2012年2月22日

文藝散歩 

 「孫 子」 
金谷治訳注 岩波文庫 (1963年)

中国最古の兵書は戦わずして勝つことを教える それは人生・社会一般にも通じる


「孫子」は中国古代(春秋から戦国時代)の書で、思想書ではなく「兵書」といわれるが、なかなか人生哲学書といってもおかしくはない。そもそも人間社会は闘争によって進化(?)してきたため、戦争を考えることは人間を考えることに等しいのである。ファンダメンタルズとしての国の経済力や兵の規模や兵器の装備そしてロジステック(兵站)だけでは勝はきまらない。ベトナム戦争を見れば一目瞭然である。戦争は心理戦でもあるので、大国といえ戦う気をなくしたら負けである。北朝鮮をみればファンダメンタルズとしてとても戦争ができる態勢には無いのであるが、小国ながらあの志気の高さは持って覆うものがある。本書は金谷治氏による中国最古の兵書「孫子」13篇の全訳と注である。金谷治氏のプロフィールを見ておこう。金谷 治(1920年2月20日 - 2006年5月5日)は、日本の東洋学者。専門は中国哲学、特に中国古代思想史。1962年から1983年まで東北大学文学部教授を務め、1983年より1990年まで追手門学院大学文学部長 であった。岩波文庫版で、『論語』および『孫子』・『荀子』・『荘子』・『韓非子』・『大学、中庸』の訳注書を刊行。講談社学術文庫で、『易の話 易経と中国人の思考』・『淮南子の思想 老荘的世界』・『老子 無知無欲のすすめ』(訳註解説)・『孔子』(伝記研究)を再刊している。このほかに中国古代思想史の著作は多い。金谷氏は特にテキストについてはうるさい。本書「孫子」のテキストは「宋本十一家注孫子」をそのまま用いたという。本書の注で各種のテキストの比較を行なっているが、私にはうるさいだけで興味は無いので言及しない。また「孫子」のテキストの変遷については、紀元3世紀三国史の魏の武帝(曹操)が注をした「魏武注孫子」で現在につながる決定版となったようだ。本書の本文に入る前に「序」として金谷氏による「解説」がついているのでありがたい。「孫子」に関する薀蓄を知っておいて損はない。

「孫子」は中国最古で最も優れた兵書であるという。兵書には「孫子」のほかに、「呉子」、「司馬法」、「尉繚子」、「李衛公問対」、「黄石公三略」、「六韜」の6つを加えたものを「七書」という。「孫子」は中国歴代の兵書の総もとじめであり、他の兵書は「孫子」のコピーであるといっても過言ではない。わが国にも古くから伝わり、特に16世紀の戦国時代から広く読まれたらしい。そこから日本流の数々の亜流の兵法が出てきた。古典としての「孫子」の価値は戦争の戦術としてだけでなく、広くは戦争一般の見方とさらには人生の問題として広い視野に組み込まれていることであろう。日常の処生法や人のあり方の道徳をふくむ思想性と普遍性を兼ね備えているからであろう。そして現代ではビジネス書(ハウツー物)や歴史読本では「孫子」の名言は欠かせない。例えば経営者向け雑誌「プレジデント」では「孫子」は経営哲学となっている。またその文章も簡古な雅致のあるものと見なされている。「敗北」(はいぼく)という漢字になぜ北(きた)があるのだろうか。北は方向の北ではなく「逃げる」という意味である。敗れて逃げることが「敗北」であった事を恥ずかしながら今にして知った。字源を知らされるこのような事例は本書を読めば各所に出てくる。「周」とは親密なこと、「生」とは高いこと、「絶」とは越えることなど古語の読み方を勉強できる。原文は簡潔で「老子」に比べれば分かりやすい。誤解したり、引っかかるところがあればそれは古語の読み方か本文の誤字によるものである。「孫子」の作者には諸説あり、前漢の司馬遷の「史記」によると、一説によると春秋時代の呉に仕えた孫武だといい、他説には戦国時代の斉の孫ひん(月偏に賓という字)だというが、その引用しているエピソードがうそ臭いストーリで史実であるわけがない。内容からすると戦国時代の背景をうかがわせることが多いので、春秋時代の孫武説は今では否定されている。おおよその成立は戦国時代の末期、紀元前3世紀の中頃の事であろうとされる。道家思想や法家思想などとの係わり合いからして戦国時代の末期とする説が納得できるという。

