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文藝散歩 

「文語訳 旧訳聖書 V 諸書」
岩波文庫(2015年10月)

西欧哲学、文学、詩歌の原点となった智慧文学 五つの書

旧約聖書の分類配列と内容の概略

分 類 書 名 概 要
T 律 法
(モーゼ五書)
創世記楽園の追放と人間の堕落、カインとアベルの殺人、ノアの箱舟、バベルの塔、アブラハム・イサク・ヤコブの三代の族長の話しとイスラエル十二氏族、ヨセフのエジプトでの苦労が語られる。悪徳の町ソドムとゴモラの滅亡など
出エジプト記エジプトでの奴隷生活から指導者モーゼによる出エジプト、シナイ山でのモーゼの十戒と戒律、ヤハウエ神との契約が語られる。信仰と生活の原点となる。紅海を渡る際、海が割れてエジプトの追手を防いだ話など周知の話も多い。
レビ記イスラエル民族のうちレビ人は祭儀を扱う聖職者部族に定められた。前半は供物・犠牲・儀礼など細かく記載される。倫理規定、禁忌規定では「落穂を拾うべからず」はミレーの絵画となった。「汝の隣人を愛すべし」は新約聖書のキリストに受け継がれた。
民数記イスラエル民族の人口数を記載していることで有名。時代はシナイ山から始まるので出エジプト記と重複する。約40年の荒野での放浪生活からヨルダン川の東岸に到着、神との契約の地カナンに定着するまでの戦闘記。律法の記載
申命記申命とは繰り返し述べた律法(神の定めた倫理規定、禁忌規定)の書のこと、モーゼの十戒が繰り返される。モーゼはヨシュアを後継者に指名、カナンの地での生活を指示した。「人はパンのみで生きるものにあらず」は有名な聖句
U 歴 史ヨシュア記ヨシュア記、士師記、サムエル記上下を「前預言書」とするが、それは歴史書であると同時に預言者(ヨシュア、サムエル、エリシア)であったからだ。「モーゼ六書」に入れられたこともある。モーゼの後継者(預言者)ヨシュアに率いられたイスラエル民族はカナンの地に進出、奪った地を12部族に分割した。紀元前13世紀ごろの歴史である。全体が、エホバがヨシュアに向かって言った言葉「我が僕モーゼが汝に命じた律法を守ったなら、なんじは幸福を得必ず勝利する」に貫かれている。ヨルダン川の渡河にも水止めの奇蹟が経験され、各地の戦争で勝利し支配地を拡大する。ヨシュアは死を前にして律法を守ることを厳命する。
士師記イスラエル民族はカナンの地に定着したが、先住民族との抗争が続く。エホバはイスラエルの民の宗教的・道徳的背反を懲らしめるために先住民との戦争を利用した。士師とは部族連合の指導者のことでデボラ、ギデオン、サムスンの活躍を描く。女性預言者デボラも士師の一人でカナンの王を滅ぼした時エホバへの賛歌「デボラの歌」を歌った。これは旧約聖書最古の詩文だとされる。モアブ人と闘ったエホデ、ミデアン人と闘ったギデオン、ペリシテ人と闘ったサムスンについては詳しく描かれた。イスラエルに統一王国ができる紀元前12世紀の歴史である。
ルツ記イスラエルの王ダビデの系譜を語る。ベツレヘムに住んでいたナオミと夫、二人の息子は飢饉により異郷の地モアブに移住する。二人の息子はモアブの娘と結婚するが、ナオミは夫と2人の息子に先立たれた。ベツレヘムに帰るナオミに付き添ったのは息子の嫁ルツだけであった。ベツレヘムでは夫の親戚のボアズの麦畑で2人は落ち穂拾いで生活をした。ボアズは刈り入れで落ち穂を多くして生活を助け、やがてボアズとルツは結婚し男子オベデが生まれ、エッサイ、ダビデと家系は受け継がれた。律法の「レビ記」にも落ち穂を遺すして貧しきものを救う話は申命記にも記されている。ミレーはこの話を題材に落ち穂拾いを描いた。
サムエル記(上・下)サムエルは紀元前11世紀のイスラエルの士師・預言者であった。サムエルの息子は不正と収賄を働き、イスラエルの民は王の選出を希望した。王に選ばれたサウルによるイスラエル部族連合体が王政に移行し、サウル、ダビデ、ソロモン王が南北を統一しイスラエル王国を拡大した。ダビデはペリシテ人を倒し、あまりに強いダビデにサウルは反感を抱き殺害を図るが、サウルの子ヨナタンはダビデを助ける。戦死したヨナタンを悼んだダビデの「ああ勇者は仆れる」という言葉は名高い。王位に就いたダビデも部下ウリアの妻を横取りするため、ウリアを前線に送り戦死させるという過ちを犯す。ダビデの子アムノンは異母妹を犯して兄に殺される。詩篇にはダビデの歌を遺す。
列王紀略(上・下)王位はダビデの子ソロモンに継承され、イスラエル王国は全盛期を迎えた。エルサレムに豪華な神殿が作られ、「ソロモンの知恵」と讃えられたように智恵と聡明にすぐれていた。智恵を試さんとしたシバの女王の驚きの話は名高い。しかしソロモンの子レハベアムの時代にヤラベハムの反乱が起き、レハベアムの北のイスラエルとヤラベアムの南のユダ王国に分裂。王国の危機は異教のバール神への傾斜によってたびたび引き起こされた。警告は預言者エリア、エリシア、アモス、ホセア、イザヤによって発せられた南北の王朝史を語る。最期に北イスラエルは東の大国アッシリアによって紀元前722年に亡ぼされ、南のユダ王国はアッシリアによって紀元前585年に亡ぼされた。イスラエルの民はアッシリアの首都バビロンに連行され捕囚の生活となった。
歴代志略(上・下)サムエル記(下)、列王紀略(下)と重複する内容が多いが、イスラエル民族の系図の詳述とダビデによるエルサレム神殿計画と、ソロモンによる神殿建設に重点が置かれている。従ってダビデの過ちやソロモンの異教徒支援の話は描かれていない。イスラエル王国分裂後の北のイスラエル王国と南のユダ王国の記述では、エルサレム神殿のある南のユダ王国の歴史にくわしい。イスラエル民族の浮沈はすべてエホバ神への信仰の度合いとか異神への信仰かによっている。最後はアッシリアのネプカデネザル王によるエルサレムの陥落とバビロンへの捕囚となるが、ペルシャ王クロスによる解放まで(紀元前538年)で終わっている。
エズラ書バビロニアがペルシャに亡ぼされ、ペルシャ王クロスによるバビロン捕囚からの解放後、イスラエル民族は神殿復活・律法の復興運動にいそしむ。後半は祭祀エズラによる罪の反省と祈りが中心となる。これを「エホバの戒め」と呼ぶ。 
ネヘミヤ記書いてある内容はエズラ書と同じで、バビロンの捕囚から解放後のエルサレム神殿の再建、そして罪の反省と祈りが中心である。ペルシャの寛容政策によってユダヤ律法の復興運動が盛んとなった。イスラエルの指導者ネヘミヤによって記された。
エステル書紀元前5世紀ペルシャ王クセルクス1世の時代にペルシャに住むイスラエル人の話である。バビロンの捕囚の経験者モルデカイの幼女エステルはユダヤ人であることを隠して育った。後年アハシュエロス王の皇后になり、権力者ハマンのユダヤ人絶滅計画を、王への働きかけで未然に防いだ。
V 諸 書ヨブ記諸書は「知恵文学」とも呼ばれ、詩文が多い。神への賛歌、信仰の人生の教訓・格言集である。紀元前3世紀ごろの作品集とみられる。信仰も厚く行いも正しい人ヨブは、家庭・財産に恵まれた生活を送っていた。悪魔サタンはヨブの信仰を試すように、神に試練を課すよう持ちかける。ヨブに災難が襲い家庭は崩壊し財産をすべて失っても信仰は捨てなかった。次の段階でヨブの身体に重い皮膚病が発症し、皆に嫌われる生活に一変した。ここでは正しい行いの人がなぜ不幸に逢うのか、はたして神は正義なのかという「神義論」がテーマとなっている。ヨブは人間が神を知るとはどういうことなのか、神と人間の関係を突き詰めて考える。
詩篇詩篇は神に対する賛美と感謝、懇願。信頼が中心となった全150篇からなる。約半数はダビデの作と書かれているが、真偽のほどは分からない。119篇にある「アレフ」、「ベテ」、「ギメル」・・・はヘブライ語のアルファベットで段落を示している。文語訳「詩篇」は長年にわたりヨーロッパ近代文学へ影響が大きい。
箴言箴言とは「戒めとなる言葉」であり広い意味では教訓・格言・処世訓である。狭い意味では「エホバを畏るるは知識の本なり」という思想が根幹にある。「ソロモンの箴言」と言われることもあるが、ソロモン以前から本書が書かれた紀元前3世紀までにわたる言葉の集積である。
伝道之書集会で語る人を伝道者という。ヘブライ語聖書では「コヘレトの言葉」という題名になっている。著者はソロモンと言われることもあるが、ソロモンではない。伝道者にせよコヘレトにせよ、固有名詞ではなく広い意味では自由な思想家のような存在である。冒頭に「空の空なる哉、すべて空なり・・日の下には新しきものなし」といった衝撃的な言葉で始まり、厭世的な内容でヘレニズム文化の影響が大きい。
雅歌男女が愛し合い讃えあう歌という旧約聖書では極めてユニークな詞華集である。多くはソロモンの作といわれるが、ソロモンとは直接な関係はない。古代オリエント世界の中でイスラエル民族の愛の賛歌の集成となった。ヨーロッパ近代文学への影響は大きい。
W 預 言イザヤ書「三大預言書」とは、イザヤ書、エレミア書、エゼキエル書を呼ぶこともある。預言という言葉は神からその言葉を預かり伝えるものという意味である。預言者はただ未来を予言する予言者、呪術師とは異なる。イザヤ書は北イスラエル王国及び南ユダ王国の分裂時代の預言者イザヤの預言集である。イザヤはすべて同一人ではなく、紀元前736年ー701年ころに活躍したイザヤ自身の言葉を第1イザヤ(T-39章)、第2イザヤは紀元前6世紀後半解放前の苦難の時期、バビロン捕囚の嘆きの書 黙示文学と言われる。第3イザヤは紀元前538年ペルシャ王クロスによりイスラエル人キア人解放のころで信仰と律法の順守を求める。成立は紀元前5世紀前半とみられる。歴史的には3段階のイザヤという預言者の話である。
