2012年1月12日

文藝散歩 

辻 邦生 著 「嵯峨野明月記」 
(新潮文庫 1990年)

京の芸術家 本阿弥好悦の書、俵屋宗達の絵、出版者角倉与一の出会い 


四季草花下絵和歌巻

四季草花下絵和歌巻(書:本阿弥光悦 下絵:俵屋宗達)

辻邦生氏の本では 「西行花伝」(新潮文庫 1998年)を読んだことがある。本書「嵯峨野明月記」(本書は1973年 河出書房「辻邦生作品5」で出版された)は光悦、宗達、与一の3人に語らせる「語りの文学」というやり方で、「西行家伝」もそのやり方を踏襲しているといえる。語り手の口を通して西行の歌論、人生に迫ろうとするやり方は、不思議な冥さをもって茫茫と広がるのである。これを「言葉の豊穣」というのか「言葉の広袤」というのだろうか。著者辻邦生の世界とは今あるということについての、とめどない揺り返し、湧き上がり、あふれ出して来る言語無窮の世界なのである。いかにも唯美派の文体ではある。これは西行の世界に通じるのであるが「言葉にしか真実はない、この世の有様は言葉が自分に語りかけてくる、世界と自分が言葉で一体化する」ということである。これはまさに認識論の中核をなす思想である。と私はまとめた。こういう語り口は折口信夫著「死者の書」にも見られる。言葉を介してのみ世界はおぼろげな意識のもとで開けてくる、いわゆる朦朧体の文体である。ここで辻邦生氏のプロフィールをまとめておく。辻 邦生(1925年 - 1999年)は、日本の小説家、フランス文学者。1949年東京大学文学部仏蘭西文学科へ入学、パリ留学後、1963年『廻廊にて』で近代文学賞。その後は、『安土往還記』や『背教者ユリアヌス』などの歴史小説で様々な賞を受賞。1981年(昭和56年)父の死去を機に辻家の家系を小説「銀杏散りやまず」として発表。歌人西行の生涯を描いた歴史小説『西行花伝』で谷崎潤一郎賞を受賞。1996年日本芸術院会員となる。

本書「嵯峨野明月記」は戦国時代から徳川幕府初期に、京都で活躍した琳派3人の美術家の評伝である。開版者角倉素案(与一)の創意にしたがって、当代きっての能書家本阿弥光悦の手書きの書と、光悦とともに琳派の華麗な画風を開いた俵屋宗達の工夫が凝らされた版下絵、そして本の装丁を紙屋宗二に任せた「嵯峨本」或いは「角倉本」、「光悦本」と呼ばれる豪華本が出版された。雲母摺りや雲母で模様を刷り込んだ料紙に、考えうるかぎりの優美と典雅が表現されている。書物は読むためだけにあるのではなく、表紙、料紙、文字、模様に散りばめられた美しさによって、語られ歌われる華麗な世界へ読書子を導くためにある。そのような豪華本を、角倉与一という当代きっての豪商・事業家で学者でもあったが、美的意識の粋を尽くして作り上げたものである。本書は、琳派という安土桃山文化の最後(極致)の花を咲かした時代と美術家との出会いを描いた。世俗的な浮世絵が出現する元禄時代の前に、桃山文化・王朝文化の典雅、優艶の世界を見せてくれた。琳派芸術については、多くの美術書や橋本治著「ひらがな日本美術史 4」(新潮社 2002年)が参考になる。

本書を書くにあたって辻邦生氏は先ず全体の構成(章立て)と3人の芸術家の性格つけ、そして時代背景のデッサンを作られたと思う。それなしにはこの長文はかけないだろう。下の表に「嵯峨野明月記の章立て」をまとめた。なぜか光悦に政治世界の流れを語らせるストーリテーラーの役割を担わせている。そして史実かどうか私には判断はつかないが、光悦には反信長の陰謀を企てた人物らとの交友、反徳川の西軍の要人らとの交友関係を持った怪しげな人物という性格を持たせている。すると最後に家康から光悦が鷹ヶ峰を拝領したという事実との整合が出来ないジレンマを有している。光悦がスパイであったのか、家康に睨まれて都の山奥に追いやられたという説もあり私には是非はつかない。妙に政治的な動きを光悦に担わせるのが史実かどうかは小説というジャンルでは不問にしておこう。与一には学問と事業に引き裂かれた人格という設定は、事業家としての業績とあわせてそのまま了解できる。宗達は自由気ままな人格は小説として了解できる。すると本書は史実に基づく芸術家評伝という簡単な理解は難しいとなると、美術芸術史というには辻邦生氏の芸術への突っ込みが少し弱いようにみえる。俵屋宗達が扇絵や和歌豪華本版下絵から「風神雷神図屏風」を描くようになった契機として、浮世絵の創始者といわれる岩佐又兵衛との出会いを強引に持ってくるのは史実かどうかは別にしても、納得がゆく説明ではない。

