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文藝散歩 

プラトン著 加来彰俊訳 「ゴルギアス」
岩波文庫 1967年6月

若い人をとりこにした弁論術・現実的政治論を批判し、哲人政治を志す

この対話篇「ゴルギアス」は、プラトンの作品年代では初期の作品群に属し、それもかなり遅い作品である。つまり中期にあたる「国家」や「パイドロス」、初期と中期の境界線上の「パイドン」や「饗宴」よりも前に書かれ、初期のいわゆる「ソクラテス的対話篇」と言われる「ソクラテスの弁明」、「クリトン」、「プロタゴラス」など徳の考察を主題とした作品群よりは後になって書かれている。すなわちこの「ゴルギアス」は「ソクラテス的対話篇」と共通の要素を持ちながら、また異なった特色を持っているのである。初期作品群のソクラテス像とはかなり違う面が現れる。本対話篇の第1幕では、弁論家の大家ゴルギアスを相手にしてしつこい質問を繰り返しながら相手の論点の矛盾をついてゆくやり方は初期のソクラテス像である。相手の論理は崩しても、自説の展開は十分ではない。ところが第2幕でゴルギアスの若い弟子ポロスや若い政治家のカ?リクレスを相手に語るときは、ソクラテスは単なる1対1の対話術の質問者に徹するのではなく、相手の答えを引きだし、そして自分の見解を積極的に表明する長演説をぶつのである。初期のソクラテスの対話者はソクラテスの質問に対して。ただイエスかノーを答えるだけの、論理学の分岐点(2進法)に過ぎないで知らず知らずのうちにソクラテスの論理に落ち込んでゆく哀れな存在であったが、この作品ではソクラテスとその相手は、互いに問い手になったり答え手になったり、応酬によって作り出される緊張感が魅力となっている。そういう意味で「ゴルギアス」は本当の意味での対話を戦わす作品として、モノローグ(独白)からダイローグ(会話)へ転化する、他の作品に見られない劇的な対話篇である。対話の時期や背景や舞台設定などは一切切り捨てられており、劇場装置・背景なしの劇である。純粋に討論だけが本筋の舞台である。もちろん語られる内容によって、時代の特徴や政治的課題などは十分察することはできるし、やはり背景は知っておく方が、討論の持つ意義が一層よくわかるのであるが、それは抽象的議論(形而上学)にはなくても構わないといえる。ソクラテス的命題である「徳は知識である」というような道徳(エチカ)の命題の他に、新しい考え方、いわゆる「哲人王」の思想が現れてくる。そして中期作品の中で重要な役割を果たす、オルぺウス教・ピタゴラス主義の教義(あの世の裁判と処罰)が初めて紹介される。この対話篇「ゴルギアス」では中期になって確立されるプラトン思想の中核となる考えの萌芽が含まれているが、まだ形而上学的な議論は語られていない。プラトンの中でのソクラテス像は次第に形作られてきたその変化の過程が本篇にみられる。内容的には個人の道徳の問題だけではなく、国家社会の政治の問題が取り上げられ、特にアテナイの政治のあり方が問題にされている。この問題に対するソクラテスの言葉には激しい怒りや憤りが込められている。「ゴルギアス」が書かれた時期のアテナイの政治状況は実はプラトンの置かれた状況である。この対話篇が書かれた時期について、訳者は紀元前390年ごろ、プラトンの30歳代の終わり近くでないかとみている。その時代のプラトンの怒りとか絶望の感情がにじみ出ているのである。若き時代のプラトンは人並みに国家公共に仕事に就きたい志を持っていたようであるが、紀元前404年のスパルタとの戦いでの敗戦と30人政権(寡占独裁政治)によるクーデーター革命政権樹立、そして民主派の巻き返しによる反革命政権とその政府指導者によるソフィスト排除と紀元前399年のソクラテス処刑といった事件を通じて、プラトンは次第に現実政治への失望から国政の改革の熱意は失われていった。現状の政治はどの国でも悪い状況であり、哲学的精神と政治権力とが一体化するのでなければ人類の禍は救えないとすえう「哲人政治」の考えに傾いていった。そういうプラトンの心境を反映するのが、3人との対話の内カリクレスとの対話であり、全篇の中心をなしている。弁論家との対話(ゴルギアス、ポロス)を前半にし、カリクレスとの対話が後半を占めている。現実政治の道か、それとも哲学の道かが将に当時のプラトンの個人的な問題である。現実的政治家カリクレスの主張は哲学無用論そのものであり、当時のアテナイのソフィスト排斥運動はその結果である。民主派政治家から見るとソクラテスはソフィストの代表で若者に悪い影響を与えるだけの存在に過ぎなかった。ペリクレスをはじめとするアテナイの黄金時代(紀元前5世紀)の代表的政治家のすべてを、ソクラテスは悪政で、無効で落第と全面否定した。この対話篇は表向きは第2のソクラテスの弁明となっているが、プラトン個人の生き方の弁明書でもあった。紀元前4世紀のアテナイの政治に対する警告の書と見ることができる。これがプラトンが著した本書の意図である。

