2011年5月24日

文藝散歩 

蜂屋邦夫訳注 「老 子」 
岩波文庫(2008年12月)

中国戦国時代の「無為自然」を説く思想書 

「無為」の思想は東洋思想の極みと理解され、老荘思想の中心的概念を構成したようだ。「老子」は中国の戦国時代(紀元前6世紀から紀元前3世紀)の諸子百家の一人である。熾烈な戦国時代を生き抜く処生の知恵としてこれもひとつの帝王学(治者の統治理論)であるが、どこか人間に対する深い洞察力があり、自然主義的な普遍性を持っている。老子について述べる前にまず戦国時代の思想「諸子百家」について整理しておこう。
儒家:孔子 、孟子「性善説」、荀子「性悪説」: 中国思想の中心で20世紀に至るまで中国の支配的な学問思想でした。「孝」、「仁」、「礼」といった個人から国家までの社会秩序を説いた。
陰陽家:鄒衍: 陰陽五行説という当時の宇宙観を表現した。「五行」は「木、火、土、金、水」の事、「風水」や日本の「陰陽道」はその系列にある。
墨家 :墨子: 戦争技術のプロ集団であるが、戦国時代の終わりとともに消えていってしまいました。戦争の規模そのものが大きくなったからだといわれる。
法家 :管仲、商鞅、韓非: 法家は「法」を柱にし、法を細かく定めて人民に守らせる、守らなかったら厳しく罰する。李斯も韓非も若い頃は儒家の荀子の弟子だったという。法治主義者。
名家 :恵施、公孫竜: 名(言葉)と実(実体)の分析を通じて弁論に通じた学派。修辞学派とか雄弁家に通じる。
道家 :老子、荘子「道教」の創始者、列子: 道家の理想とする社会は、自給自足の農村共同体で権力とか、道徳的強制が入り込んでこないような共同体をいう。当時も道家の説は役に立たないと批判されていた。でも道家の思想は自然主義とか「癒し」「ヒーリング」に通じる。
縦横家 :蘇秦、張儀: 思想というより外交策のことをいう。「合従連衡策」という同盟策を進言した。
雑家 : 儒家・墨家・名家・法家など諸家の説を取捨・総合した人。折衷派。
農家: 農耕につとめ、衣食を充足することを主張した。農本主義者。
兵家:孫子、呉子: 戦争に勝つための技術を体系化したが、単なる戦術ではなくて戦争論、政治論、人生論にも通じる。戦略家。
小説家: いわゆる小説の源流。

老子というと、その実在さえ疑われているが、中国古代の人物については前漢の司馬遷(BC145-?)が書いた「史記」に伝記が載っていれば、第1級資料として扱わなければならないしきたりである。その「史記」「老子伝」でも一人には絞りきれず3人の候補者の伝を書いている。司馬遷の時代に既に老子は漠とした伝説上の人物となっていたのだ。最も有力なのは老?である。姓は李、名は耳、字は?、老子とは号(通称)のようである。楚の苦県、視スの曲仁里の人となっているが、この地名自体が蔑称であり(漢倭奴国と同じ差別用語)で、現在の研究では河南省鹿邑の大清宮というところだそうだ(鹿邑には老子記念塔も作られた)。老子は周の守蔵室の官吏であったとされる。守蔵室とは公文書や図書を保管する部署で(日本では国会図書館みたいなもの)、周の力が衰えたので官を捨て洛陽から西への旅に出て、ある関所に至った時、関令の伊喜(伊喜も老子と並んで道家の創立者といわれる)に請われて5千余語、上下2篇の書を著わしたという。それが今我々が手にする「老子」5千語余りに近いので「老子」は老子の作であるとされる。周は紀元前11世紀の中ごろ殷を倒して建国された王朝であるが、前8世紀の初め異民族に追われて、その都城を陝西省の鎬京から河南省の洛邑(洛陽)に遷した。洛邑遷都以降を東周といい、その前は西周と区別する。東周の前半がいわゆる春秋時代、5世紀中ごろからは戦国時代という。春秋の終わりごろから周は衰えた。諸国のひとつに過ぎなかった。楚という国は春秋戦国時代の強国のひとつであった。老子伝では老子のいた時代は随分古いように見えるが、「老子」の内容からすると、儒家を意識した批判文があるので(後世の追加かもしれないが)、孔子の先輩というよりだいぶ後に活動した人物の可能性もある。「史記」「老子伝」の第2の老子候補者は老莢子である。老莢子は孔子と同時代の人で乱世を嫌って蒙山に籠っていたが、楚王から招かれるとさらに南に逃げたという。第3の老子候補者は周の太子である。孔子より下ること120年程後代の人である。

