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文藝散歩 

プラトン著 藤沢令夫訳 「国 家」
岩波文庫 上・下 1979年6月(2008年12月改版)

政治権力と哲学精神との一致を説く理想政治体制論

プラトン
プラトン

このような分厚い本を読んだのは実に久しぶりの感がする。アダムスミスの「国富論」以来であろうか。年を取った者の役得のような無制限の自由時間と根気(鈍気)、そして多少の分からない点をなおざりにできる狡さを身につけて、10日間で読み終えた。岩波文庫本のプラトン関係では、「ゴルギアス」、「パイドロス」、「饗 宴」、「メノン」、「パイドン―魂の不死について」、「ソクラテスの弁明」、「クリトン」そして本書の「国家」と読み進めてきたわけである。岩波文庫のプラトンの対話篇は大変読みやすく、親しみやすい訳本である。普通、哲学というと、業界専門術語(隠語)と持って回った抽象的物言いによって容易に近づくことができなかった。これはおそらくは日本が明治維新後お手本にしたドイツ哲学の影響と、哲学をしたことがない日本人が言葉さえ分からないまま訳した難解な訳文のせいであろうと思う。本書のシリーズのようにギリシャ哲学が読みやすく分かりやすくなったのは、対話篇という話し言葉による問答という形式もさることながら、ようやく日本人も哲学が身についてきて日常語で話すことができるまで進歩したのかもしれない。ドイツ哲学の影響下にあった戦前の日本の哲学も戦後になってようやく身の丈に合った哲学ができるようになったことは喜ばしい。このプラトン著「国家」は岩波文庫で上下2分冊となっており、注と解説も入れると併せて10巻からなる1050頁の対話篇の長編である。そこでまず全体の構成を頭に入れるため、よく言われるように5部構成からなる「国家」編全体を概観しておこう。
T 第1巻 - 導入(正義について)
*ケパロスとの対話 - 雑談から論題「正義」の導出
*ポレマルコスとの対話 - 詩人シモニデスの「正義」の検討
*トラシュマコスとの対話 - 強者論理としての「正義」の検討、「不正」の有利の検討
U 第2-4巻 - 国家の考察
*グラウコン、アデイマントスによる「正義」問題の再提起
*国家の考察 - 「必要最小限国家」と「贅沢国家」
*「国の守護者」の自然的素質 「国の守護者」の教育ー音楽・文芸・体育・医術
*「国の守護者」の諸条件 選抜条件
*国家の知恵・勇気・節制・正義
*「魂の三区分」(理知・気概・欲望)
*個人の知恵・勇気・節制・正義
V 第5-7巻 - 理想国家の考察
* 3つのパラドックス 男女両性における同一の職務・教育
*妻女・子供の共有と戦争
*哲学者の国家統治
*「哲学者」と「哲学」 「哲学者」とは
*「哲学者」の自然的素質と国家統治
*哲学無用論と偽哲学者
*「哲人王」の実現可能性
*「哲人王」の教育 「善」
*「善のイデア」(太陽の比喩、線分の比喩、洞窟の比喩)
*「魂の向け変え」「真実在への上昇」のための教育
*数学(数、計算、幾何学、立体幾何学、天文学、音階論)
*問答法
*教育課程
W 第8-9巻 - 不完全国家の考察
*「優秀者支配制」から、「名誉支配制」への変動
*「名誉支配制国家」と「名誉支配制的人間」
*「寡頭制国家」と「寡頭制的人間」
*「民主制国家」と「民主制的人間」
*「僭主独裁制国家」と「僭主独裁制的人間」
*「幸福」と「正しい生」「不幸な生」
*「魂の三区分」からの証明
*「真実の快楽」と「虚偽の快楽」からの証明
*「不正=利益」は誤り、「正義」こそが真の利益
X 第10巻 - 詩に対する批判、「正義」の報酬 詩歌・演劇の本質  
*「模倣・描写」(ミーメーシス)としての詩作 ー「真実」(イデア)からの遠ざかり、知識の欠如
*詩(創作)の感情的効果 ー魂の劣った部分への働きかけ、性格への有害な影響
*「正義」の報酬 魂の不死と本来の姿