エレミヤ記預言者エレミヤの活動時期は、大国アッシリアによる北イスラエル王国の滅亡(紀元前722年)、つづくバビロニアによる南ユダ王国の滅亡(紀元前586年)、さらに「バビロンの幽囚」とペルシャ王クロスによるイスラエルの解放(紀元前538年)というイスラエル民族の最も激動期にあたる。エレミヤの預言はエホバの教えである律法の順守であることは変わりないが、その形式的な順守より心の在り方を厳しく問うものであった。「心は万物よりも偽る者にして甚だ悪し」とか、祭祀の虚言を糺した。エレミアはまさに預言者中の預言者であるといえよう。バビロンの幽囚の嘆きの書であると同時に、イスラエル民族自身による信仰の回復に絶望し、「エホバいい給う見よ我がイスラエルの家とユダの家に新しき契約を立つ日来たらん」といい、新しい契約を希望するに至る。つまり旧約から新約への意向を考えていたようだ。エレミヤ記の成立は、エレミヤの書記バルクの記述が含まれるので紀元前6世紀前後とみられる。
エレミヤ哀歌単に「哀歌」と言われることもあるが、この書はエレミヤ記の後に置かれ「エレミヤ哀歌」となる。しかしエレミヤの言葉ではなく、異なる作者によるものからなり、それぞれに韻文としての特徴がある。紀元前597年のアッシリアによるエルサレムの占領以降のエルサレムと民族の悲惨な生活を余すところなく描いた。
エゼキエル書バビロン捕囚の嘆きの書。預言者エゼキエルはバビロニアによる第1回「バビロンの捕囚」の一人であった。神からエルサレムの滅亡の理由を説明するよう求められ、あたかも新約聖書のヨハネ黙示録を思わせる神との間の幻視を語る。イスラエル民族の宗教的、倫理的罪の糾弾は厳しい。最後にはエルサレムへの帰還と神殿の再建を、「枯れたる骨」の再生、新しいダビデの出現を願う希望の預言となる。
ダニエル書ダニエルはエゼキエルと同じように、「バビロン捕囚」期の預言者であった。この書もエゼキエル書と同じように黙示録または幻視が多いが、知恵の書としても名高い。バビロニアの王ネプカデネザルの命により、王の夢から来るべき諸国の興亡を予言した。「獅子の穴」に放り込まれる危機に遭遇するが、諸国の興亡の預言を説いて止まなかった。「人の子ごとき者雲に乗りて来たり」という新約聖書の救世主のような預言がある。ダニエルは智慧と判断に秀でた預言者とされた。シェークスピアの「ヴェニスの商人」にもその名が出ている。
ホセア書ホセア書以下12篇の預言書は、アウグスチヌスの「神の国」以来「十二小預言書」と呼ぶことがある。アモスとホセアはイスラエル王国のヤラベアム2世の時代から滅亡期までにかけての預言者。「十二小預言書」全体の成立時期は紀元前3世紀から前2世紀とされる。ホセア書に同時代人として挙げられている王の名はイスラエル王国・ユダ王国末期のものであり、これを信ずるなら紀元前8世紀末の人物である。作者がホセアであることと、その預言期間がウジヤの治世からヒゼキヤの治世にまで及ぶとされる。神に度々反抗したイスラエルに対する裁きの音信であり、神はイスラエルを見放すという内容である
ヨエル書ヨエル、ヨナ、ハガイ、ゼカリヤ、マラキは捕囚後開放時代の預言者である。黙示文学。作者はペトエルの子ヨエルであるという。ヨエル書の作製年代を、エルサレム帰還後で、エルサレム神殿再建完了(BC516年)の前に置く。
アモス書アモス書 にも、主の日(神による審きの日)の到来という、ヨエル書と同じテーマを扱っていることなどから、執筆年代はアモスやホセアと同年代(BC8世紀前半のヤラベアムU世統治のころ)と考えている。作者はアモスで、南ユダ王国テコア出身の牧夫であったという。時期については、ウジヤ(ユダ王国)、ヤラベアム2世(イスラエル王国)の分裂王国時代であった。内容は大きく4つに分けることが出来る。@近隣諸国の民と、南ユダ王国、北イスラエル王国に対する神の裁きの宣告、Aイスラエルの支配者たちへの悔い改めの要求、B裁きについての5つの幻(イナゴ、燃える火、重り縄、夏の果物、祭壇の傍らの主)、Cダビデの系統を引くイスラエル民族の回復である。
オバデヤ書オバデア、ミカ、ナホム、ハバクク、ゼバニアはバビロン捕囚期の預言者である。筆者は伝統的にオバデヤ(オバデア)という名の人物とされる。この名は字義通りには「主(ヤハ)の僕(または崇拝者)」を意味する。オバデヤ書は大きく分けると「エドムの傲慢と滅亡」と「イスラエルの回復」の項目から成る。エドムとイスラエルの先祖は、エサウとヤコブの兄弟であり、したがって2つの民族は兄弟であるとみなされた。このような血族への暴虐によって、エドムは恥と滅びを永遠に蒙ると宣告される。作製時期は「エドムは兄弟であるイスラエル民族が攻撃されたときに見捨てたため、滅ぼされなければならない」という預言について考えると、紀元前605年から586年 - バビロンのネブカドネザル2世によりエルサレムが攻撃され、最終的にユダヤ人のバビロン捕囚が起こった時期が妥当である。オバデヤ書全体の主題は神の民の敵の滅びである。エドム人とは、イスラエルのかつての敵すべてを意味しており、文字通りのエドム人を指しているわけではないとする説がある。
ヨナ書内容は預言者のヨナと神のやりとりが中心になっているが、ヨナが大きな魚に飲まれる話が有名。前半は、ヨナ自身の悔い改めの物語を描き、後半は、ヨナの宣教によってニネベの人々が悔い改めたことを述べる。ヨナ書の主題は、預言者として神の指示に従わなかったことと、ニネヴェの人々が悔い改めたことに対して不平不満を言ったことに対するヨナの悔い改め (=神に仕える者としての生き方を正す) と、神は異邦人でさえも救おうとしておられることの二つである。
ミカ書作者は紀元前8世紀の預言者ミカに帰される。構成は7つからなり、本書の中でミカは支配階級に抑圧されている人たちの苦しみに共感し、横暴な人たち(その中には賄賂によって都合の良い預言をする預言者や祭司も含まれる)の不正を厳しく糾弾している。
ナホム書全3章から構成される。著者はナホムという名の人物とされる。 預言の主題はニネベの陥落とアッシリアへの裁きである。成立時期はエジプトのテーベの滅亡が記されているので、紀元前663年より後、ニネベが陥落した紀元前612年より前である。
ハバクク書本書は3章からなる。ハバクク書はユダヤが直面する民族的困難が増大する時代にあって、疑念が付されてきた神への絶対的な信頼と能力の妥当性という問題を扱っている。ハバククは「民の悪行に対する神の怒り」「異民族による怒りの執行」という観点に立つことによって、民族的困難と神への信頼を両立させる。また神の絶対性と将来の救済、「怒りのうちにも憐れみを忘れぬ神」という観念がみられる。
ゼフェニア書伝統的にゼファニヤが作者とされる。ヨシヤ王(在位紀元前640年頃から前609年頃)の名があることから、紀元前7世紀後半ないしそれ以降に成立した。本書の目的は、エルサレム住民へ行いを改めるべく警告することであったろうと考えられる。
ハガイ書作者はバビロン捕囚後の最初の預言者ハガイである。エルサレム神殿の再建(紀元前515年)がその預言の主題となっている。ハガイとはヘブライ語で「祝祭」という意味である。
ゼカリア書本書は14章からなり、小預言書の内では、比較的大部にわたる。内容としては、幻視に関する8つの記述、エルサレムに臨んだ災いを記念する断食に関する質問、諸国民に対する裁き・メシアに関する預言・神の民の回復に関する記述からなる。
マラキ書本書は3章からなる。預言の主題は宗教儀式の厳守、及び雑婚の禁止である。マラキは当時の形式的な礼拝を咎めた。マラキとはヘブライ語で「私の使者」という意味である。当時、捕囚から帰還した頃は市民権は無く、旱魃や大量発生したイナゴのため凶作が続き、更には周囲に敵意を持つ民族が居住していたため、非常に衰退していた。そのような状態でイスラエルの民は神殿を再建した。祭司の堕落や、軽薄な雑婚・離婚、捧げ物の不履行などが蔓延していた。ネヘミヤがエルサレムに不在で人々が混乱に陥っている際にマラキがメッセージを語ったのである。


諸書は「知恵文学」とも呼ばれ、詩文が多い。神への賛歌、信仰の人生の教訓・格言集である。紀元前3世紀ごろの作品集とみられる。ギリシャ語訳旧約聖書では「聖文集」として収められた「ヨブ記」、「詩篇」、「箴言」、「伝道之書」、「雅歌」を示す。「雅歌」はその名のとおりである。「ヨブ書」は序曲と終曲以外の中心部分は詩文である。「諸書」の内容は神に対する賛歌とともに、信仰の人生とその意味、生き方に関する教訓が中心である。

1) ヨブ記

信仰も厚く行いも正しい人ヨブは家庭、財産ともに恵まれた生活を送っていた。悪魔サタンは、ヨブの信仰心が厚く行いも正しいのはその恵まれた生活の結果であると考え、彼の信仰心を試すため様々な不幸をかけて試すべきだと神に話を持ちかけた。神はサタンの試みを許した。ヨブには相次いで不幸が襲い家庭は崩壊し財産のすべてを失う。文字通り天涯孤独となった彼の身体に重い皮膚病が発症し、ヨブの生活は破綻を呈した。そこの3人の友人が訪れ、友人は彼に本当の信仰心がないことが原因だという。いわゆる「因果応報」とみて友人たちはヨブを批判するが、ヨブは納得できない。行いの正しい人間がなぜ不幸に遇うのか、神は果たして正義なのか、という「神義論」がテーマとなる。中国でも同じテーマを「天道是か非か」という言葉で論議している。ヨブ記では人間が神を知るとはどういうことなのか、そこには神と人間の関係について深い哲学的問題が横たわっている。ヨブ自身(そして我々の)の信仰白書である。
第1章: ウズの地にヨブという人が居た。そのひととなりは全く正しく神を畏れ悪に遠い人であった。家族は子供は男の子7人、女の子3人で、所有物は羊は7000頭、ラクダ3000頭、牛500頭、騾馬500頭、僕も多かった。この地方の東では最大の資産家であった。自分の祝い事に宴莚を設けることが多かった。その日には朝から燔祭を捧げて身を清め、子どもらも神を忘れることは無かった。ある時神の子とサタンがやってきた。エホバはサタンに何をしにやってきたのかと問うた。エホバは彼のごとく完全に正しく神を畏れ悪に遠い人はいないと感心した。サタンは彼には財産が夥しくあるので、その結果信仰心があるのだろう。もし彼の一切の財産を奪ったならば、彼は神を呪うであろうといった。そこで神はサタンに彼の財産を一切任せるが、身体に手を付けてはいけない。それで信仰心がぐらつくかどうやってみよといった。(神はサタンの挑発にみごと乗っけられた、神もちょろい存在なのだ)ある日シバ人が牛ロバを奪い僕を殺した。彼の子どもも殺された。家畜は悉く火に焼かれて死んだ。家がつぶれ家族も彼を除き全員死んだ。ここでヨブは衣を裂き地に伏して拝礼し、神を褒め称えこのことで神に向かって愚かなることは言わなかった。裸で生まれてきた自分が又裸に戻っただけのことと考えた。
