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文藝散歩 

プラトン著 岩田靖夫訳 「パイドン―魂の不死について」
岩波文庫 1998年年2月

ソクラテスの最後の対話、永遠不滅のイデアを持つ魂は不死である

プラトンとアリストテレス
プラトン(左)とアリストテレス(右)(ラファエロ画)

プラトンの概要については、プラトン著 久保勉訳 「ソクラテスの弁明」、「クリトン」(岩波文庫)にも書いたが、復讐のため再録する。プラトンは師ソクラテスの公開裁判を傍聴し、ソクラテスの言葉を記録した。牢獄でクリトンとともに師に対し脱獄を勧めてその時の対論を記録したのもプラトンであった。正確に記したかどうかは不明であるが、極めて芸術的に高い文章になっているのはプラトンの能力のなせる業である。プラトン(紀元前427年 - 紀元前347年)は、古代ギリシアの哲学者である。ソクラテスの弟子にして、アリストテレスの師に当たる。プラトンの思想は西洋哲学の主要な源流であり、哲学者ホワイトヘッドは「西洋哲学の歴史とはプラトンへの膨大な注釈である」という趣旨のことを述べた。現存する著作の大半は対話篇という形式を取っており、一部の例外を除けば、プラトンの師であるソクラテスを主要な語り手とする。プラトンは、師ソクラテスから問答法(弁証法)と、「無知の知」を経ながら正義・徳・善を理知的かつ執拗に追求していく哲学者(愛知者)としての主知主義的な姿勢を学び、国家公共に携わる政治家を目指していたが、三十人政権やその後の民主派政権の惨状を目の当たりにして、現実政治に関わるのを避け、ソクラテス死後の30代からは、対話篇を執筆しつつ、哲学の追求と政治との統合を模索していくようになる。ピュタゴラス学派と交流を持ったことで、数学・幾何学と、輪廻転生する不滅の霊魂の概念を重視するようになり、感覚を超えた真実在としての「イデア」概念を醸成していく。紀元前387年、40歳頃、プラトンはシケリア旅行からの帰国後まもなく、アテナイ郊外の北西、アカデメイアの地の近傍に学園を設立した。アカデメイアでは天文学、生物学、数学、政治学、哲学等が教えられた。そこでは対話が重んじられ、教師と生徒の問答によって教育が行われた。紀元前367年、プラトン60歳頃には、アリストテレスが17歳の時にアカデメイアに入門し、以後、プラトンが亡くなるまでの20年間学業生活を送った。プラトンの哲学はイデア論を中心に展開されると言われる。生成変化する物質界の背後には、永遠不変のイデアという理想的な範型があり、イデアこそが真の実在であり、この世界は不完全な仮象の世界にすぎないという。プラトンは、最高のイデアは「善のイデア」であり、存在と知識を超える最高原理であるとした。哲学者は知を愛するが、その愛の対象は「あるもの」である。こうした発想は、『国家』『パイドロス』で典型的に描かれている。プラトンは、師ソクラテスから問答法(弁証法)を受け継いだ。『プロタゴラス』『ゴルギアス』『エウテュデモス』といった初期対話篇では、専らソフィスト達の弁論術や論争術と対比され、妥当性追求のための手段とされるに留まっていたそれは、中期の頃から対象を自然本性にしたがって「多から一へ」と特定するための推論技術として洗練されていき、数学・幾何学と並んで、「イデア」に近付くための不可欠な手段となる。『メノン』以降、数学・幾何学を重視して、これらは感覚を超えた真実在としての「イデア」概念を支える重要な根拠ともなった。中期・後期にかけての対話篇においては、「イデア」論をこの世界・宇宙全体に適用する形で、自然学的考察がはかられていった。このように、プラトンにとっては、自然・世界・宇宙と神々は、不可分一体的なものであり、そしてその背後には、善やイデアがひかえている。こうした発想は、アリストテレスにも継承され、『形而上学』『自然学』『天体論』などとして発展された。プラトンは、師ソクラテスから、「徳は知識である」という主知主義的な発想と、問答を通してそれを執拗に追求していく愛智者(哲学者)としての姿勢を学んだ。こうしてプラトンは、人間が「自然」(ピュシス)も「社会法習」(ノモス)も貫く「善のイデア」を目指していくべきであるとする倫理観をまとめ上げた。そしてこの倫理観は、『国家』『法律』においてプラトンの政治学・法学の基礎となっている。アリストテレスもまた、『形而上学』から『倫理学』を、『倫理学』から『政治学』を導くという形で、そして、「最高の共同体」たる国家の目的は「最高善」であるとして、プラトンのこうした構図をそのまま継承・踏襲している。プラトンは経験主義のような、人間の感覚や経験を基盤に据えた思想を否定した。感覚は不完全であるため、正しい認識に至ることができないと考えたためである。プラトンの西洋哲学に対する影響は弟子のアリストテレスと並んで絶大である。