*現世における「正義」の報酬
*死後における「正義」の報酬、エルの物語

本篇「国家」は分量的にみると、「ゴルギアス」、「パイドロス」、「饗 宴」、「メノン」、「パイドン―魂の不死について」、「ソクラテスの弁明」、「クリトン」の書著作を全部合わせた量を上回る長編であり、むろん内容的にもプラトン主著書の中でも主著と呼んでもおかしくないほど中期の集大成をなしている。「国家」の位置は、「ゴルギアス」、「メノン」、「饗 宴」、「パイドン」と続いて「国家」となり、つぎに「パイドロス」につながる位置にある。プラトンの著作を、前期、中期、後期に分ける伝統的な大別法によると、次のように配列される。
前期ー「カルミデス」、「ラケス」、「リュシス」、「ソクラテスの弁明」、「クリトン」、「プロタゴラス」、「エウテュデモス」、「エウチュプロン」、「ヒッピアス」・・「ゴルギアス」、「メノン」
中期ー「饗宴」、「パイドン」、「国家」、「パイドロス」、「パルメニデス」、「テアイテトス」
後期ー「ソピステス」、「ポリティコス」、「ピレボス」、「ティマイオス」、「法律」他
となる。プラトンがこの長編を著したのは、考証学の成果では紀元前375年ごろを中心にして、プラトンが50歳から60歳の頃だと考えられている。プラトンがイタリアとシケリア旅行からアテナイに帰って、学園アカデメイアを開設した紀元前388年より10年ほど経過した時期になる。本書で述べられている哲人の教育理念と課程もこの学園での実践から生まれたものとみられるからである。次に登場人物を概観しておこう。
ソクラテス-対話を行ったソクラテス(前469−399年)の年齢は40歳前後とみられ、1人称で(訳本では僕は・・となる)語り、彼がベイライエウスのポレマルコスの家で取り交わした対話の一部始終を報告する形となっている。そして文章上は、地の部分でソクラテスが解説するという、これまでの対話篇では見なかった形式をとっている。
ケパロス-ポレマルコス、弁論作家として有名だったリュシアス、およびエウテュデモスの父である。シケリア島のシュラクサイの生まれであるが、ペリクレスの招きでアテナイへ移住し、以降30年間裕福な居留民(アテナイ市民ではない)としてペイライエウスで暮らした。生年、没年については定かではないが、前404年にはすでに故人であったとされる。ポレマルコス兄弟のトゥリオイ移住は父ケパロスの死後であったとされる。ケパロスは前429年アテナイにおける悪疫の大流行で亡くなったというせつがもっともらしい。ソクラテスがポレマルコスの家に立ち寄り対話をした時すでに高齢であったと書かれている。本対話篇ではケバロスはかなりの高齢で、信心深い温厚な老人として登場し、ポレマルコスの家に招かれたソクラテスとあいさつ代わりに老年について対話をする。これが以降の正義とは何かという問題の議論の端緒をなしている。
ポレマルコス-ケパロスの長男で、リュシアス(前459−378年)およびエウテュデモスの兄である。ソクラテスの年齢に近い。父ケパロスに従いシケリア島よりアテナイの外港ペイライエウスに移住した。父の死後兄弟で南イタリアの新興都市トゥリオイに移り、その地で市民権を得たが、アテナイ軍のシケリア遠征の失敗(前413年)の影響でトゥリオイを去りアテナイに戻った。武器(楯)製造業者として財産を築いた。前404年のアテナイの敗戦後に成立した30人政権によって全財産を没収された。ポレマルコスは囚われて殺された。ポレマルコスはかねてからソクラテスとは親しい間柄であったと推察される。本篇冒頭、ケパロスの後を受けてソクラテスと正義について論じ、トラシュマコスとソクラテスとの対話においても終始ソクラテスの立場に同調し、トラシュマコス側の立場に立つクレイトボンと応酬する。第5巻のはじめにおいてアディマントスと私語をして議論を女性と子どもの問題に転換させるきっかけを果たした。
