141015

文藝散歩 

プラトン著 藤沢令夫訳 「パイドロス」
岩波文庫 1967年1月

真実そのものを追求する哲学なしに、真実らしく語る弁論術を批判

プラトン

「パイドロス」の冒頭に舞台背景を描写するナレーションがある。「紀元前5世紀の終わり近く、真夏のある晴れわたった日の日ざかり、アテナイ郊外 イリソス川のほとりにて」の「紀元前5世紀の終わり近く」は嫌にリアリティを持たせたお膳立て過ぎていただけない。普通は「昔々」で始まる。日本の夏は蒸し暑く、とても「晴れわたった」という秋空のようなさわやかな気分にはなれない。いかにもギリシャアテネ郊外を彷彿とさせる。これ以上の背景説明はないぐらい簡潔で要を得た出だしである。「饗宴 」、「 パイドン」、「 国家」 、「パイドロス 」と並ぶプラトンの中期を代表する作品である。プラトンの対話篇という形式は、プラトンが哲学書として初めて採用した独特のやり方である。ソクラテスの刑死後、プラトンはこの形式でソクラテスをさまざまな人と対話させ、ソクラテスを介して吟味し批判するのである。そのことを通じて、対話術しか哲学(教育)の方法と認めなかったし、一言も書かなかったソクラテスの思想、言動の意義を確認し、これを明確な哲学思潮の形に捉えた功績は大きい。しかしプラトンは師ソクラテスの口を借りて、プラトンの思想をしっかり入れてゆくことも忘れなかった。どこまでがソクラテスで、どこからがプラトンという明確な線引きはできないが、「死人に口なし」でプラトンは自由にプラトン哲学を発展させることができたといえる。マルクスとエンゲルスの関係に似ている。この対話篇で相手方を勤める「パイドロス」は「饗宴」において、ソフィストを代表してエロス讃美演説を行った人物である。時代風潮に敏感で快活なアテナイの知識人を代弁させている。彼は紀元前5世紀末アテナイで絶大な人気があった弁論術に強い関心を持ち、その専門家リュシアスに心服している者として登場してくる。この「パイドロス」との対話が行われた場所が、大勢の人がいるところや、居間ではなく、郊外の川のほとりという午睡を催すような静かな環境を設定している。のびのびとした開放感が支配する場所で、対話の主題はエロスで、内容はエロスの詭弁論批判と哲学方法論である。「パイドロス」はプラトンの中期の大作「国家」が完成した後の著作で、紀元前370年代、プラトン50歳代であったと想定されている。プラトンは紀元前378年に学園アカデミアを創設し、最も充実した平和な時代にこの「パイドロス」が書かれた。プラトン生涯の大作「国家」を書きあげた後の、開放感に満ちた、柔軟な頭脳がフル回転した作品となってる。「パイドロス」において始めた現れる「魂」を「自己自身を動かすもの」と規定し、宇宙の動と関連付ける考え、対話術ディアレクティケーに加えられた「分割」(分別、還元)の方法など斬新な方法論を提示する。しかし「饗宴」、「パイドン」、「国家」で展開した「イデア論」は、「パイドロス」ではもはや見られない。だから本篇はプラトン中期の終わりをなすとされるのである。ソクラテスがパイドロスと出くわすところから話は始まる。パイドロスは朝早くから弁論作家リュシアスのところで長い時間を過ごし、今出てきたところで、これから城壁の外へ散歩に行く所だという。リュシアスはその時はアテナイの町に来て、城壁の南東内側にあるゼウス神殿近くの、民主派政治弁論家エピクラテスの家に滞在しており、そこで一緒に時を過ごしたのだという。パイドロスとリュシスが何を話していたのか気になるソクラテスは、パイドロスの散歩に付き合いながら聞き出そうとする。なんでも、リュシアスが書いた、好きでもない美少年を口説く風変わりな恋(エロース)の話だという。俄然興味が湧いたソクラテスは、パイドロスがその文書を上着の下に隠してるのを見つけ、是非教えてくれるよう頼む。2人はイリソス川に入って川沿いに歩いて行き、プラタナスの木陰に腰を下ろし、恋の話を披露し合い、また語らい合う。以下本篇の内容に沿って概説してゆこう。

