岩波書店は、出隆監修・山本光雄編集「アリストテレス全集」全17巻(1968-73年)と、田中美知太郎・藤澤令夫編集「プラトン全集」を刊行してきた。この岩波新書「アリストテレスー自然学、政治学」の著者山本光雄氏(1905-1981年)はアリストテレス全集の翻訳・編集者であった。アリストテレス全集が刊行されて10年後、新書スタイルで「アリストテレス」を書くに至ったそうである。むろん岩波新書は一般向けの啓蒙書である。これから新しくアリストテレスを学ぼうとする私にとって、深い森に分け入る前にアリストテレスの概要を知っておくことは有益なことだと感じられて、この結構古い1977年発行の岩波新書「アリストテレス」を読むことにした。山本氏はアリストテレス理解には、自然学とりわけ動物関係著作から入るとアリストテレス固有の思想が具体的実例で示されているの、初心者には好都合だといわれる。自然学が取り扱う対象は、変化し生成消滅する世界、すなわち運動の世界で「そうあるよりほかの仕方ではありえない存在」という意味では必然の世界である。しかしこれに対して「そうあるより他の仕方でもあり得る存在」という意味で自由な世界を対象にする政治学(倫理学)に進む。そして人は動物であると同時に神にちかい精神(理性)の世界に住むので、論理学と神学(形而上学)に進むべきであるとする。しかし著者は執筆途中で病に倒れられ、本書の著述内容は、自然学と政治学に限られ、形而上学はお預けとなった。さて自然学と政治学に入る前に、アリストテレスの生涯と著作集について概観しておこう。アリストテレスは紀元前384年にマケドニア領に近いスタゲイロス(スタギラ)で生まれた。イオニア系ギリシャ人によって植民された植民都市であ、父はニコマコスといい医師であった。彼の生まれた頃スタゲイロスはマケドニアの支配下にあって、父はマケドニア王アミュンタス三世の侍医で友人であったという。アリストテレスの幼少の頃両親は死んで、親戚プロクセノスの後見で養育された。紀元前367年頃、アリストテレスは17,8歳でプラトンが主催するる「ギリシャの学校」に入学した。当時プラトンはシケリア島のシュラクサイに旅行中で、エウドクソスが学頭代理を務めていた。そしてプラトンに私淑することになり、その付き合いは20年におよび師プラトンの死去まで続いたという。しかしプラトンのアカデミアでのアリストテレスの学習時代のことは何も伝わっていない。アリストテレスがプラトンのイデア論を批判するのに際しても、「親しい人の説を学問の為に壊すのは心苦しいが、真理のための方が大切なのだから」と師に対する尊敬の念を表明している。キケロによると、アリストテレスはイソクラテスの弁論を打ち破るために学問と弁論に磨きをかけ、それがマケドニア君主ピリッポスの目に留まり、皇子アレクサンダーの教師として招聘されたという。プラトンの死後アリストテレスは同門のクセノクラテスとともにアッソスに旅行をし、その地の君主ヘルミアスの歓迎を受け教師として3年間活動した。40歳に近い年齢であったアリストテレスはヘルミアスの姪と結婚したが、すぐに妻は亡くなり別の女性と結婚し息子を設けた。息子の名を祖父にちなんでニコマコスと名付け、この息子が「ニコマウス倫理学」を編集したといわれる。紀元前343年マケドニア王ピリッポスは当時13歳の皇太子、後のアレクサンダー大王の師として招聘され、マケドニアの首都ペッルラに移った。アレクサンドロスの即位(紀元前337年)後、教師としての役割を終え、翌年アリストテレスはアテナイに戻った。しかしプラトンの創始になるアカデミアにはもどらず、リュケイオンという自分の学校を創設した。この学校の特色は散歩しながら議論をするところからペリパトス(逍遥学派)と呼ばれた。当時アテナイを支配していたマケドニア朝総督アンティパトロスの庇護を得た。紀元前323年東方遠征中のアレクサンダー大王があっけなく病死するまでの12年間は、アリストテレスおよびアレクサンダー大王にとって黄金の12年間と言われる。それほど両者の活動が充実していた時期であった。アレクサンダーの死後、反アレクサンドロス派によってアリストテレスは涜神のかどで告訴された。学校をテオプラトスに任せてアリストテレスはカルキスに亡命した。母方の邸宅に身を寄せたが、ほどなく胃病で亡くなった。時に62歳であった。