第2章: 神エホバと神の子とサタンが再会し、エホバはサタンに彼を撃ち悩ますことを許可したが彼は己を堅く保っているよと言った。しかしサタンは皮を切らして大丈夫だとしても、彼の骨と肉を撃てば彼は神を呪詛するだろうという。神は汝の手に任すが彼の命は奪うなという条件で許可した。サタンはヨブの頭のてっぺんから足の裏まで腫物を作った。ヨブは灰の中に入ってこれに耐えた。妻はあきれて神を呪って死ぬがいいと言ったが、ヨブは我は神から幸いを受けることがあっても、禍を受けることは無いといって、その唇から罪を犯さなかった。ヨブの3人の友達(エリバズ、ビルダデ、ゾパル ヨブに対して三つの問題を議論する)がやってきてヨブの姿を見て声をあげて泣いた。1週間ヨブと共に居たが、誰一人ヨブに声をかけられる人はいなかった。それほどヨブの苦悩が大きかったからである。
第3章: それからヨブは自分の人生を否定するようになった。全ては消え去れ、光よ照らすな。暗闇の世界を懼れる。何故私は母の胎から死んで出てこなかったのか。私は眠らん、安息することができるからだ。そこでは悪しき者の虐げは無く、疲れたるものは安息を得、囚人みな安らかにおられる。主の手を離れて、光と生命より死を望むも得られず、我はやすらかならず、安息を得ず、只艱難のみきたる。(第3章からは完全に詩文形の文章となる)
第4章: 友人エリパズが言う。ヨブは何か言えば嫌がるが、何も言わずに耐えられることができるのか。貴方はこれまで弱者を助けてきたが、あなたが弱者になった時もだえ苦しむ。神を固く信じてきたが、それを信じることがあなたの道ではなかったのか。誰か罪なくして滅びし人はいるだろうか。人の世は相対的に強弱入り乱れて存在している。それはほんの少しの差でしかない。(社会学的に言えば個人の努力を越えた無限の格差社会において、ヨブは社会的強者から弱者に落ちたといえる) 言うに足らない弱い存在である人々は悟ることなくして死に失せる。(仏教の相対主義的無常観 諦念の境地)
第5章: 友人エリパズが言う。ヨブが呼んでも答えるものは祭司の中にもいない。愚かなるものは憤りのために身を滅ぼし、痴者は妬みのために死ぬ。彼らを救う者はいない。それ艱難は避けがたく人に襲来するが私なら神に告げ我が事は神に任せる。神は全能なり、滅びと飢饉さえ笑い飛ばす事が出来、地の獣も懼れることは無い。全ては神の思し召し、汝らはよき齢に及びて死ぬだけである。人生は斯くのごとし。
第6章: ヨブは答えて言う。私の憤りと悩みを天秤にかけて測られよ。苦しみは重くだから憤るのだ。願わくば神我に希うところのものを我に賜われ。しかし苦しみの中に慰むるもの、気力があってこれに耐えているのです。友よ憂いに沈む者を憐れみ給え、そうすれば全能者を畏れることはない。請う我の過てるところを知らせよ、ならば我は黙るだろう。このことにおいて私は正しい、我が舌に不義はない、悪口は言わない。
第7章: 私は戦闘にあるように、雇われ人のように、憂うべき夜を与えられる。ただ息をしているだけの生活、幸いとは縁のない生活であるからこそ、私は口を禁めず心の痛みによって語り、魂の苦しきによって嘆く。我はこの骨よりも死を希う、我生命を厭う。神よ我の咎を赦さず、我が罪を除き給わざる。
第8章: 友人ビルダデが言う。いつまで汝は自分は正しいと言い張るのか。神はその裁きを曲げることはない、公義を曲げることはない、汝の子等は汝の罪によって滅んだ。汝は知らない過去のことで罪を蒙っている。過去の人々のことが原因である。神は全き人を棄て給わない、悪しき者を助けない。すべては因果応報である。
第9章: ヨブはこれに答えて言う。確かに神と争って勝ち目はない。彼は心賢く力強いから、誰が神に逆らいてその身が安かろうはずはない。神はその怒りを緩めることは決してない。たとえ自分が正しいと思っても、その口で悪者になリ罰せられる。ゆえに神は完全者と悪者とを等しく滅ぼされる。我に罪ありとされるならば、何をやっても無駄である。神は人ではないので、仲裁者を立てても意味はない。裁判で二人が弁護することはできない。
第10章: 私の心は生命を厭わしく思う。だから私は自分の憂いと魂の苦しさに駆られてものをいうのだ。神よ私に罪があるというのか、なぜ私を虐げるのか理由を言い給え、あなたは人間の眼、心をお持ちなのか、何故故に我が咎を調べ給うや、しかし私には罪はない。神は土塊から私を作り、また土塊に返そうとされるのか。もし罪があるならおとなしく定めに従い、冥府に向かいましょう。私の日が幾ばくも無いなら、願わくばしばし安息をください。
第11章: 友人ゾパルが言う。口数が多いからと言って答える必要はないのだろうか。自分は正しいとする口数が多いから正しいわけではない。神のなされたことは汝の罪よりは軽い。汝は神の志の深いことを知らないのだろうか。空しき人は悟りなし。神にむかって心が正しい人は、罪から遠く、堅く立って懼れることはない。汝に憂いはなく水のように流れ去るのである。汝は真昼より輝くだろう、安らかに眠ることができる。しかし悪しき者は目眩み遁れる所もない。
第12篇: ヨブはこれに答えて言う。私はあなた達より劣ったものではない。そのようなことは百も承知している。貴方たちに侮られ、嘲られる不幸な人間ではない。そのようなことは、獣に聞け。獣も一切がエホバの作り給うた命である。老いたる者には知恵があり、長寿者には悟りがあり、知恵、権力、智謀、悟りは神にある。神は世の中の人全て貴なるも強い者も神の思し召しの通りに動かされる。
第13章: しかし私は全能者たる神と議論したい。貴方たちは黙っていなさい。議論するところを聞き私の弁明をよく聞きなさい。貴方たちの諭しは灰のように頼りない者だ。神よ、我の咎我の罪幾何なるや、我の背反と罪を我に知らせたまえ。我が足を足枷にはめ、我は腐れたる者のごとく、虫に食わるる衣服に等しい。
第14章: 木は葉が落ち枯れるとも水を与えれば若き樹に戻る。しかし人は死んだら消失し何も残らない。神は罪を明らかにせぬまま私の命を断たれるのか。ただ肉に痛みを覚えて自ら心に嘆くのみ。
第15章: 友人エリパズが言う。智者どうしてそのような空しき知識を言いうのか。益なき詞をもって弁じるのか。汝は世界で初めて生まれた人なのか、神の謀に参加した人なのか。汝はなぜ心狂うや、なぜ神に向かい気をいらだててかかる言葉を口より吐きい出すのか。彼は手を伸ばして神に敵し、傲ぶりて全能者に悖り、頸を強くして厚き楯の面を向ける。そのため暗黒を出ること能わず。邪な輩は零落れ、賂の家は滅びぬ。悪念を生み、虚妄を生み、詭計を調う。
第16章: ヨブはこれに答えて言う。貴方たちは人を慰めるといいながらかえって人を煩わせる。私も汝らと同様にものを言い、否と言い、汝らを慰めることもできる。しかし言葉を出しても吾憂いは消えず、黙しても心が安くなることはない。貴方は私を疲れさせるだけである。汝らは賤しめて私の頬を打ち、相集まりて我を攻める。しかし我には不義は無く、我が祈祷は清し。我の証は天にあり、我が真実を表明する者は高きところにある。わが目は神に向かって涙を注ぐ。
第17章: 我すでに尽きなんとして墓我を待つ。まことに嘲る者傍らにあり。願わくば質を賜って汝ら我が保証となれ。我面に唾される者となり、義しき者は驚き、罪なき者は邪曲なる者を見て憤る。請う汝ら皆去れ、我は汝らに賢き者を見ないからだ。我もし行くところあるとせばそれは陰府だけである。
第18章: 友人ビルダデが答えて言う。汝らいつまで言葉の上で議論をしているのか。まず悟るべし。我らは獣でもなければ穢れたる者ではない。ヨブよ怒りて身を裂く者よ、その計るところ、網、繩、罠が至る所に設けられている。それが彼に力をなくし、禍の元になっている。彼は光明の中から暗闇に追いやられ、世の中から追い出された。神を知らないものは斯くのごとく根が断たれるのである。
第19章: ヨブはこれに答えて言う。汝ら何時まで言葉をもって我を打ち砕き悩ますのか。我を悪しく言い愧ずることがない。汝ら真に我が身に恥ずべき行為がありと証明するなら、神は我を虐げ給えりと知るべし。神には何の罪ありかと叫べども、何の返事もなく審理もない。我を敵の一人として扱えり。我を知る人は疎くなり、親戚一族も往来を止めた。我が体は異臭を放ち、かろうじて口だけが動く。わが友よ我を憐れめ、神の手我を攻め我を撃てり、願わくば我が言葉を書に記されんことを。私は自ら神に対して向かうが、神は知らぬふり。
第20章: 友人ゾパル答えて言う。我を辱める警語を聞いて、答えざるをえない。古より悪人の栄えたことは無く、その勢いもつかの間にして消え失せる。ヨブは悪を口に甘しとして愛してやまず、これが体の毒となり、その毒に食い殺されん。彼の豊富な財産所有物は喜びを越えて貧しき者を虐げた。飽きることのない欲に神が怒りを下したのである。諸々の災禍が準備され彼を焼き尽くすのである。是すなわち悪しき人が神より受ける分、神のこれに定められた数である。 
第21章: ヨブこれに答えて言う。汝まず私の怨み語を聞きなさい。それから嘲るがいい。悪しき人と言われてなお生き、老いてもなお勢力が強いのはなぜか。すべてが順当に来たなかで、神が私を離れ私を無視するのはどいうわけでしょう。全能者に仕えて祈祷りて何の益があるのでしょうか。人の幸不幸はその力によるものではない。悪人の謀はわたしの関与するところではない。神は天にある者さえ審判き給う者で、誰もを凌駕する知識をもっています。私はあなた達の思念をしり、我を撃たんとする計略を知っている。あなた達の答えることは偽りのみである。