プラトン著作集(確実なもの)
区分
著作
初期ソクラテスの弁明、クリトン、エウテュプロン、カルミデス、ラケス、リュシス、イオン、ヒッピアス(大)、ヒッピアス(小)
初期
(過渡期)
プロタゴラス、エウテュデモス、ゴルギアス、クラテュロス、メノン、メネクセノス
中期饗宴、パイドン、国家、パイドロス、パルメニデス、テアイテトス
後期ソピステス、政治家、ティマイオス、クリティアス、ピレボス、法律、第7書簡

これから岩波文庫の収録されているプラトン著作集を読んでいこうと思うが、岩波文庫には、「ソクラテスの弁明・クリトン」、「ゴルギアス」、「饗宴」、「テアイテトス」、「パイドロス」、「メノン」、「国家」、「プロタゴラス」、「法律」、「パイドン」の11冊(12作品)である。プラトンの策として確実なものは上の表に記した28作品である。プラトンの著作として伝承された文献の中には、真偽の疑わしいものや、多くの学者によって偽作とされているものも含まれているという。プラトンの著書は紀元前のアレクサンドリアの文献学者によって議論され、現在伝わる最初の全集編纂は紀元前2世紀に行われた。古代ローマのトラシュロスは、当時伝わっていたプラトンの著作を、9編の4部作(テトラロギア)集に編纂したという。現在の「プラトン全集」は、慣行によりこのトラシュロスの全集に準拠しており、収録された作品をすべて含む。ただしトラシュロスはすでにこの時、いくつかの作品はプラトンのものであるかどうか疑わしい、としている。古代にトラシュロス等によって編纂されたプラトンの著作は、写本によって継承されてきたが、一般に普及するようになったのは、ルネサンス期に入り、印刷術・印刷業が確立・発達した15-16世紀以降である。16世紀に出版されたプラトン全集の完成度が高く、現在でも「ステファヌス版」として標準的な底本となっている。各ページには、10行ごとにA, B, C... とアルファベットが付記されている。現在でも、プラトン著作の訳文には、「348A」「93C」といった数字とアルファベットが付記されることが多いが、これは「ステファヌス版」のページ数・行数を表している。岩波文庫もそれを踏襲している。執筆時期は、
初期-中期(30代-40代)の作品には、『ソクラテスの弁明』『クリトン』『ラケス』『リュシス』といった最初期の著作は、プラトンが30代後半の頃、すなわち紀元前388年-紀元前387年の頃とされる。
中期-後期(50代-60代)の作品『国家』『パイドロス』紀元前375年辺り、すなわち50代で書いたと推定される。『テアイテトス』『ソピステス』『政治家』は、紀元前368年-紀元前367年頃、プラトンが60歳頃とされる。
最後期(70代)の作品(で最後)の対話篇である『法律』は紀元前358年に書いたとされ、『第七書簡』『第八書簡』との内容的な関連性も見られるので、紀元前350年代半ばから、死去する紀元前347年に至るまでの70代に書かれたと推定される。