現在の[アリストテレス全集(英語版)」は、ロドス島出身の学者であり逍遥学派(ペリパトス派)の第11代学頭でもあったアンドロニコスが紀元前1世紀にローマで編纂した遺稿が原型となっている。ただし、プラトンの場合と同じく、この中にも(逍遙学派(ペリパトス派)の後輩達の作や、後世の創作といった)アリストテレスの手によらない偽書がいくつか混ざっている。現在は、1831年に出版された、ドイツの文献学者イマヌエル・ベッカー(英語版)校訂、プロイセン王立アカデミー刊行による「アリストテレス全集」、通称「ベッカー版」が、標準的な底本となっている。下の表はアリストテレスの著作(ベッカー版)による。出隆監修・山本光雄編集「アリストテレス全集」全17巻もおおむねこの表による。この著作集の題名を見るウだけでも、アリストテレスが万学の祖と言われる由縁が分かる。アリストテレス自筆原稿だけでなく、講義用ノートからなるものも多く、「ニコマコス倫理学」は息子ニコマコスによる父の原稿を編纂したしたもの、「エウデモス倫理学」は弟子エウデモスが編集したものと言われる。アリストテレスの主著と言われる、「形而上学」、「自然学」、「霊魂論」、「ニコマコス倫理学」、「政治学」、「分析論前書」、「分析論後書」、「動物誌」他動物関係著作集、「弁論術」、「詩学」はだいたい真作と認められている。
分野 | 論理学 | 自然学 | 形而上学 | 倫理学 | 政治学 | その他 |
著作 | オルガノン 範疇論 命題論 分析論前書 分析論後書 トピカ 詭弁論駁論 | 自然学 天体論 生成消滅論 気象論 霊魂論 自然学小論集 動物誌 動物部分論 動物運動論 動物進行論 動物発生論 | 形而上学 | ニコマコス倫理学 大道徳学 エウデモス倫理学 | 政治学 アテナイ人の国制 経済学 | 弁論術 詩学 小品集 問題集 断片集 |
自然学の研究法: 最初にアリストテレスの自然観をみよう。自然学とは「自然によって存在するもの、すなわち自然的諸事物を対象とする学問」とされ、アリストテレスの「自然」の定義は「事物の自然とは第1義的に自体的に、付帯的ではなく、事物の中に存して、事物が運動、静止することの原理であり原因である」とする。人の身体と医術の関係で、身体は自体的な原因で健康であって、それを助ける医術は付帯的であるという。自体的に運動し静止する原因とは、天体が運動し続ける力とか、例えば物が下に向く力は今日では重力がその原因であるというニュートン力学によるものであるが、まさに物理学のことを言っているようだ。アリストテレスは自然によって存在する諸事物の全体も「自然」と呼んでいる。全体に共通な自然と個別的な自然は合目的的な働き方をする。その目指すところは善であり、良い調和であるとなる。自然的存在の目的という考察から、哲学(形而上学)となり神という絶対的合目的的存在を想定することになる。ただ自然に存在するだけでなく、存在する理由を問うことは理性を持つ人間を特徴づける特性となる。この神と自然の関係については「形而上学」になるが、本書では著者の病のために執筆されなかった。アリストテレスは「自然に存在する諸事物は何一つとして無秩序なものはない。なぜなら自然は諸事物の秩序の原因であるから」という疑義を受け付けない問答無用の判断をしている。アリストテレスの自然学の出発点は「動物誌」であり、動物観察がその哲学の基礎となって、動物形態論と生態論から「神と自然は何も徒には作らない」として、その目的とは美の領域に属する。このさまざまな何万種とある動物界の個別の動物はそれぞれが神の無駄なく作り賜うた作品であるという観点である。アリストテレスの著作集を上の表に示したが、自然学はかなりの部分を占め、特に動物関連諸著作において使用される研究法が彼の哲学体系の基礎をなすと考えられる。アリストテレスは自然の諸事物がある事実を「その事物は何かある目的のために存在する」という見方を取る。自然研究の出発点は「感覚によって明らかなもの」である。我々にとって可知的であり明晰なものから出発して、自然においてより可知的で明晰な物事に進む。目的論的な見方の方が感覚に明白な経験的事実にも一致するという立場を確立した。ここからアリストテレスの煩雑なまでの分類、項目別けという止むところなき性格が発揮される。