「孫子」の内容は13篇に分かれる。第1篇は序論にあたり、第2篇は作戦篇で、第3篇は謀慮による攻撃を示し、以上の3篇が「戦争総説」(戦略論)にあたる。第4篇攻守の態勢について、第5篇は軍の勢いについて、第6篇の戦いの虚実について、以上の3篇が「戦争の基本」を説くものである。以上の6篇をあわせて前編が「戦争原論」というべき総論である。続いて第7篇から第13篇の後編が「戦争各論」(戦術論)である。次に各篇の述べている論点をまとめておく。
第1篇 「計 篇」: 計とははかり考えることで、開戦のまえによく熟慮すべきことを述べる。
第2篇 「作戦篇」: 軍を起こすこと、主として軍費の事を述べる。
第3篇 「謀攻篇」: 謀によって攻める、すなわち戦わずして勝つの要道を述べる。
第4篇 「形 篇」: 軍の態勢について、自らは不敗の位置において敵の敗れに乗じることを述べる。
第5篇 「勢 篇」: 勢とは勢いの事、形から発動する戦いの勢いについて述べる。
第6篇 「虚実篇」: 虚は備えなくすきのある事、実は充実し準備を整えることで、実によって虚を討つべきことを述べる。
第7篇 「軍争篇」: 実戦中に敵の機先を制して、利益を収めるために争うことを述べる。
第8篇 「九変篇」: 変とは定法に拘らず事変に臨んでとるべき九つの変った戦法を述べる。
第9篇 「行軍篇」: 軍を押し進めること、軍隊を止める場所や敵情視察の重要性について述べる。
第10篇 「地形篇」: 戦場の地形について述べる。
第11篇 「九地篇」: 9通りの土地の形勢と戦い方について述べる。
第12篇 「火攻篇」: 火を使って攻める際の注意点を述べる。
第13篇 「用間篇」: 間諜を使って敵情を窺うことの重要性について述べる。

訳注者金谷治氏は「孫子」の内容的な特徴を次の3つにまとめる。第1はそれが好戦的でないことである。戦わずして勝つを最高として、「兵とは国の大事なり」と軽々しく事を起こす事を戒めている。そして長期戦になる事を最低の戦い方とする。このことは老子の「兵とは不祥の器」という思想にも通じる。戦争には莫大な国費を必要とし、国を滅ぼす契機にもなる凶器であるという。第2の特徴はその立場が現実主義に貫かれていることである。機に入り微に入り戦争を観察し、戦争は開戦前に慎重な熟慮のもとに十分の勝算を立てて戦うべきであると述べている。「利に非ざれば動かず、得に非ざれば用いず」、「彼を知り、己を知れば百戦危からず」という。第3の特徴は戦争に際して主導性を把握することの重要性を強調している。「実を持って虚を討つ」、「正と奇によって勝つ」ということを述べている。十分な準備をして敵の機先を制することが大切であるという。これは太平洋戦争の真珠湾攻撃を戦術的に見れば実に華麗な勝ち方であったが、戦争全体として大本営に勝算があったのだろうか。時の勢いとか空気ばかりを気にして戦争に突入したにすぎないのだろうか。古来中国では「孫子」は武科挙(武挙)に合格するための必須テキストとして武人はみな学んでいた。中国革命の毛沢東は日中戦争の最中、どうすれば中国国民党に勝ち日本に負けず、そして国民の支持を得られるかを考え抜き、その代表的著作である『矛盾論』や『持久戦論』などには、「孫子」を何度も引用している。「孫子」が日本に伝えられ、最初に実戦に用いられたことを史料的に確認できるのは、『続日本紀』天平宝字4年(760年)の条である。大宰府に左遷されていた吉備真備のもとへ、『孫子』の兵法を学ぶために下級武官が派遣されたことが記されている事を初めとし、日本の戦国時代で組織戦が主体となると、「孫子」は取り入れられるようになっていく。戦国武将には容易にその痕跡を見出すことができる。中でも、武田信玄が軍争篇の一節より採った「風林火山」を旗指物にしていたことは有名である。江戸時代には実戦経験のな兵論が盛んに起り各派が興った。しかし時代が下るにつれ、昭和のころには海軍・陸軍ともに「孫子」が学ばれることは少なくなっていく。近代的兵学に圧倒されていったためである。武藤章陸軍中佐が「クラウゼヴィッツと孫子の比較研究」(1933年)を発表しているものの、クラウゼヴィッツは現代性があり普遍性(使える)があるが、「孫子」は中国古代の事で普遍性に乏しいと当たり前の事を言っている。しかし戦争の真の目的は平和であって勝利ではないということをクラウゼヴィッツは最後まで理解できなかったというイギリスの軍事史家のリデル・ハートの言もあるなど、むしろ「孫子」の方が戦争の本質を善悪両面から深く洞察しているようだ。