これでプラトンという人物の概要と著作集の見通しを得られたかと思うので、本書『パイドン』に入ろう。『パイドン』はいうまでもなく、『メノン』に続いて「学習することは生前に知っていたことを思い起こすことである」とする想起説(アナムネーシス)が取り上げられる他、永遠不滅のイデア論が初めて登場する重要な哲学書であるとされる。おそらく「パイドン」は「メノン」に続いて書かれたと思われる。「パイドン」は哲学的な内容から、中期の対話篇群の先頭に立つ代表作とみられる。この対話篇において初めて「イデア論」というプラトン独自の思想が登場するからである。ソクラテスの死後10年ほどたってプラトンはシシリー島のピタゴラス学派、アルキュタスらと親交を結び、死後の魂の宗教的雰囲気は明らかなピタゴラス学派の影響下にある。初期対話集はソクラテスの死後10年ほどの間に書かれ、シシリー島訪問後を契機としてプラトンの思想が大きく展開して「パイドン」が書かれた。これ以降文中のソクラテスとはプラトンの声である。「パイドン」ではピタゴラス学派にふさわしく超禁欲的なソクラテスになっているが、同じ時期に書かれた「饗宴」で快楽主義者の豪放なソクラテスが描かれている。読者はどちらのソクラテスを想定すればいいのだろうかと迷うことになる。本書の頭に登場人物と話の契機がまとめられている。ソクラテス死後のある時、プレイウス出身のピタゴラス派哲学者エケクラテスが、ソクラテスの臨終に立ち会ったパイドン(エリス出身のソクラテスの仲間、哲学者。ソクラテスの死後、故郷に帰り、エリス学派を創る。故郷エーリスへと帰る過程でプレイウスに滞在中)に、ソクラテスの最後の様子について尋ねるところから、話は始まる。紀元前399年、ソクラテスの死刑執行当日。ソクラテスの仲間たちは、朝一番にソクラテスのいる牢獄へと詰めかける。そして、ソクラテスは、シミアス(テーバイ出身のソクラテスの友人。テーバイではピタゴラス派哲学者ピロラオスに学ぶ)、ケベス(テーバイ出身のソクラテスの友人。テーバイではピタゴラス派哲学者ピロラオスに学ぶ)と「魂」についての問答・対話を展開する。日暮れ近くになり、最後に、ソクラテスが毒杯をあおり、臨終するまでが描かれる。パイドンはエリスの人で戦争で負けたため奴隷にされたところを、ソクラテスによって助けられ、ソクラテスの死に至るまで忠実な従者であった。おそらくパイドンにソクラテスの最後の様子を聞いたのはプラトンであった(プラトンは処刑の前後病気で居合わせなかった)だろうが、パイドンの聴き手役にピタゴラス学派のエケクラテスを選んだのであろう。イデア論はこのピタゴラス学派と深く関係するからである。パイドンが語るソクラテスの最後の対話の相手となったシミアスとケべスはソクラテスの弟子であるが、テーバイのピタゴラス派の哲学者ピロラオスに学んだとされる。「パイドン」の背景にはピタゴラス学派から深い影響を受けたプラトンの姿が見られる。プラトン=ソクラテスではないとしても、プラトン哲学はソクラテス哲学の延長線上にある。ソクラテスは1文字も書かなかったので、ソクラテスの哲学するということは対話するということであった。プラトンは「パイドロス」のなかで「書かれた言葉絵画のようなものだ」という。魂のある生きた言葉とは、書かれた言葉ではないという。真理の探究の中で必要なのは真剣な問いと率直な答えであった。プラトンが師の哲学を写しうる方法とは対話の形式で書くこと以外には考えられなかった。本書に見るシミアスとケベスのする師への鋭い突込み、厳しい問いと答えの激突は、プラトンが心がけたのは、ソクラテス哲学のソクラテスではなく、生きたソクラテスの対話の有様の再現にほかならない。ソクラテスは生涯倫理的な問題のみに関わってきた。正義、節制、勇気、知恵、敬虔、徳目であった。ソクラテスが求めていた徳を徳たらしめる徳の普遍的な本質の延長に「イデア論」が成立する。イデア論とはソクラテスが定義相とした正義、善、美などの永遠不滅な実在性、自己同一性の理論として出発した。イデアが存在するという思想は議論の余地がない前提としてソクラテス哲学のグループは考えていた。ソクラテスの実践をプた論が理論化したということになる。「ソクラテスの弁明」において知識としてはソクラテスは死後の世界について、幸福な冥途へ移る事なのか、虚無か、はっきりと言わないで不可知論的な態度を取るが、オルフィズム・ピタゴラス派の信仰論を取る「プラトンのソクラテス」とは一条の差異がある。「善い神のもとへ赴くという良い希望をもって死ぬ」ことをプラトンはイデア論における霊魂不滅の証明によって理論化しようとしたのが本書である。果たして成功しているかどうか、現代の私達には滑稽としか思えないのである。霊魂不滅は世界中の神話と宗教で同じような話が横行している。仏教の輪廻がそうである。そこで「パイドン」で現れる霊魂説を見てみよう。霊魂とは普通は生命活動そのもののことである。その霊魂の力が死後どうなるかにつてはさまざまな宗教的、民俗的な見解がある。ホメロスの霊根観は魂と肉体の分離で遊離した霊魂は朦朧とした無力な存在という。それに対してソクラテスは永遠のイデアを持つ不滅の霊魂という観念を主張した。それは仏教の輪廻転生のことなのかははっきりしないが、生と死の相互転換という霊魂不滅の証明に用いられたが、以降はそんなことは問題とせず、イデア論による証明に全力を傾けるのである。ソクラテスの求めた倫理的な徳の本質は「永遠不変の自己同一を保つ実体」としての形而上学的な「イデア」として定立された。オルフィズム・ピタゴラス派の輪廻転生する自己同一性なき魂も、不滅の精神的固体としての霊魂へ純化されたというべきか。「パイドン」は1)序曲、2)死に対するソクラテスの態度、3)霊魂不滅の証明(12節に分かれる本書の中心部)、4)神話、5)終曲の5章からなる。