考察漏れがないかどうか神経質なくらい細心に考え方を細分化してゆくのである。自然的諸物が生成して存在するに至る原因として、アリストテレスは次の4つを挙げる。@質料因(事物固有の性質)、A形相因(物の本質)、B起動因(因果関係)、C目的因(善)というが、我々が普通言うところの原因とは「起動因」のみである。目的因は動物の進化で必ず出てくる論であるが、たいていは獲得形質は遺伝しないことから否定されている。キリンは高いところの葉を食べるために首が長くなったとは言わないのである。首が長いため高いところの葉を食べられるというのが現在の言い方である。アリストテレスは網羅的に4つの原因を述べたまでで、その相互関係、順序などは述べていない。アリストテレスの自然学は主として形相因と資料因を中心に展開する。というのは形相因と目的因・起動因の3つはよく一致するものだからだ。人間の定義「人間は理性的動物である」は、人間の本質を著すものであるが、理性は形相、動物は資料であり「類」は思惟的質料と言われる。物質は感覚的質料である。形相と質料はつねに相関的であり、ともにある事物の構成的要素と呼ばれうる。アリストテレスは目的論的見方のため形相因は質料因に優先する。すなわち人間の本質(形相因)があるために、それらの部分(質料因)があると考えるからだ。自然学は論証の学として、ある事物の本質(目的)の実現のために、それらの属性がその事物に存在しなければならないという必然性を証明することである。条件的必然性とか前提的必然性とか呼ばれる。
自然学の基礎概念: 自然的事物は自らの内に運動と静止の原理という自然を持つということから、まず運動という概念から入ろう。運動をかなり広くとらえて、@移動、A性質の変化、B量の変化、C生成・消滅を含む事物の転化とする。死して運動(転化)の定義を「可能なものとしての限りにおいて、可能なものの完全実態」という。@移動が第1、A性質の変化が第2、B量の変化が第3の順序で重要であるという。運動においては@運動するもの、A運動させるもの、B運動する時、C運動の始端から終端を考えなければならないという。文法でいう運動の語尾変化みたいな羅列である。5W1Hを考えろということで、実体、場所、性質、量はアリストテレスの「カテゴリー」に属する。移動には直進的運動と円環的運動の2つの型があるが、アリストテレスは無限の直進運動は考えられないので円環的運動(天体)の方が優先するという。円運動は終端という者がなく、無限、永遠、完全であるという如何にもギリシャ的思考を示している。アリストテレスは運動の場や時間というものを何を説明していない。個別物体の定義である「場所を占有する」を、「包むものの第1の不動の限界、これが場所である」という。あらゆる自然的諸事物のつつまれる場所は共通の場所と言われる。場所はそれは物体ではない。物体を離れては場所もない、だから空虚な場所も考えられない。原子論者らは物質の運動のために空虚な場所を主張したが、アリストテレスの空虚否定論はさらに抽象的空間論である。むしろ論理学の範疇になる。そして時間は運動ではないが、運動なしには時間は考えられないという。つまりカテゴリーとしての空間と時間である。今の相対性理論では光の運動が時間であるが、アリストテレスは「より先と後に関しての運動の数が時間であるから、だから時間は運動ではなく数を持つ限りでの運動である」と巧妙な定義をする。天体の運動の数は観察によって可知的である。もし霊魂(理性)以外には本性状数えることができなければ、霊魂が存在しない限り時間の存在は不可能であることになる。時間は天体の運動と同様、永遠であり、無限であり、終わることがない。アリストテレスは「気象論」の序文において、@「自然学」、A「天体論」、B「生成消滅論」、C「気象論」、D「霊魂論」、E「動物誌」と動物関連 と言った自然学の体系を示した。そしてそれは上の著作集の自然学著作の順序となって記されているとおりである。@「自然学」については上に述べたので、A「天体論」には、従来の四元素説に加えて、第5の元素(第一元素)としてのいわゆる「アイテール」(エーテル)と、それに支えられた宇宙の円運動、「アイオーン」としての宇宙の唯一性・不滅性、地球が宇宙の中心で静止しているとする「天動説」等が述べられている。アリストテレスはアイテールを第1の元素と呼んだが。