「老子」とは老子が著わした書という通称であって、詳しくは「老子道徳経」という。我々が読む「今本」は上下2篇、上扁37章、下扁44章あわせて81章からできている。史記老子伝では上下2篇で名もつけられていなかった。1973年湖南省長沙子馬王堆第3号漢墓から絹に書かれた2種類の「老子」が発見された。これは帛書「老子」と呼ばれ、甲本・乙本という。抄写された年代は恐らく紀元前2世紀前後の前漢のころといわれる。乙本の末尾に「徳」と「道」とメモされていた。帛書「老子」発見以前の現存する最も古いテキストは、唐代708年に刻された「道徳経碑」であった。帛書「老子」はそれを遡ること900年前の文献発見であった。帛書「老子」は分章されておらず、2篇の順序も逆であった。徳は今の下扁で、道は今の上扁にあたる。「徳」も「道」も概念には順はなく、外在的を「道」、内在的を「徳」という違いがあるだけだった。後世「老子」では「道」を宇宙論的な観点から「徳」より上位におく思想が賢著である。前漢の思想家厳遵が著わした「老子指帰」には「徳」「道」の順である。しかし3世紀の魏の思想家王弼が注をつけた時には、すでに「道徳」の順となっていた。「老子」には元来章立てはなく、帛書「老子」でも句点らしき記号があるのみである。前漢の河上公が注をした「老子」は81章の章立てで、これが分章の初めである。王弼注より河上公注のほうが新しい。厳遵注は72章立てであった。今本の章立ては河上公注に準じている。1993年湖北省荊門市郭店第1楚墓から竹簡が発見され、帛書「老子」よりさらに1世紀ほど古い「老子」の部分が含まれていた。老子と書いてあるわけではないが「郭店楚簡」と呼ばれる。戦国時代中期の終わりごろとする説が有力である。世紀の大発見となり、その研究成果は「老子」解釈の一大革命をもたらした。本書もその成果を反映しているという。

荘子(紀元前369年 - 紀元前286年と推定、老子と荘子の思想が道教に取り入られる様になると、荘子は道教の祖の一人として崇められるようになり、道教を国教とした唐の時代には、玄宗によって神格化され、742年に南華真人の敬称を与えられた)が著わした書「荘子内篇」は老子と伊喜を「古の博大真人」として位置づけ、その思想については「常無有を以って建て、太一を以ってつかさどり、水の柔らかさと謙譲を持って外に現し、空虚にして万物を損なわないを以って実となす」という。「常無有」を基本的概念とし「太一」つまり「道」が統御することをいった。柔らかな水の思想と自分を蔑すむ謙譲の思想を特徴として事に当たる。これが老子思想の根本概念とその活動を統御し処世訓を的確に表現した言葉であろう。これが老子思想のすべてである。「道」の思想と「徳」の思想をもう少し見て行く。「道」は柔軟に活動して根元に回帰するものである。優柔であるがでたらめではなく、静かな必然性というべきものに回帰する。「道」は一切の現象の根底にある永遠に存在する実在であり、天地自然の摂理というべきものである。大いなるものを長い年月で観察したことからの着想であろうか。能動的な行動者というより受動的な観察者という言葉が当てはまる。無から有が生じ無に帰すというのは宇宙論的な混沌の世界という発想が見られる。世界は天地自然の玄妙なバランスの上に成り立っている、人為でこれを毀してはいけない。統括、平衡という意味で「一」の思想が生まれた。突き詰められないものは「一」のままにしておく。「一」の思想は2項対立を避け、物事を相対化してすべての事象は連続しているという。「禍福は糾える縄の如し」という対立要素の同次元化を図り、価値観の対立や相克は乗越えられると考えたのだろうか。物事や自然は極限まで行けば反転して根元に復帰するということは、無限大の思想の発見である。有限を拡大すると無限となり制約がなくなる。融通無碍なる思想である。ついで「徳」という心の持ち方や身の処し方について、聖人の為政の問題が語られる。特徴的なことは「人を治め天に事うるは吝嗇にしくはなし」というケチの勧めがある。これは「倹約」に通じ「エコライフ」の勧めである。あるいは「もったいない」運動のさきがけかもしれない。国は小さな人口で、その社会は自給自足の独立した農村で、進歩思想とは対極にある。「愚なる生き方」かもしれないし、「争わない生き方」は「反戦平和」に通じる。「老子」は儒家思想への反論書でもある。儒家の最大眼目は政治的秩序のことで、それに対して老子の道は天地自然との一体化であり、反文明思想の拠りどころである。無用の論といわれた「老子」思想の今日的価値もその辺りにあるのだろうか。