@ 弁論家の系譜
この対話篇の直接の動機は、弁論術を批判することである。弁論術は紀元前5世紀中葉、シシリーにおいてティシアスその他によって、法廷弁論のテクニックの教授という形で始められたという。これが当時のソフィストの教育運動と結びついて、弁論術は法廷から政治的な議会演説に応用され、一躍時代の華となったのである。時代は言論の自由と法の下における平等を建前とする民主制のアテナイでは、都市国家の直接民主制において言論の持つ重要性は強調して余りある。そのため言論の能力をひとつの技術として授けてくれる弁論術の教師たちは時代の寵児になった。こうした弁論術隆盛に乗って、手本となる弁論を暗記させる教授法や、議会や法廷での弁論のための弁論術(雄弁法)、文章のための文章術(修辞法)に人々の興味と関心が移った。ここに演出用の言論という一つのジャンルが生まれたのは不思議なことではない。明治以来日本の大学にある「弁論大会」はまさに政治家の卵を養成する場となってきた。たとえばラムノスの仮想の法廷弁論、ゴルギアネスの「ヘレネ論」、プラトンの「メネクセノス」といった文は、いずれもこの種の文章であった。そして本篇の冒頭にあるリシュリスの範例的文章を暗記しようとするパイドロスの姿もその風潮の一環であった。本篇において名前だけが出てくる弁論家リュシアス(紀元前459−378年)はそういう弁論術創生期の代表的人物であって、イソクラテスらのソフィストとは一線を画する弁論家であった。リシュリスはアテナイの外港に住んでいた裕福な居留民(市民権を持たなかった)の息子で、この一家はプラトン「国家」でなじみ深い。本篇の劇中年代は紀元前412年ー404年の間にあるとされる。なぜならペロポネス戦争でアテナイが敗れ、30人寡占独裁政権が誕生したのが紀元前404年で、その後民主制派は追放されリュシアス一家も逮捕または国外逃亡の身となったからである。この「パイドロス」が執筆されたのは、リュシアスが死んでからのことであると思われる。プラトンはこの高名な弁論家にきわめて低い評価しか与えていない。プラトンは彼には皮肉な意地悪な感情を持っていたようだ。むろんプラトンはリュシアスの個人攻撃が眼目ではなく、一般の知識人がリュシアスに代表される弁論家に熱中し高い評価をする風潮に我慢ならなかったようである。プラトンの目には世に流行する弁論術とは、話す内容がためになるかどうかより、ひたすら大衆に受けることが狙いの「大衆おべっか術」(ポピュリズム)に見えたのである。弁論家たちの実態は、語りかける相手の納得を第1として、「真実そのものよりも真実らしきことを語る」ということにあった。プラトンは真実そのものの把握なしに、真実らしく思われるように巧みに語ることは不可能であると確信した。だから真実そのものの追求を目指す「哲学」と、その方法論としてソクラテスの「対話法」(ディアレクティケー)に全面的に信頼を寄せているのである。
A 恋エロス(ソクラテスの第1の物語 リュシアス批判)
弁論家が恋エロスのことを取り上げると、どんな滑稽な詭弁になるかという実例を、ソクラテスはリュシアスの文章を俎上にあげて批判するというよりは笑いものにするのである。「パイドロス」は「弁論術」と「恋」という二つの独立した主題を含んでいる。この恋というテーマを3つの物語で展開している。最初の物語はリュシアスの文章で始まる。美少年に言い寄る男が「自分を恋している者より、恋していない者にこそ身を任せるべきである」というパラドックスな言い方で迫るのである。恋している者は一時の狂気でいいよるが、恋していない者は打算と利己心を見失っていないがゆえに、分別心があり損失を回避できるので美少年の現実的な利益につながるというレトリックで迫り、肉体関係だけを得ようとするたくらみである。打算の極致というべきまことに手の込んだ「月並みでない」口説き方である。このリュシアスの詭弁をソクラテスの第1の物語はこのリュシアスの恋の捉え方や人間解釈の立場を系統的に批判する。そのソクラテスの論理とは、人間を動かす2つの力として「生まれながらに備わる快楽への欲望」と「最善のものを望む分別の心」があるとして、恋とは欲望が分別に打ち勝った「放縦」の一種であると定義する。そうすると恋は一つの悪として非難の対象となる。ソクラテスはこれによる必然的帰結をいろいろ並べ立てる。リュシアスは言葉の明確な定義なしに恋の欠点を並べたものであるので、ソクラテスの仮説に従う結論と似ている。「道徳」はせいぜい良心の呵責か罪の意識によって、身の破綻を避けるための打算や世間体によって、欲望への無制限な耽溺を抑制しているに過ぎない。ソクラテスは「後天的な分別の心が先天的な快楽の欲望を抑えている」と定義される節制、正気は、その逆の「放縦」よりはましと評価している。この節制や正気は最後のソクラテスの物語で話される「この世だけの正気」、「知性なき節制」、「徳と称えるケチくさい奴隷根性」に過ぎない。