これは物体なのか、空間なのか、天体神というイデアなのかよくわからない。エムペドクレスは土、水、空気、火を4元素として挙げたが、元素が相互に転換しうるためには、さらに共通な第1質料を想定した。今でいう素粒子論の豊饒さと統一理論の関係にあるようだ。地球は下から上に土、水、空気、火という階層からなり、その上の天空には天球がアイテールの中にあるという階層構造を考案した。日食、月食から地球は球形で有限でそれほど大きくはないと考えた。「気象論」は地球の地上・大気圏における気象現象について述べたもののsw、星座、雲、雨、雷、風、地震などの項目からなる。天文学から地質鉱物学まで含む分野である。これらをアリストテレスは「蒸発物」(乾いた、湿ったの2原理)という火(熱)を質料因とし、太陽を起動因とする気象現象を述べた。
動物と霊魂(人): 身体の部分には器官的部分と感覚的部分があり、器官的部分(目、鼻、口、指・・)を構成するのは異質部分である。異質部分はそれぞれが成すべき仕事(形相)を持つ。ここでアリストテレスは見てきたようなウソを言う。生命の発生に順序があり、まず心臓、そして脳髄、順次器官が発生するという。これはアリストテレスが心臓を生命の中枢と見たためで、脳髄は心臓の熱の冷却器官だという。時代の制約は誰しもある事なので、こんなことにこだわっていてはアリストテレスの本質に迫ることはできないので先に進もう。これらの同質部分(血液など)と異質部分(器官)から身体は構成され、さらに形相(本質)が必要である。この形相が霊魂である。従って身体は霊魂のための存在し、霊魂のために身体は仕事をするのだという。ここに霊魂とは、精神、理性、意志、心理のことで自然科学の対象である。アリストテレスは霊魂を「可能的に生命を持つ自然的物体の第1の現実態である」と定義した。霊魂は身体の現実態、身体は霊魂の可能態である。だから身体と霊魂は互いに離れて存在することはできない。離れた場合身体は屍と呼ばれる。霊魂は生物の生命である。生命の中枢は心臓である。当時の解剖学も神経系統の存在を知らなかった。かれは脳を感覚神経の集まる中枢とする説を知っていたが、生命の座としての心臓は同時に感覚の座であるという考えに固執した。感覚器官は対象のの運動、静止、数、大きさ、時間を認識し(共通感覚)、これ等によって欺かれることはないと考え、感覚は対象が持つ形相(本質)を、それぞれの質料を抜きにして受け入れるとアリストテレスは考えた。アリストテレスは感覚能力に判別能力をもつとして、共通感覚は知識獲得の第1歩をなすと考えた。自然的諸事物が現れ、見えてくるところの能力(表象)は感覚やその能力とは違う。すなわち特殊感覚や知識による認知は常に真であるが、表象によるものは真でも偽でもありうる。これは認識論において共通感覚に誤りが多いとされる根拠である。それは表象に基づくからである。従って彼は「表象像は共通感覚の一様態である」という。記憶も想起も夢もすべて表象能力、すなわち感覚能力の働きである。かれは表象を感覚的表象と熟慮的表象に分け、動物は前者を、人間だけが後者をもつという。この能力はンン減の霊魂の能力であり、感覚像が表象像を作り、表象像は思惟能力を作るのである。そして思惟することは表象像なしには不可能である。図形(表象像)なしに幾何学(思惟能力)は不可能である。「何物をも感覚しないで、何物も学ぶことはできないし、理解することもない」という。その可能態においてある思惟対象を現実態にするのが理性である。理性は起動因であり、能動理性なくしては思惟することもない。能動理性だけが身体から独立して不死、永遠のものとされた。かれは「理性とは実体であって、我々の内に生じてきて、そして滅しないもの」と考えた。プラトンのイデアに近い思想である。そして人間のみが神的な理性をもつ。又行動するにはまた欲求意志が必要である。欲求と行動に関わる理性(実践理性)の2つが、変化(運動)の起動因である。欲求能力を無理的部分と有理的部分に分けると、前者は欲望として現れ、後者は意欲として現れる。アリストテレスは「動物誌」において約550種の動物を扱い分類している。分類学上の問題はさておき、無生物から動物への移り変わりを考察し、自然的諸事物は少しづつの差異によって段階をなしているという考えを持った。その頂点に人間(神と言ってもいい)を置くと、人間のために自然はすべてのものを作った」といえるし、生物はそれぞれが自身のために作られ、それ自身を完成することが目的であるといえる。その目的とは生殖である。今日的な意味でいえば、生殖によって遺伝的多様性が生まれ、進化が成し遂げられるということである。
