2011年1月28日

文藝散歩 

藤井貞和著 「日本語と時間ー時の文法をたどる」 
岩波新書(2010年12月)

古代の時間を表す助動詞6種「き、けり、ぬ、つ、たり、り」が消滅し、近代に「た」となる過程

私は生涯学習教育(県民大学)で「源氏物語」をこの2年ほど受講している。自分ひとりではとても源氏物語は読めないから、先生の講釈を子守唄代わりに聞いている。それでも大分なれてきた。テキストは岩波文庫 山岸徳平注「源氏物語」(一から五)である。物語として聞いているのであって、とても文法まで詮索する余裕は無い。先生は国学院の教授で、先生によると国学院は文法に強いという話である。ときどき文法の話も聞く。私はすっかり古語文法は忘れてしまった。だから本書を手にしたときタイムリーに文法を勉強できると思った。古代人(平安時代まで)は過去をあらわすのに、「き」、「けり」、「ぬ」、「つ」、「たり」、「り」など6種類の「助動詞」(筆者はこれを「助動辞」と提唱する)(「けむ」、「あり」を入れると8種類)を使い分けていた。それら時の助動辞は意味と音を互いに関連させながら、ひとつの世界を作ってきた。なぜ現在では過去の助動辞は「た」一辺倒になってしまったのか。現在形で話を進めるか、過去形「た」で話を進めるか、その分岐点は明治の言文一致運動にあった。では古文の6種の過去の助動辞はなぜ消滅したのか。それは鎌倉時代から室町時代にかけて宮廷文化の衰退にあわせて、しだいに使われなくなったためである。口語文が主流となった江戸時代には殆ど自滅したといってよい。本書の解答はそういうことである。

本文に入る前に、ご存知とは思うが、時の助動辞6種(8種)の中心的意味を概略しておこう。
「き」−過去の1点を示す
「けり」ー時間の経過(過去から現在へ続いて今にある時間)
「ぬ」−差し迫る現在となりつつある時間
「つ」−つい今しがたの時間、さっき
「たり」ーてしまい今にある
「り」−ある、おる 現在の状態
「けむ」−たろう、過去推量
「あり」−けり、たり、り、なり、の構成要素
ここで「時称」とは時の時動辞全部と、「昔」など時間を表す語を広く指す。欧米語では時称、人称、数は主に動詞の活用によって表している。ところが日本語の動詞には時称、人称、数を指示することがない。文法の話は事細かに暗記させられた嫌な記憶をお持ちの方が多く、学校が終ればまず必要ないということで忘れ去っている。本書はこの嫌な記憶を再度思い起こすことからスタートし、しかも古文の文法に関する事項なのでさらに難解であると覚悟して読まなければならない。たまには頭の体操も必要だと割り切って、難しいことは飛ばし、外国語との比較検討は英語、ドイツ語程度はいいとして、知らない外国語(中国語、朝鮮語、モンゴル語、琉球語、アイヌ語、タミール語など)の場合は判断のしようもないので取り上げない。

著者藤井貞和氏のプロフィールを見て行こう。藤井 貞和氏(1942年4月27日 東京生まれ )は詩人で日本文学者。東京大学名誉教授、立正大学教授である。略歴は1966年 東京大学文学部卒業 、1972年 東京大学大学院人文科学研究科満期卒業、1972年 共立女子短期大学専任講師から助教授へ進み、 1979年 東京学芸大学助教授 から教授へ進み、1995年 東京大学教養学部教授 となる。2004年 立正大学文学部文学科教授 となって現在に至る。父は折口信夫門下の国文学者で國學院大學名誉教授の藤井貞文、姉は歌人の藤井常世の国文学家族である。1972年、「源氏物語の始原と現在」で注目される。国文学の分野での著書には、「源氏物語の始原と現在」 (岩波現代文庫)、「物語文学成立史」(東大出版会)、「古文の読み方」(岩波ジュニア新書)、「物語の起源」(ちくま新書)、「源氏物語論」(岩波書店)などがある。詩の分野での著書には、藤井貞和詩集 思潮社(現代詩文庫 )、湾岸戦争論 詩と現代( 河出書房新社)、「静かの海」石、その韻き( 思潮社)、詩的分析( 書肆山田)などがある。1999年「静かの海」石、その韻き で第40回晩翠賞受賞、2002年「ことばのつえ、ことばのつえ」で藤村記念歴程賞と高見順賞受賞。2006年、「神の子犬」で現代詩花椿賞と現代詩人賞を受賞。2008年「言葉と戦争」で日本詩人クラブ詩界賞受賞というように多くの賞を受けている。