第1篇 「計 篇」: 「孫子曰 兵者国之大事 死生之地 存亡之道・・・」

「兵は国の大事なり」 開戦にあたりよくよく熟慮しなければ国を滅ぼし民は死ぬ。@道(政治)、A天(自然)、B地(土地の状況)、C将(将軍の人材)、D法(軍制)の事を敵味方を比較して考えれば、戦わずして勝敗を知るのである。
「兵とは詭道なり」 勝利の目算があれば敵の見方とは逆の臨機応変の処置(詭道)をとる。したがって出陣前にはあらかじめ決めておくことは出来ないのである。

第2篇 「作戦篇」: 「孫子曰 凡用兵之道 馳車千輌 革車千乗・・・」

「兵は拙速なるを聞くも、未だ巧久なるを賭ざるなり」 そもそも戦争が長引いて国家に利益があったためしはない。長引くと国家の経済が窮乏する。
「国の師に貧なるは、遠師に輸すなり」 遠くで戦うときの兵站(軍の補給)の困難さ、民の困窮を考えて軍の食糧は敵から奪え。
「兵を知る将は、民の司命」 戦争の利害をわきまえた将軍は、人民の生死の運命を握っている。

第3篇 「謀攻篇」: 「孫子曰 凡用兵之法 全国為上 破国次之・・・」

「百戦百勝は善の道に非ず、戦わずして人の兵を屈するが善の道なり」、「故に上兵は謀を伐つ・・これ謀攻の法なり」 最高の戦法は敵の陰謀を破ることであり、次は敵の同盟関係を破ることであり、その次は敵の軍を伐つことであり、最も下の策は城を攻めることである。他に手がない場合の止むを得ざるの策である。君主と将軍と関係は密にして、君主は用兵に口を挟まないことであると云う。
「彼を知り己を知れば、百戦殆うからず」 勝ちを知るには5つある。戦いの是非、軍政の大小、上下関係の疎通、よく準備して敵の隙に当たる、将軍の器が優れ君主の口出しがないことである。

第4篇 「形 篇」: 「孫子曰 昔之善戦者 先為不可勝 以待敵之可勝・・・」

「勝つべからざるは守り、勝つべきは攻なり」 誰にも負けないような自軍の態勢を整えて、誰でも打ち勝てるような敵の態勢を待つことである。
「善く兵を用いる者は、道を修めて法を保つ」 誰もが承服するような立派な政治(軍政)を行い、さらに軍制(軍隊編成)を守ることである。
「兵法は一に度、二に量、三に数、四に称、五に勝」 戦争は徹底的に数量の比較である。秤にかけて十分に重いことがわかってから戦うのである。
「積水を千仭の谷に決する若きは形なり」 勝ちうる形(態勢)にあってそれが持つエネルギーをぶつけることが勝利の戦いである。