第22章: 友人エリズバこれに答えて言う。人は神を益することはできない。貴方がいかに義しいとも全能者に喜びを与えることはない。貴方の悪(社会悪、階級悪)は極まりない。請う汝神と和平して平安を得なさい。神は謙遜者を救い給う。
第23章: ヨブこれに答えて言う。私は今なおつぶやいているが状況に納得できない。私にかかった禍はわたしの嘆きより重い。正義なる人神と言い争いたい。私は神に面と向かって、私の愁訴を述べ弁論したいが、神がどこに居られるやら答えはない。神は万能で思いの通りになし給うので、私は震え慄くばかりである。
第24章: 哀れな孤児、貧しき人、受難者、彼らには寒気を防ぐ衣服は無く、食べるに困って飢えて働く。邑のなかより人々の呻き声立ち上り、傷つけられた者の叫びが起こる。されど神はその不幸を顧み給わず、憐れみ給わず。人殺す者、姦淫するもの、人の家を窺う者は世にあふれ、生活は困窮を極めている。神はその力をもって強き人々を永らえさせる。かくのごときことが横行しているので、誰が私の言葉を虚言だといえようか。
第25章: 友人ビルダデこれに答えて言う。神は大権を持つ者、畏るべき者、民の平和を保つ無限の軍隊を持つ者である。神の前に全き正義な人はいない。まして人間は蛆。虫のごとき存在である。
第26章: ヨブこれに答えて言う。貴方は力のない者をいかに助けるか、知恵なき者をいかに教えるか、あなたの言葉はどこから出るのか、それは誰の霊なのか。神の力は偉大なり、その働きを知るのは一部のみである。我らが知るものは微かな囁き、しかしその轟は誰が知ろうか。
第27章: ヨブ続けて言う。私に正しい審判をなさらない神、我が心を悩ませる神は私を生かしている。私は悪を言わない、偽りを語らない、私は決して神を是としない、死ぬまで自分に罪がないことを言い続ける。邪なるもの、悪しき人が全盛を得て世にはびこるが、瞬く間に追い払われる。神は悪い者を撃ち嘲り追い出す。従ってこれだけ神に言い張っても生きている自分は、少なくとも悪人ではない。
第28章: 黄金、玉、器、石などはその元から作りだすことができるが、知恵の出どころは分からない。物がこれに代わることもできない。神はその道に明るい、地の極まで知り給う。主を畏れるのはその知恵のためである、悪を離れるのは明哲なさとりである。
第29章: さらにヨブは言葉を続ける。ああ、昔のように神が私を護り給える日のようになってほしい。壮なるとき神は私と共に居られた。私の言葉を聞く者は私のことを幸福だといった。正義の衣を着ていた。嘆く者を慰め、貧しき者の父であった。我は彼らのために道を選び、その首として座を占め、王のごとくしていた。。そのような私は今や死んだ。
第30章: 昔私が歯牙にもかけなかった卑しい者達の幼児さえ私を見ると嘲る。彼らの父は食う物にも困り、社会から疎外され岩穴に住む卑しむべき民だった。彼らは私を見て嘲り唾することを辞まず、私の滅びることを待つようである。かように私は塵灰に等しくなった。神は私の呼びかけに何も答えてくださらぬ。私を死に帰されるようである。たとえ滅んでも私は叫びたい。私の腸は煮え返り安らかになれない。
第31章: ここにヨブの生活信条(倫理道徳)が述べられる。私はしっかりした目と約束に憧れ、戒めを忘れ悪事をなしたことは無い。それなのに神が与えし業はいったい何だ。請う正しき秤をもって私を見てください。私が婦人に迷ったことはあるか、我が僕・婢の権利を侵害したことはあるか、寡婦に色目を使ったことがあるか、孤児を助けなかったことはあるか、衣服もなく死ぬ人に援助の手をさしのべなかったことはあるか、金を得ることを願ったことはあるか、富の大なることを喜びとしたことがあるか、もしこれらのことを我がなしたなら神に叛いたことになる。私は私を憎むものが死ぬことを喜んだことがあるか、私は人の生活の資を奪いその人を死に至らしめたことがあるか、我を訴える者は自ら訴訟文を書け。
第32章: ヨブは己を正しいと思うによって友人の3人は議論を止めた。エリフという者ヨブと3人の友人に対して怒りを放った。いままで3人の友人は年長者であったので発言を遠慮していたが、3人が反論を止めたことに腹が立ったようだ。エリフ言う。老いたる者すべて知恵あるとは言えず、道理に明白とは言えない。だから私は発現する。ヨブに勝てるものは神のみとご老人たちは見たのだろうか。「物言わずは腹ふくるるわざなり」(徒然草 兼好法師)とばかりに。
第33章: (エリフ 論点1)ヨブよできるなら答えよ、私もあなたも神が土から造られしものだ。ヨブは「自分に咎なし」というが、自分が知らないから咎がないとは言い切れない。なぜなら人が眠っている時でさえ神は守ってくださる。人が知らないところで神の力がおよぶ。神は偉大なり、神そのすべての行う理由を示し給わずとて、神に向かって言い争うとは何事ぞ。神に祈祷すれば神は汝を顧み、その人の正義に報い給う。我は罪を犯し、正義を枉げたりと言えばいい。ヨブよ言うべきことあらば我に答えよ。
第34章: (エリフ 論点2)エリフさらに言う。ヨブはいう「神、我に正しき審判を施さず、正しき者を偽るものとされる。」必ず神は悪しきことは行わない、全能者は審判を枉げない。神が汝正しき者を悪しき者とされることはない。王たる者に向かって邪なりということは赦されない。神は権勢あるものも調べることをしないで即刻撃ち滅ぼすのである。神に懲らしめられたなら、汝は悪しきことをなしたとして謝罪することが道理であるが、ヨブはこれを咎めるのである。まことに自分の罪にさらに咎を加え、言葉を尽くして神に逆らう。
第35章: (エリフ 論点3)エリフさらに言う。ヨブは言う「我が正しきは神に勝る」と。この言葉は益するところがない。汝が罪を犯しても神は害を受けるわけではなく、咎めだてても神は何をするわけでもない。人はどんな境遇にあっても神がどこにいますという者はいない。汝は神を見たことがないといっても、裁きは神の専断事項である。ヨブがいくら怒りを発しても、また罪の咎を言い立てられても神が少しも取り合わないから、汝がむなしきことを述べ続けるのである。
第36章: (エリフ 論点4)エリフさらに言う。正義は神にあり。悪しき者を生かさず、艱難者のために審判を行い給う。しかしながら邪なる者らは怒りを蓄え、神に縄しめられても祈ることをしない。今は汝は悪人の裁きにあっている。怒りに誘われて嘲りに陥らないよう慎め。神の御業こそいと尊けれ。
第37章: ここに神、稲妻と轟をもって威光の声をあげ給う。是全ての人にその御業を知らしめん為なり。エリフはさらに言う。ヨブよこれを聴け、汝立ちて神の奇妙き業を考えよ。神には恐るべき威光あり。彼は自ら賢きとする人を顧み給わず。
第38章: エホバ大風のなかよりヨブに答えて宣べ給う。無智の言葉をもって世の中を暗くするものは誰ぞ、汝腰を据えて男らしくせよ。この地を作ったのは誰か、それはエホバである。汝生まれてこのかた命令を下したことがあるのか、海の源を知っているか、冥府の入り口、光の出る道、大雨をもたらす稲妻の過ぎる道、氷は誰が作るのか、霜は、星の運航は誰が定めたか、天の法則、知恵は誰が与えたのか、聡明は誰が授けたのか、
第39章: 山羊が子を産む時を知るや、牛の農耕の力は誰が与えたのか、駝鳥の卵を孵す苦労を知っているか、騎馬の戦闘力は誰が与えたのか、鷲の飛翔力は汝が与えたのか。
第40章: 神はエホバを非難する者、神と論争する者(ヨブ)これに答えるべし。ヨブここにおいてエホバに答える。ああ我は卑しきものなり、手を口に当て再び申すまじ。エホバまたヨブに言う。汝腰をしっかり据えて腹に力を入れ男らしくせよ。己を是とし我の裁きを棄てるだけの神のごとき力ありや、あるならそれも可なりしが、非力な人間の出来ることではない。
第41章: 神の力を具体的にワニに例えてたぐいなき力を誇示し給う。剣も鎗も弓矢も石も棒もこれを殺すこと能わず。大なる者を軽んじてはいけない。
第42章: ヨブはここにおいてエホバに答えた。「我知る神は一切のことをなし給う、いかなる意思のなす事の出来ないものはない、かく己は悟らざることを言い自ら知るべからざることを述べた。汝のことを耳にて聴きしが、今は目をもって汝を見立てまつる。これをもって自ら悔い、塵灰の中にて懺悔する」 こうしてエホバは友人3名に、汝らの言い分は正しくない。したがって罪祭を行ってヨブのために祈れ、我は彼を赦したが故に汝らの愚は問題としないといった。エホバは友人の罪祭を見て、エホバの苦しみを旧に還し、ヨブの所有物を2倍に増し給えり。親戚一同も会して晩餐を行い彼に降された一切の災難について彼をいたわり、金と金輪を贈った。また子供らも男7人、女3人を授け、羊1万4000匹、ラクダ6000匹、牛1000匹、ロバ1000匹に増えた。ヨブは140年生きて亡くなった。    

2) 詩篇

詩篇は神への賛美歌であり、物語を陳述するものではない。だから話の筋らしきものは無く、賛美の言葉が連ねられる。バッハのカンタータの題材になった詩篇も多い。なお詩篇の口語訳は、関根正雄訳「旧約聖書 詩篇」岩波文庫(1973年)がある。こまかく分かち書きをして詩の形式をとっているので360頁の分量になっている。本書では170頁である。口語体と言えど雅文で書かれているので、文語体とさほど変わらない。「詩篇」はダビデがエホバを褒め称える歌という形をとっているが、ダビデが作った歌かというとそれは別問題。前半はダビデの劇のオペラ化と考えられる。後半はアサフの歌となる。最後はまたダビデの歌で締めくくられる。ダビデ王と同時代のアサフは、イスラエルの歴史の中でも屈指の賛美指導者であったと記録されています。彼はダビデ王に仕え、楽器を巧みに演奏し、ダビデの書いた詩篇に音楽を足した優れた作曲家でした。また彼は、詩篇50篇、および詩篇73-83篇を書いたとされます。詩篇には、「コラの子の歌」が登場するが、コラはレビ人の一族の名前である。コラという名は聖書では大変いまわしい名前です。モーセに逆らい、生きながらに地獄に行った人の名だからです。詩篇84は美しい詩といわれ、ダビデは自分はコラの子のような罪人だとへりくだったのかもしれません。
