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文藝散歩 

プラトン著 藤沢令夫訳 「プロタゴラスーソフィストたち」
岩波文庫 1988年9月

ソフィストの長老プロタゴラスと議論を重ねる、ソクラテスの徳=知の問題

本篇は岩波文庫本で165頁の比較的短編である。前半の半分ほどがプロタゴラスとの対話で「徳は教えうるものかどうか」という議論が中心である。ソクラテスは「ソフィストは徳を教えることが商売であるが、徳は天性の資質・能力であるとするならば、後から教えられるものではない」という立場であるが、議論が進むにつれ、徳は知であるとするならば結局は教えられることになるというソクラテス自体がジレンマに陥るというのが本書の最期の結幕となる。本篇の特徴は、他の対話篇ではソフィストを悪とした勧善懲悪物語で終始するものであるが、本篇だけは仲良く痛み分けで終わることである。これは舞台設定がプロタゴラスが長老で、ソクラテスがまだ若かったので敬意を表したのだろう。またはプロタゴラスがソクラテス式問答法で追い込まれるのを拒否したために、途中で一問一答式のソクラテス式問答法を取り下げ、ソフィスト式大演説法を折衷して議論が自分の主張を述べ合う形式なったからであろう。「プロタゴラス」の構成の流れは、次のようになった。
@先ほど述べたように前半がソクラテスとプロタゴラスとの対話で、いわゆるソクラテス式問答法でプロタゴラスの「徳は教えられる」という命題の矛盾を導きだし相手を混乱させる論法である。ここの論法を嫌ったプロタゴラスは論戦を拒否し討論は中断する。
Aすると討論観戦者らが二人をとりなし、いろいろな仲裁策が提案され討論継続を希望するのである。そこでプロタゴラスも、一問一答式のイエスかノーの問答形式を避け、相互に質問しあうという形式で討論再開に同意した。
B後半は、プロタゴラスはシモニデスの詩から徳の問題を論じることにした。それに対しソクラテスはシモニデスの詩の解釈を展開するのであるが、「優れた人になる事こそ難しい」の吟味で歎異抄の「悪人なをもて往生を遂ぐ、いわんや善人をや」に似たような解釈問答を行う。ここで二人はソフィスト式大演説を述べるのであるが、ソクラテスは詩は根拠のないおしゃべりに過ぎないと言って、詩の吟味を拒否した。自分の持っているものだけで討論しようと提案して、ふたたび徳の問題に戻ることになった。
C5つの徳(知恵、節制、正義、敬虔、勇気)の内から、勇気を取り上げ知の裏付けのない勇気は蛮勇にすぎない、知こそ徳であるとソクラテスは主張する。快=善、苦=悪といった言葉の単純化(抽象化)を図った。この過程で言葉の持つ意味が切り捨てられ、別の意味に転換しうるので議論が錯綜し、別々のイメージで捉えることを整理するため論理学(形而上学)が成立する。そうして「徳は全体として知識だ、だから教えられる」とするプロタゴラスの考えとソクラテスの考えが並立することなる。めでたしめでたしで終わる。