井上ひさし氏の脚本になる「國語元年」は1985年NHK総合テレビで放送されたテレビドラマであるが、明治初期に日本に標準語を作ろうとする官吏と学者の悪戦苦闘を描いた戯曲である。それまで国というのは各藩のことで、統一された日本国に統一された日本語は存在していなかった。政府内のコミュニケーションもままならぬという笑い話があったという。これには今生きる私達では考えられない事態であり驚愕した。そこで共通の言葉を持とうとする明治初期の涙ぐましいお話がこの「國語元年」というお芝居であった。それから私も国語というものに興味を持ち、種々の文章読本や日本語論の本を読んできた。なぜか丸谷才一氏の本が多かったが、以下にまとめる。
1) 丸谷才一 「桜もさよならも日本語」 (新潮文庫 1989年)
2) 丸谷才一 「日本語のために」 (新潮文庫 1978年)
3) 丸谷才一 「文章読本」 (中公文庫 1980年)
4) 大野晋・丸谷才一 「日本語で一番大事なもの」 (中公文庫 1990年)
5) 三浦つとむ 「日本語はどういう言語か」 (講談社学術文庫 1976年)
6) 三島由紀夫 「文章読本」 (中公文庫 1973年)
7) 谷崎潤一郎 「文章読本 完」 (中公文庫 1975年)
8) 中村真一郎 「文章読本」 (新潮文庫 1972年)
9) 安岡章太郎 「私の文章作法」 (文春文庫 1983年)
もっとあったようだが、本箱の隅に隠れたのは探す労が必要なので割愛する。 本書に一倍近い本といえば大野晋・丸谷才一 「日本語で一番大事なもの」 (中公文庫)であろう。日本語の本質と機能を解説し、特に「てにおは」助辞の働きの重要さを追求したものだ。本書は時制の助動辞(太字で示す)だけを問題にしている。

古文文法は大まかに、品詞として以下のものから構成される。
@動詞: 四段活用  下一段活用 下二段活用 サ行変格活用 上一段活用 上二段活用 ラ行変格活用(あり) ナ行変格活用(ぬ) カ行変格活用 
A形容詞: 「ク活用」と「シク活用」
B形容動詞: なり げなり 
C助動詞: き(体験過去) けり(伝聞過去) つ(完了・強意) ぬ(完了・強意) たり(存続・完了) り(存続・完了) む(推量・意志) らむ(現在推量) けむ(過去推量) べし なり(断定) なり(伝聞推定) る、らる(受け身尊敬) す、さす(使役) なり たり(断定) めり(視覚推定) しむ(使役・尊敬) まほし(希望) たし(希望) ごとし(比況) まし(反実仮想)
D助詞
 格助詞: を に の は が
 間投助詞: …「を〜み」
 接続助詞: 「已然形・未然形+ば」 なくは・なくんば・なくば ずは・ずんば・ずば ど・ども 「未然形+で」
 副助詞: だに すら さえ のみ
 係助詞: ぞ なむ や・やは か・かは こそ おば もぞ 「文末の ぞ や か」
 終助詞: 「希望・願望の終助詞 ばや なん てしがな もがな」 「禁止の終助詞「な…そ」」 か かな な は よ 
E副詞: 否定 え

とき・時という語は時節や好機を表し、広く時勢や時代を意味した。過去という時間は、「むかし」という言葉や「き」連体形、「し」已然形という助動辞を賦課して表しうる。時間軸のうえで不変、既定、不可避の事象を「もの」という。「もの」は不動で、それにたいして「こと」は、あり方や性質や行為や状態を広く称する。つまり「こと」には動きがある。「事」や「言」と書き分けられるがどちらも出来事である。岩波古語辞典には「こと」は関りあう(関係)という要素をもつことが本質的であると述べている。源氏物語桐壺に「聞こえまほしげなることはありたげなれど・・」とあるが、これは事なのか言なのか未分化状態であろう。「ことば」は「こと」から派生して意識の上に言語が取り出された状態のことである。「ふること」が説話や伝承を意味する物語のことである。時間軸の上の動態は関係なしには生きてゆけないし、関係性の最たるものである言語は時間なしには生きていけない。言語は時間軸でどう生きているのか、どういう表現(文法)を持つのかという事を考えてみよう。

