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文藝散歩 

プラトン著 久保勉訳 「饗宴」
岩波文庫 1952年10月

愛エロスとは肉体の美から精神の美 さらにソクラテスは智慧の情熱に高める

ソクラテスと少年愛
ソクラテスとアルキビアデス

本書の始めに、訳者久保勉氏による「序説」が設けられ、それが「饗宴」の論文になっているので、かいつまんで概要を述べ「饗宴」の理解の一助とする。ギリシャ文芸は戯曲にあるといわれるが、ギリシャ散文も燦然たる光を放っている。プラトンの「饗宴」は、「ファイドン(パイドン)」および「ファイドロス(パイドロス)」と共に、プラトンの詩的才能を代表する作品である。なかんずく「饗宴」は、プラトンの哲学と文学的表現が花開いた傑作と言われる。思想家にして同時に詩人たるプラトンの天才が「饗宴」ほど魅力的に発揮されている対話篇は他にないといわれる。これが「プラトン的」なるものと言われる。「饗宴」とは「共に飲む」ことを意味し、紀元前8世紀以来ギリシャ人の酒宴のことである。プラトンの「饗宴」、クセノフォンの「饗宴」、プルタルコスの「7賢人の饗宴」などにその模様が示されている。饗宴の機会を与えるものは婚礼、誕生、競技の勝利祝いなどの祝い事や送別会、歓迎会などである。ギリシャ時代には飲み食いは肉体の栄養であると同時に精神の発揚とされ、歌・管弦・舞踏・手品などの娯楽を伴ったことは今日でもその様式は受け継がれている。このような饗宴の性格は愛に関する論議の場として格好のものであるとプラトンは注目したのである。この対話篇(演説篇)の契機は、間接話法で紀元前400年に聞いたとされ、饗宴が催されたのは紀元前416年と推測している。プラトンが饗宴を書いたのは紀元前385年以降とされる。考証家ではないので、内容的にはいつでもよいのだが。その対話篇の形式からすると、又聞きの2重間接話法なのである。紀元前400年にアポロドロスが、16年前(紀元前416年)に若い悲劇詩人アガトンの催した受賞宴における出席者のひとりアリストデモスから聞いた話である。その話をプラトンがアポロドロスから聞いて相当長い時間を経て(15年ほどして)、「饗宴」という題名で書いたものとされている。すると饗宴開催後30年も経過して、かつ二人からの又聞きという手の込んだ間接話法である。プラトン自身はソクラテスの一の弟子であったはずだから、饗宴に参加していたか、師または友人から聞く位置にいてもおかしくはない。時間を経過することで有利に働くものは、人の記憶のあいまいさが増すということで自分の考えをもぐりこませても誰からも異論がでないということだろうか。そこで文学的装飾という形を利用して、意義ある事や記憶に値することだけを浮かび上がらせることができる。プラトンにとって詩的自由さが増すという点と、ことを美しく見せることに成功している。そんなことよりも何よりも、本篇が他の対話篇と同じように、一種の「創作」といってもいいだろう。果たしてここに述べられた饗宴があったかどうかはどうでもいい。事実関係は本当らしく見せるためのテクニックであろうか。たんなる事実を超えて観念化された、本質的な意味における真実を表現していると考えるべきであろう。プラトンはこの一篇の主題として、愛エロスを取り上げた。この愛とは男女の愛情というよりは「少年愛」のことである。ギリシャでは少年愛の習慣が行われおり、愛の性格は多岐にわたる。日本でも戦国時代以来、武士の間では「小姓」を愛する習慣があったと聞く。ソクラテスの少年愛の相手は上の図に見る様にアルキビヤデスであったが、プラトンはソクラテスに愛の化身を見て理想化している。これについてはプラトンも引けを取らなかったといわれる。プラトニックラブという言葉は現在の意味とは違うが、不惜身命の理想追求者のことであった。プラトンはアテナイの郊外アカデモスの森に創設した学園の構内に、愛の神エロスの像と祭壇を設けたといわれる。少年の教育と人間的成長を目的としたソクラテス的エロス愛は、プラトンの学園の生徒指導原理であった。本篇を書いた紀元前385年頃当時プラトンは40歳くらいであった。プラトンはすでに実際政治に高遠な理想を実現することは不可能と悟って、今や全力を哲学研究と子弟の教育に傾けた頃であった。この「饗宴」という対話篇は前、中、後の3段に分けることができる。前段は最初の5人のエロス讃美演説、中段はソクラテスのエロス演説、後段はアルキビヤデスのソクラテスに対する讃美演説である。前置きの部分でソクラテスの思索家としての特徴を示し、本文で戦場における勇士としての姿を、最後にソクラテスは酒にも強いことを述べ、ソクラテスの全貌を矛盾なく示そうとしている。次の前段、中段、後段の話の流れをまとめておこう。