トラシュマコス-黒海の入り口にあるカルケドン出身の弁論家ないしソフィストである。ソクラテスよりは10才ほど年下であった。弁論術発展史上においてトラシュマコスの名は高く、弁論術批判である「パイドロス」にも何度も批判的・揶揄的に言及されている。アリストテレスも彼を弁論術史上に位置づけている。「国制」という論文を書いたといわれるが失われた。
クレイトボン-アテナイの政界で活躍した若き政治家。アリストテレスの「アテナイ人の国制」では、ペロポネソス戦争末期のアテナイの政情に関係して彼について言及している。前414年シケリア遠征失敗後の400人体制に参加し、前406年スパルタの和平提案に猛反対したこと、前4040年アテナイ降伏後の新体制樹立に向けた動きの中で、彼は民主制派の中でちょっと復古的な「父祖の国制」派に属したことである。本篇の中ではクレイトボンはトラシュマコスを支援して、ソクラテスを支持するポレマルコスと応酬しあっている。
グラウコン-アリストンの子、プラトンの兄、アディマントスの弟(プラトンには二人の兄がいた)。アディマントスと共に、本篇では第2巻以降主要な登場人物である。第2巻の冒頭で重要な問題提起を行って、最後までアディマントスと交替してソクラテスの対話相手をつとめる。メガラの戦い(前424年説と前409年説)に武勲をたてたという経歴があるので、その年齢はプラトン(前427年生まれ)とはかなり離れていたようだ。グラウコンは早熟の政治家志望の青年で、何事に付けても怖いもの知らずといわれ、名誉支配型の人であったようだ。クセノポンの「ソクラテスの思い出」に記されるように、ソクラテスの説得で議会演説を思いとどまったようだ。
アデイマントス-アリストンの子、プラトンの長兄になる。長兄としてプラトンの養育の責にあたった。プラトンとは大きな年齢差があった。兄弟3人でソクラテスを支持していた。第1巻の「前奏曲」でソクラテスはソフィストや現実の政治家を相手に論議したが、そこに参加した人々は第2巻以降はすべて沈黙の聴き手に回り、ソクラテスの相手を勤めるのはアデイマントスとグラウコンの二人だけとなった。そしてその役目はソクラテスの主張を「好意をもって励まし、適切の質問に答える」という応援団的役割である。著者プラトンは歳の離れた2人の兄たちを重要な相手役としたが、プラトンはあきらかにグラウコンの方に2倍以上の大きな役割を持たせている。
プラトンはいずれの対話篇においても、実在の人物を登場させるとともに、多くの場合いつ対話が行われたかを意識的に想定して書いている。例えば前期の作品で「ソクラテスの弁明」、「クリトン」などはいずれも前399年に設定されている。年代指定が明確でなくとも「プロタゴラス」や「メソン」ではその設定は入念に行われている。では「国家」の舞台設定はどうであろうか。学者の見解はベックの前410年説、テイラーの前421年説、訳者藤沢氏は前430年説を唱えている。藤沢説を紹介すると、長老ケパロスの死亡時期を前429年の悪疫流行とし、プロタゴラスの没年を前425年以前とすることから前430年を設定している。この時期にはソクラテスは39歳ごろで、哲人統治家の思想に到達した頃の年齢ということになる。

プラトンの対話篇は、体系的に書かれた哲学書ではない。だから読みやすいのであるが、長い会話の情景は哲学内容を伝達するという点からすると、内容が限られてくる。書かれた文章理解ではなく、会話であるので必然的に伝える内容は少ない。これまで読んできたプラトンのソクラテス対話篇を吟味すると、次の2点で疑問がある。第1は、語られる対話の論理構成にはいつも反発を覚えるのである。対話する人(論争相手も含めて)の反論や質問、そしてソクラテスの意見に実に素直に同意する情景は、つくり話だとしてもあまりにふがいなさすぎるもっとしつこく反論すべきではないだろうか。第2は、哲学の内容である、善、知、イデア、徳、正義などの内容が少なすぎて、実体として何なのか曖昧模糊としていることである。身近なことに下手に同意すると知らぬ間に公理となって、そのギャップを埋めることができないのである。