1) 時のありよう krsm四面体論

我々は現在以外を記憶に刻印することは出来ない。現在を知覚できるかという問題については、カント、デカルトらは「認識する主体」を俎上に上げたが、知覚ははたして信じられるのだろうか。哲学的論議は省いて近代文法学説では、「山田文法」は助動詞を「複尾語」だといい語り手の弁を担い、主観の立脚点や言語的態度のために存在するという。現在から伸びてゆく時制の考え方は近代主義の所産で、「時枝文法」はこれを陳述といい時制を考えていない。知覚は言語を伴うかどうかについて哲学者大森荘蔵氏は、「客観的世界とは制作された言語的思考世界である」と言い切り「知覚は言語以前の刺戟ではない。それははじめから言語的制作である」とする。「山田文法」によって古代日本語の時の助動辞を整理すると、第1に「き」(連体形「し)は神話的過去や起源譚、歴史の叙述に使われる。第2に「けり」は過去から現在へ、あるいはより近い過去へという時間の経過を示すことが多い。近代の時制とは話し手の現在を起点として、過去もあれば未来もあるということだ。下の表に時制を整理する。

時 制
ありけりけむ
文法上現在過去から現在への時間の経過過去過去
意味内容−である回想・伝承・気ずき−た過去を推量する

日本語の動詞は、助動辞を下へ下へと付加して、はじめて積極的に時制が現れる。「あり」は語の構成要素で、まずはそのまま動詞である。語の構成要素として、なり(に+あり)、たり(と+あり)、たり(つ+あり)、けり(き+あり)、ざり(ず+あり)などを作り出す。「あり」には助動辞としてのあり方を認めることが出来る。助動辞「なり」、「たり」、「けり」、「り」の構成要素として、それらのなかに「あり」は埋もれている。文法上「あり」と「り」は「同質異像」といわれる。動詞に「あり」が下接して、現象上で「り」が生じた。「読み」+「あり」から「読めり」ができ、「来」+「あり」から「けり」ができ、「給ひ」+「あり」から「給へり」ができた。見かけ上「り」という助動辞の誕生である。「けり」は動詞「来」の連用形「き」と「あり」の結合とも、助動辞「き」と「あり」の結合とも見られる。本書では「けり」は助動辞「き」と「あり」の結合とみて関係性を考察する。そこで四面体(krsm)の頂点に現在の「あり」(r)、過去の「き」(k)、推量の「む」(m)、形容の「あし」(s)をおいて時制の変化をみる。「あり」から「き」への稜線に「けり」が生まれ、「き」から「む」の稜線に「けむ」が生まれ、「あり」から「あし」の稜線に「らし」が生まれ、「あり」から「む」の稜線に「らむ」が生まれたと整理する。時間、推量、形容の域が関連し、時の助動辞はたがいに関係しあっている。これが著者の「時の助動辞」文法論の骨格である。

2) 遡る時のはじまり 「けり」

「けり」は過去「き」と現在「あり」との結合で機能するものだから、単純に過去でもなく現在でもない「時間の経過」を表現する必要から生まれた助動辞である。もっとも「けり」の使用頻度が高いのが、「竹取物語」や「伊勢物語」など口承文学の文体であろう。「むかし翁ありけり」で始まる、伝承の文体とは物語内容が伝承であっても、語りの現場にもたらされて今という時で語られる。それは非過去で綴る文体であろう。「蜻蛉日記」、「更級日記」など日記文体も物語である事を装うために「けり」文体が使われている。歌の詞書きにも「けり」文体がつかわれ、作者への敬意をこめるべき場所や状況への一定の距離感を表すためである。昔話におけるフレームに、文末で執拗に繰り返される「ーだと」、「ーって」にはこの伝承文学の語り口がみえる。「・・いかまほしきは命なりけり」とか西行の「・・月ぞすみける」は、近代になって強調とか詠嘆、気ずき、回想とかいわれる(これを「けり論争」という)。竹岡文法では助動辞は言語主体の認識・判断・思考のしかたの単語であるとする。詠嘆、気ずきのようなことはあるとしても文法上の意味ではない。認識の仕方は語の選択、語順、てにおは助辞、文型、文章の種類とその型に表現される。「けり」はあくまで過去から動作が継続して現在に存在する(遡る時間)ということが原義である。源氏物語に「・・明けん年ぞ五十になり給ひける」とあるのは、確定的な未来への時点へ向かって時間が動き出すということである。