1) 序曲

ソクラテスの死後、プレイウス出身のピタゴラス派哲学者エケクラテスが、ソクラテスの臨終に立ち会ったパイドン(エリス出身のソクラテスの忠実な弟子で仲間、哲学者。ソクラテスの死後、故郷に帰り、エリス学派を創る。)が故郷エーリスへと帰る途中でプレイウスに滞在中)に、ソクラテスの最後の様子について尋ねるという設定で物語は始まる。プレイウス人はアテナイ(アテネ)に行かないのでソクラテス最後の様子を何も知らないから、エケクラテスがパイドンに根掘り葉掘り聞きだすのである。エケクラテスはまず、裁判の結果についてはプレイウス人にも伝わっていたが、その後しばらくしてから処刑が行われたのはなぜかと問いただすのであった。それにはアテナイの伝説が死刑の執行を停止したためであるという。昔クレタの王ミノスはアテナイを攻め講和の条件として、生贄の若者を9年毎にクレタ島に贈る事になった。アテネの使者テセウスが若者と共にクレタ島にわたり、若者と自分の命を救った。そのときアテナイの市民は神アポロンに、もし救うことができたら毎年デロス島の祭りに使節を派遣するという誓いを立てたのである。それで毎年デロス島の祭りに、船尾に花飾りをつけた使節の船を送り続けており、船がアテナイに帰るまでは国法の下で処刑してはいけないことになっている。裁判の前日に祭りの使節の船が出港したので、ソクラテスは裁判と処刑との間の長い時間を牢獄で過ごすことになったのである。その死刑執行猶予の間、ソクラテスの弟子たちは毎日牢獄に出かけ牢番に贈り物をして、ソクラテスとの最後の対話の時間を持った。エケクラテスとパイドンをナレーターとして、そのソクラテスと弟子たちとの対話の内容を語らしめるという一幕の舞台の設定がなされた。主役はソクラテスとケべス、シミアスの3人で、ほかにはクリトンとその息子、アポロドロス、クサンティッペ、ヘルモゲネス、エピゲネス、アイスキネス、アンティステネス、クテシッポス、メクネセノス、ハイドンデス、エウタレイデス、テルプシオンの名前が列記されている。本書の主題はケべス、シミアスがソクラテスに「霊魂があるかどうか」を問いただすことであるので、3人以外の発言はほとんどない。牢獄におけるソクラテスと弟子たちと、毒杯を飲むソクラテスの様子は下の画に見るごとくであったろう。