1) 5名のエロス讃美演説:
@ファイドロス: ファイドロスはミュリノス郷の人で、ソフィスト・ヒビヤスの講義を聞いたこともあり、特に弁論家リュシヤスの愛に関する演説に傾倒したという。プラトンはまずソフィストでありソクラテスの弟子であったファイドロスの意見を先頭に持ってきたのである。ソフィスト的な演説は簡単であるが内容に乏しい。伝統を重んじヘシオドスの神話に立脚するアテナイ人の倫理的エロス観を代表している。宇宙創造者としてのエロスは人間社会にも影響し、エロスと名誉心との密接な関係が論じられる。そして少年愛ほど恥との関係で美しいものはない。美しきものと名誉心すなわち社会構成員との倫理関係を述べている。エロスが必然的に美と結合するという点でソクラテスのディオティマの説につながるよう配置されている。
Aパゥサニアス: パゥサニアスはケラメス郷の人でアガトンを愛する人、プロディコスの聴講者として登場する。真のソフィストたるパゥサニアスはファイドロスよりも修辞家であり、対立する概念を扱うに巧みである。2種のエロスに関する自説を説明する神話の採用に長けている。エロスには高貴なるものと、万人向きのものとの2つ種があるとして、ファイドロスの演説を修正する。すなわち高貴なる真性のエロスの目的とするところは精神的教養と徳における愛するものと愛人の相互向上という関係にある。これに対して万人向けのエロスは俗人のことで心よりも肉体を愛するだけであるという。パゥサニアスが理想とするエロスは青年に対する愛、しかもアテナイの習俗のごとく、知と徳を終局目標とするものである。プラトン自身は「法律」において、少年愛を反自然的悪習として斥けている。パゥサニアスが少年愛を精神的なものというとき肉欲を覆い隠しているに過ぎないと見抜いている。プラトンは少年愛を絶対的に否定している。プラトンはこの悪習を単に官能及び精神のほんの一時的な陶酔として認めているに過ぎない。
Bエリュキシマコス: エリュキシマコスは医者であり、ヘラクレイトスの汎神論的哲学を継承している。節制の強調と衒学的態度が特徴である。前の二人の演説はエロスと人間社会に限った論であるが、エリュキシマコスは医者でなので自然科学的にエロスを見て、全自然と芸術にも当てはなる原理と考える。扱い方は宇宙的である。議論が個人から今や宇宙にまで広がったというべきかもしれない。実はこの考え方はプラトン的で、同一原理が、個人、国家社会、宇宙を一貫して支配するというイデア論につながってゆくのである。エリュキシマコスはあらゆる種類の秩序はエロスによって保たれ、教育や教養までもエロスを必要とすると説く。
Cアリストファネス: ギリシャ喜劇作家アリストファネスは次にでるアガトンと共に詩人側の代表者である。前の演説者エリュキシマコスとは少し対立する論点を提出する。孤立した個人はそもそも不完全で、類は類を呼ぶように寄り添うことを願望するという人間性の特徴を展開する。真性のエロスは神々がそうであるように、人々を無条件に結合回復するものであるとするこの説はソクラテスの論の先駆けをなすものである。人生を全き全体と見ると、個人は不完全な現状にあるのだから、これを理想状態に高めるためにエロスが必要なのだという。「ソクラテスの弁明」に書かれているように、アリストファネスの喜劇でソクラテスをさんざん攻撃しているのだから、二人は敵対関係にあるとみなされるのだが、プラトンは極めて冷静に二人の天分を評価し相通じるところを浮かび上がらせる。プラトンはアリストファネスに類似する詩的創造力と自在な描写力をもっていたのではないかと感じさせられる。
Dアガトン: アガトンはゴルギヤスの弟子で、その演説はソフィスト的な弁論家風の魅力に富める文章である。対句で飾り立てた一種の美文、パロディの典型である。書かれている内容は少ないが、エロスの本質は美しきものに向かうという考えはソクラテスの論に共通する。ファイドロスと同様に伝統的神話に拠ったエロスの定義は、ファイドロスが創造神としてのエロスといういかめしいものであるが、アガトンのそれは若々しく遊び好きな愛のキューピット的で、両者は相補っているのである。

