2010年8月15日

文藝散歩 

興膳宏著 「漢語日暦」
岩波新書(2010年7月)

漢語の季節感

著者興膳 宏(1936年10月生まれ)氏は、中国文学者、京都大学名誉教授。福岡県生まれ。京都大学文学部卒、同大学院博士課程中退。1989年「中国の文学理論」で京大文学博士。京都大学文学部教授、文学部長を経て、2000年退職、名誉教授、京都国立博物館長を務めた。財団法人東方学会常務理事。主な著書には、『潘岳 陸機』 (筑摩書房 1973年)、 『中国の文学理論』(筑摩書房 1988年)、 『異域の眼:中国文化散策』(筑摩書房 1995年)、 『風呂で読む陶淵明』 (世界思想社 1998年 )、『乱世を生きる詩人たち:六朝詩人論』 (研文出版 2001年)、 『古典中国からの眺め』(研文出版 2003年)、 『中国名文選』 (岩波新書 2008年)、 『中国古典と現代』(研文出版 2008年)、 『杜甫:憂愁の詩人を超えて』(岩波書店 2009年)などがある。本書は2009年4月1日から2010年3月31日まで京都新聞に毎日連載したコラム「漢語歳時記」をまとめたものである。桑原武夫編「一日一語 」(岩波新書 1956年)に倣って、新聞コラムに手を入れたそうだ。漢語とは中国の言語のことであるが、日本で国家形成がなされて以来、ずっと政治体制、文化、言語のお手本となってきた。千年間はいわば日本文化の血肉化したものだが、それも明治時代から西欧文明をお手本にするようになって、急速に中国文化は忘れ去られた。文学者、小説家において漢語文化の影響を色濃く表現した人は、]夏目漱石、森鴎外、永井荷風までである。森鴎外の文章に独特のリズムがあるのは漢文のおかげである。平安時代以降、漢語は漢詩、儒教文化と深く結びつき、いわゆる支配層の必須教養となった。明治時代には漢語文化は江戸趣味と結びつき文人墨客のバックボーンを流れる教養であった。平安時代の「和漢朗詠集」では、白居易の漢詩が最も愛唱された。「和漢朗詠集」の編集も本書と同じような季節別になっている。ちなみに、
上巻(季)
春 :立春 早春 春興 春夜 子日付若菜 三月三日付桃花 暮春 三月尽 閏三月 鶯 霞 雨 梅付紅梅 柳 花 落花 躑躅 款冬 藤
夏: 更衣 首夏 夏夜 納涼 晩夏 橘花 蓮 郭公 蛍 蝉 扇
秋 :立秋 早秋 七夕 秋興 秋晩 秋夜 八月十五夜付月 九日付菊 九月尽 女郎花 萩 槿 前栽 紅葉附落葉 雁付帰雁 虫 鹿 露 霧 擣衣
冬: 初冬 冬夜 歳暮 炉火 霜 雪 氷付春氷 霰 仏名
下巻 (雑)
風 雲 晴 暁 松 竹 草 鶴 猿 管絃附舞妓 文詞附遺文 酒 山附山水 水附漁父 禁中 古京 故宮附故宅 仙家附道士隠倫 山家 田家 隣家 山寺 仏事 僧 閑居 眺望 餞別 行旅 庚申 帝王附法王 親王附王孫 丞相附執政 将軍 刺史 詠史 王昭君 妓女 遊女 老人 交友 懐旧 述懐 慶賀 祝 恋 無常 白

