家、ヤクザ風でも、もちろん柔和でもなく、ただぼんやりした悪相が多い。引き締まった表情というものがまずない。エジプトではムバラク政権が去り、中東各地でデモの動きが活発化。日本では、何も起きない。
* 福島原発の事故は天災とは言えない。日を追うごとに人災の色を濃くしている。今日もまたごまかしの記者会見が続き、事態は益々悪化してゆく。真を伝えようとする姿勢も見えない。原発は表向き民間企業であるが、その実国家そのもの。ある時は民間、ある時は国家、二者を使い分けてきた。
* 震災からひと月も経てば、闇を置いて明るいニュースばかりを紹介する傾向にある。避難所の様子も聞こえなくなった。それぞれが思いを深め、政府や報道の内容とはまた違う側面を見ることが大事。
* 震災から三月経つとCMは元に戻っている。震災直後から日本広告機構の「ひとつになれ」、「がんばれ」の重苦しいCMにうんざ入りした人は多い。CMは人を現実に戻す役割は大きい。しかしきらりと光る作品は少ない。
* 6月5日神戸上空をB29が来襲、僕の家は焼かれた。それぞれが戦争の実態を知っている。後世に戦争がどれほど伝えられたか、考えると心もとない。
* 首相は単なる立場に過ぎない。世をがらりと変える卓抜した力を持つ、知、情、備わった完璧な人物を政治家に求めてはいけない。独裁者を生むだけである。
* 節電の夏だという。見渡せば世の中無駄だらけ。戦中のあれやこれやを思えば、平成の節電など屁でもない。
* 防災の日。東京直下型地震の予想される死者数は大幅に抑えられている。これは長年の悪習。地震会議で都民がパニックに陥るという理由で、根拠もなく予想される死者数を一桁下げることが常習化している。これでは本当の対策にならない。
* とてつもない円高、製造業は青色吐息、震災復興、原発事故対策、財政破綻、今の日本の国難。自称専門家の信頼は知に落ちた。誰も責任を取らないからだ。原発や止める。自分たちの食い扶持は自分で賄う。反原発事故に6万人が集まった。
* 政治経済の専門家たちは、国の借金1000兆円、財政破たんとは言わないで、ひたすら経済成長を口になさる。消費税を30%にしても間に合わない。
* 医療、福祉、年金それぞれに文句はあるが、われら昭和一ケタ時代までは恵まれていた。
* 今年は、北朝鮮の金正日、ビンラディン、カダフィなど強力な権力者が死んだ。金正日が死んで国民は号泣した。これは戦前の天皇制である。かっての日本帝国国民の姿がダブって見える。軍が権力を握れば、その国は必ず滅びる。
* 「yom yom2011年3月号」に載ったエッセイ「酒とともにあった」: 僕が作家になりたてのころ自分の手銭で飲めるところは限られていた。住まいの関係かたもっぱら新宿界隈の店で飲んだ。「カヌー」で井上光晴、吉行淳之介、野間宏、水上勉ら文壇の錚々たる人々と知り合った。いわゆる文壇バーは銀座に多かった。近藤啓太郎、梶山季之、田中小実昌、石堂淑郎、佐木隆三らは皆酒が強い。酒を飲むという行為は何も生み出さないが、しかし酒を通じて人間が分かる。物書き数人寄ればバカ話。文学論や批評めいた事を口にすることは珍しい。長部日出雄、田村隆一、丸谷才一など一人で飲むのが好き。
2012年
* 年が改まったからといって、我に抱負、目標などあるはずもなく、己の能力はとっくに見極めている。過ぎたる去年を顧みれば、さて何をしたやら、もはや茫々たるもの。
* 日本食(和食)を世界無形遺産に申請するらしい。四割を切る自給率。実は純粋なる日本食など、ほぼ不可能。農は機械に頼るところが大きい。石油、肥料、種も輸入、飼料も外国頼み。自給は水のみか。
* どうやら世間は消費税率引き上げもやむなしとあきらめているらしい。そう遠くない未来、消費税は25%まで上がると聞いたことがある。インフレか消費税かどちらを選択するか、どちらにしても消費者の懐はなくなる。
* 原発関連、冷温停止で事故収束宣言。傍らで原発輸出の進行、自分の国で処理できない問題を他人に押し付けるらしい。矛盾だらけ、嘘だらけの原発施策。
* 震災、原発事故が不況に輪をかけた。復興などほど遠い目安である。