登場人物を記す。
ソクラテス: 省略
ヒッポクラテス: アテナイの青年、アポロドロスの息子でパソンの弟。家は大富豪といわれ、「国家有数の人物となる」ためにアテナイにやってきたプロタゴラスの教えを受ける為、ソクラテスを誘ってカリアスの家に行こうとする。「プロタゴラス」の冒頭に登場するだけ。
プロタゴラス: トラキアの都市アブデラの出身。ソフィストの最長老の名士。人生70年の内の40年間をソフィストとして活躍し、その名声は没後も消えなかった。プロタゴラスの年代はソクラテスより20歳前後は年長で、生没年は前494年ー424年だろうとされる。彼の足跡は広く地中海に及んだ。本篇は彼の第2回目のアテナイ訪問の時(前443年)と設定されてる。ペリクレス指導下のアテナイが建設に助力した南イタリアの植民都市トゥリオイのために法律起草の任にプロタゴラスが当たったことから、宰相ペリクレスと親交があったとみられる。晩年はシケリア島にも滞在し盛名を維持した。プロタゴラスの有名な言葉に「人間は万物の尺度である。あるものについてはあるということの、ないものについてはないということの」(真理という本の中で)という命題を吐いた。文章学や名辞の使用に厳格であったことが、アリストテレスの「詭弁論駁論」によって伝えられている。
アルキビアデス: 前450年ー404年の人。後に政治軍事上に華々しく活動し、前415年アテナイ軍のシケリア島遠征軍の総師となったが破れて亡命先の小アジアのブリュギアで暗殺された。この対話篇ではソクラテスとの仲を噂されるうら若き青年として登場する。「饗宴」の主要登場人物でもある。
カリアス: アテナイきっての大富豪で聞こえた名家の生まれ。「饗宴」の舞台となった邸宅を持ち、本篇の舞台も彼の邸宅である。ソフィストたちのパトロン的存在で、多額の金銭を援助したといわれる。父ヒイポニコスの没後妻はペリクレスと再婚したという。前390年コリントスの戦いに将として参加し、スパルタへの外交使節にもなった。喜劇作家アリストぱネスやアンドキデスはカリアスとは敵対関係にあって、カリアスを非難している。
クリティアス: 前460年ー403年の人。プラトンの母の従兄にあたる。政界では悪名を残し、ソクラテスが告発される因となったとみなされている。この対話篇では議論の進め方について、カリアスやアルキビアデスやヒッピアス、プロディコスと共に発言している。その他の部分では発言はない。前411年の400人革命の崩壊後、アルキビアデスの召還を提議し、民主制が回復してから追放されてテッタリアに亡命した。前404年アテナイの降伏時に帰国し30人政権の首領格となった。この政権はスパルタと組んで独裁恐怖政治を起した。プラトンは最大限この政権を嫌悪した。前403年民主派の革命時にペイライエウスの戦いで戦死した。この民主派革命政権にソクラテスの告発者アニュストスがいる。この対話篇では、後日の政治的軍事的波乱の生涯のことは一切言及されず、議論を聴く青年として登場する。
プロディコス: ケオス島のイウリス出身。ゴルギアスやヒッピアスと同年代のソフィスト。同郷人として詩人のシモニデスがいる。ケオス島の外交使節としてアテナイなどのギリシャ各地を訪れ、演説で好評を得て稼いだといわれる。説話集「青年ヘラクレス」の作者である。類語の厳格な使い分けということを強調し、プラトンの他の対話篇でもたびたび登場する。
ヒッピアス: 当時の高名なソフィストで、オリンピアのあるエリスの出身。エリスの外交使節としてシケリア島やスパルタを訪問した。数学、天文学、詩、音楽、歴史などの学芸万端に通じた多妻版王型のソフィストであったという。「ヒッピアス(大)」、「ヒッピアス(小)」の主要登場人物である。