3) 過去を表示する 「き」

「き」は過去か回想かという認識の論議はあるが、神話的過去や歴史意識の所産であると理解し、起点を我々の認識の外部に置く方がいい。動詞「あり」に助動辞「き」を活用(パラダイム)させると、未然形「ありき」、「ありせ」、連体形「ありし」、連用形「ありけり」、已然形「ありしか」となる。助動辞が自立語(動詞、形容詞、名詞)だった時代には「き」は「来」と関係あったかもしれないが、過去という時制を必要とした古代人が「き」や「し」を助動辞として成立させたものであろう。「・・ありせば」の「せば」は何だろう。@接尾語、A「き」の未然形、B動詞「す」の未然形とする説があるが、Aをとっておこう。非過去の著述に「き」を付加すると時制が生じる。「古事記」の基調は「き」を介して「ふるきこと」の伝承とみなされる神話的世界や歴史的過去をもたらす。それは語り部の時制である。「徒然草」では、体験的過去を「き」で、伝承や伝聞(非体験的過去)を「けり」と区別している。

4) 身近な時間 「ぬ」 「つ」

時々刻々と進む現在には二つの種類がある。@いままさにそうなろうとしているー「ぬ」、Aいましがた起きた、まだ終っていないー「つ」 である。現在の様々なる在りかたをいうのであって現在という時制ではない。源氏物語「夕顔」に「夢に見えるかたちしたる女 面影に見えてふと消えうせ」と微妙な時間差(いま見たばかりのものが もう消えようとしている)を表現している。時制の「ぬ」は否定の「ぬ」と間違いやすい。源氏物語「夕顔」に「・・花に心をとめとぞみる」は「こころをとめたままで」と完了とみるべきだろう。否定辞「ぬ」(ずの連体形)は原則として上に係助辞を必要とする。「・・心おとめる」となる。完了の「ぬ」か否定「ず」の連用形かという問題は悩みが多い。源氏物語紅葉の賀の「・・なほうとまれぬやまとなでしこ」や古今集の「・・なおうとまれぬ 思うものから」はやはり「・・・してしまう」「なってしまう」という時制の助動辞「ぬ」と理解される。「ぬ」や「つ」に上接する動詞や助動辞には著しい差異が存在する。「ぬ」に上接する動詞は自動詞(無作為、事実推移的)、「つ」に上接する動詞は他動詞(行為遂行的、作為的)という説が一般的である。「風たちぬ」、「老いぬ」、「夜更けぬ」とか「見るべきものは見つ」など定形化した言い方は確かにある。いまのところ「つ」や「ぬ」の語源的な意味は分らないが、著名な語源説には往ぬから「ぬ」が、棄つかた「つ」が生じたという説がある。動詞「ぬ」は、去る、往く、終りになるという意味で、動詞「つ」は通す、遂げる、やめる、し終えるという意味ではなかったろうかと著者はいう。そして(動詞)+ぬ(動詞)、つ(動詞)という複合動詞があって、「ぬ」、「つ」が自立性を失って助動詞になったと考えられる。「ぬ」のナ行活用の未然形「な」に「む」、「ば」、「まし」が下接して「なむ」(してしまおう)、「なば」(てしまうなら)、「なまし」(してしまうならいいのに)という推量には未来完了が含まれている。「ぬ」の連用形「に」に「き」、「けむ」が下接すると「にき」(してしまった)、「にけむ」(してしまったろう)という過去完了となる。