* 血気盛んな若者が、投げやりに日銭を稼ぐ姿は、日本の未来を暗示している。かりそめの豊かさは終わった。新興国が日本に取って代り、アメリカにとって何の魅力もない島国となった時、日本は滅びる。
* 原発事故から1年が経った。廃炉の工程は諦めているのか。海では放射性物質の食物連鎖が続ている。脱原発の動きはあるが、マスコミの扱いは小さくなるばかり。
* 82回目の春である。花見にはもってこいの日和。神田川までゆく。近くの駅は桜上水という。
* 北朝鮮が、またミサイル発射。ぼくは過去回帰型。北朝鮮を見ているとかっての大日本帝国軍の暴走、上下一致団結の大日本帝国国民の姿を思い出す。
* 大飯尹原発再稼働を、原子力規制員会というお上が確認したという。再稼働の必要性の根拠もよくわからない。安全性の確認は密室の一部専門家まかせ。
* スカイツリーが誕生。世界一の634メートルだが、もちろん上る勇気はない。高所恐怖症の上行列恐怖症なのだ。
* ぼくたちは、いつのまにか水道水を飲まなくなった。やはり井戸水の味が一番うまかった。水ビジネスとやらが盛んらしい。水田の激減で、水の循環もつれて悪化。
* オウム最後の逃亡者、高橋克実逮捕のニュース。心理的社会的にいろいろな理由はあるだろうが、つまりは無知な若者が集まってのこと。情報社会というが、社会は無知な若者を生み続けている。
* 大飯原発再稼働。この原発事故は、我国の為政者が、まれにみる愚鈍、無責任だから起きた。東電の体質、これを見過ごしてきた僕ら国民にも責任がある。体質が変わらなければ、また事故は起きる。
* オスプレイの配備について、お上は安保条約の延長線でこれを断ることはできないという。戦後67年を経て、日本がアメリカの植民地だと認めているようなもの。沖縄の基地も同じ。
* 8月は日本に原爆が落とされた月。原爆も原発も理論上は同じ核分裂物質である。原発反対の声は広まっている。原発問題を考えると人は思考停止に陥る。
* 東日本大震災を受けて、南海トラフ巨大地震の想定の見直しが行われ、被害予想が発表された。これまでに比べて十数倍の死者がでるという。本来の数値が出ただけの事。
* いじめによるこどもの自殺のニュースが絶えない。かっての少年は皇国史観を植え付けられ、食い物に飢えていた。今を生きる子供たち、少子化の教育偏差値でいじめられ、目的に飢えている。
* 34年前、全国のごみ処理施設、原発を訪ね、それを小説にした。「終末処分」の単行本がでた。
* 日本の斜陽化を右寄りの風で巻き返そうなんてとんでもない。不景気の風は右旋回になびき易い。戦争に突き進んだ時代の空気に似ている。いよいよ再度滅びの一里塚。強力な(ヒステリックに叫ぶ)リーダーを必要とする世の中は不幸だが、政治家不信の世もまた不幸である。
* 原発をきっぱりやめるにしろ、維持するにしろ、この使用済み核燃料の最終処分問題とは縁が切れないのだ。
* 糖尿病の愛猫が死んだ。生き物から教わることは多い。病気になれば無理をせず、ただじっとしている。断末魔のあがきもない。本来の死である。
* 新政権発足。安倍さんは日本を取り戻すそうな。いつの時代の日本を取り戻すおつもりなのか。高度経済成長がはかない夢であることはお判りだろうに。今の世の空気、大正末期から戦争までと、よく似ている。まさか、ここに逆戻りはあるまいに。
2013年
* 元旦、われに訪れる所なし、訪れる者もまたなし。老境の醍醐味。
* 安倍政権の経済政策が報じられている。景気のいい話をする奴は避けろ。子供の時、祖母に教わった。
* テレビが日本に生まれて60年たった。かって大宅壮一さんは、テレビの登場に、一億総白痴化が進むと言った。テレビのマンネリ化が言われて久しい。
* 2年前東電福島第1原発はメルトダウンを起し、放射性物質をまき散らした。固唾をのんで見守った原発事故。いつの間にか原発ありきに戻り、世間も政治家も考えることを、またやめた。
* 国会中継を見る。これは自虐的行為である。なぜなら自分たちが選んだ代表がバカなことを喋るのを苦痛に耐えながら眺めるからだ。