特にプラトンのイデア論は内容のない抽象概念に過ぎず、いったいこれで何を言いたいのかさっぱりわからないまま、大変な哲学革命だと関係者がありがたがっているのが分からない。この対話篇は啓蒙書に過ぎず、別途本格的・系統的なプラトン哲学書があるのだろうか。これではプラトン哲学とはコケ脅かしの張子の虎と言われても仕方ない。という2点に疑問を抱きつつもなおプラトンの「国家」を読み進めてゆこう。疑問はいずれ解決するだろう、こちらの認識不足に過ぎないといういつものパターンなのだからと思いつつ、次へ行こう。全篇のあらすじと主要な区分について概要を記そう。
第1巻「序奏曲」は従来通りにソフィストや現実主義政治家をやり込める巻きである。話の始まりは、ソクラテスがアテナイの外港ペイライエウスの祭りを見学に出かけ、その途上ポレマルコスの家に招き入れられる。そこにいたポレマルコスの父ケパロスと老人と富について話し始める。ケパロスとの会話から引き出された「正義とは何か」という問題について、ポレマルコスとソフィストのトラシュマコスが順次提起する正義の定義が吟味される。クレイトボンは現実政治から正義否定論を展開する。(第1巻)
その実質的展開は第2巻にはいって、グラウコンとアディマントスが正義否定論を強力に代弁し、議論は再燃する。国家の起源と生成から出発し、仮想国家の大掛かりな再構築が始まる。国作りの中心は国の守護者・統治者の人づくりになる。幼少時代の詩歌・音楽・体育による教育なり方が議論される。(第2巻、第3巻)
そして国の守護者の資格と選抜、その生活条件と任務が決められ、国家を構成する統治者、助統治者、被統治者という3層の区分とそれぞれの役割が検討される。国家の持つべき智慧・勇気・節制・正義の4つの徳が定義され、国家を形成する3層に対応する個人の魂の3つの部分の区別と、個人が持つべき4徳が定義される。(第3巻。第4巻)
守護者階層における男女の職務と教育の平等、妻子の共有について述べて、ソクラテスはここで理想国家の建設を宣言し、哲学者が国を統治するというとんでもないい提案を行う。ここにいう哲学者の条件を定義する。(第5巻)
哲人統治者の実現は至難であっても不可能ではないと宣言し、「太陽」、「線分」、「洞窟」の比喩から哲学者がなすべきこととして、善のイデアに至る認識のあり方「魂の目の向け替え」をいう。そのために教育の理念、具体的な学科とカリキュラムの計画を提示する。(第6巻、第7巻)
ついで理想国家が不完全国家4形態(寡頭支配、民主制支配、僭主独裁制支配)へ転換してゆく様とそれに対応した個人の性格が述べられる。不正ではなく正義こそが人間を幸福にすると結論する。(第8巻、第9巻)
そして最後に、詩歌演劇の本質を哲学的に考察し、正義の人へ報酬、魂の不死(エルの物語)が語られてこの対話篇は終了する。(第10巻)
本対話篇はなぜ10巻に分けられたのだろうか。それは古代巻物にいわゆる紙面の都合なのかだろうか。巻の中では章や節の区切りは存在しなかった。しかし話の流れから自ずと区切りは生まれてくる。人間の頭はそれほど支離滅裂ではないからだ。そいう意味で学者はいくつかの議論の区切りを見つけてきた。正統的には5つに区切りを設けることが主張されている。その転換点とは次の4点にあるとされる。@第2巻の始め、グラウコンとアディマントスの異議申し立てにより、正義の問題に根本的な再検討を迫られ、以降長い議論が続くきっかけになった。そして対話人物はこのグラウコンとアディマントスの2者のみとなり局面が一気に変わった点である。A第5巻の始め、ポレマルコスとアディマントスの私語がきっかけになって、話題は婦人と子どもの問題かた哲人君主のパラドックス(3つの大浪)へ展開する。不正の問題は中断した。ソクラテスはこれを「わき道」という。B第8巻の始め、議論の中間まとめを行い、もう一度本来のk不正な国家論に戻ることを宣言する。C第10巻の始め、理想国家建設はは終了したが、詩(創作)の問題に移ると宣言した。以上の4つの転換点から全篇は5つの大きな区分に分けられ、第T,U,V,W、X部構成となる。第1部 第1巻、第U部 第2巻―第4巻、第V部 第5巻ー第7巻、第W部 第8巻―第9巻、第X部 第10巻となり、各部の構成は上に示した表となる。