この対話篇「プロタゴラス」の舞台設定は、前433年または432年ということで確定している。プロタゴラスは56−60歳の高齢であるのに対して、ソクラテスは36歳、アルキビアデスは18歳、クリティアスは27歳ごろとみられる。ペロポネス戦争(前431−405年)はまだ始まらず、ペリクレス指導下のアテナイはなお最盛期にあって、「ギリシャの知恵の殿堂」と呼ばれる文化の中心であった。新たな思想的潮流と教育活動の担い手であるソフィストたちが盛んにアテナイを訪問した。プラトンはいつこの対話篇を執筆したかについては確たる証拠はないけれども、プラトンの初期の作品であること、ソクラテスの刑死後に書かれたことは間違いない。古来この対話篇は文学作品として読まれてきた。なかでも「プロタゴラス」はすぐれた描写力によるとの定評があり、登場人物の生き生きとした描写はプラトン作品集の白眉であるとされる。「ソフィスト」という言葉はソクラテスから見ると、一種いかがわしい生業として受け取られていたことは確かであるが、アテナイの青年たちにとって絶大な人気を博し、徳を授ける教師としての地歩をギリシャ中の各地に確保していた。その長老格であったプロタゴラスは「当代随一の知者」と呼ばれ、彼がアテナイに来るという知らせだけで、青年ヒッポクラテスは熱狂させる効果があった。ソクラテスは青年ヒッポクラテスを伴って大富豪でソフィストの擁護者カリアスの家を訪れると、プロタゴラスの他にヒッピアス、プロディコスといった高名なソフィストと彼らを取り巻く知識人が集まっていた。いわば一つの文化サロン、知的世界を目にする機会が与えられた。華やかなソフィストたちの全体的雰囲気をプラトンの筆は生き生きと描いている。そこへ壮年の哲人へソクラテスが一人で挑む舞台が設定される。なぜソクラテスがこれほど根深くソフィストを告発するのかというと、ソクラテスの告発者でアテナイの政治指導者アニュトスや、喜劇作家アリストパネスにような人々によって、ソフィストと同じ種類の人物とみなされていたからである。ソクラテスはソフィストとの違いを明確にするため執拗にソフィストを攻撃するのである。人間として国家社会の一員として持つべき徳を、ソフィストのように手ごろな値段で人に教えることができるものだろうかと追及する。「プロタゴラス」の内容の全体は、「ソクラテスの弁明」で提示された視点の直接的な延長線上にあるが、「国家指導者にふさわしい徳は教えられるか」の一点に絞って拡大して詳しく描きだすことである。カリアス家における討論会はこの疑問をソフィストたちの頂点にいるプロタゴラスに直接ぶつけるという、かってない幸運な機会を利用することであった。敵の大将の首を取るような意気込みでソクラテスは臨んだ。同じく徳の問題を論じた「ゴルギアス」や「メノン」と比べると、ソフィストとソクラテスの哲学の違いを追求して徹底させる哲学者としての厳密な立場というよりも、むしろ両者の出会いによって現れた状況をそのままにリアルに表現するという表現者としてのプラトンの立場が鮮明に出ている。しかし本篇「プロタゴラス」の前半で繰り広げられるソフィスト批判において、根本的な立場は明確に打ち出されている。「自分の魂をゆだねるというソフィストとはそもそも何者なのか」という問いには、すぐれた魂の問題は「ソクラテスの弁明」でも明らかなようにソクラテスの根本的立場によるものである。そして「プロタゴラス」では魂の世話ということへの切実な関心のもとに、ソフィストが魂の糧となるものを商品として売り買いすることは許せない行為としてソクラテスには映った。ここに本篇におけるソフィスト批判全体の基礎がある。

全篇を貫く論点の厳しさにもかかわらず、プロタゴラスが登場してくることで、彼に対する十分な敬意が払われ、ソフィストの立場もまた好意的に扱われている。ソフィストをソクラテス式対話法で姦計に陥れ、安易に同意してしまった付けは「命題の矛盾」となって、ソフィストは窮地に追い込まれ、自分はなにを言っているのか分からなくなってしまい、バンザイとなるというお決まりの展開ではない。魂の教師としてのソフィストの主張と約束は、ここではプロタゴラス自身の口から、これを説明し正当化する機会を与えられている。徳の教育の可能性についてのソクラテスの質問(@建築や造船のような技術知識ではなく、政治家としての徳は教えることはできない。A優れた政治家の子息はそれほどでもない。だから徳は教えて会得できるものではない。)に答えて、プロタゴラスの物語ミュートスと説明ロゴスをあわせた長演説が開始された。プロタゴラスは神話的物語ミュートスで寓意的な長演説をした。その神話的要素を取り去れば、その趣旨は同時代の学問で、動物と人類の違いと文明と社会の発展を説明したものである。人類に生活の術として、火の使用を教えたプロメテウス伝説を題材とした論説である。「物を作る技術」は特定の人に与えればその恩恵は普及するが、「国家社会をなすための政治的智恵、技術」は万人に与えなければ社会を構成できない。プロタゴラスは人間は誰でも戒めとつつしみを現に分かち与えられていると主張する。その戒めとつつしみに支えられる社会生活の技術と智恵をプロタゴラスは教授を約束するのである。社会生活を営む上で必然的で普遍的な資質は、各個人に偏差があるので、専門家の手助けが必要というソフィスト存在の根拠を説明する。これが全篇の前半の部分をなす。プロタゴラスの余りの長さの演説に嫌気がさしたソクラテスは、一問一答式の短い討論形式(これがソクラテス式対話術で、ソフィストたちはこれを"ヱイの毒"と嫌う)を提案したが、プロタゴラスはこれを拒否する。ソフィスト式弁論術とソクラテス式問答法の鋭い対立で暗礁に乗り上げ討論は中断された。この対立と討論中断は傍聴している参加者のそれぞれの立場からの意見表明を生み、対話篇の劇的展開のための大きな軸となった。それが議論のやり方改めさせて、勧善懲悪(善はソクラテス、悪はソフィスト)的な、他の対話篇に見られるような、主役のソクラテスが対話の相手を論理の虜にして完全にリードしつつ、一つの命題の思想的帰結を追求するということはできなくなった。最もそういう展開が可能なのは、対話相手が従順で先入観のない青年であるという条件設定でなければできなかったはずである。ところが本篇では対話相手はソフィストの長老格で、ソクラテスより20歳以上年長者で経験十分なプロタゴラスであってすれば、簡単にはソクラテスの手には乗らなかったまでのことである。鋭く対立するという舞台設定はプロタゴラスに対する礼儀と丁重さを装うためにもできなかった。そのため哲学的にはどっちつかずの様相を呈し、話としては多方面にわたる脱線があって(引き出しが多いといえる)、ソクラテスとしても従来の主張からの妥協的、迎合的な主張が紛れ込んで、議論の後半からプロタゴラスとの対話はスムーズに行く展開となった。