* 春一番が吹く。安倍首相はTPPへの参加を正式にっ表明した。廃業に追い込まれと反対するる農業関係者。日本の食料自給率は39%。
* 春の選抜高校野球の中継。福井の春江が初出場である。福井の春江は14歳のころ空襲で焼け出された神戸から逃げてたどり着いたところ。一緒に逃げた幼い妹が死んだ土地でもある。
* 日銀の政策発表。本来日銀とお上とは対等、通貨を仕切る役割は政府の政策に影響されてはいけないという趣旨で法に定められている。それが政府のお先棒担ぎと成り下がっている。
* 日本列島は地の底の動きが活発だ。地のプレートはいわゆる板バネで、押されて弾ければ地震だ。この列島は天災よりも人災によって滅びる確率が高い。
* 4月閣僚による靖国神社参拝がなされ、続いて議員諸氏がぞろぞろ後を追った。中韓はこれに反発して抗議、外交問題となった。お国のために死ぬことが崇高な行為だとのたまうのは、未来の若者を戦地に赴かしめるための下ごしらえであろう。
* 安倍自民党は憲法改正が当たり前のように言う。憲法はお上の暴走を抑えるための仕組み。かって国民より国家を重んじ、日本国民は戦争に巻き込まれた。
* 橋下知事の暴言問題。戦争の反省が、戦争を知らない世代に何一つ伝わっていない。慰安婦問題はその奥に深い根が横たわっている。
* 共通番号制度なるものが国会で成立。お上が情報管理などできたためしがない。国民側の利便性などなく、お上の都合だけが先行する。実に危なっかしい制度だ。
* インフレ、株価のアベノ官製バブル崩壊が取りざたされる。復興予算流用問題、かたやアフリカ諸国や中東諸国にODA 大盤振る舞い。狂った経済政策で国民の財産苧の掠奪をはかるアベノミクス。
* 経済第1を掲げる安倍さんの本当の狙いは、参議院選挙後の安定自民党政権確立後あたりから、政治の反動化という本性が発揮される。
* 7月参議院選挙で自民党圧勝。それにしても野党のだらしなさはどうだ。自民がその気になれば何でもできる。日本終りが始まった。
* 福島第1原発の汚染水漏れ。オリンピック立候補の時安倍さんは、福島原発はアンダーーコントロールで心配ないとおっしゃったが、真っ赤なウソ。これほど平気な顔をして嘘がつける人は珍しい。倫理のかけらもない御仁である。数十年以上かかる事故対策(結局チェルブイリのような埋め殺し法になるか)、誰も責任を負わない仕組み。
* シリア情勢緊迫化。世界の警察国家アメリカのお出ましとなるが。オバマ大統領は少し慎重。イラクの時ブッシュは大量破壊兵器があると言って戦争になった。シリアには化学兵器があるという。だからと言って空爆で人を殺していいのか。安倍さんはすでに戦争狂で前のめり。
* 2020年東京オリンピックが決まる。大本営並みの報道体制、オリンピックはノーと言えば非国民扱い。東京は復興予算を流用し、さらにオリンピックインフラ特需に沸いているが、被災地はさらに置いてけぼりにされるだろう。
* JR東海がリニア新幹線計画を発表。東京―名古屋40分、弾丸列車のため地下深くを直線で走る。さてリニアが完成するまで生きていられないだろうが、こんなものを作る価値はあるのだろうか。
* 秘密保護法案。国の秘密をばらしたら罰則。日本は戦前に帰ろうとしている。多分この直感は正しいと思う。12月法案成立。審議など無いに等しい。国民は馬鹿にされている。もはや民主主義国家とは言えない。
* 与党の暴走、野党は無力。今のお上を選んだのも国民。危ないと自覚した時はすでに手遅れ。明かせない秘密だらけで言論抑圧が当たり前となる。世の中は再び戦前に戻ろうとしている。
2014年
* 名護市長選 辺野古移設反対の稲嶺氏が当選。これに対してお上は粛々と工事を進めると、民意を無視することを表明。沖縄に日本の矛盾がすべて集約されている。本土政府は沖縄を再び捨て石にしようとしている。
* 朝夕の限らず一日中天気予報が流れている、予報に加えて着るモノ、帰宅、交通までいちいち注意を促す。親切というか余計なお世話。