最後のソクラテス

2) 死に対するソクラテスの態度

時は、あの使節の船がアテナイに戻った翌日の朝のことです。弟子たちは朝早く牢獄の前に集合し、11人の刑務委員がソクラテスに死刑執行を本日夕刻に行う旨を告げるのを待って、牢獄のソクラテスのもとへ行きました。泣き叫ぶソクラテスの妻クサンティッペを家に送り返してから対話が始まりました。あの世に旅立とうとしているものが、日没の死刑執行までの時間までの間、あの世(ハデスの国)への旅立ちを検討したり話したりしようとソクラテスは提案する。語られる内容は@哲学、A自殺禁止論、B哲学者は魂そのものになる事が理想だから死を恐れない、Cケべスの反論、魂は肉体から離れると消えてしまう、という順に論点を整理し、次章の「霊魂不滅の証明」へ案内することが本章の役目である。
@ ケべスはまず、最近ソクラテスが詩を作っているのはなぜかと尋ねた。するとソクラテスは最近夢を見て神は私にムーシーケ(広くは文芸、狭くはは哲学という意味)を業とせよと命じたからだという。哲学こそ最高の文芸であり、今アポロンへの賛歌を作っているといった。
A ソフィスト批判と真の哲学者が望むことがこの自殺禁止論で述べられている。人間にとって生きることよりは死ぬことの方がより善いことは無条件的であるが、紙は人間を配慮し支配するもので、我々は神の創造物(所有物)である。だから人間の意思で自殺することはできない。死ぬことは、この世を支配する神とは別の賢くてよい神のもとへゆくことであり、この世よりもっと優れた死んだ人のもとへゆくことである。
B 哲学者は死を恐れない。死とは肉体と魂の分離であり、哲学者は肉体を離れ知を得て魂そのものになれる。いつも死への準備をしているものであるという。ここで極端な禁欲主義の哲学者を理想とする考えが示される。哲学者は思惟そのものによって存在するものを追求しようと努力する人である。ハデスの国に行くことは純粋な哲学者(バッコスの徒)の憧れである。真実には、節制も勇気も正義も、情念から浄化されたものである。知恵そのものはこの浄化を助ける秘儀である。
C ここまでソクラテスが語ったところで、ケべスは疑問を提出した。それは魂が肉体から離れると、もはやどこにも存在しないのではないか、つまりすべては虚無に帰するのではないかという。そこでソクラテスは魂の不滅性について徹底的に議論しようではないかと持ち掛ける。それが第3章の主題となり、本書のメインテーマである。(本書は文庫本で170頁ほどであるが、第3章だけで100頁を占める。)