第5篇 「勢 篇」: 「孫子曰 凡治衆如治寡 分数是也 闘衆如如闘寡・・・」

「衆を治むること寡を治むるが如くなるは、分数、形名、奇生、虚実これなり」 大軍を意のままに動かす要道は、部隊を分け編成すること、司令が行き届くような道具を使う、変化に応じて繰り出す奇法と定石どおりの正法の使い分け、充実した態勢で敵の隙を討つことである。
「正奇の妙:凡そ戦いは正を以って合い、奇を以って勝つ」 戦争は定石通りの正法で不敗の立場に立って敵と対戦し、情況変化に応じて奇法で勝つのである。
「善く戦う者は険にしてその節は短なり」 戦いは激しさ(勢)を以って攻め、その節は機敏な動きをする。怒涛のように攻め、勝負は一瞬にして決めるのである。
「利を以って動かし、詐を以って之を待つ」 敵を誘うように動かし裏をかいてそれにあたるのである。

第6篇 「虚実篇」: 「孫子曰 凡先処戦地 而待敵者佚 後処戦地・・・」

「故に善く戦う者は、人を致して人に致されず」 戦いは終始主導権を握って実の態勢をとることである。
「微なるかな微なるかな 無形に至る」 自分の態勢を敵に悟られず、敵の運命の主宰者となる。
「進みて禦ぐべからざるは、その虚を衝けばなり・・敵、我と戦うを得ざるはその行く所にそむけばなり」 敵の隙を衝いた進撃を行い、退却するときはこちらの動きを敵に分からないようにする。
「人を形せしめて我に形無ければ、即ち我は専まりて敵は分かる」 自分の態勢を敵に分からないようにすれば敵はどこを攻め守っていいか分からないので、兵力を分散してあたる。だから自分は衆で敵は寡となる。寡をもって衆を討つことも出来るのである。これを「虚実の法」という。

第7篇 「軍争篇」: 「孫子曰 凡用兵之法 将受命於君 合軍聚衆・・・」

「和を交えて舎まるに軍争より難きは莫し・・・迂直の計」 機先を制するための争いは迂直の計(遠近の計)を持って、まず敵より有利な形をえることである。軍争は利益を得るが又危険な道でもある。動作を俊敏にするため軍隊に構わず有利な土地を得ようとする(源義経のゲリラ戦)と軍の敗北につながるのである。
「故に兵は詐をもって分かち、利をもって動き、分合をもって変を為す者なり」 戦争は敵の裏をかく事を中心とするので、「風のように早く、林のように静かに、火のように攻め、山のように動かない」のである。

第8篇 「九変篇」: 「孫子曰 凡用兵之法 高陵勿向 背丘勿逆・・・」

「九変」 戦争でやってはいけない9つの教訓(勿れ集)を述べる。高い山を攻めてはいけない、山を背に戦う敵を攻めてはいけない、険しい地勢にいる敵に長く対峙してはいけない、偽りの退却を追ってはいけない、鋭い気勢の敵に攻めてはいけない、釣りに来る餌の兵に食いついてはいけない、母国に帰る敵は引き止めてはいけない、包囲した敵には逃げ口を一箇所設ける、進退窮まった敵を追い詰めてはいけない、「九変の利」といって、これが戦争の原則である。
通ってはいけない道もある、j攻撃してはいけない敵軍もいる、攻めてはならない城もある、争奪してはいけない地もある、受けてはいけない君命もある、これを「五利」という。
「五危」 将軍には5つの危険がある。駆け引きを知らないで決死の覚悟では殺される、生きることだけを考えると捕虜になる、気短なものは侮られる、利欲がない者は辱められる、兵士を愛する者は兵士に苦労させられる。