光悦村から見た鷹ヶ峰

鷹が峰

嵯峨野明月記の章立て
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登場人物本阿弥光悦
一の声(私)
俵屋宗達
二の声(おれ)
角倉与一
三の声(わたし)
与えられた性格青蓮院派書道家
政治のストーリテーラー
琳派絵師 自由人事業家出版者 
第1部第1章「闇のなかより三人のつぶやき始める声」
(懐を述べる)
語るに足る人々を回想する
-
学者と実業の狭間で苦悩する
-第2章「花鳥虫を愛ずる事、家業に及ぶ条々」
(家業)
本家 本阿弥辻子
刀剣の鑑定、研磨
本家俵屋 西陣蓮池
唐織・織染
本家二条 
祖父医師、父了以実業家 
河川土木事業、兵糧輸送業、海外貿易、鉱山開発
-第3章「月明に女と出会う事、及び世の移り行きに及ぶ条々」
(戦国時代)
丹波の土井民部・斉藤利三ら光秀派との出会い
信長入京 石山城包囲 九鬼水軍が毛利を破る
甲斐武田勝頼を破る
津田宗及・今井宗久と茶会
与三次郎から幼少時絵を習う 家業の灯篭絵木版刷り
父了以は信長の側近
海路回船に従事し堺衆に鉄砲発注 茶屋、今井、伏見屋、木屋、津田らと交友
-第4章「斉藤内蔵助利三が因縁の事、加賀発向にまつわる条々」
(本能寺の変)
古田織部の茶会で、斉藤利三、海北紹益らと出会う
本能寺の変 光秀謀反 信長・信忠・村井自害
細川・高山・中川・筒井は加担せず光秀は天王山で破れる
斉藤利三の首を海北が真如堂に埋める
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-第5章「扇屋繁昌の事、及び嵯峨野の別邸に関する条々」
(太閤北野の茶会)
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絵屋俵屋を開く 花鳥屏風・金銀泥の世界へ与一は嵯峨野角倉別邸に12歳ー22歳の10年間勉学で暮らす
秀吉と家康 長久手で戦う
秀吉北野の大茶会 島津・伊達征伐 方広寺大仏建立・刀狩
相国寺の僧舜に儒学を学ぶ
-第6章「加賀清興の事、及び後朱印船渡海にまつわる条々」
(堺商人と千宗易の茶)
加賀藩に赴き、今枝・志波ら武将と能を楽しむ狩野派絵師光徳に出会うが、風俗絵よりは金銀泥の扇絵に専念豊臣秀長死去、千利休切腹
千利休の茶の精神 モノクロームの世界
渡明貿易の御朱印認可に動く 角倉、茶屋、伏見屋
第2部第1章「京の繁昌の事、及び斉藤利三の首塚に詣でる条々」
(太閤検地、吉野花見)
清涼院で書の修行 青蓮院の尊朝法親王と交友
能書家として認められる
宗達扇絵繁盛 経師屋宗二と平家納経修復に携わる
唐紙装飾、色紙、料紙が評判となる
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-第2章「詩文綱要編纂の事、及び朝鮮の役に関する条々」
(朝鮮征伐、太閤死去)
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古今の詩文評編纂を決意
朝鮮征伐の武器兵糧輸送
醍醐の花見 太閤死去
朝鮮撤兵に石田三成ら五奉行苦労する
-第3章「光悦が妻に関する事、及び宗達意匠に及ぶ条々」
(関が原の戦)
古田織部の茶会、藤中納言らの演能
前田利家公死去、大老のバランスは家康へ傾く
関が原の戦い 石田挙兵 毛利・宇喜田ら伏見城攻撃
色紙・料紙に出会い、金銀泥の優艶な美を見る
書や能を滅亡しない永遠の美の姿とみる
宗達扇絵に新境地を開く 宗達と与一の出会い
与一より巻物形料紙の注文を受ける 光悦が和歌を書いて発刊し、評判となる
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-第4章「角倉与一活字本に執心の事、及び嵯峨本の評判に関する条々」
(大阪夏の陣 家康天下を取る)
宗達下絵に古今集などの和歌を書く
嵯峨本刊行、光悦蒔絵や陶器制作など新境地へ
大阪夏の陣 古田織部切腹 家康より鷹ヶ峰拝領
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安南交易 御朱印状を得る。
活字印刷技術で刊行事業を開始 謡本・雲母摺り唐紙・本朝物語・史記の出版(大黒町の上木場で)
-第5章「角倉与一河川を開さくする事、及び風神雷神由来に関する条々」
(角倉了以・余市の河川開さく事業)
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扇絵・屏風絵・襖絵・嵯峨本の評判を得る
風俗画(浮世絵)の岩佐又兵衛にあう
風神雷神図屏風に取り組む
俵屋と光悦に嵯峨本をまかせて、大堰川の土木事業に専心
富士川、天龍川の開疏、甲州鉱山調査に取り組む
父了以は賀茂川、高瀬川開拓、びわこ干拓
-第6章「角倉与一嵯峨野隠棲の事、及び大虚庵風雅に関する条々」
(大阪冬の陣)
大阪冬の陣 豊臣家滅亡
家康より鷹ヶ峰を拝領し一族の芸術村を作る
茶碗、蒔絵、和歌巻きなどを制作する集団
この地で光悦は10年間、書と陶器に打ち込む
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嵯峨野に隠棲し詩文要綱「達徳録」に余生を注ぐ
家康の大阪城包囲に功があったとして、淀川転運使に任じらる


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