「老子」の注釈については、前漢までの書籍を分類した「漢書」「芸文志」に4氏の注釈があったとされるがすべて失われて伝わらない。最も古い注釈は前漢の厳遵(紀元前1世紀ごろ)の「老子指帰」である。前半の「徳経」の注が残っている。現在拠りどころとするまとまった注釈は、前漢の「王弼注」、後漢の「河上公注」、後漢張魯の作といわれる「想爾注本」、唐の成玄英の「道徳経開題序訣義疏」、唐の傅奕の「道徳経古本篇」、南宋の范応元の「老子道徳経古本集注」、唐の陸徳明の「経典釈文」、帛書「老子」については高明の「帛書老子校注」1996、楚簡については寥名春の「郭店楚簡老子校釈」2003などがある。蜂屋邦夫訳注「老子」は「王弼注」の道蔵373冊所収本「道徳真経註」を底本としたそうである。そして本書は各章が訳文、訓読文、原文(康熙字典体)、注からなる。注にはなぜそう訳するのかという根拠が各種の注釈書の比較に則って記されており合理的な解釈だと思われる。



第1章 「道可道 非常道 名可名 非常名 無名 天地之初 有名 万物之母・・・」

道とは名状しがたいもので、宇宙を構成する根本的な実在であり、道が老子哲学の根本概念である。これからの81章は同じ事を言葉を替えて言っているに過ぎない。道と名は根本と表面である。(老子思想の根本概念 万物の帰する所が「道」)

第2章 「天下皆知美之為美 斯悪已 皆知善之為善 斯不善已・・・」

美と醜、善と悪、高と低、これらは相手があってこそいえる相対的な概念である。聖人は無為の立場に身をおき、言葉によらない教化を行なう。相対化して自己の存在を消すのである。(対立概念の相対化)

第3章 「不尚賢 使民不争 不貴難得之貨 使民不為盗・・・」

君主が人を才能で差別するから人民は争うのである。聖人の政治とは人民を無知無欲の状態において、賢しらな行動を起こさせない事である。無為に拠って事を処すれば治まらない事は無い。(君主論、無知な者ほど治めやすいとは引っかかるが)

第4章 「道沖而用之或不盈 淵兮似万物之宗 挫其鋭 解其紛 和其光・・・」

道とは空っぽの器であるし、一杯にならない。知恵の光を弱め人々を和する、静かな水のような存在である。(道=水の性質 水思想)

第5章 「天地不仁 以万物為藁狗 聖人不仁 以百姓為藁狗・・・」

天地には仁愛などは無い。万物は等しく塵のような存在である。尽きることなく万物が生まれ出る。(宇宙自然思想)

第6章 「谷神不死 是謂玄牝 玄牝之門 之天地根・・・」

万物が尽きることなく生まれる「道」の作用を女性にたとえて表現している。

第7章 「天長地久 天地所以能長且久者 以其不自生 故能長生・・・」

天地が永遠悠久なのは、自分がないからだ。わが身をどうこうしようという欲がないから、自己を実現できるのだ。こうすればああなるという功利主義からいうのではない。{無欲長命)

第8章 「上善若水 水善利万物而不争 処衆人之所悪 故幾於道・・・」

水は低いところに集まるように、人との付き合いは低きに流れるように争わないところに落ち着くものだ。(無理をしない自然体)