本書の内容を月日で項目を列記すると
1月:
元日、門松、東君、希望、南天、紙鳶、人日、羽子板戯、竹馬、湯婆子、弱冠、虎尾、虎穴、虎視眈耽、赤豆粥、虎渓三笑、地震、雪意、雪中、紅装素裏、雪蟄、江雪、雪人、豆腐、麦麺、此君、温泉、水仙、臘梅、寒梅、送窮
2月:
凍蠅、寒雀、追儺、方相氏、弄氷、三冬、炙背、負日献芹、梅花、暗香、仙鶴、紅梅、春聯、金錯刀、涅槃、扁食、盆梅、春風踏脚、雨水、葦編三絶、風神、大椿、山茶、辛夷、野火、騒擾、春酒、家饂、閏月
3月:
桃花水、桃夭、流觴曲水、桃源、獺祭魚、啓蟄、東風、春寒、空襲、登科、下第、蛍雪、火車、碩鼠、猫鼠、五白猫、黄鳥、流鶯、墨池、点睛、知音、打毬子、踏青、壇浦、花信風、芳草、遊糸、梨花、柳緑花紅、一刻千金、三月尽
4月:
万愚節。桜花、団子、呂律、清明、牡丹、春風、睡眠、守拙、百年、生涯、醍醐、遅日、紙片魚、落花、黄砂、菜花、胡蝶、春雨、発生、鞦韆、青春、筍、孟宗、嚔、欠伸、鼻息、躑躅、紫藤
5月:
鈴蘭、菜茶、平和、登龍門、端午、粽、薫風、玄鳥、帰雁、杜鵑、白鷺、瑕疵、人心、矜持、青牛白馬、白雲、柳暗花明、柳絮、白小、河豚、魚酢、卯酒、膾炙、饅頭、挿秧、麦秋、飛翔、一家言、一家春、鶏犬、虚室
6月:
孟夏、本能寺、夷船、瓢鮎、香魚、芒種、松魚、棘鬣魚、枇杷、一点鐘、塩梅、梅雨、明眸皓歯、霓裳羽衣、芭蕉、紫陽花、梔子、桜桃、蛍火、夏至、薔薇、青苔、瀟瀟、涙雨、雲雨、聴雨軒、蝌蚪、群蛙、蚯蚓
7月:
一髪、二毛、三元、四海、五福、六根、七夕、八景、九天、十日、百日紅、千日酒、蝸牛、自由、函谷関、郭巨、山車、大湖、蒲焼、遠洋、山中、日食、波濤、游泳、信天翁、蝉、青蠅、聚蚊、蟻、槐葉冷淘、蕎麦
8月:
甲子、溽暑、苦熱、納涼、三伏、原爆、牽牛花、芙蓉、煙火、昼睡、蝙蝠、涼味、鎮夏、帰省、凶器、火字、幽霊、都踊、麦酒、氷水、西瓜、曝書、山雨、地蔵、金魚、乞巧、玉蜀黍、寒蝉、選挙、世襲、飄風
9月:
天地鳴動、震後、団扇、秋風、蟋蟀、蟷螂、紅蜻蛉、白露、登高、短髪、落歯、眼花、女郎花、桔梗、薄、相撲、木鶏、松茸、鶏頭、彼岸、老夭、曼珠沙華、掃墓、葡萄、自然、風景、殺風景、夜雨、鱸魚、長城
10月:
華甲、耳順、三五夜、月餅、十七夜、打稲、晩稲、白虎、梨栗、棗、丹柿、夸父、重露、橘頌、巌桂、鴨脚、悲秋、高秋、秋草、松子、清涼殿、霜降、鯉魚風、百舌、敗荷、読書、蟹行書、秋菊、菊花偶、菊枕
11月:
古典、源語、文化、短日、九月尽、茶梅、風樹、萱堂、家庭、蟹螫、海参、西施乳、東坡肉、山鯨、焼薯、返照、残菊、葡萄酒、鹿鳴、赤壁、二喬、琴瑟相和、紅葉、黄葉、秋雁、暮鴉、竹青、手談、芝居、落語
12月:
星落秋風五丈原、天下三分、水魚之交、寒灯、太陽暦、清貧、曲肱、開戦、忘年、酩酊、中酒、止酒、北風、万里裘、四七士、易水、山睡、寒日、後凋、履霜、冬至、水落石出、耶蘇生日、耶蘇祭日、歳晩、囲鑪、寒夜、除夜、守歳

俳句でいえば「季語」にあたる本書の漢詩文の「漢語日暦」は、一つ一つ味わい深いものがあるが、本書は、漢詩の季節を現す言葉から始めて、殆ど和語に相当する言葉、江戸時代に流行した「狂詩」の言葉(漢語には無い言葉を漢詩文のなかで用いる)、現代日本語(漢字で書いた)まで幅広く音読みの漢字語も収集している。肩が凝らないように、いろいろな漢語を集めているが、著者の引用した漢語の由来をあたって見ると、全365語のうちベスト10の引用回数は、唐の白居易が22回、唐の杜甫より20回、周・春秋時代の「詩経」より17回、清末期の駐日大使黄遵憲の「日本国志」より11回、南宋の陸遊より11回、唐の李白より9回、六朝の陶淵明より9回、北宋の梅堯臣より8回、南宋の楊万里より8回、北宋の蘇軾より7回、戦国の「論語」より6回、「荘子」より6回というところが多い。滅多に読まれることが無い日本の漢詩人では、江戸の柏木如亭より7回、幕末明治の成島柳北より5回、明治の鈴木虎雄より4回、江戸の菅茶山より4回、平安時代の嵯峨天皇より3回、江戸の市川寛斎より3回、江戸の良寛より3回、江戸の寺門静軒より3回、江戸の舘柳湾より2回、江戸の広瀬旭荘より2回、江戸の藤井竹外より2回、江戸の梁川星巌より2回、江戸の頼山陽より2回、平安時代の源順より2回、江戸の草場船山より1回、江戸の祇園南海より1回、昭和の中島棕陰より1回、江戸の北条霞亭より1回、江戸の恥庵より1回、明治の大沼枕山より1回、江戸の太田南畝より1回、江戸の新井白石より1回、江戸の江馬細香より1回、平安時代の菅原道真より1回というところである。明治以降の小説家では、夏目漱石より8回、永井荷風の「断腸亭日乗」より8回、森鴎外より2回、土井晩翠より1回、中島敦より1回、草野心平より1回、正岡子規より1回、北原白秋より2回、三好達治より1回、太宰治より1回というところである。

