2013年8月3日

文藝散歩 

松本慎一・西川正身訳 「フランクリン自伝」
 岩波文庫 (1957年版)

アメリカ州植民地時代の勤勉・合理的人間の資本形成期の立身出世物語

ざっとフランクリンの紹介を見ると、ベンジャミン・フランクリン(1705年1月6日ボストン生まれ- 1790年4月17日没)は、アメリカ合衆国の政治家、外交官、著述家、物理学者。印刷業で成功を収めた後、政界に進出しアメリカ独立に多大な貢献をした。また、凧を用いた実験で、雷が電気であることを明らかにしたことが昔の教科書に出ていた。現在の米100ドル紙幣に肖像が描かれて、勤勉性、探究心の強さ、合理主義、社会活動への参加という18世紀における近代的人間像を象徴する人物。1776年アメリカ独立宣言の起草者のひとりで、フランス外交工作の最大の功労者である。生活信条であった勤勉節約はアメリカ資本主義揺籃期の成功譚となった。個人崇拝を敬遠するアメリカの国民性を超え、アメリカの父として讃えられる。『フランクリン自伝』はアメリカのロング・ベストセラーの一つである。本書は昭和12年5月松本慎一氏の訳になるもので、いわゆるスパークス本を底本としたそうである。それを西川正身氏が昭和31年に訂正補筆され、新かな使いに改め岩波文庫から出版された。昭和40年に巻末に小文「富に至る道」(1757年)を追加された。フランクリン自身は宗教倫理から「富に至る道」を著したつもりはないが、マックスウェーバー著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に似通った内容となっている。文献考証は訳者の重大事であるが、読者にとってさほど大事ではないので一切関知しないでおこう。我国にはフランクリン自伝は明治中期以来の青年の愛読書となって、明治時代は立身出世主義と結びつけて読まれたという。かの正岡子規は「病床六尺」に「次々と成功してゆくところは何とも言われぬ面白さであった」と書き、手放しで偉人成功譚として喝采を送った。しかるに、「自伝」中の商取引や、契約書、ユニオン組合式経営などはアメリカ資本主義の揺籃期として貴重な記録である。「自伝」の内容は1757年の州会代表として渡英して枢密院と交渉するところまでであって、1776年アメリカ独立宣言前後の話は一切出てこない。1771年に「自伝」の稿を起こしたが、公務に追われ独立戦争期は多忙を極め執筆できなかったようである。一段落し高齢となったフランクリンが再度「自伝」の筆を執ったのは、1788年のことで1730年のことから書き始めたが2年後天に召され結局自伝の内容は1757年止まりとなった。84歳でなくなったので当時としては長寿に違いない。もし独立戦争とその後の社会経済情勢のことまで筆が進んでいたら貴重な歴史の証言となって「アメリカ資本主義の父」となったかもしれない。