第9章 「持而盈之 不如其已 揣而鋭之 不可長保・・・」

物資が満ち足りた状態は保てない。富貴、財宝は自ら災難を招く。仕事を成し遂げたら身を退ける、それを「天の道」という。

第10章 「載営柏抱一 能無離乎 専気致柔 能嬰児乎・・・」

長く精神を集中させることは出来ない。知恵や感覚器官に頼った活動はいつか止む。恩沢を施しても見返りは求めず、育てても支配しない、これが「奥深い徳」というものだ。

第11章 「三十輻共一軸 当其無 有車之用・・・」

車の輪が役に立つのは車軸という空間があるからである。摩擦が回転に変化するのだ。形ある物が便利に使われるには、空虚なところが其の働きをするからだ。(空間の物理学)

第12章 「五色令人目盲 五音令人耳聾 五味令人口爽・・・」

聖人の政治は腹を満たすことだけを大事にし、色彩や味や狩猟や財宝は人の心を狂わせる。(君主論)

第13章 「寵辱若驚 貴大患若身 何謂寵辱若驚 寵為下・・・」

寵辱に一喜一憂することはわが身に拘泥していることである。わが身に執着がなければ何の災難も恐れない。そのような人に天下の事を任せたい。(人材論、臣下論)

第14章 「覗之不見 名曰微 聴之不聞 名曰希・・・」

突き止めようとして分からないものを「一」としておく。名づけようがなく、形がなくぼんやりしたものは根源的な道に回帰する。これを「道の法則」という。(一の法則)

第15章 「古之善為士者 微妙玄通 深不可識 夫唯不可識・・・」

道を体得した士が持っている性質を述べよう。つかみどころがない、奥深い、深い、注意深い、慎重、厳かな、和やかな、素朴な、なんでも併せ呑む濁り水のよう。

第16章 「致虚極 守静篤 万物竝作 吾以観復・・・」

心を空虚にし静かな気持ちを持って眺めると、万物が道に復帰する様が見られる。万物が活動させている根元の道に帰ることを「命」、命に帰ることを「恒常なあり方」といい、恒常なあり方を知る事を「明知」という。恒常なあり方を知れば一切を包容し、公平となる。君主が明知であれば天と道に一体化できて永遠である。

第17章 「太上下知有之 其次親而誉之 其次畏之・・・」

最高の支配者は人民をして其の存在を知るのみである。誉められたり畏れられたり馬鹿にされる支配者は下の支配者である。支配者に誠実さがなければ人民は信用しない。(権力は空虚であれ 批判の対象となるな)(君主論)

第18章 「大道廃 有仁義 知恵出 有大偽・・・」

道が廃れて仁義が説かれ、知恵が働いて虚偽が生まれた。家族が不和になって孝行が説かれ、国家が乱れて忠臣が現れた。(逆理)

第19章 「絶聖棄智 民利百倍 絶仁棄義 民復孝慈・・・」

聡明さや知恵を捨てよ、君主が仁愛と正義を捨てれば、人民は幸せになる。このことだけでは十分ではなく、私心を減らし欲望をすくなくすることが大事だ。(君主論)

第20章 「絶学無憂 唯之與阿 相去幾何 善之與悪 相去何若・・・」

学ぶ事をやめれば憂いがなくなる。聖人君主は皆が楽しむ様子をみて静かにへりくだって控えていよう。(謙譲、卑下の思想で万事うまく行く)(君主論)

第21章 「孔徳之容 唯道是従 道之為物 唯恍唯惚・・・」

大いなる徳を持つ人の有様は、道に従っているからだ。おぼろげだが実体があり形象があり働きがある。道がずっと存在しつづけ生成の活動を行なっているからだ。

第22章 「曲則全 枉則直 窪則盈 弊則新・・・」

聖人は「一なる道」を抱いて世の中に人の模範となる。才智・見識・功を誇らない、自らを正しいとしない、争わないので昔の人が言った「曲がっているからこそ全うできる」のである。(自己の客観化)