1) 主題の選定

岩波文庫「ゴルギアス」には副題はついていないが、古くから「弁論術」という副題がついてきた。紀元1世紀トラシュロスのプラトン全集にも見えるそうである。しかし本篇を読めば、弁論術が直接の話題になっているには、厳しく見てゴルギアデスの対話部分だけとすれば全体の1/4程度で、ゴルギアデスとポロスとの対話を含めると最大約約40%程度が弁論術に関する議論である。本編の中心主題はカリクレスとの対話の政治論であるとみられる。すると本篇の主題は、弁論術であると考えるか、それとも道徳や政治などの問題に中心があると見るべきかで意見が纏まらなかったことは、古代末期の新プラトン学派以来のことである。ただ弁論術を「言論(文章)の技術」とみると、政治や道徳の問題は直接関係ない主題に見えるが、弁論術を広く応用されてきた法廷論争や議会演説と考えると、それは一種の政治の術となる。あながち両者は無縁ではない。最初の第1幕でソクラテスとゴルギアスとの対話において、弁論術の本性を浮き彫りにする過程でも問われていることである。ソクラテスはゴルギアスの職業が弁論術の教師であることを確かめたうえで、弁論術は法廷や議会などにおいて人々を説得する術であることが明らかにされる。従ってそれが取り扱う言論の対象は、法廷で論議される行為のの正と不正についてであり、国政の場では政策一般に関するものである。第2幕でゴルギアスに替わってその弟子ポロスが問答相手になると、ソクラテスは弁論術についての自分の考えを述べる。「政治術の1部門の影にようなもの」という、つまり虚構の政治術であることを明言する。ここで議論されている事項は、雄弁や修辞と言った弁論術そのものではなく、政治の術として利用されてきた弁論術のことである。言論の技術に過ぎない弁論術が広く政治の場で利用されたのには、当時のアテナイの民主政治の背景がある。つまり陪審法廷、政務審議会や国民会議(民会)などの政治制度の組織や機能を理解しなければならない。すべての市民(奴隷を除いて)が政治的に平等な権利をもった民主主義社会では、人が社会の中でそれなりの位置を占めるために、他人を納得させるだけの弁論を駆使することが必須の条件となった。人はこの術(公開の場で議論する術)を修めることで、優れた政治家の仲間入りをすることができるだけでなく、ペリクレスやテミストクレスのようにアテナイの支配者になることもできるのである。若いポロスは「一種の独裁者になることも、ソフィストの術が政治の術であった」というように、弁論術も政治の術であった。この世において有能な人間として活躍することが、人間の卓越性(徳の発現)であって、世俗的成功こそが人生の目標であると信じられていた時代の実利主義的人生観であった。だから個人の人生観が、快楽こそが善で、欲望の充足こそが幸福な生活だとする世の中の通念を批判するために、弁論術を題材にしたともいえるのである。ここで訳者の注に、現代に焼直して弁論術をマスコミメディアとし、マスメディアが大量消費と生活享受をモットーとする現代社会に迎合していると捉えることができるという。