フランクリン年譜

1706年 ボストンのミルク・ストリートで生まれる。父親のジョサイア・フランクリンは獣脂ろうそく製造を行っていた。ジョサイアは二度の結婚で17人の子供をもうけた。ベンジャミンはその15番目であった。
1716年 10歳で学校教育を終える。家業のろうそく・石鹸製造業を手伝う。
1718年 『ニュー・イングランド・クーラント』紙を印刷出版していた兄のジェームズの徒弟となった。その後、次第に記者や編集者として頭角を現した。同紙の自由主義的論調により兄が投獄されたときは、代わりに発行人となったこともある。
1723年 総会(ジェネラル・コート)はジェームズにボストン市内での印刷を禁止する命令を出した。しかし印刷屋の名義を兄からベンジャミンに替え、クーラント紙を継続した。ベンジャミンは兄との何度かの喧嘩の末に縁を切り、ボストンを出ることを決意した。同年秋にボストンを後にし、当初はニューヨークへ向かったが印刷工の職はなく、すぐにフィラデルフィアに移って職を得た。キーマーに雇われ印刷工となる。
1724年 知事キースの勧めによりロンドンに行き、植字工として働く。在英1年半
1726年 商人デナムとともに帰国、印刷業を再開する。翌年デナム氏死去後再びキーマーに雇われ印刷工となる。
1728年 メレディスと組合を作り、フィラデルフィアで印刷業を始める。 1729年 植民地時代もっとも読まれていた『ペンシルベニア・ガゼット』紙を買収。アメリカ初のタブロイド誌を発行。
1730年 メレディスとの印刷業組合を解散し一人で印刷業を営業する。リード嬢と結婚。
1731年 フィラデルフィアにアメリカ初の公共図書館(フィラデルフィア組合図書館)を設立する。この図書館は成功を収め、これを規範にアメリカの他の都市にも図書館が開設されるようになった。道徳律13徳を樹立。
1732年 『貧しいリチャードの暦』(格言付き暦)を発案し、25年間発行しよく知られるようになった。
1733年 チャールストンに組合を組織し、印刷業を手広く経営した。このころ語学、フランス語、イタリア語、スペイン語、ラテン語を学ぶ。
1734年 ウォーター・ストリートのタン・タヴァンのフリーメイソンリー(フリーメイソン)のロッジで、グランド・マスターに選ばれた。
1736年 息子の一人を天然痘でなくする。ペンシルバニア州会書記に選ばれる。1751年まで毎年選任される。ユニオン消防組合を創設する。
1737年 フィラデルフィア郵便局長となる。 1743年 大学創設案を起草し、アメリカ学術協会を設立し書記となった。
1748年 印刷業から手を引き、公職に専念するようになる。フィラデルフィア市会議員をつとめた。
1751年 ペンシルバニア州会議員となる。フィラデルフィア・アカデミー(後のペンシルベニア大学)を創設。
1752年 凧の実験で稲妻(雷)の正体は電気であることを実証する。アメリカでは注目されなかったが、フランスで評価される。翌年コプリー賞を受ける。
1754年 勃発したフレンチ・インディアン戦争ではイギリス軍ブラドック将軍のための軍需品(車馬)調達に奔走した。オルバニーの会議で州代表となり植民地の連合計画を提案
1756年 ペンシルバニア州義勇軍連隊長になる。街路舗装に尽力する。イギリス学士会員に選ばれる。
1757年 植民地の待遇改善を要求するために州代表としてイギリスに派遣された。領主免税を非難し公平な課税を主張した。「富に至る道」を出版。このとき、彼の科学的な業績を称えオックスフォード大学などから名誉学位を授与されている。1962年まで5年間在英する。
1764年 ペンシルバニア州会議長となる。12月州代表として再度渡英する。
1766年 フランクリンの努力により英国議会で税法改正が通過した。以降ジョージア代表、ニュー・ジャージー代表、マサチュセッツ代表を兼ねる。
1711年 自伝の執筆を始める。
1773年 ボストン茶会事件勃発
1775年 レキシントン、コンコードで英米の武力衝突起こる。
1776年 アメリカ独立宣言の起草委員となり、トーマス・ジェファーソンらと共に最初に署名した5人の政治家のうちの1人となった。独立戦争中は欧州諸国との外交交渉に奔走。独立戦争へのフランスの協力・参戦と、他の諸国の中立を成功させる。
1778年  パリで米仏同盟条約調印。
1779年 駐仏全権大使となる。
1781年 対英講和会議代表となる。
1783年  パリで中立国のスウェーデンとアメリカ・スウェーデン友好通商条約を締結する。
1784年 パリで自伝の稿をつぐ。
1785年 ペンシルバニア総督となり、フィラデルフィア憲法会議に出席。
1788年 フィラデルフィアにて自伝の稿をつぐ。
1790年  84歳で死去。葬儀は国葬であった。

ベンジャミン・フランクリンは言うまでもなく、行動の人という面が強く、思索の人ではない。だから自伝はおのずと事実の回想となり、まとまった思想を述べ立てるものにはならない。すると上に述べた年譜だけで自伝は出来上がっているともいえるが、それでは物足りない。事実関係についていえば筆がアメリカ独立戦争当時に及んでいないので、それだけで読書子の興味は半減してしまうだろう。フランクリンの人生は総合的にみる必要があるが、出版業者、哲学者、科学者、経済学者、政治家、外交官革命家といったラベル貼りには、ちょっと違和感を覚える。勤勉・合理的人間の資本形成期といって組合経営だけでアメリカ資本主義形成期を語りつくせるわけではない。印刷業での成功といっても、しょせんは個人商店程度のころであって、近代印刷業を語ることはできない。フランクリンの経営は産業革命がアメリカに及ぶ前の時代に生きたので大規模製造業や株式会社制度といった資本主義社会の確立にも及んでいない。13徳という経済人たるべき道徳倫理をまとめたといっても、昔の格言をまとめたに過ぎないので哲学者といえば言い過ぎではないか。稲妻の正体が電気であるという実験は実験法が見世物的で、電磁気学に貢献したとも言い難い。ということでフランクリンの面目は、社会実践家として日本の福沢諭吉を思いおこさせるが、福沢は政治家の面は避けている。寄付や出資の工作によるペンシルバニア大学の設立(明治初期、京都の商人が寄付によって日本初めての小学校設立に似た快挙である)とか、街路舗装と照明の整備事業などで社会的信用を得て(社会的信用が先かもしれない)、行政の長に出世をし外交的な人脈を中心とした活躍に際立った能力と遂行力には脱帽する。要するにフランクリンの真骨頂は行動てき総合的人間の活躍という点になる。この自伝には書かれていない18世紀後半のアメリカ独立の時代にフランクリンは大活躍し、その人物については自伝に書かれた内容から十分理解できるということである。


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