本書より自分の漢詩のなかで一度は使ってみた言葉をピックアップする。
「人日」:正月7日のこと、「送窮」:1月の末に行なわれる厄払い、鬼払いのこと、「凍蠅」:冬の弱弱しい蠅(やれ打つな蠅が手を擦り脚を擦る)、夏のうるさい蠅は青蠅、「追儺」:鬼やらい、節分のこと、「炙背」:日向ぼっこ、「家饂」:自家製の酒、「獺祭魚」:詩文にやたら書物を羅列すること、「碩鼠」:人民を重税で苦しめる君主、「点睛」:睛は晴ではない、ひとみのこと、「遊糸」:くもの糸がたなびくさま、自由な気分、「三月尽」:やよいつごもり、「遅日」:春の日永、「卯酒」:卯の刻午前6時に飲む朝酒、「鶏犬」:のどかな農村風景、「一髪」:髪の毛一筋ほどに見える遠いさま、「甲子」:干支の最初、世の中が改まる年、「三伏」:夏至の後から立秋後の庚までの期間、暑い盛り、「凶器」:兵はもともと凶器、平和の手段は嘘、「曝暑」:8月7日ごろ書の虫干しを行なう、「寒蝉」:夏の終わり、つくつくぼうしの鳴くころ、「眼花」:年のせいで目がかすみ視力が衰える、「老夭」:夭折は痛むに堪えず、老いもまた悲し、「掃墓」:墓参り、「三五夜」:みずみずしい十五夜の月、十六夜をいざよい、十七夜を立ち待ち、十八夜を居待ちの月という、「鯉魚風」:10月の風、晩秋の風、「風樹」:樹静まらんとするに風やまず、親孝行したい時には親はいない、「萱堂」:母堂、北堂のこと、「西施乳」:美女西施の乳房はふぐのこと、大真乳は楊貴妃の乳房で牡蠣のこと、「曲肱」:貧しい中でも楽しみはある、「中酒」:酒に中る、二日酔いのこと、「山睡」:山眠るは冬、山笑うは春、山滴るは夏、山粧うは秋の山。

魚や木、花名などの言葉は日本語と漢語では異なる場合がある。知ったかぶりの言葉の知識を示す。
「雪人」:雪だるまのこと、スノーマンではない、「麦麺」:饂飩のこと、ワンタンに同じ。「臘梅」:12月を意味する臘月に咲くから、蝋梅と書くこともある、「大椿」:ツバキは日本在来種で中国には無い、中国の大椿は大木になる別種の木、「山茶」:ツバキは中国では山茶とかく、「辛夷」:こぶしの花ではなく、中国では木蓮をさす、「発生」:事件の発生ではなく、春万物が生まれること、「鼻息」:いびき、鼾のこと、「平和」:戦争と平和という意味は近代以降のこと、心の穏かな状態をいう、「玄鳥」:カラスではなくツバメのこと、「河豚」:ふぐのこと、「瓢鮎」:鮎はあゆではなく鯰のこと、あゆには香魚と呼ぶ、「松魚」:カツオのこと、鰹は別種の魚、「桜桃」:ユスラウメのことだが、太宰治の小説ではさくらんぼとなっている、「百日紅」:さるすべり、別名紫薇という、「芙蓉」:蓮花、荷花という、日本の芙蓉の花ではない、「都踊」:都踊りではなく盆踊りのこと、「麦酒」:ビールではなく別種の酒、麦焼酎にちかい、「短髪」:ショートカットではなく、年のせいで薄くなった頭の毛、「華甲」:還暦は和製語、「巌桂」:木犀のこと、金木犀を金桂、「茶梅」:サザンカのこと、山茶花とかくと中国ではツバキの事、「海参」:海鼠のこと、「手談」:囲碁のこと、「落語」:漢語には無い、「忘年」:年忘れの事ではない、年齢の差を無視する交わりのこと。


随筆・雑感・書評に戻る   ホームに戻る
inserted by FC2 system