5) 古代を乗越える 「たり」

本書の一番重要なことは、今しがた起きた「つ」が「あり」と結合して「たり」をうみ、そして近世に「た」となったということである。時枝文法では接続助辞「て」に「あり」が結合したというが、筆者は助動辞「つ」の連用形の「て」に「あり」が連続して「たり」が成立したと考える。そこで問題は「たり」と「り」の違いである。源氏物語「若紫」に「髪は扇をひろげたるように・・立て」(・・広げてある状態にして・・・立ちある)というように、「たり」と「り」を完全に使い分けている。「り」は存在の「あり」の同質異像で、そうなった状態「たり」とは一緒にできない。おなじ「若紫」に「伏籠のうちに籠めたりつるものを」(とじこめておいたはずなのに)とあるのは、「たり」が「つ」と「あり」の結合であれば、助動辞の重出であるが、不自然さは無い。同出「源氏の君こそおはしたなれ」(いらしたそうな)とあるが、「た」は「たり」にすぎず伝聞の助動辞「なり」の已然形の上の接続している。古文の「たり」と、中世から近世にかけて成立する「近代語」である「た」には強い意味上の脈絡がある。完了と過去との親近関係が生じた。江戸時代には「き」、「けり」はとっくに消滅しており、終止形「たり」はもう存在していないというのが通説である。

6) 時と技巧 修辞論

日本には方言、尻上り尻下がりの高低はあっても、アクセント(強弱)はなかった。古層日本語は祝詞の読みに現れる「等時拍」が行なわれていたようだ。その平坦な等時拍の読みに、区切りという音数律(分節化)が生まれた。5・7・5・7・7である。音数律というリズムの成り立つ本質は繰り返しにある。短歌形式には、5・5、5・7、7・7のペアーを3つ持つ。俳句5・7・5は繰り返しとは言えず「破調」といってよい。5・7・5/7・7/7・7/5・7・5/5・7・5/7・7・・・・となる連歌形式は典型的な詩形式であろう。短歌は1行詩であり、係助詞「ぞ」、「や」、「か」、「こそ」を利用して、「係り結び」によって密接に文を結びつける。ところが西欧や中国の詩は音韻詩で特に脚韻を踏むためにどうしても改行を必要とする。「ぞ」、「や」、「か」は連体形の文末を求める。古今集より「雪ふりつつ 消えがてにする」 「こそ」は文末に已然形を求める。和歌には修辞上の現象として「懸け詞」があり、同音ないし類音で本来別の言葉を接触させるとか、ひとつの言葉の意味のひろがりを利用する。これらを「擬表」という。時間の「早く」と速度の「速い」を懸けたりという、和歌の常套修辞技巧である。アナロジー(類推)、パラレル(並行)、アレゴリー(寓喩)、暗喩などが駆使される。また旅行文では修辞だけからなる調子がいいだけの空しい韻文がもてはやされる。能の文体がそうである。

7) 言文一致への過程 「た」

古文の基調は非過去で語られる。いまという時間で刻々と物語が進行する。源氏物語では、叙事文学は「過去形式」という西欧の常識は成り立たない。現在時制の文学は「歴史的現在」なのだと理解しなければならない。しかし「フルコト」の記である古事記は「き」過去の文体が基調である。平家物語は伝承をあらわす「けり」を多く含み、「き」も併用されている。助辞の生命はかなり長いが、助動辞の寿命は500−1000年ぐらいと比較的短い。「き」が消滅したら「たり」から「た」への移行が生まれた。「た」に過去や完了の意味を持たすことになった。それは近代化の起きた明治期の言文一致運動のころである。二葉亭四迷が「た」の文末詞を定着させたといわれる。それは西欧小説の翻訳からきたようだ。西欧語は時制は過去で語られていたので、どうしても「た」の連発となった。尾崎紅葉の雅文体の非過去という選択肢もあったのだが、過去文「た」で決着した。過去形の翻訳文として「た」は成立したが、それは過去という文脈だけではなく、山田・時枝文法では話し手の事実の確認判断だという説がある。過去時制「た」が確立するのは20世紀になってから(明治末期)である。講談本、噺本、軍談、随筆からなる会話文の地の文として用いられた。近代詩の言文一致は、散文のそれが明治20年代までとすれば、詩文はそれより後れて明治40年代になってからである。山田美妙はその先覚者である。


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