3) 霊魂不滅の証明

@ 生成の循環的構造による証明−生から死へ、死から生へ
すべてのものは、反対のものが反対のものから生成する。生者は死者から生成するとすれば魂はあの世になくてはならない。。生と死は反対のものであるから相互から生じるということだ。だから肉体に入る魂はハデスの国に存在している。もし魂がハデスの国に存在しないなら最後には万物は死滅するのである。このソクラテスの論理構造は果たして納得がゆくものであるかどうか、大いに疑問がある。「すべてのものは、反対のものが反対のものから生成する」というのを本質的なアプリオリな公理としているが、宇宙や物質誕生のメカニズムのことではない。言葉の対句として頭に入り易いだけのトリックではないか。こういう議論は神話や宗教の世界のことで、たとえ話として聞き置くだけのことで確かめようのない話である。パスカルは「神は居るかいないかは分からないとしたら、確率的には居るとして信じた方が無難である」というようなご都合主義的な論も成立する。まあたわいもない話である。と言ってしまえばあとは読む価値もないのだが、歴史的な認識の進歩を垣間見るつもりで、お付き合いしてください。
A 想起説による証明ーイデアの認識は想起である、人は誕生以前にイデアを見ていた。
何かを見たりする時に生じる知識を想起という。あらかじめ正しい知識が内在していなかったら、自分では何も決めることはできない。対象物の本質は「等しさ」そのものである。つまり我々が「学ぶ」と呼んでいるものは、もともと自分の中にある知識を再把握することである。その想起の主体は魂であり生まれる前からすでに知力を持った存在である。「美」とか「善」とかアプリオリに持って生まれた認識である。人間本姓の特質は生まれる前から備わったもので、知識はそれを想起することである。人は経験と教育から特性を形成するのではなく、魂という生まれる前の記憶であるという。プラトンはここでソクラテスの口をかりて、霊魂という宗教的な話を棚上げにして、哲学的な魂=不滅のイデア論に昇華させたところが偉大なのであろうか。
B さらに強力な証明へのケべスの要求
ケべスが心配するのは、我々が生まれる前に魂は存在していたということは納得できるとして、証明の後半にあたる我々の死後にも魂は存続できるのかという点である。人が死ぬと同時に魂は散り々になって、それが魂にとっては存続できないのではないかという恐怖が依然として立ちはだかっているとソクラテスに訴えた。
C 魂とイデアの親近性による証明ー肉体は合成的なので解体し、魂は非合成的なので解体しない。魂を清め魂自身になるよう努める。
「合成的なものは解体し、非合成的なものは解体しない。肉体は合成的であるが、魂は非合成的である」というテーゼ(公理)のアプリオリ的に真実なことを承認するようソクラテスは要求する。ソクラテスの論法はいつも私には同意できかねるアプリオリ的なテーゼの宣告からはじまる。それを認めると後は自動的に(論理的に破綻がないように)結論を導き出す。つまり論理構造は演繹的である。数学的証明と言ってもいい。その辺のロジックは見事であるが、今の人に通用するかどうかは怪しい。魂は非合成的なものだから実在そのもので常に自己同一性を保つ。だから魂のように同じ在り方を保つものについては、思惟以外のいかなる能力によっても捉えることはできない。魂のこの状態こそが智恵(フロネーシス)と呼ばれる。こうして魂はプラトンによって形而上学へ転化した。そして魂は肉体とのかかわりから浄化され、魂自身になるように努力しなければならないとして、極端な禁欲主義を説く。これはマックス・ヴェ―バーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に通じる「禁欲主義」である。魂が最善の場所へゆく者は、市民の公共の徳を実践してきたものでなければならないとされるのである。神々の種族の仲間に入るには哲学をしたもの、全く浄らかになった、学を愛する者でなくてはならないとなる。独善的な哲学者像である。宗教と哲学が混然としたイデア論であるが、哲学から神が追放されるのは19世紀末のニーチェを待たなけばならない。
D 間奏曲T−白鳥の歌
どうもシミアスとケべスはソクラテスの説くところに納得していない様子で、死をまじかにした人に対してこれ以上質問をしていいかどうか迷いながらしばらく沈黙が続いたが、ソクラテスに促されて意を決して新たな疑問をソクラテスにぶつけるのである。その時ソクラテスが言った言葉は「白鳥は死ななければならないと気付くと、その時は力いっぱいまた極めて美しく歌うのだ」という。白鳥は神アポロンの召使い、ソクラテスも神の所有物である。この節はプラトンの文学的表現の冴えた部分である。
E シミアスの反論ー魂が肉体との調和なら、肉体の壊滅と共に魂も死滅する。