第1篇: 悪しき者の謀略に歩まず、罪びとの道に立たず、嘲る者の座に座らぬものは幸いなり。かかる人はエホバの法を喜びて昼も夜もこれを思う。・・・悪しき者は審判にたえず、罪びとは義しき者の会に立つことは無い。
第2篇: 地のもろもろの王は立ち構え群伯はともに謀り、エホバの膏を灌げし者に逆らう。・・・我が子よ我に求めよ、さらば汝に国を譲り与え、黒鉄の腕をもって敵を打ち破れ。・・・諸々の王よ敏かれ、地の審判者よエホバの教えを受けよ。畏れを持ってエホバに仕え戦慄をもってよろこべ。
第3篇: (ダビデその子アブロサムを避けしときの歌)
エホバよ、我に敵する者のいかに蔓延れるや・・・されどエホバよ、汝は我をかこめる楯、わが栄、我が首をもたげ給う者なり・・エホバ我を支え給え・・・救いはエホバにあり、願はくは御恵み汝の民の上にあらんことを。
第4篇: (琴にあわせて歌の長に謳わしめたるダビデの歌)
我が正しきを守り給う神よ、願わくば我を憐れみ我が祈りを聞き給え。人の子よ汝ら空しきことを好み、偽りを慕いて幾何時を経んとするか。汝ら慎み慄きて罪を犯すなかれ、エホバよ汝が我が心に与えし歓喜は、穀物と酒の豊かなるときに優れり。 
第5篇: (簫にあわせて歌の長に謳わしめたるダビデの歌)
エホバよ願わくば我が言葉に耳を傾け、我が思いにみこころを注め給え。汝は悪しきことを喜び給う神にあらず、偽りをいう者を滅ぼし給う。彼らの口は真実なく、その裏は邪、その喉は暴ける墓。・・・エホバよ汝は幸いし楯のごとく恩恵をもってこれを囲み給わん。
第6篇: (八音ある琴に合わせて歌の長に謳わしめたるダビデの歌)
エホバよ願わくば憤りをもって我を攻め我を懲らしめ給う勿れ。エホバよ我を医し給え、汝の慈愛の故に我を助け給え。我憂いに因りて老い、エホバは我が哭く声を聴き給う。
第7篇: (ギドテの琴にあわせて歌の長に謳わしめたるダビデの歌)
我が神エホバ、願わくばすべての追い迫る者より我を助けたまえ、もし私に邪なる事あらむ時には、追手の迫るともその作すに任せよ。願わくば悪しき者の曲事を断ちて義しき者を堅くしたまえ。・・・神は正しき審判者、毎日怒りを露わにする神なり、死の器を備え偽りを裁く神、われその義によりてエホバに感謝し、いと高きエホバのみ名を誉め謳わん。
第8篇: (ギドテの琴にあわせて歌の長に謳わしめたるダビデの歌)
我らの主エホバよ、汝の名は地にあまねくして尊きかな、その栄光を天に置き給えり。汝は嬰児にもわかるように天地を作り給うた。
第9篇: (ムツラベンの調子にあわせて歌の長に謳わしめたるダビデの歌)
我心を尽くしてエホバに感謝しその諸々の奇しき事蹟を述べ伝えん。我汝に因りて楽しみかつ喜ばん、いと高き者よ汝のみ名をほめ謳わん。エホバは虐げられし者の城又難のときの城なり。エホバよ我を憐れみ給え、我を死の門から救い出し給えるものよ、願わくば敵人の我を難むるを見たまえ。エホバは己を知らしめる審判を行い給えり、悪しき人は陰府にかえるべし。
第10篇: ああエホバよ何ぞはるかに立ち給うや、隠れ給うや、悪しき人は高ぶりて苦しむ人を甚しくせむ。エホバよ起き給え、神よ手をあげて給え、苦しむものを忘れ給うな。願わくば悪しき者の悪事をことごとく見つけ出し給え。
第11篇: (歌の長に謳わしめたるダビデの歌)
我エホバに頼めり、汝はなぜわが魂に向かって汝の山へ遁れよというや。エホバはその清き宮、天にあり、その目は人の子を見、その瞼は彼らを試し給う。エホバは義者を試み、その心は悪しき者と凶暴なものを憎む。罠を悪しき者の上に降らし給う。 
第12篇: (八音に合わせて歌の長に謳わしめたるダビデの歌)
ああエホバよ助け給え、神を敬う人は絶え、誠ある人は人の中より消え失せた、人は偽りをもってその隣の人と相語り、滑らかなる唇と二心をもって物言う。エホバの言葉は良き言葉なり、七回ねって浄めた白金のような言葉なり。
第13篇: (歌の長に謳わしめたるダビデの歌)
ああエホバよ、かくて幾年月を経給うや、汝とこしえに我を忘れ給うや。聖顔を隠して幾ときを歴給うや、我が敵は崇められて幾ときを歴しや、神よ我を顧みて答えをなし給え、されど我は汝の憐れみにより頼み、我が心は汝の救いによりて喜ばん。
第14篇: (歌の長に謳わしめたるダビデの歌)
愚かなるものは心の内に神なしといえり、彼らは腐りたり、善を行う者なし。エホバ天より人の子を見給いしに、みな叛きて悉く腐れり、善をなすものひとりだになし。願わくばシオンよりイスラエルの救いのいでこんことを。ヤホバその民の囚われたるを還し給うときヤコブは喜び、イスラエルは楽しまん。
第15篇: (ダビデの歌)
エホバよ汝の帷に宿らん者は誰ぞ、汝の聖山に住まう者は誰ぞ、直く歩み義を行い、その心に真実をいう者ぞその人なる。貨を貸して過ぎたる利をむさぼらず、賄賂を入れて無辜なる者を損なわざる者がそれである。
第16篇: (ダビデがミクタムの歌)
神よ願わくは我を守り給え、我汝に頼む。汝は我が主なり、汝のほかに幸いはなし。エホバに代えて他神をとるものの悲哀はいや増さん。汝は我が所領を守り給い、我は諭を授け給うエホバを誉め祀らん。汝の御前には充足れる喜びあり、汝の右側には諸々の快楽とこしえにあり。
第17篇: (ダビデの祈祷)
ああエホバよ公義を聞き給え、我が哭く声にみこころを留めたまえ、偽りなき唇からいずる我が祈祷に耳を傾け給え。我が歩みは堅く汝の道に立ち、我が足はよろめくことなかりき。願わくは悪しき者に立ち向かいてこれを倒し、御剣をもって悪しき者より我が霊魂を救い給え。
第18篇: (歌の長に謳わしめたるダビデの歌 この言葉はサウロの手より救われし時エホバに対して謳える歌なり)
エホバ我の力よ、我切に汝を愛しむ。エホバは我が巌、我が城、我を救う者、我が堅固なる巌、我が楯、我が救いの角、我が高き櫓なり。我褒め讃たうエホバを呼びて仇人より救わるるを得ん。エホバはわが正しきに因りて恩賜をたまい、我が手の清きに従いて褒賞をたまわれし。汝我を民の争いより助けい出し我を立てて諸々の国の長となし給えり。エホバは活きていませり、我が巌は褒むべきかな、わが救いの神は崇めるべきかな。エホバよ、大きなる救いをその王に与え、その膏を灌ぎし者ダビデとその末裔に世々限りなく憐憫をたれたまう。
第19篇: (歌の長に謳わしめたるダビデの歌)
諸々の天は神の栄光を表し、青空はその御手の技を示す。この日の言葉をかの日に伝う。語らずいはずその声聞こえざるにその響きは全地にあまねくその言葉は地の果てまでに及ぶ。エホバの証しは堅くして愚かなる者を智からしむ。エホバの戒めは清くして眼を明らかならしむ。たれか己の過ちを知りえんや、願わくは我を隠れたる咎より解放ちたまえ。エホバよ我が巌主よ、我が口の言葉、わが心の思念汝の前に悦ばるることを得しめたまえ。
第20篇:(歌の長に謳わしめたるダビデの歌)
  願わくは、エホバ悩みの日に汝に答え、ヤコブの神の名汝を高きにあげ、聖所より援助を汝におくりシオンより能力を汝に与えん。汝の謀をことごとく遂げしめたまう。われら汝の救いによりて歓びうたい、我らの神のみ名によりて旗を立てん。
第21篇: (歌の長に謳わしめたるダビデの歌)
エホバよ汝の力によりて楽しみ、汝の救いによりて大いなる歓喜をなさん。良き賜物の恵みをもて彼を迎え、まじりなき黄金に冠をもて彼の首に戴冠させたまう。汝もろもろの仇人の末裔をこの地より滅ぼし、彼らの種を人の中より滅ぼさん、エホバよ御能力を表して自らを高くし給え、我汝の威を謳いかつ褒め称えん。
第22篇: (暁の鹿の調べに合わせて歌の長に謳わしめたるダビデの歌)
我が神我が神なんぞ我を棄て給うや。ああ我神われ昼呼ばわれど答え給わず、夜呼ばわれど我平安を得ず。我らの先祖は汝にたのめり、彼らたのみたればこれを助けたまえり。われは虫にして人にあらずや、エホバに頼めりエホバ助けるべし。我に遠ざかり給うなかれ、艱難近づき又救うものなければなり。エホバを懼るるものよエホバを褒め称えよ。ヤコブのもろもろの末裔よエホバを崇めよ。国はエホバのものなり、エホバは諸々の国人を統べ給う。
第23篇: (ダビデの歌)
エホバはわが牧者なり、われ乏しきことあらじ。エホバはわが霊魂をいかしみ名の故をもって我をただしき道に導き給う。たとえ死のかげの谷を歩むとも禍害をおそれじ、汝われとともにいませばなり。わが世にある限りはかならず恩恵と憐憫を我に注ぎたらん。
第24篇: (ダビデの歌)
地とそれに充るもの、世界とその中に住むものは皆エホバのものなり。手をきよく心いさぎよき者その魂空しきことを仰ぎのぞまず、かかる人はエホバより幸福を受けその救いの神より義を受けん。門よ汝らの首をあげよ、とこしえの戸よ上れ、栄光の王入り給わん。栄光の王はたれなるぞ、力を持ち給う猛きエホバなり。
第25篇: (ダビデの歌)
ああエホバよ、わが魂は汝を仰ぎ望む。われ汝に頼めり、願わくばわれに愧をおはしめ給う勿れ。わが仇のわれに勝ち誇ることなからしめよ。エホバのもろもろの道はその契約と証しを守るものには仁慈なり真理なり。願わくは帰り来て我を憐れみ給え、我が心の愁えを緩め我を禍より免れしめ給え、我が患難我が苦しみをかえりみ、わがすべての罪を赦したまえ。神よすべての憂いよりイスラエルを贖いたまえ。
第26篇: (ダビデの歌)
エホバよ願わくは我を裁き給え。我わが全きによりてあゆみたり。エホバよ我を糺しまた試み給え。我は汝の真理によりて歩めり、悪を偽り飾る者とともにはゆかじ。われ手を洗いて罪なきをあらわす、願わくは我を贖い我を憐れみ給え。
第27篇: (ダビデの歌)
エホバは光わが救いなり、われ誰をか懼れん。エホバは我が命の力なり。我が敵襲い来たりて我が肉を食らわんとするも倒れたり。たとひ戦闘おこりて我を攻めるとも我には頼むところあり。われ一つのことをエホバに請い我これを求む、エホバは悩みの日に我を巌に隠し我を高く仇の上に上げられたり。汝はわれの助けなり、救いの神なり。エホバを待ち望め、おおしかれわが魂、かならずやエホバを待ち望め。