* 都知事選は自民党推薦の舛添氏が圧勝した。細川・小泉両元首相の脱原発は争点にならなかった。終始盛り上がりに欠ける選挙で投票率の低さは、東京都民の無関心さとマスコミの無視を表す。東京が無視されていいのだろうか。東京直下型地震は必ず来る。甚大な被害はまさに地獄絵。
* 東日本大震災から3年となる。日本列島は地震列島。巨大地震を想定せずに原発が設置され運転されてきた。東京はオリンピックのための再開発に浮かれ、観光立国をめざす。今や、何でもかんでもオリンピックが免罪符。
* 消費税が5%から8%にあがった。耐久消費財購入でお祭り騒ぎ。4月以降の反動で経済の落ち込みが予想される。増税分は社会保障に当てるというお上の言い分を信用できないことはうすうす世間は感じている。
* 集団的自衛行使容認の憲法解釈をめぐる議論。与野党協議や国民的議論など全く無視。積極的平和主義とは、平和を守るために戦争をするという、古代以来の政治手法の踏襲。安倍さんおやることは日本の将来に禍根を残す。
* 生活保護の受給者、過去最多の記事。大家族で貧乏だった戦中、戦後の生活と較べて、今の生活の方がいいと言い切れるか。
* 東京都議会で「女性議員の発言に対して「早く結婚しろ」と品のない野次発言。女性が子供を産みたくない、育てる自信もないと思うのもやむを得ない。女性たちに、力で産ませることはいかなる国家権力でも不可能。
* 沖縄の追悼式安倍首相参列。沖縄地上戦の20万の犠牲の上に日本の今がある。かって沖縄は本土防衛のために捨て石にされ、そしてアメリカに奪われた。今日に至るまで基地という負担を強いられ、犠牲はかわらない。
* 7月集団的自衛権行使容認の閣議決定。密室で憲法を踏みにじる行為。歴史に残る暴挙。それも選んだ国民の責任か。
* 8月家族の手を煩わせ沖縄に訪問する。戦後69年を経ていまだにこの地を捨て石にしている。日本がアメリカの下請けとして戦争に向かうとき、沖縄は間違いなく戦地となり犠牲となる。
* 福島県は、放射性廃棄物中間貯蔵施設の受け入れを公表。福島の沖縄化が始まる。
* スコットランドの独立是非を問う住民投票が行われた。結果は残留となった。日本で独立にふさわしいところは、北海道と沖縄であろう。基地は本土にお引き取り願う。沖縄が本土を捨てる番は夢では済まされない。
* 10月10日はぼくの誕生日、齢84歳になった。爺だからこそ意地と爺の境地がある。谷崎潤一郎は老いてなおエロ小説を書いていた。当方はひたすら酒ばかり飲んで、色方面とは無縁。
* 衆議院解散の報道。アベノミクスがとっくに破綻している。円安は国を売る行為、まともな政治家のやることではない。官製株高(厚生年金など投資運用)でめくらまし、実経済には何の関係もない。
* 沖縄では自民党の衆議院候補全滅(比例区で復活)、知事も翁長当選し県民は本土による米軍基地押しつけに、はっきりNOを突きつけた。
* 「朝日新聞2015年8月2日、9日、16日」にに載ったエッセイ「思い出す本 忘れない本」: 戦後70年について本に絡めた話3題。野坂昭如著「1945・夏・神戸」(国書刊行会) 1945年・夏・神戸 すべてが死んだ。僕の家族もみんな死んだ。井上ひさし著「少年口伝隊1945」(講談社) 家族を原爆で失った3人の少年の過酷な運命を描いた。野坂昭如著「戦争童話集」(中公文庫) すべて8月15日のこと
2015年
* 20年前、阪神淡路大震災によって神戸の町は再び(はじめは空襲で)無くなった。そして震災後この町は再び変貌を遂げた。僕の知る神戸はもうない。
* 暴走を続ける安倍首相の中東歴訪は危ない。イスラム国なる集団によるテロ行為に対して安倍首相は罪を償わせると報復の姿勢を示した。これは宣戦布告と同じ。日本人ジャーナリスト殺害を受けて、対岸の火事ではなくなった。
* 日本は戦後70年アメリカに従属国の扱いを受け乍らも、とにかく戦争をしてこなかった。安倍首相の本心を疑い、矛盾を追求したほほうがいい。安倍首相の空想は戦前の愚鈍なリーダーそっくり。
* 農協改革が取りざたされるが、日本農業は官僚によって、お上によって、繊維産業とおなじく取引材料に過ぎなかった。食料自給率39%にしたのは誰?