対話篇「国家」の主題は「政治」にあるのか「正義」にあるのかが問題となっている。プラトンの直弟子アリストテレスはその著「政治学」の中で、プラトンの「国家」をプラトンの政治学と呼んでいる。つまり国家体制(国家統治)が主題となる。しかしながら本対話篇は正義について始まり、国家論が出てくるのは第2巻の途中からである。つまり正義という哲学課題について考える中で国家も問題としたというべきかもしれない。「正義」が全篇の有力な主題であるということもできる。あるいはこの対話篇には正義論と国家論という並立した2つの主題があるということもできる。5世紀の新プラトン派の哲学者プロクレスはその注釈書で、古代からおこなわれてきた「国家」の主題問答を無意味とするのではなく、両論に相当な根拠がある以上「本書の目的とする主題は、正義であると同時に国制である」という。一個人の魂にとって正義であることを実現することがとりもなおさずよく統治された国制をなすとする。国家の3階層と魂の3区分という、国家と個人の魂の構造上の対応を指摘して、今流に解釈すると、個人の心理が昂じたところが国家体制を裏付けるという論である。個人の心理と社会心理と社会情勢と国家体制の結合はよく歴史においても議論される。同義反復に近い(国制が個人を規定するのか、社会情勢の影響を受けた個人の心理が国制の変革を求める行動となるのか)議論でいつも収拾はつかないが、上から下を規定するか、下から上を規定するかの問題である。ともかく本書の表題はまさに正義の本質(正しい理に従って生きる魂の国制)である。正義の方が真の主題であるという論拠は、国制が論じられている途中でも、本来の課題は人間の正義や幸福の問題であることをソクラテスが述べているからだとする。トラシュマコスやグラウコンとアディマントスが代弁した見せた、不正な生き方をする方がこの世では有利で、幸福につながるという論説を、対話相手のソクラテスは我々が人生を生きる上での重要問題として受け止め、国家の中で正義と不正の拡大した像を示す。「国家論を通じて、正義はなんであるかを問い、それと幸福との関係で問うことが本篇の中心テーマではないだろうか」と訳者の藤沢令夫氏は結論付けた。ただし国家と正義という主要テーマだけでは、本篇の表面を見た荒筋に過ぎない。この大長編対話篇には、正義論(倫理学)からも国家論(政治学)からもはみ出るような多くの論題が展開されている。教育論、芸術(音楽・文芸)論、認識論、存在論、魂という宗教論、数学、科学(天文学)、善のイデア論(形而上学)などについて多彩な言及がなされている。哲学とは何かに対するプラトン哲学の最高峰をなすものである。「政治的」という見方を限りなく否定し、多領域・諸問題に支えられた政治論である。それは哲学が本来持つべく宿命づけられた「全一性」にほかならない。「国家」篇が持つ基本的なモチーフと主導的な思想を考えてみると、ソクラテス的な「正義とは何か、いかに生きるか」というモチーフと、プラトン的な「国家論」・「イデア論」というモチーフからなる。人生をいかに生きるかというモチーフは本篇のみならず「ゴルギアデス」、「メノン」などの前期作品群に共通してみられる視点である。その善や幸福の可能性を魂と関連させて、人間の幸福は魂の優れたところ(徳)としての「知」に全面的に依存するがゆえに、知を愛し求め、魂を優れたものにするための配慮としての哲学こそ、人間にとって必然的な行為であり、唯一生きるに値するものとして位置づけている。これを「ソクラテス的」モチーフと呼び、この「国家」篇でも基本的なモチーフとしてプラトンは出発している。ソクラテスは「ソクラテスの弁明」の中で語っているように、「富を求めるな、名誉を求めるな、ただ魂をできるだけ優れたものにする(知を求める)にだけ配慮すべき」とすべての人に説いていた。ここから想像されるソクラテス的社会とは、知だけを求める人々からなる理想社会で、法律も必要でない、支配者もいない、国家でさえない。