2) 構造

この対話篇の構造は、弁論術を主題としながら、これを擁護する立場の弁論家ゴルギアス、その弟子ポロス、そして現実政治家のカリクレスの3人が次々と現れて、ソクラテスと対話することで、3幕の劇をなすように作られている。プラトンはこの3幕の劇にどのような構想で臨んだかを吟味してゆこう。
@ 弁論術の大家 ゴルギアス: 第1幕において当時の最も高名であり代表的なソフィストであったゴルギアデスを登場させる。ゴルギアデスはシシリー島レオンティノイ出身で、プロポンネソス戦争のとき(紀元前427年)アテナイに救援依頼の外行使せTY弾の首席代表として派遣され、その雄弁を揮ってアテナイ市民の援助を獲得したことで知られる。その後祖国で政変があり亡命生活を余儀なくされ、彼は弁論術の教師としてギリシャの各地を余生を送ったとされている。ゴルギアスのレトリックに関する著作(「ヘレネ頌」、「パラメデスの弁明」、「非存在について」、「エピタフィオス」)は、テクナイと題されたレトリック教育の入門書を通じて今に伝わっている。「テクナイ」はさまざまなレトリックの実践理論を説明した本である。 意欲に満ちた理論とレトリックのテクネー(技術)の相互に関係する著作だとされる。 アリストテレスもその中から、ギリシア統一の演説、戦死したアテナイ人への追悼演説、「ヘレネ頌」からの短い引用などを引用している。ゴルギアスはアレテー(美、徳)を教えるとは公言しなかった。ゴルギアスは、アレテーの完全な形はなく、それぞれのシチュエーション(たとえば、奴隷の徳は政治家の徳ではない)に関係するものだと信じていた。レトリックつまり説得の技術はどんな行動方針でも説得することが可能であるゆえに、あらゆる科学の王である、というのがゴルギアスの考えである。プラトンはゴルギアスを痛切に批判する1人である。プラトンがソフィストの教義を嫌悪していたことは有名で、「ゴルギアス」の中ではゴルギアス本人とその修辞学的信念がともに攻撃の対象にされている。「ゴルギアス」の中で、プラトンは哲学とレトリック(弁論術)を区別し、またゴルギアスは、その雄弁な言葉で聞き手を楽しませ、人が説得の技術を発見した時、レトリックは実際の出来事について真実を学ぶのに不必要なものであると信じる雄弁家として描かれるのである。プラトンがゴルギアスに問いかける方法は、存在は基本的物質であり万物を構成するものの真実であるとするエレア派の創始者パルメニデスの理想の再主張で、それがレトリックとは異なり、またレトリックより優位に立つ哲学的な思考であると主張する。アリストテレスもまたゴルギアスを、賢さをアピールことで金儲けをするのが目的の単なるソフィストとしたうえで、その結果、人を誤らせる方法つまりソフィスト的な議論で大衆を騙したと批判する。本篇に登場するゴルギアスはかなり高齢であり、弁論術の大家としてアテナイでは高い尊敬を受けていた。職業上の成功はその技術の本質についての限界と反省を怠ったようである。そこをソクラテスかた追及され、しつこい尋問に自己矛盾をきたし沈黙するという筋書きとなっている。しかしゴルギアスの受け答えは誠実そのものであり、ソクラテスの批判にも耳を傾ける雅量を示した。歴史上のゴルギアデスは「ゴルギアデスの文体」で知られるような文章家・修辞家で有名だった人であり、当時の弁論では「演技用弁論パフォーマンス」の大家で通っていた。実際は法廷弁論や議会演説弁論の実務を軽視しており、プラトンのゴルギアデス人物像は、当時の弁論家たちの類型的存在に仕立てられている。