B 恋エロス(ソクラテスの第2の物語 神なる狂気)
節制を善とし、恋を悪とする断定は、人間的におかしい。健康な人間のすることではない。狂気や恋には神的なものもあるということを知らなければ一面的だというそしりは免れない。それは人間の魂の本性ともいうべきを明らかにしないと説明がつかない。こうしたことを前提にソクラテスは「魂はすべて不死なるもの」であることを、「自己自身を動かすもの」という魂の本質規定から論理的証明を与える(これが証明と言えるかどうか議論はあるが)。そしてソクラテスは第2の物語(神話)に入るのである。人間の魂は善悪2頭の馬とその手綱を取る翼をもった馭者という例えで話を進める。恋を主題とした宇宙的規模での人間の魂の遍歴を語る。この物語の中で、プラトンは彼の哲学の中核を占める思想をを織り込んだ。「学知は想起に他ならない」というテーゼは魂の不死とイデア論の重要な契機をなした。また人間の魂は「知的部分」と「欲望的部分」と「激情的部分」からなるとする魂の3部分説は「国家」でも語られている。馭者が「知的部分」、善い馬が「激情的部分」、悪い馬が「欲望的部分」ということであろう。「饗宴」で恋エロスの昇華(下から上へ)を謳い、ソクラテスの第2の物語は演繹的に上(魂の本質)から下(恋エロス)を説明する。人間の心を「先天的な欲望」対「後天的分別の心」という対立構図を取るのではなく、「先天的な欲望」の先に「さらに先天的な徳・知への欲望」を置いたのである。「知的部分」の持つ真実希求の欲望こそが、人間の最も自然本来の欲望と見なすのである。人の魂には肉欲以上に知への欲望が勝った状態にあるとすれば、それもすべてに人にそうなのではなく特別に優れた人において発現するものである。本能よりももっと深い知の欲求が神的であるという。恋がこのように人間本来の欲求の発現であるなら、エロスは善、美に向かわざるを得ない契機である。美だけは最も分かりやすい価値であるからだ。イデア的な正義、善が何であるかを想起することができるのは、ほんの少数の優れた人のみが成しうることであるが、エロスが美のイデアの想起として我々の認識を高めてくれるなら、その行くところ「真善美の実在世界」につながるだろうとプラトンは述べている。第2の物語として肯定的な恋エロス神話をソクラテスは語ったのである。
C 「パイドロス」2つの主題の統一(哲学のすすめ)
本篇に見る様に、「弁論術」を巡って行われた議論が、弁論術は結局は真実の追求を仕事とする哲学に依らなければ、弁論も成立しないという結論になりました。そしてまた「恋」に関する議論も、魂の本性として真実を想起しようとする欲求、すなわち「愛知」に持ってゆかれました。本篇でみた「弁論術」と「愛エロス」の2つの主題が、より深いところで、哲学という主題に収斂していったのです。ソクラテスが語った第2の物語は、弁論術の基本的条件として要請される真実の追求という意味での哲学が要請されないと、皮相な言葉の遊びに堕すことになるということです。パイドロスが大事そうに持ってきたリュシアスの範例がたまたま「恋エロス」に関する文章であったに過ぎないが、これをソクラテス(すなわちプラトン)は、真実を愛し、抑えがたい知の欲求(愛知 哲学)へ高めなければ、本当の言論の能力は得られないということにしたどんでん返しは見事である。屁理屈もここまでこね回せばあたかも真実らしく纏まるという好例かもしれない。ソクラテスが創始した哲学の方法としての問答法、対話法(ディアレクティケー)は、モノの本質は何であるかを知るための探究の行程である。これは弁論術を越えて、論理学、数学の証明法、演繹法などに発展し、知識の原理を把握するための方法論、すなわち哲学そのものの方法論となる萌芽を含んでいた。本篇79頁に「人間がモノを知る働きは、人呼んで形相エイドスというものに則して行わなければならない。雑多な感覚から出発して、純粋思考の働きによって総括された単一なるものへと進み行くにことによって、行わなければならない」ということは、認識なり思惟というものは、言葉を離れてはありえず、考えるとは自己内対話(丸山真男氏の著作題名にある)であるとするならば、それはディアレクティケーの実行に他ならない。「多様に散らばっているものを総観して、これをただ一つの本質的な相へまとめること」は、数学的には集合論、位相論という現代数学そのものであり、哲学の本質的方法論となった。問答法、対話法(ディアレクティケー)は、形而上学的側面と論理学的側面、哲学の持つ直感性と言語性と共にプラトン哲学の中核を占める概念である。ドイツ語のディアレクティケーを日本語で「弁証法」と訳したことは、プラトンの対話法とは無縁のものである。「パイドロス」が意図するところは古くから「哲学のすすめ」と解釈されてきた。プラトンはソクラテスの死後、著作活動と学園の教育活動を両輪として生涯の課題とした。


読書ノート・文芸散歩・随筆に戻る   ホームに戻る
inserted by FC2 system