第2部 政治学倫理学: アリストテレスは倫理学は政治学の一部をなすとしている。ここに倫理学(エーティカ)というのは「性格に関すること」という意味でつかわれる。「大倫理学」において、「善良な性質の者という意味であるが、そうでないと行為することができないからである。性格に関する研究は政治学の一部分であり、かつ出発点である。」という。政治学(ポリティケー)とは「ポリスに関する学問」であり、ギリシャでは都市国家のことである。アリストテレスは「ニコマコス倫理学」で、倫理学を一部とする政治学を「人間に関することの哲学」と呼んだ。ポリスはギリシャ特有の政治形態で、ヨーロッパ大陸やアジアでは見られない。完全で自足的な生活のためにか家族や氏族が善き生活において共同するとき、はじめてポリスが存在する。ポリスの目的は善き生活にある。政治は国民の徳を高める教育団体という性格を持つ。従ってポリス学(政治学)の一部としてのアリストテレスの「倫理学」は国民の徳論を重要な課題としてもつことになる。「エウデモス倫理学」や「ニコマコス倫理学」の序論部分で人間の幸福に関する諸問題(倫理学)の方法論を述べています。自然学と違って正確性厳密性を求めることはできない。蓋然的な?ん帝から推論される物であるから、その帰結も蓋然的である。行為は人間に固有の能力であり、それは違った風であり得る運動の原因である。人間の行為は自由である、その結果も様々な蓋然性を持つのである。幸福の問題も「議論を通じて確信を求めなければならない」とする。「政治学の目的は知識ではなく、行為である」という。こうして幸福とは何か、そして幸福をどうして手に入れるか、それらが倫理・政治学の中心課題である。幸福とは「快楽」か、「栄誉」か、「徳」か「真理の観照」かという価値感の違いが出てくる。アリストテレスは「幸福とは完全なる徳に即した生の現実活動である」と定義する。では徳とは「人間の徳アレテ−は、人間が善い者となり、自分自身の仕事を善くするようになる状態である」と定義する。性格的徳以上のものを含んでいる。性格的徳とは、寛厚、節制などであるが、人間は理性ある動物であることからくる思惟的徳とは、知恵、ものわかり、思慮などを含む。性格エートスとは現実に発現する感情の可能態における性質である。だから性格は習慣から発生する。「性格的徳は選択に関わるもので、思慮ある人の理性的思考によって規定される」といい「選択は中を求める」と言って中庸の徳を説いています。「エウデモス倫理学」においてアリストテレスは性格の詳細な観察表を作りました。彼の人間観察の広さ、豊かさを示していて興味深い。性格の程度の超過、不足から、正解は中庸にありというわけです。正義と親愛は政治生活の重要な意義を持っている。アリストテレスは正しいこととは「遵法的、「均等」という意味を持つと結論しました。この意味で正義は徳と一致します。他人との関係で「正義」と言われ、自分自身に即して「徳」と言われるのです。正義を「全体的正義」と呼ぶこともあります。個別の徳としての正義は「特殊的正義」と呼び、「配分の正義(均等)」と「整正の正義(不正な利得を排除)」、「交換の正義」(貨幣、労働、富の分配)が要求されます。法は状況によって変化するのが当然であるが、法を用いる人が適宜に補正が必要になる、これも正義である。とかくアリストテレスはカテゴリーの分類、区別が好きな人である。事細かな細分化を行う。その思考法は分析的である。思惟的徳は選択に関わる状態であり、選択は熟慮を経たうえでなされる行為である。この思慮と真実認識の熟慮は行為にかかわる。一般的に熟慮する者とは、実行しうるものの内で人間にとって最も善いものを計算して的中させる者である。こうして性格的徳と思慮的徳は人間の徳として統一体を成す。徳についての考察を終えて、次に幸福の一つの価値である「快楽」を政治学を哲学する者の重要な課題とします。快楽とは衣食住が充実して生活に苦痛がない状態であるが、「快楽とはものの本性に一致した状態が妨げられない現実活動である」と定義します。これに対して智恵に即した活動とは、哲学的生活、感想的生活も理性的動物と言われる人間の本性に一致した最高の活動である。最後に親愛は性格的徳であると同時に人間の生活、特に国民としての生活になくてはならないものである。親愛はすべての人間共同体の原理であり絆である。したがって正義と親愛は同じであると言える。