「国家」篇を支えている思想にはこの「ソクラテス的」とは言い切れない、いわゆる「プラトン的」モチーフがにじみ出ている。それは「国家論」そのものと「イデア論」の二つである。国家論とは人間の善や幸福の問題を人間がその中に住む国家社会のあり方(理想国家体制と不完全国家体制)に関連付けて追及することことを課題とする。もう一つのプラトン的というべき思想とは、イデア論とそれと表裏一体をなす「魂の不滅」の思想(宗教)である。プラトン的モチーフのまず第1に「国家論」から入ろう。ソクラテスは徳の問題を人間の魂のあり方の問題として内面化し深めたといわれる。プラトンの前期対話篇でこの考えは継承されているが、プラトンは現実を見つめて、最も優れた人間でさえ、彼の住む国家社会が優れたものでなければ、その卓越性を全うすることはできないという(ソクラテスの死刑判決と刑死)厳しい認識に至った。現実の国家や法律そのものの変革こそ志向されなければならないと考え、これが生涯プラトンが追及したテーマとなった。「国家」、「法律」が書かれたのである。魂のあり方を示すソクラテス的「内なる国制」と、「外なる国制」の一致においてこそ、優れた人間の生き方と真の幸福が達成されるという思想がプラトンの思想である。プラトンがまず乗り越えなければならなかった国家の正義論とは、トラシュマコスやグラウコンの現実的正義論である。一言でいうと「正しい奴ほど損をする」という考えである。グラウコンから見るとソクラテスの意見はいわゆる「青臭い書生論」であって、現実無視の正義論に見えたのであろう。トラシュマコスは、国家の支配階層が自分の利益に合わせて法を制定し、それを守ることを被支配者の義務とする「正義」にほかならないという。グラウコンは第2巻において、正義とは社会的な人間関係において、不正を受けながら反抗する能力がないものが考え出した、侵さず侵されずとしての妥協策的な契約(社会契約説)に過ぎないという主張をした。正義の観念の起源を、国家社会の仕組みとその人間関係から説明する(外部から)という方向であった。現在の社会学・政治学はむしろこのトラシュマコスやグラウコンの流れにある。ソクラテスやプラトンの考えは現在では全く通用していないのも現実である。これはプラトン「国家」論はむしろ社会心理学や人間行動学、経済学の言う抽象的人間かもしれない。したがってプラトンの「国家」はこの主張には全く答えていない。対極にプラトン的理想国家論を置いたまでのことである。プラトンは、国家社会そのものの正義と不正を、国家社会内部関係から規定し、個人の正義と不正を同じように魂の内部的条件から説明した。こうした見方はプラトン独自のものであるが、私には同義反復のような相互規定(A=A)のように感じる。国家の3階層を人間の魂の機能の3区分(理知的ー哲学、気概的ー名誉、欲望的ー金銭)に応じた人間のタイプから説明する。被統治者と軍人にはそれぞれの働きを保障して義務を課し、そして統治者には財産私有の禁止、富と支配の分離、家庭より共有制という、ちょっと現実離れした神のような性格を持たせた。要するに神でなければ人間社会を統治できないという超理想論、現人神という天皇制でもない、超人王制を考え出したのである。これはニーチェの超人に通じるところがある。国家社会の禍の根源は、権力と富との結合、公と私生活の混同、権力が私有財産獲得の手段とされることにあると考えたからである。このプラトンの考えは、政治家が腐敗するのは金がないからで、政治家に政治資金を与えて管理するような矛盾を絵にかいたような愚策かもしれない。プラトン的モチーフの第2点、イデア論と魂の不死の思想を検討しよう。