第28篇: (ダビデの歌)
ああエホバよわれ汝を呼ばん、わが巌よ、願わくは我に向かいて聾唖になり給うなかれ、汝黙したまわばおそらく我は墓に入る者とひとしからん。我が願いの声を聴き給え。エホバは讃むべきかな、我が祈りの声を聴き給いたり。エホバは我が力我が楯なり、わが心これに頼みたればわれ助けを得たり。
第29篇: (ダビデの歌)
なんじら神の子らよ、エホバに献げまつれ、栄と能とをエホバに献げまつれ。エホバの声はちからあり、エホバの声はレバノンの香柏を折り砕き給う。エホバの声は火炎をわかつ、エホバの声は野を震わせ、カデシの野をふるわせ給う。エホバはその民に力を与え給う、平和をもてその民を幸わい給わん。
第30篇: (殿を捧げるときに謳えるダビデの歌)
エホバよわれ汝をあがめん、汝我を起こしてわが仇の悪事によりて喜ぶを赦し給わざればなり。エホバを讃め歌えまつれ、清き御名に感謝せよ。その怒りはただしばしにして、その恵みは生命とともにながし。エホバよ聴き給え、われを憐れみ給え、エホバよ願わくはわが助けとなりたまえ。われ栄をもて讃め謳いつつ黙することなからんためなり。わが神エホバよ、われ永遠になんじに感謝せん。
第31篇: (歌の長に謳わしめたるダビデの歌)
エホバよわれ汝に頼む、願わくはいずれの日までも愧を負わしめ給うなかれ、汝の義をもて我を助け給え。汝はわが巌わが城なり、されば御名の故をもってわれを引きわれを導き給え。エホバよわれを憐れみたまえ、わが目は憂いに因りて衰え、霊魂も身もまた衰へぬ。汝の仁慈をもて我を救いたまえ。エホバは真実ある者を守り、傲慢者に重い報いを施し給う。すべてエホバを待ち望むものよ雄々しくあれ、なんじら心を堅くせよ。
第32篇: (ダビデの訓戒の歌)
その咎を赦され、不義をエホバに負わされざる者は幸いなり。われ罪を告白せざる時は終日悲しみ叫びたるがゆえにわが骨古び衰えたり。なんじの御手は夜も昼もわが上にありて重し、我が身は夏の草のごとくしおれたり。汝は我が隠れる所なり、汝患難を防ぎて我をまもり救いの歌を持て我を囲み給う。われ(ダビデ)汝をして歩むべき道に導き、わが目を汝に注がん。悪しき者は悲しみ多かれどエホバにたのむ者は憐憫にて囲まれん。
第33篇: 正しき者よエホバによりて喜べ、賛美は直きものに適はしきなり。琴をもってエホバに感謝せよ、新しき歌をエホバに向かいて歌い、歓喜の声をあげてたくみに琴をかき鳴らせ。もろもろの天はエホバのみ言葉によりてなり、天の万軍はエホバの口の気によりて造られたり。全地はエホバを畏れよ世に住めるもろもろの人はエホバを怖じかしこむべし。エホバをおのが神とする国はさいわいなり。エホバはすべて彼らの心をつくり、その為すところをことごとく鑑みたまう。我らの魂はエホバを待ち望めり。
第34篇: (ダビデ、アビメレクの前にて狂える様をなし追われていで来たりしときに作れる歌)
われ常にエホバを祝い祀らん、その頌詞はわが口にたえじ、わが魂はエホバによりて誇らん、遜るものはこれを聴きて喜ばん。われともにエホバを崇めよ、我らとともにその御名をあげたたえん。われエホバを尋ねればエホバわれにこたえ、我をもろもろの畏懼より援けい出し給えり。エホバは心の痛み悲しめる者に近くいまして、魂の悔いるものを救い給う。正しき者は患難おほし、されどエホバはその中より助けい出し給う。
第35篇: (ダビデの歌)
エホバよ願わくは我に争う者と争い、我と戦う者と戦い給え。楯と大楯をとりてわが援に立ち出で給え。願わくは彼らが風の前なるもみ殻のごとくエホバの使いによって追いやられんこと。願わくは彼らが思いよらぬ間に滅びきたり己がふせたる罠に捉えられ自ら滅びんことを。大いなるかなエホバその僕の幸いを喜びたまう。我が舌は終日なんじの義と誉れを語らん。
第36篇: (歌の長に謳わしめたるダビデの歌)
悪しき者の咎はわが心のうちに語りて、その目の前に神を懼るることなし。彼は己が邪の現ることなく憎まれることなからんとて自らその目に阿る。エホバの正しさは神の山のごとく、なんじの審判は大いなる淵なり。エホバよなんじの仁慈は尊きかな、なんじはその歓喜の川の水を彼らに飲ましめ給う。われらはなんじの光によりて光を見ん。願わくはなんじを知る者に絶えず憐憫を施し、心なおき者にたえず正義を施し給え。
第37篇: (ダビデの歌)
悪をなす者のゆえに心を悩め、不義をなすものに向かいて妬みをおこすなかれ、彼らはやがて草のごとく刈り取られ、青菜のごとく打ち萎れるべければなり。エホバに頼りて善を行え、エホバによりて歓喜をなせ。己が道を歩みて、栄える者のゆえをもちて、悪しき謀を遂げる人のゆえをもちて心を悩むなかれ。悪しき者は久しからず。悪を離れて善をなせ、義しき人は国を嗣ぐ、その住まいはとこしえに及ばん。義しき人の口は智慧を語り、その舌は公平を述べる。悪を冒す者は必ず断たれるべければなり。
第38篇: (記念のために作れるダビデの歌)
エホバよ願わくは憤りをもって我を攻め、激しき怒りをもって我を懲らしめ給うなかれ。なんじの怒りによってわが肉には全きところなく、我が罪によりわが骨には健やかなるとことなし。わが不義は首を過ぎて高く重荷のごとく負い難たければなり。われ衰えはて甚く傷つけられ、わが心のやすらかならざるによりて呻き叫べり、ああ主よわがすべての願いはなんじの前にあり、わが嘆きはなんじに隠れるところなし。われ声なくして、なにも見えざる。敵は猛くしてわれ仆れるばかりなり。我が神よわれに遠ざかり給う勿れ、主我が救いよ速く来たりてわれを助け給え。
第39篇: (歌の長エドトンに謳わしめたるダビデの歌)
われ舌をもちて罪を犯さざらんためわが全ての道を慎しみ、悪しき者のわが前に在る間はわが口に轡をかけん。エホバよわが命の終わりと幾何残るかを知らさせ給え、わが無常を知らせ給え。人の世にあるは影に異ならず、その思い悩むことは空しからざるはなし。げに諸々の人は空しい。われは汝による旅人、すべて親たちと同じく宿れるものなり。
第40篇: (歌の長に謳わしめたるダビデの歌)
我たえしのびてエホバを待ち望みたり、エホバ我に向かいてわが叫びを聞き給えり。またわれを滅びの穽よりとりいだしてわが足を磐のうえに置きわが歩みを堅くしたまえり。エホバは新しき歌をわが口に入れ給えり、これは我らの神にささげる讃美なり。仁慈と真理とをもって恒にわれを守り給え、そは数えがたき禍害われを囲み、わが不義われに追しきて仰ぎ見ること能はぬまでになりぬ。エホバよわれを救い給え、エホバよ急ぎ来たりてわれを助けたまえ。
第41篇: (歌の長に謳わしめたるダビデの歌)
弱き人をかへり見る者は幸いなり、エホバかかる者を禍の日にたすけたまわん。エホバこれを守り之をながらえしめ給わん、彼はこの地に在りて福祉を得ん。エホバよわれを憐れみわがたしいを医やしたまえ、われ汝に向かいて罪をおかしたりとわが仇われをそしりて言えり。彼偽りをかたり邪曲をその心にあつめいでてはこれを述ぶ。エホバよわれを助け起こし給え、されば我彼らに報ゆることを得ん。イスラエルの神エホバはとこしえより永遠までほむべきかな、アメン、アメン
第42篇: (歌の長に謳わしめたるコラの子の教えの歌)
ああ神よ、鹿の渓水をしたい喘ぐがごとく、わが霊魂も汝をしたい喘ぐなり。何れのときか我ゆきて神のみまえにいでん。汝神を待ち望め、われに聖顔の助けありて我なおわが神を褒めたたうべければなり。
第43篇: 神よ願わくは、我を裁き情け知らぬ民に向かって、わが訴訟をあげつらい詭計おおき邪なる人より我を助け給え。なんじはわが力の神なり、なんぞわれを棄て給いしや。願わくはなんじの光となんじの真理を放ち我を導きてその聖山と帷幄とにゆかしめ給え。ああ神よわが神よわれ琴をもてなんじを褒め称えん。
第44篇: (歌の長に謳わしめたるコラの子の教えの歌)
ああ神よむかし我らの祖たちに汝がなし給いし事蹟をわれら耳に聞けり、祖たちわれらに語れり、汝御手をもて諸々の国人を追い退け我らの祖たちを植え、また諸々の民を悩まして我らの祖たちを繁栄させ給う。我らはひねもす神によりてほこり、我らは永遠になんじの御名に感謝せん。しかるに今我らを棄て恥をおはせたまい、なんじ戦に出られることなくわが辱めひねもすわがまえにあり。神はこれを糺し給わざらんや、我らの霊魂はかがみて塵にふし、われらの腹は土につきたり、願わくは起きて我らを助け給え。
第45篇: (百合の花の調べにあわせて歌の長に謳わしめたるコラの子の教えの歌愛の歌)
わが心はうるわしき事にあふる、われは王のために詠みたるものを滑らかにいいいでん、わが唇はすみやけく写字人の筆なり。なんじは人の子らに優りて美しく雅その唇に注がるる。このゆえに神はとこしえに汝を幸いしたまえり、英雄よ汝その剣その栄その威を腰に帯びるべし。王の貴き婦人の中には麗しき衣裳を着て、歓喜と快楽のために王の殿に入らん。汝はこれを全地に君となさん。われ汝の名をよろず代にしらしめん、このゆえに諸々の民はいや永く汝に感謝すべし。
第46篇: (女音の調べにしたがいて歌の長に謳わしめたるコラの子の歌)
神は我らの避け処また力なり、悩めるときのいと近き助けなり、さらばたとえ地はかわり山は海の中央に移るとも我らは怖れじ。万軍のエホバはわれらとともなり、ヤコブの神はわれらの高き櫓なり。我の神を知れ、われは諸々の国にうちに崇められ全地に崇められるべし。
第47篇:  (歌の長に謳わしめたるコラの子の教えの歌)
諸々の民の子よ手をうち歓喜の声をあげ神に向かって叫べ、いとたかきエホバはおそるべく、また地をあまねく治しめす大いなる王にてましませばなり。エホバはラッパの声とともにのぼり給へり、褒め謳え我らの王を誉め謳え。
第48篇: (コラの子の歌なり讃美なり)
エホバは大なれ、我らの神の都その聖き山のうえにて甚く褒め称えられ給うべし、シオンの山は北の端高くして麗しく喜悦を地にあまねく与え給う。神よわれらは汝の宮の内にて御仁慈をおもえり、汝の諸々の審判によりてシオンの山は喜びユダは楽しむべし。この神はいや遠く長くわれらの神にましましてわれらを死ぬまで導き給まわん。