シミアスは弦と和音の調和(ハーモニー)という点から、比喩として弦が肉体とし和音が魂と考えると、弦が滅亡すれば和音も同時に消え去るように、魂が肉体の調和ならば肉体の壊滅と同時い魂も死滅するのではないかと質問した。
F ケべスの反論ー魂は幾度も肉体を変わる度に疲労して衰弱してついに滅亡しないという保証はない。
ケべスが言うには議論が堂々巡りに陥っている。服飾職人が作る衣服は人間より寿命が長いと言っても、何代も着続けているとくたびれてすり切れてしまうという比喩から、魂が数多くの生まれ変わりを経るうちに疲労困憊して、何度目かの死に際しては全く滅亡してしまうのではないかと心配する。死後は誰も感知することはできないのだから、魂が完全に不死不滅であることを証明できない限り人々は恐怖心を抱くという。
G 間奏曲U−言語嫌い(ミソロギアー)
この二人が語りおえると、魂の不滅という事柄自体が疑わしいのではないかと全員が憂鬱な気分に襲われた。エケクラテスはパイドンの語りに口を挟んで、その時のみなの打ち沈んだ様子とソクラテスの口火を待つ様子を聞きだした。そこでソクラテスは「言葉嫌い」にならないようにしよう、「言葉嫌い」と「人間嫌い」は同じような仕方で生じている。人を信じられないということは、その人の言葉が裏腹であるからだ。自分自身の心得のなさに責任を帰さずに責任を言葉のせいにしている輩が多い。言葉には真実はないという考えが人支配することがないようにしよう。虚無を信じるか魂の不滅を信じるかをここで真剣に論じようといって、ソクラテスは2人の質問に次のように答えるのである。
H シミアスへの答えー想起説と魂は調和するとは両立しない。魂は肉体に支配されるのではなく、支配するのである。
シミアスの調和説とソクラテスの「想起説」は通じるところがないとソクラテスは言い、シミアスの比喩を退けた。こういう議論は結局自分の比喩を相手に押し付けるか、相手の比喩を根拠がないと言って受け付けないだけのことである。相手の比喩に乗せられては自説が窮地に追いやられるからだ。この本を読む私としては証明しようがない事柄については、平等に両論を聞くしか手がない。和音は弦に依存して(追随して)ハーモニーを出すが、魂は肉体に依存せずアプリオリな「想起」をもたらす魂は肉体を支配しているという。なぜなら魂は肉体の内に宿る前から存在し、実在は確実である。魂を一種の調和というのは間違っている。魂は構成要素すべてに命令をだし、全生涯を通してそれらを支配するものである(克己)。
I 間奏曲V−最終証明への準備
魂は不滅であることをケべスへの解答としながらも、ソクラテスはなお生成と消滅について、その原因を徹底して論究してゆこうと提案して、ソクラテス自身の経験を語る。それは自然哲学(アナクサゴラス)的な方法によっては、証明できないことを示す。万物を秩序付け、万物の原因は理性であると人は言うが、理性は万物をその最善の位置においているだろうか。人間にとって何が最上最善であるかを考察すること以外に重要なことはない。天体、運動などということは本当の原因ではない。今回の本当の原因とは、アテナイ人が自分を有罪とすることを善いと思った事、自分もそれを受けることが善いと思ったことである。本当の原因を探して第2の方法にたどりついた。それは仮説演繹法(ヒュポテシス)の方法である。感覚の世界から抜け出し、言論(ロゴス)の中で存在するものの本当の真理を考察しなければならない。最も強力であると判断するロゴスを前提として立てたうえで、このロゴスと調和するものを真と定めるのである。前提として立てるものは、何か美それ自体が存在するということ、善などの律、大(論理構造、集合論)についても同じである。
J 霊魂不滅の最終証明ーイデア論による証明
個々の形相(エイドス、物事の本質、イデアもここから派生)が存在すること、他の事物はこれらの形相に依存している。ここからかなり難しい形而上学というかロゴス(論理)の世界の基礎づけをプラトンは試みているようだ。相対的に大小(優劣)関係にあるものはたえず反対物に転化するか、立ち去るか滅びる運命にある。これは弁証法のことなのであろうか。奇数と偶数、熱と冷の関係などはその性格が内在することによって呼ばれている。形相そのものはつねに自分自身の名を当然のこととして要求する。自分自身の内にある性格(イデア、形相)は反対の性格を拒否するもので、反対の性格が近づいてくると、それは滅びるか退却するかなのである。これは形式論理学(位相論)の構造である。そしてソクラテスはそれらを引用して、魂は何であれ占拠すると、その物に常に生命をももたらすものと定義する。その反対の概念は死であり、魂は決して死を受けい入れようとはしないと結論する。だから魂は不死である。これで証明は終わりと宣言する。こうして魂も論理の約束事になった。論理は強引にもクリアーに切り捨てるもの、魂は白と言ったら黒ではない。