* 自衛隊海外派遣を小泉内閣以来の特別措置法を恒久法にするという。安倍政権の暴走、これをとどめる政党はいない。マスコミを膝下に従えて戦争加担に向けて安倍の妄想物語が続く。戦争への下準備が進む。
* 大戦後70年の節目に、レイテ沖海戦で撃沈された戦艦武蔵が発見されたという。起してはいけない。たくさんの魂とともにある戦艦、そのままでいい。
* 「21世紀の資本」なる経済書が売れている。敗戦後マルクスの「資本論」ブームが起きた。あの時きちんと資本論を読んでおけばよかった。資本とは何か、読者も人間の営みに対する視点が大事。
* 安倍首相、国会答弁で自衛隊について「わが軍」と発言、つい本音が出る。沖縄県民の痛みを無視しお上の辺野古移転工事が続けられる。大規模の辺野古移転反対デモなのに、マスコミの扱いはわずか。
* 陛下、パラオご訪問のニュースを見る。第1次世界大戦後約30年間日本統治のもとにあり、太平洋戦争で激戦地となった。
* 個人情報保護法改正案、今後お上による管理強化、権力増大。いたるところで監視カメラに監視され、テロリストと同様にモニターされる。
* 世界最大の武器展示会が日本で開催されている。武器輸出3原則をないがしろにして、武器輸出を重要成長産業にしたい安倍政権の希望で開かれた。集団的自衛権容認と歩を一にしている。
* 安保法制の「審議」が曖昧模糊の中で行われている、丘には最初から丁寧な説明をするつもりはない。矛盾だらけでできるわけもない。まるで愚暗な独裁国のごとし。
* 自民党の勉強会で、沖縄の二つの新聞社を取り上げ、「潰さなければ」という発言。沖縄にとって切実な問題を新権威取り扱う2紙。特高まがいの言論弾圧むき出しの発言がまかり通る永田町。いまわしい戦前の記憶がよみがえる。
* 東京オリンピックに備えて建設予定の新国立競技場建設費2500億円とか。景気刺激のためと家無駄使いが多すぎる。千兆円を超す借金大国日本。正気の沙汰でhないらしい。
* アメリカの国家安全保障局に、日本政府の電話が盗聴されていたという。強く抗議しても当然ななのに反応が鈍い。アメリカに要請され安倍が約束してきた安保法案が衆議院を通過。日本は法治国家とは言えない。対米従属独裁国家かもしれない。
* ぼくには「戦争童話集」という作品がある。「忘れてはいけない物語」を完成させた。日本人はいつの間にかあの戦争を無かったことにしてしまった。気が付いた時にはすでに戦争が始まっている。
* 蝉しぐれ、鹿児島川内原発再稼働。未来に禍根を残す。
* 浮世の果てに塩むすび。飽食に慣れた現代人も、何よりうまくてありがたいものは、握り飯だと判るだろう。
* 安保関連法案成立。お上も世間も酩酊状態。
* マイナンバー制導入。国家によって国民は丸裸にsれ、一元管理、再び監視社会の始まり。これと特定秘密保護法は一体になって警察国家に逆戻り。
* 10月10日はぼくの85歳の誕生日。夏の終わりに誤嚥性肺炎にかかり一時は危なかったそうだ。車いすが足の生活。いま年寄りは病院で死ぬのが一般的となり、これが社会の仕組みの変化。「死水を取る」は死語らしい。
* 12月8日真珠湾攻撃で太平洋戦争に突入。この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう。(12月9日夜急逝される)


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