第49篇: (歌の長に謳わしめたるコラの子の歌)
諸々の民よ聴け賤しきも貴きも富めるも貧しきもすべて地に住める者よ、汝ら耳をそばだてよ。わが口は賢きことを語り、わが心は聡き事を思わん。賢き者も死に愚かなる者もひとしく死にその富を他人に残すことは常に見る所なり。彼の死ぬる時は何一つ携えてゆくことあたわず。尊貴なかにありて悟らざる人は亡びする獣のごとし。
第50篇: (アサフの歌)
全能の神エホバ詔して、日のいづるところより日のいるところまであまねく地を呼び給えり。神は麗しく聖なるシオンの山より光を放ち給えり。神はその民を裁かんとて上なる天を呼び地を呼びたまえり。祭物をもてわれと契約を立てしわが聖徒をわがもとに集めよと。イスラエルよわれ汝に向かいて証をなさん、われは汝らの神なり、世界にみつるものはわが有するものなり、感謝の供え物を神にささげよ、悩みの日にわれ汝を援けん、而して我を崇むべし。我を忘るる者よ今このことを思え、おそらくわれ汝を裂かんとき助ける者あらじ。
第51篇: (ダビデがバテセバに通いしのち預言者ナタンの来たれるとき詠みて歌の長に謳わしめたる歌)
ああ神よ願わくはなんじの慈しみによりて我を憐れみ、なんじの慈しみの大きによってわがももろの咎を消し給え。わが不義をことごとく洗いさり我をわが罪より清め給え。我はわが咎を知る、我が罪は常にわが前にあり。ああ神よわがために清き心をつくり、わが裡に直き霊を新たに起こし給え。われを聖前より棄て給うなかれ、汝の清き霊をわれより取り給うなかれ。
第52篇: (エドム人ドエグ、サウルに来たりてダビデの家に来ぬと告げしときダビデがよみて歌の長に謳わしめたる教訓の歌)
猛き者よなんじ何なれば悪しき企てをもて自ら誇るや、神の憐れみは恒にたえざるなり。汝の舌は悪しきことを図り剃刀のごとく偽りを行う。汝は善よりも悪を好み正義をいうより虚偽をいうを好む。されば神とこしえに汝を砕き、汝を行ける者の地より汝の根を絶やし給わん。汝このことを行いしにより、我とこしえに汝に感謝し、汝の聖徒の前で聖名を待ち望まん。
第53篇: (マラハツの調べにあわせて歌の長に謳わしめたるダビデの教訓の歌)
愚かなる者は心のうちに神なしといへり、彼らは腐れたりかれらは憎むべき不義を行えり善を行う者なし。不義を行う者は知覚なきか、かれらは物食う如く我が民をくらい、また神を呼ばわることをせざるなり。神その民の囚われたるを還したまうときヤコブは喜びイスラエルは楽しまん。
第54篇: (ジフ人のサウルに来たりてダビデはわれらの処に隠れたるにあらずやと言いたりしときダビデ歌の長に琴にてうたわしめたる教訓の歌)
神よ願わくは汝の御名によりて我を救い、汝の力によりて我を裁き給え。我が祈りを聞き給え、わが口のことばに耳を傾け給え。外人はわれに逆らいて起こりたち凶暴人はわが魂を求めるなり。身よ神は我を助けるものなり、主は我が仇にその悪しき事の報いをなし給わん。我喜びて祭物をなんじに捧げん。
第55篇: (歌の長に謳わしめたるダビデの教訓の歌)
神よ願わくは耳をわが祈りに傾け給え、わが懇求を避けて身を隠し給うな、我に聖意をとめわれに答え給え、われ嘆きによりて安からず悲しみうめくなり。これ仇の声と悪しき者の暴虐とのゆえなり。主よ願わくはかれらを滅ぼし給え、彼らの舌を別れしめたまえ。彼らは変わることなく神を畏れることなし、その口は滑らかにして脂のごとく、されどその心は戦いなり。その言は脂のごとくなめらかなるもぬきたる剣にことならず、かくて神よなんじは彼らを滅びの坑におとしいれ給わん。
第56篇: (ダビデがガテにてペリシテ人に捉えられし時詠みて「遠きところにおる音をたてぬ鳩」の調べにあわせて歌の長に謳わしめたるミクタムの歌)
ああ神よ願わくは我を憐れみ給え、人いきまして我を呑まんとし終日戦いて我を虐げる、わが仇ひねもす息まいて我を呑まんとし、誇り高ぶりてわれと戦う者多し。我おそるるときは汝により頼まん、神よ願わくは憤りをもちて諸々の民を倒し給え、わがよびもとむる日にはわが仇退かん、われ神の我を守り給うことを知る。神よわれなんじにたてし誓いは我をまとえり、われ感謝の捧げものをなんじに捧げん。
第57篇: (ダビデが洞にはいりてサウルの手を逃れし時詠みて「滅ぼすなかれ」という調べに合わせて歌の長に謳わしめたるミクタムの歌)
神よわれを憐れみ給え、我が魂はなんじを避所とす、わが禍害の過ぎ去るまではなんじの翼を避所とす、神はたすけを天より送りて我を呑まんとする者のそしるときに我を救い給わん。わが心定まれり神よわれ歌い祀らん、讃え祀らん。
第58篇: (ダビデが詠みて「滅ぼすなかれ」という調べに合わせて歌の長に謳わしめたるミクタムの歌)
なんじら黙して義を述べ得るか、人の子よなんじらは直き審判をおこなうや、否なんじらは心のうちに悪しき事を行い、その手の凶暴をこの地にはかりいだすなり。悪しき者は胎をはなるるときより背き偽りをいう。神よかれらの口の歯を折りたまえ、その牙を抜き給え、神よ彼らを水子のごとく流し去り給え。
第59篇: (サウル、ダビデを殺さんとして人を送りてその家を窺わしめし時ダビデが読みて「滅ぼすなかれ」の調べにあわせて歌の長に謳わしめたるミクタムの歌)
わが神よ願わくはわれを仇より助けい出し、われを高きところに置きて我に逆らい起こり立つものより脱かれしめ給え。我が力よ、われ汝を待ち望まん、神はわが高き櫓なり、憐れみをたまう神はわれを迎え給わん、神はわが仇につきての願いをわれに見せ給え。彼らを滅ぼし給え。
第60篇: (ダビデ、ナハライムのアラムおよびゾバと戦いおりしが、ヨアブ帰り行き塩谷にてエドム人1万2000人を殺しし時教訓をなさんとてダビデが詠みて「証しの百合花」の調べにあわせて歌の長に謳わしめたるミクタムの歌)
神よ汝われらを棄てわれらを散らし給えり、汝は憤り給えり、願わくは再びわれらを還し給え。なんじ国をふるわせてこれを裂き給えり。願わくは右の手を持ちて救いを施し、われらに答えをなして愛しみ給う者に助けを得しめ給え、我シケムからスコテの谷を攻めん、ギレアデ、マナセ、エフライムは我が有なり。モアブは足盥なり、エドムには我が靴を投げ入れん、ペリシテよ声をあげよ。我らは神により勇ましく働かん、我らの敵を踏み倒し給う者は神なればなり。
第61篇: (琴に合わせて歌の長に謳わしめたるダビデの歌)
ああ神よ願わくはわが哭く声を聴き給え、我が祈りにみこころを留め給え、わが心崩れるとき地の果てより汝を呼ばん。王はとこしえに神の御前に留まらん。願わくば慈しみと真実をそなえて彼を守り給え。さらば我御名を褒め謳いて日毎にわが諸々の誓いを尽くすべし。
第62篇: (エドソンの体にしたがいて歌の長に謳わしめたるダビデの歌)
わが魂は黙してただ神を待つ、わが救いは神よりいずるなり。神こそわが巌わが救いなれ、またわが高き櫓にしあればわれいたくは動かされじ。なんじらいつの時まで人に押し迫るや、なんじ揺れる石垣のごとく人を倒さんとするか。民よいかなる時も神により頼め、その御前になんじらの心を注ぎ出だせ、神はわが避所なり。ああ主よ憐れみもまたなんじにあり、汝は人おのおのの作に従いて報いをなし給えばなり。
第63篇: (ユダの野に在りし時に詠めるダビデの歌)
ああ神よなんじはわが神なり、われ切に汝を尋ねもとむ、水なき燥き衰えたる地に在る如くわが霊魂はかわきて汝をのぞみ、わが肉体はなんじを恋い慕う。我が口は喜びの唇をもて汝を褒め称えん。されどわが魂を滅ぼさんとて尋ねもとむる者は地の深きところに行き刃の生贄にならん。王は神を喜ばん、神によりて誓いを立つる者はみな誇ることを得ん、偽りをいう者の口はふさがれるべければなり。
第64篇: (歌の長に謳わしめたるダビデの歌)
神よわが嘆くときわが声を聴き給え、わが生命を守りて仇のおそれより脱かれしめたまえ。願わくばなんじ我を隠して悪をなす者の陰謀より免れしめ不義をなす者の喧より免れしめ給え。神は矢をもて悪しき者を射るなり、義者はエホバを喜びて之により頼まん。
第65篇: (歌の長に謳わしめたるダビデの讃美なり)
ああ神よ讃美はシオンにて汝を待つ、人は御前にて誓いをはたさん。祈りを聴き給う者よ諸人こぞりて汝に来たらん。不義の言葉我に勝てり、なんじ我らのもろもろの罪を清め給わん。救いの神よ、地と海とのもろもろの極なる極めて遠き者の頼みとする汝は畏るべきことをもって我らに答え給わん。汝の恩恵は滴り落ち山、邑は歓喜に覆われたり。彼らは皆喜びて呼ばわりまた謳う。
第66篇: (歌の長に謳わしめたるダビデの讃美なり歌なり)
全地よ神に向かって歓び呼ばわれ、その御名の栄光を歌へ、その誉れを栄しめよ。神に告げまつれ、汝のもろもろの功用はおそるべきかな大なる力によりて汝の仇は汝に畏れ従い、全地は汝を拝みて歌い御名を誉め謳わん。諸々の民よ、われらの神を誉め祀れ、神を誉めたたうる声をきこえしめよ。神はほむるかなべきかな、わが祈りをしりぞけず、その憐れみを我より取り除き給はざりき。
第67篇: (琴に合わせて歌の長に謳わしめたる歌なり讃美なり)
願わくは神われらを憐れみ、われらを福わいてその聖顔をわれらの上に照らし給わんことを、こは汝の道のあまねく地に知られ、なんじの救いのもろもろの国のうちに知られんがためなり。地は産物をいだせり、神わが神はわれらを福い給わん。
第68篇: (歌の長に謳わしめたるダビデの讃美なり歌なり)
願わくは神おきたまえ、そは仇はことごとく散り神を憎む者は御前より逃げ去らんことを。煙の追いやられる如く彼らを駆逐りたまえ悪しき者は火の前にろうのとけるごとく神の御前にて滅ぶべし。されど義しき者には歓喜あり。神は寄る辺なき者を家族の中におらしめ、囚人を解きて福祉に導き給う、されど叛く者はうるおいなき地にすめり。バシャの山は神の山なり、主を褒めまつれ、彼処に彼らを統べる年若きベニヤミンあり、ユダの諸侯とその群衆とあり、またゼブルンの君たち、ナフタリの諸侯あり、エルサレムなる汝の宮のために列王なんじに礼物を捧げん。イスラエルの神はその民に力と勢力をとを与え給う、神は褒めるべきかな。