第23章 「希言自然 故飄風不終朝 驟雨不終日 誰為此者・・・」

自然さえ長くは続けられない。まして人は道から外れないよう、徳と一体になろう。

第24章 「企者不立 跨者不行 自見者不明 自是者不彰・・・」

自ら才知を誇る者は長続きしない。道からすると余計な振る舞いである。道を身につけ人はそんなことはしない。

第25章 「有物混成 先天地生 寂兮寥兮 独立不改・・・」

混沌とした状態から何かが生まれた。休むことなく働くこの世界の母というべきものだ。これを名づけて「道」という。道は大なるもの、天の地も王もまた大なる者。人は知を手本とし、地は天を手本とし、天は道を手本とする。道は自ずと然る有様を手本とする。(これが世界の道理)

第26章 「重為軽根 静為躁君 是以聖人終日行 不離輜重・・・」

重は軽に勝ち、静は騒に勝つ。君主は安らかに身を慎重に扱い、軽はずみな行動をすれば身を失い、妄りに行動すればその地位を失う。(君主論)

第27章 「善行無轍迹 善言無瑕謫 善数不用籌策 善閉無関閂而不可開・・・」

聖人は人に察知されないように行動し、人や物ごとが生かされるようにするので、人から見捨てられることがない。これを「道を知る明知に従う」という。(君主論)

第28章 「知其雄 守其雌 為天下峪 為天下峪 常徳不離・・・」

「恒常の徳」とは、剛毅、賢明、栄誉の有り方から柔弱、暗愚、汚辱の立場を守ることである。「恒常の徳」には人の役割分担とか区別とか差異は存在しない無垢の人材である。

第29章 「将欲取天下而為之 吾見其不得已 天下神器 不可為也・・・」

天下というのは神聖な器であり、ことさらなことをすると治められない。聖人は極端な事をせず、ぜいたくは捨て、驕ったことは行なわない。(聖人君子論)

第30章 「以道佐人主者 不以兵強天下 其事好還 師之所処 荊棘生焉・・・」

道に従って君主を補佐するものは、武力によって天下に強さを示威してはならない。滅びのもとである。武力によって事を成したら武を誇ってはいけない。(君主論)

第31章 「夫佳兵者 不祥之器 物或悪之 故有道者不処・・・」

武器は不祥(不吉)な道具であり、道を身につけたものは武器を用いない。やむを得ず武力を使って勝っても讃美しない。人殺しを楽しむことになる。武力の使い方は慎重に。(君主論)

第32章 「道常無名 樸雖小 天下莫能臣 侯王若能守之・・・」

道は永遠に名を持たない。誰も支配は出来ない。王はこの道を守ってゆけば万民はこれに従うだろう。名が出てきても(制度など形あるもの)無欲の気持ちで留まることを知るべきである。(君主論)

第33章 「知人者智 自知者明 勝人者有力 自勝者強・・・」

他人のことが分る人は智者、自分のことが分る人は明者である。自分のことがわかって努力する者は栄え、そして自分のいる場所を失わない者は長生きする。

第34章 「大道汎兮 其可左右 万物恃之而生而不辞 功成不名有・・・」

大道はあらゆる物の自生を育むが、別に所有するわけではない。聖人は自分から大としないから大と為りうるのだ。(君主論)

第35章 「執大象 天下往 往而不害 安平太・・・」

大なる象つまり道を守っていると、人々は心を寄せ、道を守る人には害がない。道は見ることは出来ないし聞くことも出来ないが、その働きは尽きることは無い。

第36章 「将欲歙之 必固張之 将欲弱之 必固強之・・・」

縮めようとするならしばらく拡げ、弱めようとするならしばらく強くせよ。これが切れ味の鋭い国の統治法であり民に知らしめてはならない。(恐るべき 君主論)

第37章 「道常無為 而無不為 侯王若能守 万物将自化・・・」

無為の道を守ることを王侯が行なうなら、万民は感化され欲望を静めるのだ。人民が欲望を持たず平静なら,世の中は自ずと安定するだろう。(君主論)

第38章 「上徳不徳 是以有徳 下徳不失徳 是以無徳・・・」

高い徳を身につけた人は徳を意識していない。仁、義、礼に勝る。無為自然の道が失われると徳化の世となり、徳が失われると仁愛を掲げ、仁愛が失われると正義の世の中になり、正義が失われると礼を掲げる世の中になる。(儒教批判)