A 弁論術を学ぶ若い弟子 ポロス: つぎにプラトンは第2幕において、そのような弁論術が当時の社会において、特に若い世代にどのように熱烈に歓迎されていたかを、若き弟子ポロスを使って代弁させる。ポロスはシシリー島のアクラガスの出身でで、早くからゴルギアスに師事し、弁論術に関する入門書を書くほど修業は進んでいた。ポロスは師ゴルギアデスがソクラテスとの問答で窮して沈黙した後で登場する。ソクラテスから弁論術は技術であるどころか、敬虔や熟練に過ぎず(哲学理論がないということ)それはただ民衆への迎合に過ぎないと批判されて、彼は弁論術の現実社会での効用を絶賛することで、弁論実の弁護をするのである。彼は弁論家たちは諸国において実際に有能者として評価され尊敬されているのであって、その力は有力政治家と同じようであると力説する。「弁論家は、ちょうど独裁者にように、誰であろうとも、死刑にしたいと思う人を死刑にする」という。師ゴルギアスが持っていた弁論術の不正な使用に対する道徳的抑制も若い人は持ち合わせていなかった。ポロスにとって権力を持ったものが勝利を手にし、不義不正なものが富栄える社会の諸相こそが現実であった。しかしこの人間像はプラトンの意地の悪い戯画化であろうと思われるが、紀元前5世紀末の戦争と革命の時代に生まれた世代において、良俗がすたれ道義の頽廃した世相が当たり前に見えたのであろうし、若い世代全般に共通する考え方を代表しているとみていいだろう。
B 若い政治家 カリクレス: 第1幕では弁論術が政治の術の1亜形として受け取られていること、そして第2幕ではそのような弁論術が当時の青年達に立身出世の手段として、何らの道徳的反省もなく受け入れられ、歓迎されている様を明らかにした。そして最後の第3幕でそうした弁論術を身に着けて、実際の政治活動に活躍している青年政治家カリクレスを登場させる。政治家カリクレスと哲人ソクラテスを対決させることによって、プラトンは本篇の核心の課題である現実政治と哲学を論じようというしている。カリクレスはゴルギアスやポロスとは違って弁論術の職業教師ではなく、アテナイ市民で、教養ある、実生活の経験に裏付けられた青年政治家として登場する。カリクレスの実在性は分からないが、プラトンは決して仮名や虚構の人物を登場させることはないといわれているので、当時の極めて現実的で、徹底した実利主義に立つ一つの典型的な人物像に仕上げたと考えるべきであろうか。カリクレスは文中でそれまでのゴルギアスやポロスがプラトンの誘導によって論理的自己矛盾に陥るのを見て、あまりの非現実的論議にいたたまれず、対話のなかに割り込んでくる。先行する彼ら2人がソクラテスの論理にからめとられたのは、彼らの世間的道徳意識がひっかかっていたからだとみたカリクレスは、ポロスが「心に思っていても、口に出して言わなかった」本根をあからさまに語るのである。カリクレスはポロスの胸にあったと思われる「権力への意思」をむき出しの形で一方的に述べ立て、ソクラテスを罵倒するのである。法律上の正と不正の道徳は表面上の約束で、平等という価値は弱い人間が強者に対して行う共同戦線だとか、強者が弱者を支配し、余計に分配を取るのは自然の理に適っているという。カリクレスは「自然法」と「法律習慣」とを対立させる論法を採り、「力こそ正義である」という優勝劣敗の論理つまり「自然の正義」を主張するのである。カリクレスから見るとソクラテスの正義や道徳は「奴隷の道徳」として軽蔑する。このようなカリクレスの強者の倫理は後世ヨーロッパ文学においては背徳者の立場を代表するものとして、ニーチェの思想に影響を与えた。そしてカリクレスは若い時に哲学をするのはいいとしても、それ相応の年になっても哲学をしていると、この世に生きるすべを心得ぬ人間となり、自分の身さえ守ることはできないし、どんな恥辱を受けるかもしれない。又無実の罪で法定に連れ出されたとしても、告発者の意思次第では死刑になるかもしれないと、ソクラテスの運命を暗示する。ソクラテスは少しもひるまず、得意の粘っこい論理でひとつづつ反論し相手の主張を切り崩してゆき、ついにはカリクレスは対話を放棄する。しかしカリクレスは決して屈服したわけでなく、いわゆる「価値感の相違」でふてくされただけのことである。この両者の論戦こそ本篇の核心である現実政治と哲学の対決を意味し、これは永遠の課題として常に検証を要する問題となった。