魂の不死という思想はプラトンがピタゴラス派の影響を受けたもので「ゴルギアデス」、「パイドン」で詳しく論じられている。死後の運命や輪廻転生は世界中の宗教に採用される民俗的宗教である。プラトン的というのは魂の不死がイデア論の不変・恒久の思想と結びつくことである。イデア論は中期の対話篇「饗宴」で開花したといわれるが、その実態はやはり不明確である。第6巻から第7巻にかけてイデア論が集中的に語られる。啓蒙されていない知性にとって見える世界と、太陽に象徴される知性によって照らし出された世界、そして再び曖昧な世界に帰って人々に語りかける知性のあり方が、「太陽」、「線分」、「洞窟」という比喩で語られる。善のイデアが君臨して、イデアの実在性と認識性が初めて示されるという。これでもって「善のイデア」の説明はそれ以上なされない。

イデア論は第10巻で魂の不死の思想とあいまって、プラトンの哲学のとくにプラトン的と言われる神髄をなすのである。理想国家は安楽国、ユートピア、理想郷ではなく、戦争という悪を不可避とする状況下で、国のために戦う「守護者・統治者」の育成を中心として考えられた、若い時代のプラトンの思想の結論であった。理想国家(仮想国家)の構築はここに至って可能性(理論的可能性であって、現実的可能性は?)を獲得したというべきであろうか。こうしてイデア論と魂の不滅の思想を真髄とする哲学によって全体として「永遠の相」に包括されたことになる。人の一生などはとるに足らないほど瞬時に過ぎない、全永劫の時間こそ思い煩うべきだという善のイデアはもはや時間を超えている。プラトンが中期の時点でこの「国家」を書くに至った位置づけが大事である。プラトンの生涯と思想の発展史の中で考えてみよう。前427年アテナイの民主制ポリスで生まれたプラトンは、青年に達したなら「直ちに国家公共の仕事に向かう」という自分の前途を決めていた。ごく幼少の時から兄らを介してソクラテスに接触する機会をもち、「魂への配慮」を説いて私人として生涯を通したソクラテスの生き方に影響され、国家公共の政治的実践とは異質な世界に興味を覚えていった。前404年プラトンが23歳のとき、ペロポネス戦争で敗れたアテナイに30人政権が生まれりという出来事が続き、プラトンはこの政権に一時参加したが、結局し嗣不祥事に憤慨して政治活動をあきらめるに至った。この30人政権(寡頭支配)の崩壊後アテナイには民主制に復帰したので、プラトンの心には次第に公的活動(政治参加)への意欲がわいてきたといわれる。そこに起きたのが前399年彼が28歳の時、ソクラテスが民主政権に嫌われて、青年を悪の道に誘導するとして死刑判決を受ける事件であった。何よりもソクラテスの死によって、プラトンはソクラテスという人物をはっきり自覚することになり、ソクラテスを見極めたいという方向へ意欲が動いた。ここで一気にプラトンは政治を棄て哲学に走ったわけではない。この根強い政治的実践への志向と、ソクラテス的哲学の生き方が並立するいわゆる「遍歴時代」に入った。プラトンが国制の実情について考察と見聞を重ね、同時にソクラテスを主役とした対話集を書きながら、40歳までは遍歴時代が続いた。プラトンの最後期に書かれた「第7書簡」(プラトンの思想遍歴を語る自伝)によると、「国家の正義も個人の正義もただ哲学からこれを見極めることができる。正しい意味で哲学をしている人たちが、国の政治的支配の地位につくか、それとも原に権力を持っている人が真実哲学するようになるかの、どちらかが実現しない限り、人類が災いから免れることはないであろう」と書いてある。これはまさに「国家」の中心テーゼにほかならない。「国家」篇の中核をなす「哲人統治者」の思想はプラトンの遍歴のの成果として生まれた。プラトンは前387年イタリアとシケリアの旅より帰還すると、すぐにアカデミア学園を創設して、この哲人統治者の理想を実現する実践的教育活動に入った。「国家」の執筆はこの10年後になる。