後半は相互に質問と回答をし、短い回答に必ずしもこだわらないというやり方で進行する。つまりソフィスト的演説が認められたため、さっそくプロタゴラスの長丁場の演説が始まった。プロタゴラスはシモニデスの詩について徳の問題にかこつけた解釈を行う。ソクラテスはシモニデスと同郷人であるプロディコスを引き入れて、シモニデスの詩の解釈の新説を披露し、ソフィスト顔負けの大演説をして見せる。勝手気ままなこじ付け的解釈で、知的遊びとしては、確かに面白い展開であるが哲学的要素の表明のない散漫な意見交換であった。そこへ「快楽主義」という問題ではソクラテスは「快楽と善は同じである」といいい、明らかに従来の主張とはぶれた意見を述べる。「ゴルギアス」、「パイドン」、「国家」をみても快楽と善は厳しく区別されなければならないと言ってきたはずである。ソフィストたちはシモニデスの詩を話題として「それは人間の教育にとって重要な部分をなす」という考えで、詩の解釈と批評のジャンルを作って得意としていた。それに対してソクラテスは「凡庸で俗な人が行う酒宴とそっくり」といって批判している。詩を巡ってのこうした談義は結局「はっきり確証できない事柄について、がやがやと論じ合うだけのこと」と排斥した。そういったソフィストのやり方に迎合した、パロディを演じて見せただけのことかもしれないが、無駄な演出だったのではなかろうか。詩に対するソクラテスの立場は、「国家」の最終巻に見られるイデア論的形而上学の立場からの批判へ徹底されていった。「詩の中に知は不在である」であることを、詩につての議論は「教育の最も重要な部分」とするソフィストに対する、痛烈な皮肉をのべたのかもしれない。つぎに「快楽と善は同じである」という命題は表層的にはこれまでのソクラテスの説に矛盾する意見であるが、これも一ひねりすると、結局こころよく生きたいという万人共通の願いが本当に達成されるために、その場かぎりの快楽に惑わされず、長い目で本当の善を選び取る「計量の技術」つまり自制のきいた節制の勧めであったろう。無抑制であってはならないという、ソクラテスのパラドックスに込めた言葉の重みを感じ取らなければならない。「悪いと知りながら・・・」とは本当に知っていないことで、本当に知っているんなら絶対に行わないはずだということである。知に対する厳格な要求の上に位置づけられるもので、それが哲学的思想の筋目であると藤沢氏は述べている。ソクラテスは議論を締めくくって、その皮肉な結果に注意を促した。ここが本篇の結びであり、解釈の難しいところである。ソクラテスの主張は、すべての徳は知に帰結することを証明しようとしたが、徳が知であるなら徳は教えられるという自己矛盾に達し、いっぽうプロタゴラスの方も徳は教えられるとしながらも、徳が知であることを強力避けようとする自己矛盾を露呈している。それは徳=知=技術という連関に問題があるので、ソフィストの見解である知=技術を狭くとらえ過ぎていることから来ている。技術は知の一部とすればソクラテスの主張は成立するのである。だから徳は知であるということが両者によって共有されたと思い込むのは間違いである。その知の内容を詳しく吟味しなければならない。両者は問題点を共有したまま仲良く別れるというのは物語りとして結構なのだが、哲学的には未消化に終わっている。だから本篇はソフィストとソクラテスの対置によって現出する状況を、そのまま状況としてリアルにプラトンが記述したことに意義がある。それは今後のプラトンが埋めなければならない哲学が存在することを認知させることであった。


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