2013年1月21日

文藝散歩 

山本光雄訳 「イソップ寓話集」  
 岩波文庫 (1974年改版)

動物に擬して民衆に生きる知恵を教える奴隷の道徳


イソップ寓話 蟻とキリギリス

本書の巻末にある解説より、イソップ寓話の簡単な紹介をする。イソップ(ギリシャ語でアイソポス)に関する最古の文献は、歴史家ヘロドトスがエジプト王ミュケリノス建造のピラミッドを論じるについて、芸妓ロドピスはサモス人イアドモンの奴隷で、あの寓話作家アイソポスと一緒に奴隷をしていたというのである。そしてアイソポス殺害の代償を受け取りたいひとをとして、イアドモンの孫が名乗り出たという記録を書いている。一般のこのヘロドトスの記述は信用されており、これによればイソップはアマシス王の時代(紀元前6世紀)に実存して、寓話作家として知られており、サモス人イアドモンの奴隷であったこと、そしてデルポイで殺害されたことが分かる。イソップに関する他の記述は概して信用できないものが多く、プラヌデス(1260-1330)の作といわれる「アイソポス伝」も全く面白半分に書いており信用するに足りない。イソップは寓話を作った最初の人といわれ「寓話のホメロス」ともいわれたが、彼以前にもヘシオドスらはイソップ寓話に見られるような寓話をいくつか残している。それ以前から伝承されてきた古代メソポタミアのもの、後世の寓話、アイソーポスの出身地とされる(小アジア)の民話を基にしたものも含まれている。現在の寓話についている解釈は、これらの古典的寓話集が、ギリシャ語やラテン語を読むキリスト教の学者によって受継がれて来た事、中世ヨーロッパでのキリスト教の価値観を持った寓話をさらに含むことで、単なる娯楽的な寓話から教訓や道徳をしめす教育的な意味を付加されている。したがって各々の寓話の末尾につけられた解釈・教訓は本来(原形)のイソップ寓話集にはなかった文章で、後の学者が教訓じみた文を付加してものであろう。寓話を堅苦しくしており「なくてもがな」と思われる。寓話は動物などの性格(たとえば狐は狡猾さ)・行為に託して道徳的教訓を与えるところ、童話などと違った特徴がある。とはいうものの寓話的要素はグリム童話にも多く取り入れられている。グリム童話の登場人物の特徴が、深い森にいる魔法使い、職人、王様・お妃・王子・お姫様だとすれば、イソップ寓話の登場人物は動物である.。人間も登場するが半分ほど少ない。そしてグリム童話は長編(繰り返しによる)であるが、イソップ寓話は短篇(付け加えられた教訓を取り除けば、数行にすぎない)短篇である事が特徴である。面白いことに、本書に一箇所、作者といわれるイソップ自身が登場する。これは後日他人が書いたものであろう。イソップをどう見ていたかが分かるエピソードが挿入されていると見るべきであろうか。

イソップ寓話が目的とする道徳はやはり奴隷の道徳である。現在の規範から判断すべきではなく、ギリシャ時代の民衆(自由市民とは貴族のことで、民衆は奴隷とみてよい。ただしかなりルーズな奴隷で、近代の黒人奴隷の悲惨さとはイメージが異なる)の道徳観や処世術をみる必要がある。凡俗で醜悪な人生の活図(ゴヤの版画のような)が見られる。それによって人間の智を深く広くする事を狙っている。アイソポス寓話はギリシャ時代の学校において、作文の練習課題として用いられたという。アイソポス寓話は紀元前4世紀の道徳的観察の隆盛になった時期に多いにもてはやされた。アリストパネス、クセノボン、プラトン、アリストテレスに度々引用される。なお文学形式としてはイソップ寓話は先ず散文であって、プラトンは詩形に改めたといわれる。一部に詩形の作品も交じっている。紀元前3世紀にデメトリスがアイソポス寓話の蒐集と編纂を試みたといわれるがそれは伝わってはいない。本書の翻訳は1927年パリ エミール・シャンブリー版のギリシャ原文によったそうである。日本では、1593年(文禄2年)に「イソポのハブラス(ESOPO NO FABVLAS)」として紹介されたのが始まりで、これはイエズス会の宣教師がラテン語から翻訳したものと考えられており、天草にあったコレジオ(イエズス会の学校)で印刷されたローマ字のものである。その後江戸時代初期から「伊曾保物語」として各種出版され、普及し、その過程で「兎と亀」などのように日本の昔話へと変化するものもあらわれた。内容は現在のイソップ寓話集と異なる話も収録されている。

話しの内容を分類するため題名にでる主役だけでカウントすると、大きな分類では動物の関係が217作品人の関係が104作品ギリシャの神の関係が22作品、植物8作品、自然4作品、物3作品の合計358作品である。動物が主役の作品が全体の2/3を占め、動物の順で行くとライオンが21作品、ロバが20作品、狼が17作品、狐が15作品、犬が13作品、烏が11作品、山羊が6作品、鶏が6作品、鹿が5作品となって、動物から想像される性格を擬人化した話である。次に人の話ではさまざまな職業の人が描かれており、職業別では漁師7作品、羊飼い8作品、農夫9作品、医者4作品が多い方である。ギリシャの神ではゼウスが9作品、ヘルメスが5作品、ヘラクレスが3作品、プロメテウスが2作品である。動物が主人公の話しが多いので、主人公として登場する動物種を全部挙げてみると、鷲、鶯、鼬、猫、山羊、鶏、翡翠、狐、熊、蛙、牛、カナリア、豚、蝮、騾馬、鮪、鳶、馬、駱駝、甲虫、蟹、ビーバー、つぐみ、烏、雲雀、白鳥、犬、蚊、兎、鴎、ライオン、狼、蜂、鼠、蠅、蟻、こうもり、驢馬、蛇、猿、羊、モグラ、猪、孔雀、蝉、ハイエナ、燕、亀、鵞鳥、鸚鵡である。登場動物の豊富さに比べて貧弱なのが植物で、柏、葦、くるみ、オリーブ、バラ、柘榴に過ぎない。そして季節や自然も極めて貧弱である。これはギリシャという乾いた土地のなせることかもしれない。本書の目次に従って全作品を要約することはやめよう。あまりに内容が短くて数が多いからである。要約しても文章の嵩はさほど減らないし、作品自体に贅肉がないのでこれ以上にまとめようがない。また作品に付されている教訓は的を得ていない場合もあり、これを取り上げて詮索しても人によっては異論も多いからである。どうぞそのまま味わってください。また私にとってそんな教訓は今さらどうでもいい年頃に来ているのである。


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