アカデミア創設と「国家」篇執筆の間には、「ゴルギアス」、「メノン」、「饗宴」、「バイドン」といった対話篇が介在している。「国家」の哲人統治による理想国家建設案は世間から猛反対と嘲笑を受けることは自明であったので、プラトンはその発表には慎重になり、その前に自衛策として固めななればならない重要概念の構築を行っていたと考えられる。そのために生まれたのが「イデア論」であったとみられる。これで哲学者による国家統治が荒唐無稽にならない理論的根拠づけ(果たしてそうなっているかどうかは?)として統治者教育と具体的な教育プログラムを準備した。これがソクラテス的モチーフで終わるならプラトン自身も青年を惑わした罪で裁判になるかもしれない。彼も必死で理論武装を急いだのであろう。「ゴルギアス」、「メノン」ではその萌芽が見え、「饗宴」、「バイドン」で明確にイデア論と魂の不死論が現れた。「国家」篇では正義論―国家論ー哲人統治者論の根拠として、イデア論ー国家論ー正義論が配置されている。ソクラテス的モチーフからプラトン的モチーフ(イデア論と魂の不滅論)へ登り詰め、切り替えしてソクラテスモチーフ(第10巻の正義論)へ戻るという全体として山のような空間的配置である。

「国家」篇第1巻において、ソフィストや政治家の主張を論破するためにソクラテスが用いている論法は、プラトンの初期対話集のソフィストとの対話で普く共通手段として採用され、ソフィストたちはコロコロと言い負かされているのを見る。これはソクラテス側の書いたお話だから仕方がないといえばそれまでであるが、論法として対話術として見てゆくと参考になる点がいくつかあるし、ソクラテス哲学の特質を示すものとして興味が持たれるのである。これを「ソクラテス式問答法」あるいは「反対論証法」とか「否定論証法」と呼ばれている。対話篇では問いを立てそれに答えるという対話方式が取られる。これは一種の弁証法で、一方の論戦の対話者を、何らの仕方で矛盾したことを言わせるように導くのである。ソクラテス式問答法はいい加減な仮説の排除という否定的な作業である。積極的な仮説の設定の一助にはなるが(本人の成長の為という)、基本的には相手の定義のあいまいさを知らしめるための論破法である。アリストトテレスはこれらの方法を科学的的方法の本質だとみなした。紀元前5世紀のアテナイで流行したソフィストの弁論術や修辞学は聴き手の耳を楽しませ興奮させることから人気を博したが、ソクラテスはこれに対抗する方法を編み出した。それがプラトンの初期対話篇において多用されたソクラテス式問答法(対話法)であった。やり方は、反対論証または論駁といわれ、相手の命題を偽であるとして論駁の標的に設定する。相手の命題の発展形をいくつか挙げ、その同意を取り付ける。ここから命題の矛盾を導くのである。ここが味噌である。そもそも定義が曖昧だと命題の変形の矛盾に気が付かないまま相手は同意してしまうものである。みごとに穴に陥った相手は錯乱状態(アポリア)になり、無言となる。そこで一気にソクラテスは結論(これまた論証されたわけではなくソクラテスの仮説に過ぎない)を述べ立てるのである。ガスリーは「ギリシャの哲学者たち」で述べているように、ソクラテス式問答法は、実際は我々の無知を明らかにするすることが狙いであるという。ソクラテスは自分の無知を自覚しているがゆえに、ソフィストたちより一歩進んでいたのだ。ソフィストたちは自分の無知を認めないからいつまでも無知なのである。何かを知っていると思い込んでいるが、足元の言葉や概念の定義を掘り崩してゆくと、彼らの命題は砂上の楼閣のように崩壊するのである。ソクラテスは実際に整合的な哲学理論を練り上げるためにこの方法を用いたことはない。それはミュトス(神話的連想法)で創生的哲学を語るのである。プラトンは自分の哲学には神話的創生物語を、敵の論にはソクラテス式問答法を、車の両輪のように用いた。


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