第39章 「昔之得一者 天得一以清 地得一以寧 神得一以霊・・・」

「一」を得て、天は清に、地は安らかに、神は霊妙に、谷は水が溢れ、万物が生まれ、王侯は天下の長となる。しかいそのまま維持することは難しい。だからいつも最低の状態にいるものと考えれば長続きする。(一の思想)

第40章 「反者道之動 弱者道之用 天下万物生於有 有生於無」

根本に回帰するのが道の運動であり、柔弱が道の特徴である。天地の万物は有から生じ、有は無から生じる。

第41章 「上士聞道 勤而行之 中士聞道 若存若亡・・・」

明徳の士は道を実践する。しかしそうでない人はやったりやらなかったり、忘れたり馬鹿にしたりする。(この章は対句修辞法の練習みたいに、レトリックを多用する)

第42章 「道生一 一生二 二生三 三生万物・・・」

無は有を生み、有は天地を生み、天地は気を生み、気は万物を生む。王侯は独り卑下していればいい、力を用いるとまともな死に方をしない。(君主論)

第43章 「天下之至柔 馳駁天下之至堅 無有入無間・・・」

世の中で最も柔弱なものが最も堅強なものを動かす。だから無為が有益である。不言と無為が最高の教えである。

第44章 「名與身孰親 身與貨孰多 得與亡孰病・・・」

一番大切なことは名誉、身体、何もないことである。満足を知れば辱めを受けない。止まるを知れば危険を免れる。

第45章 「大成若欠 其用不弊 大盈若沖 其用不窮・・・」

大なる完成は欠けているように見える、大いに満ちてることは空虚にみえるが、働きは衰えないし窮まらない。道は反対に見えて働きは永遠である。

第46章 「天下有道 却走馬糞 天下無道 戎馬生於郊・・・」

世の中に道が行われていれば軍馬はいらない。満足を知らないことより大きな災禍はない。(現代文明論、スローライフ・エコ運動へ)

第47章 「不出戸 知天下 不窺窓 見天道・・・」

聖人は戸を開けなくても天下の事を知っている。遠くへ行くほど道の事は見えなくなる。(人生論)

第48章 「為学日益 為道日損 損之又損 以至於無為・・・」

学問を修める者は知識が増えるが、道を修める者は日々に欲が減ってゆき無為に到達する。

第49章 「聖人無常心 以百姓心為心 善者吾善之 不善者吾亦善之・・・」

聖人はいつも無心で、万民の心を自分の心としている。世の中に接するときこだわりを持たないと、万民は赤子のように働く。(君主論)

第50章 「出生入死 生之徒十有三 死之徒十有三 人之生 動之死地・・・」

人は生まれて死ぬものだが、3割は生を全うし、3割は早死にし、3割が妄りに行動して死に急ぐ。生きることに執着しすぎるのである。

第51章 「道生之 徳畜之 物形之 勢成之・・・」

道が万物を生み出し、徳がそれらを養う。道と徳が一番尊貴なのだ。

第52章 「天下有初 以為天下母 既知其母 復知其子・・・」

世界の始まりを知れば、欲望を抑えることが安心のもとである。知恵の光を働かせれば禍が身に降りかかることは無い。これを「恒常の道に従う」という。

第53章 「使我介然有知 行於大道 唯施是畏 大道甚夷 而民好径・・・」

しっかりした知恵があるならば大道を歩くことが一番である。悪い王朝では汚職邪悪がまかり通り、田畑は荒れ、米蔵は空っぽなのに、きらびやかな衣装を纏い、立派な剣をさして、飽きるほど飲み食いをし、財産は溢れている。これでは盗人の親玉である。

第54章 「善建者不抜 善抱者不脱 子孫以祭祀不輟 修之於身 其徳及真・・・」

家、郷、邦、天下を治める者が道を修めその身に徳が充実していると、天下の人民に恩沢が行き渡る。(儒教と同じ国家修身論)