国制: アリストテレスにとって、人間の幸福とは徳、とりわけ最高の徳としての知恵に即した現実活動であった。限られた優れた人、恵まれた環境と習慣・教育をすべての人が享受できるには、強制力を備えて彼らの生活を規制する法がなくてはならない。このような法律を定め、それを実施することができるのは、人間共同体の最高のものとしての国である。「ニコマコス倫理学」の最期に「法律」を設け、政治学に橋渡しをしている。倫理学は人間学として人間の幸福を実施する仕方も考えなければならない。アリストテレスの国に対する考え方は今日の考えとはかなり違る。ソフィストやロックの人間契約説ではなく、生まれつき能力が各段の差がある人間本性に基づいて国が成立するという。奴隷関係や主従関係は当然という、それが自然であるという認識である。ポリスは人間生活の必要性からうまれたとしても、国の存在の目的は単に生存することではなく善く生活することである。この目的は国の本質であり、このような国を理想国という。従って最善の国制(憲法、政体)を持った国とはどんな国であろうかという考察は「政治学」では未完で終わった。理想国アリストクラシーでは国民は有徳な者でなくてはならない。国制も法律も制定されなければならないし、国民は有徳となるように養育され教育する必要がある。またアリストテレスの理想国の政府側の構成や任務など重要な問題に考察は行われていない。おそらくプラトンに「法律」におけるものに近かったと想定される。彼が理想とした君主制は、万人に傑出した一人の完璧な徳を備えた人物の出現は理論的にありえないことから、理想国として挙げられていない。国は国民権(市民権)に与る国民が有徳であることが前提である。それは生まれつき(素質)、慣習(しつけ)、理による教育に拠らなければならない。子供の養育に関して詳細な法律が定められる。結婚適齢(男子37歳、女子18歳)などアリストテレスは7歳以上21歳までの教育について立法した。その詳細は省く。「政治学」では国制の種類と批判が述べられる。国を構成する人々は異なり、生活や歴史風土も異なりので多くの国制が生まれてくるのは当然であるとして、「国制とは国の諸々の役と権力を秩序付けるものである。国の志向の権力を有する者は国民団であるが、これにより国制も異なる。民主制では人民大衆であるが、寡頭制では一部の人間である」という。アリストテレスの国民の定義とは「国民とは裁判官と国民会員に与る権利を持つ者」である。プラトンに倣って、国民共通の利益を目指す正しい国制として@君主制、A貴族政、B多数の理想国制、支配者の利益だけを目指す間違った国制としてC僭主制、D寡頭制、E民主制だという。今日の考えとはずいぶん異なった国制の理解である。その利害得失を論じて、よりましな政体として、正しい国制のなかでB多数の理想国制と、間違った国制の中でE民主制を取り出して考察している。B多数の理想国制とは一つの徳(たとえば戦争に適した人々)に秀でた人々が国民権を持つ国制である。一定以上の財産のある多数の人が参加できる国制で、最大多数の幸福を判断基準とすると最善の形であるとアリストテレスは推奨する。実際は中間層が希薄である場合が多く、国制はスパルタとアテネのように寡頭制と民主制との適度な混合になる中間的な国制である。アリストテレスの民衆とは貧乏で愚民のニューアンスが強い。ポリス的人間とは一定の財産を持ち公的な役に無償で応じることができる人間である。お金目当てで腐敗する者は政治に参画してはならないというようだ。すると今の政治はまさに貨幣経済至上主義をとっているので、金で動いているから腐敗する必然性を持つことになる。つまり志が低いということである。アリストテレスのいう民主制はさまざまな形をとるが、貧者も冨者も平等、財産の多寡で役が決まる、一定の家で長男が正当性を引き継ぐ、出生を問わない、民会の議決された政令が定めるといった政体がある。民主制の特徴は自由を根拠にして国民権を定めるのである。