4) 神話ー死後の裁きとあの世の話

もし死がすべてのものからの開放であったなら、悪人たちが一番得をする。魂は未来永劫、魂の世話をしなければならない。魂がハデスの国に持ってゆけるのはただ教養と自分の性格だけである。ここに話されることは「天国と地獄」の話であり、仏教では浄土と地獄(浄土宗では悪人をも救うことになっている)の話で、東西どこでもある話の類である。民間宗教といってもよい。東洋の閻魔大王に相当するダイモンが裁いて選別するのである。ギリシャ時代の哲学者がこのような民間信仰を信じていたとは面白い。魂の生死は東洋仏教の輪廻転生におなじである。地球と宇宙の関係も天動説で地球自体は球とは考えられていない、平板である。我々の住む地球の様相が他にいろいろ書いてあるがばかばかしいので繰り返さない。なにしろ生まれた(アテネの)土地を一歩も離れたことがない当時のギリシャ人(ソクラテス)の無知と常識であったらしい。最後の審判をクリアして際立って敬虔に生きたと判定された者は地下から天上に解き放たれる。そのためにソクラテスら哲人は潔斎、高潔、勉学に励んできたのだからハデスへの旅を心待ちに待っていた。だから死は怖くないし、望ましい希望に満ちたことであるという、死を前にした心構えであった。

5) 終曲ーソクラテスの死

その日も夕刻になった。別室で沐浴で身を清め、いよいよ最後の運命を迎えた。ソクラテスは妻と子供2人と何事かを話し、帰るように言いつけてから弟子たちの待つ牢獄の部屋に戻った。11人の刑務委員の下役が現れ別れの挨拶をして、ソクラテスはクリトンに毒薬を持ってくるように頼んだが、クリトンは何も急ぐことはない別れを惜しんでからといったが、ソクラテスに促され毒薬を与える役目の男に合図をした。男は「飲んでから足が重くなるまで歩き回ってください。足が重くなったらベットに横になり、そうすれば薬が全身に効いてくるでしょう」といった。ソクラテスは無造作に飲み干すと、無二の親友クリトンはわが身を嘆きました。ソクラテスは人は静寂の中で死ななければならないというとクリトンは静に耐えました。毒薬をももってきた男はソクラテスの足を強く押し、次に向こう脛、そして上の身体を触り冷たくなってゆくを確認し、心臓までが冷たくなってから顔の覆いを取り外しました。こうしてソクラテスは亡くなりました。クリトンが目と口を閉じてあげました。最も優れた人の、そしてとくに知恵と正義において最も卓越した人の最期でした。


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