第55章 「含徳之厚 此於赤子 蜂蠍蝮蛇不螫 猛獣不拠・・・」

徳の厚い人は赤子のようだ。和の状態を心得ていることを「恒常なあり方」といい、恒常なあり方を知る事を「明知」という。生きることに執着することを「禍」といい、欲の心が起きることを「頑張り」という。

第56章 「知者不言 言者不知 塞其兌 閉其門・・・」

本当の知者は物を言わず、物言う人は本当の知者ではない。欲望を抑え、知恵の光を和らげ、世の人に同化することを、「道との玄妙な合一」という。こうして聖人は世の中の人から尊敬される。

第57章 「以正治国 以奇用兵 以無事取天下 吾何以知其然可哉 以此・・・」

正道によって国を治め、奇策によって戦い、事を起こさないように天下を統治する。世に禁令が多くなると人民は離反し、世に武器が多くなると国家は乱れる。世に技術が盛んになると邪なものが生まれ、世に法が横行すると盗賊が増える。何もしないと人民はよく治まり、豊かになり、素朴になる。(文明論、法治主義批判)

第58章 「其政悶悶 其民淳淳 其政察察 其民欠欠・・・」

政治が大まかであれば人民は純朴である。そもそも絶対的正義で割り切れることは何もない。禍福あざなえる縄に如しというように「相対の道」の両極に迷ってはいけない。(文明論、法治主義批判)

第59章 「治人事天 莫若嗇 夫唯嗇 是謂早服・・・」

人を治めるには吝嗇が一番である。国を治める根本の道である。財を積むのではなく、徳を積めば勝てないものはない。(文明論、もったいない運動)

第60章 「治大国若烹小鮮 以道立天下 其鬼不神 非其鬼不神・・・」

大国を治めるのは魚を煮るようなものである。毒を抜き味を調える。道によって天下を治めれば、悪い動きも弱まる。鬼も聖人も人民を害さないなら、恩沢はあまねく行き渡る。

第61章 「大国者下流 天下之交 天下之牝 牝常以静勝牡・・・」

天下は女性的で、へりくだり静を持って動に勝つ。大国は小国にへりくだって帰順を得、小国は承認を得るのである。大国は小国を養い、小国は大国に仕える。いつも大が小にへりくだるのがよろしい。(覇権論、世界帝国家論)

第62章 「道者万物之奥 善人之寶 不善人之所保 美言可以市・・・」

道は万物の母、善くない人も包容する。君主は即位すれば諸侯から財宝を受けるよりも、諸侯に道を教えるほうが善い。(君主論)

第63章 「為無為 事無事 味不味 大小多少・・・」

無為、無事を心得て、何事も易しい段階で対処するから大きな事も成し遂げられる。問題や矛盾が手のつけられないほど大きくなってからでは遅い。些細なことを難しいこととして早期に解決する。これが聖人の仕事の秘訣である。(仕事論)

第64章 「其安易持 其未兆易謀 其脆易判 其微易散・・・」

安定しているうちは捉えやすく、兆しがないうちは手が打ち易い。ことが生じないうちに対処し、まだ乱れないうちに治める。千里の道も一歩からというではないか。ことさらな事をしてはいけない。そして事の成就は最後の段階で、最初のような慎重さが要求されるのだ。(仕事論)

第65章 「古之善為道者 非以明民 将以愚之 民之難治・・・」

善く道を修めた者は人民に知恵をつけるのではなく、むしろ愚かにしようとした。これが国を治める法則である。これを知る事を玄徳という。人々とともに愚に帰る、そして大いなる順応にいたる。(人民暗愚論)

第66章 「江海所以能為百谷王者 以其善下之 故能為百谷王・・・」

大河は低きにあるからこそ、諸々の川が流れ込み川の王者といわれる。聖人は人の上に立とうと思うなら、必ず謙虚な言葉でへりくだり、自分の身を後にするのだ。すると人民は君主を重いとせず、障害だとは思わないので争わない。(君主論、これを統治の手段とすればマキャベリズムとなる)

第67章 「天下皆謂 我道大 似不肖 夫唯大 故似不肖・・・」

人民は聖人を大人物なのだが愚かに見えるという。小ざかしければとっくに争っている。君主が取るべき3つの法則とは、慈悲、倹約、人の先頭に立たないことである。小ざかしく人の先頭にたてば殺される。(君主の法則)