第9篇 「行軍篇」: 「孫子曰  凡処軍相敵 絶山依谷 視生処高・・・」

軍を置くべきところとして、山に処する軍は登るな、水に処する軍は水の中で戦うな、敵を渡らせて向え討て、沢沼地に処する軍は速やかに渡れ、水草の中に伏せろ、平原に処する軍は丘を右背にして戦えとする。
「地形の六害」には、避けるべき地勢を絶壁に囲まれた谷、自然の井戸、天井、天牢、天網のような樹木の密生地、天陥のような自然の落とし穴、天隙のような深い裂け目には軍を置くな。上から攻められやすく逃げられないからだ。
「鳥の起るは敵の伏せるなり」 敵の動きを察する鋭敏な感覚をもて、戦場の空気を察せよ。将軍・参謀は戦場の心理学と洞察力を養え。
「兵は多きを益ありとするには非ず」 軍隊の平素からの訓練・規律で兵の質を高めること。

第10篇「地形篇」: 「孫子曰 地形 有通者 有挂者・・・」

「六道」 土地の形状には、通じる、挂げる、支るる、隘き、険なる、遠きがある。道に応じて軍を出すと退くは将軍の重大な責任である。
「六敗の道」 兵の過ちには、走る、弛む、陥る、崩れる、乱れる、逃げる者がある。
「夫れ地形は兵の助けなり」 地形を考え合戦の道理として十分に勝ち目ありと将軍が判断する責任がある。
「兵を視ること嬰児の如し」 将軍が兵士を治める要諦を述べる。愛情を持って甘やかさずという子供をしつける目が必要であるという。

第11篇「九地篇」: 「孫子曰 用兵之法 有散地 有軽地・・・」

「九地の形勢」 戦うべきポジションをしることは重要である。散地(自国内が戦場)、軽地(自国に近い戦場)、争地(敵味方双方に有利な地)、交地(双方が行くのに便利な地)、要衝地(どちらがとっても大事な地)、重地(敵の重要都市、交通の要所)、避地(道が険しく軍を入れるべきでない地)、囲地(退くのも難しい包囲されやすい地)、死地(必死になって戦い生死を分ける地)
「不慮の道」 敵が大軍で迫ったときの戦い方は敵の思いがけない(備えのない所)を攻撃することである。
敵地で兵を用いる法は、ほかに行き場の無い情況に兵を投げ入れることである。兵の心をひとつにして、そこで勇気が出るのだという。
「能く士卒の耳目を愚にし」 軍にはスパイが入り込んでいるので、軍の計画は知らせないようにする。
「是初めは処女の如く、後には脱兎の如く 敵人防ぐに及ばず」 敵と開戦すれば、敵の大事にするものを第1の攻撃目標とし、処女のように静かに近づき、脱兎の如く激しく攻撃すると、敵は防ぎきれないのだ。

第12篇 「火攻篇」: 「孫子曰 凡火攻有五 一曰火人 二曰火積・・・」

「五火の変」 火攻めには火人(人を攻撃する)、火積(兵糧の積荷を燃やす)、火輜(武器や軍備を焼く)、火庫(財貨倉庫を焼く)、火墜(敵の行路に火をかける)がある。敵の陣内で火が起きたらすばやく攻撃するが、敵が動かないなら様子を見ること、陣外から火を放つこともある。風上には立つな、夜の火は放つな。
「費留」 戦いで勝つだけで決定的な功積を納めない無駄な戦いは経費のみがかかる。戦いは慎重にし戒め利ことが国家安泰・軍隊保全のための方法である。

第13篇 「用間篇」: 「孫子曰 凡興師十萬 出征千里 百姓之費・・・」

「成功の衆に出るは先ず知るなり」 戦争をするということは、10万の軍、千里の道、百姓の賦課、日に千金を費し、内外騒動し、70万戸の家は疲弊する、守ることは数年だが1日で争いは決まるという大浪費・非効率なことばかりである。よっぽど慎重に準備しなければならないが、先ず敵を知る事から始まる。
「五閨v 郷間、内間(敵の内報者)、反簡(ダブルスパイ)、死間(敵のスパイ網の撹乱者で死んで功がなる)、生間(その都度帰ってきて報告する) 軍の中では間諜の働きは最も重視される。敵の将軍・宰相の人間を徹底的に調査する。中国の歴史を見ても間諜が王朝の革命の契機であったという。


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