民主制は人の値打ち(能力)ではなく、人の数に応じて等しいものを持つことである。(数がすべてという普通選挙法による) 民主制における行政関係部門、裁判関係部門、審議関係部門と言った三権の機構の大まかな特徴を挙げている。アリストテレスによると民主制は間違った国制であるがその内では一番ましな国制で、B多数の理想国制に次ぐ国制であるという。民主制の擁護論としては、一人一人として見れば大した人間でなくとも、寄り集まれば少数の優れた人間よりも優れているという論である。(三人寄れば文殊の知恵) 役人や裁判官罷免の権利を与えるのは、少数の専門家や権威者による判断よりも、それに与る大衆の判断の方が大事だという見解を取る。アリストテレスは「政治学」で国制はどんな原因で変化するかを考察している。民主制の変質につて考えると、民衆の権利が等しいという間違った考えが、あらゆる国制変化の原因であるという。内なる民衆の平等な権利を主張する一方で、他者にたいしては不平等な取り扱いを当然とする。それが内乱の原因である。さらにアリストテレスは過去の民衆指導者が将軍であった場合民主制から僭主制へ移行しやすく、極端な民主制の場合、野心家の民衆煽動によって最悪な政体に変わるという。18世紀トクヴィルの「アメリカンデモクラシー」で言われた民主制が専制政体に取って代られる心配がそれである。アリストテスは158国の歴史の資料を集めて、政体の変化や滅亡の原因を探究したが、民主制の保全策として、@国制の存続を望む人を多数派とする、A中庸を尊重する、B国制保全の教育を国民に施すことを挙げている。
弁論術: ソクラテス・プラトンはソフィストの弁論術を激しく攻撃して「何も知らないものが弁論の術をたくましくしても無意味である」と言いましたが、アリストテレスは学問の術として評価しています。弁論術はギリシャ人の自由な弁論を愛好する素質にマッチし、民主主義の発展に応じて発達した経緯があります。裁判、民会で自己の主張を、大衆に納得させることは政治の術として有効な手段となり、「修辞学」とも呼ばれています。弁論のそれぞれの類には別の言語表現が必要であり、文字的言語表現と討論的言語表現は異なり、裁判的表現と民会的表現は同一ではない。弁論術には討論的に適した表現に加えて演技的なものも付け加わる。アリストテレスは弁論術を定義して「弁論術とはそれぞれに対象に関して可能な説得の手段を観察する能力である」という。用途に応じて説得の手法は異なるのである。弁論による説得の手段は立証である。弁論には問題・事件の提起と、証明・立証の2つの部分からなる。弁論によって弁論者が信頼に足る人物であると聴衆に思われることが必要で、聴衆を一時的にもある感情の内に誘導しなければならない。そして証明することによって得られる立証である。三段論法がその最たる手段であろう。しかし弁論家としては専門的知識で述べるわけではなく、人々に共通の言葉で、共通な常識を心得ていればいい。弁論家は専門家である必要性はない。弁論術で使用される論理的証明には、論理学の帰納と推論に相当する、有利な例とそこから結論導き出す弁論術的推論である。弁論術的推論とは多くの場合前提は「たいていの場合そうである」式の蓋然的前提である。格言、例、比較、寓話などの手法が用いられる。言葉巧みに小道具を引き出しから持ち出して、例というものから結論を引き出すのである。弁論要素は@語り手、A語られる対象、B語りかける相手(大衆)の3つからなる。法廷的弁論では正と不正、民会的弁論では利益と損害、演技的弁論では美と醜が語られ、聴衆がそれを真理と思い込ませることである。例えば正と不正に付いt語るとき、それぞれの特殊な命題トポスを心得ておかなければならない。いわゆるTPO的な命題でアリストテレスは「共通なトポス」として4つを、エンテュ−メ―マーのトポスを28、ただそう見えるだけのトポスを9つ類別してあげている。アリストテレスらしい徹底したカテゴリー癖である。弁論者は信用にたると信じ込ませるには、証明以外に思慮と徳と好意の3つがある。聴衆が最終的に判定するわけであるが、その判定は聴衆が陥り易い感情によって左右される。弁論者は聴衆の怒り、恐れ、情け、義憤、妬みなどの感情をコントロールしなければならない。聴衆の性格を心得てその心に火をつけなければならない。