第68章 「善為士者不武 善戦者不怒 善勝敵者不與 善用人者之下・・・」

優れた武将は猛々しくない。うまく人を使う人は彼らにへりくだる。これを「争わない徳」という。これは最高の道理である。(世間知、戦術論、これを実践したらもう少し人生は変わっただろうと思う人は多い)

第69章 「用兵有言 吾不敢為主而為客 不敢進寸而退尺 是謂行無行・・・」

兵法に「自ら攻撃するな、無理して1寸でも進むな、一尺でも退け」という言葉がある。敵を侮っては墓穴を掘るのだ。(戦術論)

第70章 「吾言甚易知 甚易行 天下莫能知 莫能行・・・」

聖人の言うことは分りやすいし行ないやすい。だが世の中の人は分る人は居らず行なえる人もいない。聖人は粗末な着物を着ていても、懐には宝を抱いている。

第71章 「知不知上 不知知病 夫唯病病 是似不病・・・」

知っていても知らないと思うのが上、知らないのに知っていると思うのは下である。

第72章 「民不畏威 則大威至 無狎其所居 無圧其所生・・・」

人民が統治者の威光を畏れなくなれば、大変な事態になる。人民の住む所を狭めてはいけない、人民の生業を圧迫してはいけない。統治者は自ら見識あるとか、自分を高貴だとか思ってはいけない。(君主論)

第73章 「勇於敢則殺 勇於不敢則活 此両者 或利或害・・・」

聖人でさえ天の道理を知る事は難しい。何事も進んで行なえば殺され、尻込みしていると生かされる。天の道は争わず、不言にしてうまく応答し、途轍もなく大きなことが計画されている。

第74章 「民不畏死 奈何似死懼之 若使民常畏死 而為奇者・・・」

人民が死を畏れているからこそ、統治者は邪道を行なう者を捕らえて殺せば、人民はわざわざ邪道を行なわない。人民が死を畏れなくなったら、どうして死刑で脅せようか。(刑罰主義、革命論)

第75章 「民之飢 似其上食税之多 之似飢 民之難治・・・」

人民が飢えるのは上に立つ者が税を貪るからである。人民が治まらないのは、上に立つものが余計な政策を行なうからである。君主は自分や生きることに執着してはいけない。(君主論)

第76章 「人之生也柔弱 其死也堅強 万物草木之生也柔脆 其死也枯稿・・・」

人は生きているときは柔らかくしなやかである。強くて大きな者は下位にあり、柔らかくしなやかなものは上位になる。(柔よく剛を制す)

第77章 「天之道 其猶張弓與 高者抑之 下者挙之・・・」

天が活動する仕方は、余った物を減らし、足りない物を補うことである。人はとかくその逆を行う。富んでいる者にさらに財貨をもたらし、貧しいものからさらに生活の資を奪うのである。(新自由主義批判)

第78章 「天下莫柔弱於水 而攻堅強者莫之能勝 其無以易之 弱之勝強・・・」

この世の中で水より柔らかなものはない。弱いものが強い者に勝ち、柔らかいものが剛い者に勝つ。したがって君主は世のなかの汚濁を一身に引き受け、国中の災危を自分の身に引き受ける。それを天下の王者という。(君主論)

第79章 「和大怨 必有余怨 報怨以徳 安可以為善・・・」

聖人は債務の権利を持っていても請求しない。徳のない人は取り立てる。恨みに酬いるに怨みを以ってしない。天の道は善人の味方である。(国家債務論、財政論)

第80章 「小国寡民 使有什佰之器而不用 使民重死而不遠徒 雖有舟與・・・」

国は小さく、人口は少ない方がいい。便利な道具や技術・兵器を用いず民には命第一とする。人民の移動は禁止する。人や他国の生活と比較したりせず、自分の生活に安んじのどかに生活する事を最上とする。(農村共同体ユートピア論)

第81章 「信言不美 美言不信 善者不弁 弁者不善・・・」

言葉、弁舌、博識は本当ではない。聖人は何も溜めこまないし、ますます自分を空しくする。人に与えつくして、自分はますます豊かになる。


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