2) ソクラテスの演説ーディオディマの説:
ソクラテスは自分の説ではなく、マンネンティア出身の婦人ディオティマに聞いた説として、愛の教説を語る。まだソクラテスは自信がないため人の言説として述べているのであろうか。それともこの文学的脚色の意味は、プラトンが虚構の婦人ディオティマに責を持たせて自説を展開するのに好都合だったのであろうか。「愛(エロス)とは欠乏と富裕から生まれ、その両方の性質を備えている。ゆえに不死のものではないが、神的な性質を備え、不死を欲求する。すなわち愛は自身の存在を永遠なものにしようとする欲求である。これは自らに似たものに自らを刻印し、再生産することによって行われる。このような生産的な性質をもつ愛には幾つかの段階があり、生物的な再生産から、他者への教育による再生産へと向かう。愛は真によいものである知(ソピアー)に向かうものであるから、愛知者(ピロソポス)である。愛がもとめるべきもっとも美しいものは、永遠なる美のイデアであり、美のイデアを求めることが最も優れている。美の大海に出たものは、イデアを見、驚異に満たされる。これを求めることこそがもっとも高次の愛である。」 これがディオティマの説の概略である。これはエロス→永遠→善いもの→知→永遠なる美→美のイデアというように、言葉のしりとりゲームのように流れてゆきイデアの海に行き着く。ソクラテスの名を借りたプラトンの我田引水でなくて何だろう。個々の論理の展開は論理の必然の結果というより、都合のいい言葉の選択に過ぎない。ソクラテスはエロスの本質をば、美でもなく善でもなくしかし醜でもない中間的なものと考えている。来れたプラトンの人の意見(ドグマ)を知的認識と無知の中間に置くことに似ている。これはまた神話的にはエロスは神と人の、賢と愚の中間にたつダイモーン神霊として働かせているのと同じ構造である。それはエロスがポロス(裕福、術策)を父とし、ペニア(貧困)を母として生まれたからであるとする。エロスは美しいものを愛する。それが肉体的であろうと精神的であろうと、最後に至高の学問の絶対美のイデアの美に行き着く。エロスは中間的であるがゆえに、いろいろな性質を持ち、最終的には精神の絶対美を愛する。まるで美しいものの連想の世界である。エロスの働きは「理性の情熱」というべきもので、エロスは哲学的推進力、フィロソフィア(智慧の愛、渇望)にほかならない。智慧は徳の最高段階として、人間にとって最も本質的な形であるという。鉄人は単に真理の追求者たるにとどまらず、その本質上必然的に教師である。だからプラトンは師の教えを広めるアカデミア(学園)を作ったのである。易から難へ、形而下から形而上へ、卑近な知識から高尚な学問へという、漸進主義を採用する。これは「国家」の論法にも似ている。「饗宴」において3段階の章別けをし、前座として各論説を概観し、まとめる形で中心に哲人ソクラテスの説を置き、最後に中心の理論を実証する事例を置くという論法である。

3) アルキビヤデスのソクラテス讃美演説:
プラトンは最後に、アルキビヤデスというソクラテスの愛人(少年愛の対象)をして、ソクラテスの最も完全な人間的具現者の像を描いている。入口は美しい少年を愛するという「男色」の官能的な習俗であったものが、いつの間にやら最高の知恵を愛する話にすり替わっている。この滑稽さは論理的必然性を持たない2400年前の風俗と言えばそれまでであるので、知恵を愛することと男色にふける事の異様な2面をきっぱり切り離した方が今の我々にとって分かりやすい。今の私たちにとって学問をする(智慧を愛する)前に、少年の美を愛せよとは言えないからである。「金魚の糞」のように哲学上の問題に、風俗を引きずっているのはやりきれない。智慧とは何の関連性もない歴史上の風俗は捨て去ろう。そこでイデア論に入る。イデアとは諸現象の本体として超越する不生不滅の実在であるとプラトンは考える。一切の感覚的なるものを脱却する美の本体に至るのである。これが智慧の探究者であり、人間の最高段階である。プラトンは理性が人生を支配し導くものであると確信するするとともに、理性を動かすところの情熱がエロスと言ってもよいと考えた。こうして愛は人間の社会的政治的活動欲、他の人々を善導する熱情をもたらすのであるという。プラトンはこの情熱の化身として理想的なソクラテスを、アルキビヤデスのソクラテス讃美演説の中で描いている。「饗宴」という対話篇の著作目的とは、教祖ソクラテスの全人格を描き出すことであろう。「クリトン」では禁欲的なストイックなソクラテスを描き、「饗宴」では美の探究者としてのソクラテスを描いた。そして終局の目的は、プラトンは師ソクラテスの教育及び真理探究に不可欠な情熱というエロスを讃美することにある。こうしてプラトンにとって教育問題は生涯の課題となった。「いかに人は育成されるか、人はいかにすれば真に優良かつ幸福になり得るか」というプラトンの課題は師ソクラテスの中に見出さざるを得ない永遠のテーマであった。教育問題とソクラテス的哲学の問題は「饗宴」の中心テーゼをなしている。


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