3) 弁論術批判

本篇の2つのテーマの一つである弁論術について、その対話の展開の筋書きは別にして、プラトンがその主題になっている弁論術に対して下した批評をまとめておこう。結論は弁論術は技術の名に値するものではなく、敬虔や熟練にすぎないパフォーマンスであり、それがもっぱらにしていることは、大衆への迎合でありへつらいであるということである。技術と経験の判断点は、第1に理論の裏付けがあるかないかである。これを簡単に図示すると次のような関係になる。技術ー理論ー目的は善ー例として医術ー担うのは専門家、これに対し経験ー記憶ー目的は快ー例として料理法ー担うのは弁論家である。第2に、目的や意図の相違による。技術は常に対象の善をめざすが、経験はどうしたら対象の気に入るかと対象の快を狙うだけである。それが本当に対象のためになるのかという点に関しては無関心である。例えば身体を扱うものについては、医術は技術であるが、料理法は経験なのである。医術は科学的であらねばならないが、料理法は味覚を満足させればいいのである。このプラトンの理屈は面白い比喩から成り立っているが、哲学理論には程遠い分かりやすさでは、うまい例え話である。ここで言いたいことは、弁論家は事柄そのものについての知識は持たないで、人を信じ込ませる仕方で説得するだけのことであるという批判である。説得する上で大切なことは、真実ではなく真実らしさ、大衆にどう思われるかの一点にかかっている。物事の本質に迫らないで、物事の可否を論じることはできないことだとすれば、弁論家のやっていることは詐欺である。この弁論術の技術的ありかたから第1幕と第2幕(ゴルギアス、ポロス)は構成されている。そして第3幕(カリクレス)はものごとは快ではなく善を目指すべきだという観点で構成されている。もし本当の意味での弁論家を志すなら、すなわち技術の心得ある優れた弁論家ならば、常に国家国民の善を念頭に置いて行動すべき、国民ひとりひとりの心が成長し、正義の徳が生まれ、反対の悪徳が取り除かれるようにすべきである。ソクラテスは民衆の欲するものが何であろうともそれを充足するだけの人間なら、それは真の政治家ではない、政治家は本来国民の医者でなければならない(苦い薬を処方すること)という。本篇の終わりにソクラテスをして、紀元前5世紀のアテナイの偉大な政治家のほとんどを(テキストクレス、キモン、ミルティアデス、ペリクレス)を、国民の給仕としては有能で在ったかもしれないが政治家としては無能であったと断罪する。そして「ソクラテスこそ現在の政治家である」と言い切るのは、かなり強引な結論である。隠棲生活をし、公生活をできるだけ避けてきた実物のソクラテスのしては逆説にしか聞こえない。ここまでプラトンがいう意図は、哲人政治の思想の萌芽をなす考えを急遽持ち出したかったからである。その意味ではこの「ゴルギアス」はソクラテスから受け継いだ哲学の総まとめであると同時に、プラトン自身の哲学の出発点をなす作品であるといえる。


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