第69篇: (百合花にあわせて歌の長に謳わしめたるダビデの歌)
神よ願わくは我を救い給え、大水流れ来たりて我が魂にまでおよべり、われ立ちどなき深き泥の中に沈めり、大水わが上をあふれ過ぎわれ嘆きにつかれたり。イスラエルの神よ願わくはなんじを求むる者をわがゆえにおいて恥おはしめるることなからしめたまえ。神はシオンを救いユダのもろもろの邑を建て給うなり、彼らはそこに住みかつ己が有とせん。その僕の末もこれを嗣ぎその御名をいつくしむ者その中に住まん。
第70篇: (歌の長に謳わしめたるダビデが記念の歌)
神よ願わくは我を救いたまえ、エホバよ速く来たりて我を助け給え、わが霊魂をたづぬる者(命を狙う者)の恥じ慌てんことを、わが害はるるを喜ぶ者の後ろに退きて恥を負わんことを。神よ急ぎて我にきたりたまえ、汝は我を救うものなり。
第71篇: エホバよ我なんじにより頼む。願わくは何の日までも恥じうくることなからしめ給え、なんじの義をもて我を助け我を免れしめ給え、なんじの耳を我に傾けて我を救い給え。願わくは汝わがすまいの磐となり給え、われ恒にその所にゆくことを得ん。汝我を救わんとて勅命を出だし給えり、そはわが磐わが城なり。わが年老いぬるとき我を棄て給う勿れ、わが力衰ふるとき我を離れ給う勿れ、神よわれに遠ざかり給う勿れ、わが神よ速く来たりて我を助け給え。イスラエルの聖者よわれ琴を持て汝を褒め謳わん、われ御前に謳うときわが唇喜び、我が魂大いに喜ばん。
第72篇: (ソロモンの歌)
神よ願わくは汝のもろもろの審判を王にあたえ、なんじの義を王の子に与え給え、彼は義を持て汝の民を裁き、公平をもて苦しむ者を裁かん。彼は刈り取れる牧にふる雨のごとく土を潤す白雨のごと臨まん。又その政治は海に至り、河より地の果てにおよぶべし。彼らの魂を暴虐と強暴とより贖い給ふ、その血は御前に貴かるべし。全地はその栄光にて満つべし、アメン、アメン ダビデの祈り終わりぬ。


第73篇: (アサフの歌)
神はイスラエルに向かい心の清き者に対して誠に恵みあり。しかし我はわが足つまづくばかり、わが歩み滑るばかりにてありき、それは我悪しき者の栄えるをみてその誇れるを妬みしによる。彼らの傲慢はその首をめぐり強暴はかれらを覆えり。嘲笑をなし悪をもて暴虐の言葉を出して高ぶりものをいう。われ神の聖所へ行き彼らの破局を深く思えり。汝その訓諭をもて我を導き我を受けて栄光の内に入れ給わん。見よ汝に遠き者は亡びん、汝を離れて姦淫を行う者はみなこれを滅ぼし給え。
第74篇: (アサフの教訓の歌)
神よいかなれば汝われをかぎりなく棄てたまいしや、いかなれば汝の牧の羊に怒りの煙あがれるや。仇は聖所においてもろもろの悪しき技を行えり、汝の敵は集いの中に吠え叫び己が旗を立てて誌とせり。我らの誌は見えず預言者も今はなし、かくて幾時をか経べき我らの内で知る人なき。仇はなんじの御名をとこしえに汚すならんか。神は古よりわが王なり、救いを世の中に行い給えり。神よ起きて契約を顧み、願わくは虐げらるる者を恥じ退かしめ給う勿れ、悩める者と苦しむ者とに御名を褒めたたへしめ給え。
第75篇: (「滅ぼすなかれ」という調べにあわせて歌の長に謳わしめたるアサフの歌なり讃美なり)
神よわれら汝に感謝すわれら感謝す、なんじの御名はちかく座せばなり、諸々の人は汝の奇しき事績を語り合えり、定まりたる期いたらば我直き審判をなさん。われヤコブの神を述べ伝えん、とこしえに褒め謳わん、我悪しき者のすべての角を切りはなたん、義なる者の角はあげられるべし。
第76篇: (琴に合わせて歌の長に謳わしめたるアサフの歌なり讃美なり)
神はユダに知られ給えり、その御名はイスラエルに大なり。エルサレムには幕屋があり、その御在所はシオンにあり、かしこにおいて敵の弓の火矢を折り楯と剣と戦陣を破り給えり。神よなんじこそ懼るべきものなれ、一度怒り給うときは誰か御前に立ちえんや。エホバは諸候の魂を絶ち給わん。エホバは地の王たちのおそるべきものなり。
第77篇: (エドトンの体にしたがい歌の長に謳わしめたるアサフの歌)
われ声をあげて神に呼ばわん、われ声をあげたればその耳をわれに傾けたまわん。主はとこしえに棄て給うや、再び恵みを垂れ給わざるや。神よなんじの道はいと清し、汝の大道は海の中にあり、なんじの径は大水の中にあり、なんじの蹤跡は尋ねがたかりき、なんじその民をモーセとアロンの手に因りて羊の群れのごとく導き給えり。
第78篇: (アサフの教訓の歌)
律法は預言者から民へ伝えられ、そして親から子へ伝え続けるべしという教訓である。我が民よわが教訓を聞き、我が口の言葉に汝らの耳を傾けよ。われ口を開きて喩話を設け、古のかすかなる言葉を語りいでん。これわれらが先に聞きしところまた我らが祖が語り伝えしところなり。エホバは証しをヤコブにうちにたて律法をイスラエルのうちに定めてその子孫に知らすべきことをわれらの祖たちに仰せたまいたればなり。・・・(第1巻 律法 モーセ五書の概略なので省略)・・・僕ダビデあらわれ、ヤコブの嗣業イスラエルを牧はせ給えり。ダビデはその全きに従い彼らを牧い導けり。
第79篇: (アサフの歌)
ああ神よ諸々の異邦人はなんじらの嗣業の地を侵し、なんじらの聖宮を穢しエルサレムを毀して礫塚となし、なんじの僕の血をエルサレムの周りに水のごとく流したり。われらは隣人にそしられ嘲らるる者となれり。主よ我らの隣人のなんじをそしりたるを7倍まして報い給え。さらばわれら汝の民汝の羊は永遠に汝に感謝してその頌辞を世々に表さん。
第80篇: (証しの百合花といえる調べにあわせて歌の長に謳わしめたるアサフの歌)
イスラエルの牧者よ羊の群れのごとくヨセフを導き給う者よ、耳を傾けたまえ、ケルビムの上に坐し給う者よ光を放ち給え。エフライム、ベニヤミン、マナセの前に汝の力をふりおこし来たりてわれらを救い給え。万軍の神エホバよなんじその民の祈りに向かいて何時まで怒り給うや、万軍の神よ再びわれらを復したまえ、汝の御顔の光を照らし給え、さればわれら救いを得ん。願わくは汝の右手を人の上に置き自己のために強くしたまえる人の子の上におきたまえ。
第81篇: (ギテトの琴にあわせて歌の長に謳わしめたるアサフの歌)
我らの大いなる神に向かいて高らかに歌いヤコブの神に向かいて喜びの声をあげよ、歌を謳い鼓とよき音の琴と筝とをもちきたれ、新月と満月とわれらの節会の日とにラッパを吹き鳴らせ。これはイスラエルの律法ヤコブの昔の定めなり。エホバ言う、わが民よ聴け、われ汝に証しせん、イスラエルよ汝我に従わんことを求む、汝らのうちに異神あるべからず。我が民は我に従わず、イスラエルは我を好まず、このゆえに彼らの心頑なるが故に、彼らの行くに任せたり。エホバは我が民のわれに従いイスラエルの道に歩まん事を求む。
第82篇: (アサフの歌)
神は集いの中に立ち給う、神はもろもろの神の中に審判をなし給う。汝らは正しからざる審判をなし、悪しき者を偏り見ていくとき終えんとするや。弱き者と貧しき者とを救い彼らを悪しき者の手より助け出だせ。神よ起きて全地を裁き給え、神は諸々の国を嗣ぎ給う。
第83篇: (アサフの歌なり讃美なり)
神よもだし給うなかれ、神ものいわで静まり給う勿れ。見よなんじの仇は喧しき声をあげ、なんじを憎む者は首をあげたり。彼らは巧みなる謀略をもて民に向かい、相共にはかりて汝の隠れたる者に向かう。汝に逆らうのは、エドム人、イシマエル人モアブ、ハガル人、ゲバル、アムモン、アマレク、ペリシテ、ツロの民などである。アッスリアの民も組せり。エホバよ彼らをとこしえに恥おそれしめ、慌て惑いて亡びせしめたまえ。しかれば彼らはエホバという名を持ち給う汝のみ全地をしろしめす至上者なることを知るべし。
第84篇: (ギテトの琴にあわせて歌の長に謳わしめたるコラの子の歌)
万軍のエホバよ汝の帷幄はいかに愛すべきかな。わが霊魂は絶えいるばかりにエホバの大庭をしたい、わが心わが身はいける神に向かいて呼ぶ。誠や雀は宿りを得、燕子はその雛を入れる巣を得たり。万軍のエホバよわが神よ、これはなんじの祭壇なり。汝の家に住む者は幸いなり。つねに汝を讃え祀らん。その力なんじにあり、その心シオンの大路にある者は幸いなり。・・・汝の大庭にすまう一日は千日に優れり、そは神エホバは日なり楯なり、エホバは恩と栄光とを与え直く歩む者に善きものを拒み給うことなし。万軍のエホバよなんじに頼む者は幸いなり。
第85篇: (歌の長に謳わしめたるコラの子の歌)
エホバよなんじは御国に恵みを注ぎ給えり、なんじヤコブの俘虜を還したまい、なんじの民の不義をゆるし、そのもろもろの罪を覆い給いき。我らの救いの神よ帰り来たりて、我らに向かいて憤怒をやめたまえ、エホバよ汝の憐れみを我らに示し汝の救いをわれらに与え給え。まことは地より生え義は天より見下ろせり、エホバ善物を与え給えば我らの国は物産をいださん。
第86篇: (ダビデの祈祷)
エホバよなんじ耳を傾けて我に答え給え、我は苦しみかつ乏しければなり、願わくはわが霊魂をまもりたまえ、われ神を敬う者なればなり。わが神よなんじに頼れる汝の僕を救い給え、主よわれを憐れみたまえ、われ終日なんじを呼ぶ。エホバよなんじの道をわれに教え給え、我なんじの真理を歩まん、願わくは我をして心ひとつに聖名をおそれしめたまえ。荒ぶる人の群れはわが霊魂を求め、かくて汝を己の前に置かざりき、されど主よ汝は憐憫と恵みに富み怒りを遅くし愛しみと真実とに豊かなる神にましませり。
第87篇: (コラの子の歌なり讃美なり)
エホバの基はよき山にあり、エホバはヤコブのすべての住まいにまさりてシオンのもろもろの門を愛し給う。ラハブ、バビロンもこのなかにあり。シオンにつきてはかくいわん。この者かの者その中に生まれた至上者自らシオンを立て給わんと。
第88篇: (マラハテ、レアノテの調べにあわせて歌の長に謳わしめたるコラの子の歌なり讃美なり、エズラ人ヘマンの教えの歌なり)
我が救いの神エホバよわれ夜も昼もなんじの前に叫べり、願わくは我が祈りを御前にいたらせ汝の耳をわが叫びの声に傾けたまえ、わが霊魂は患難にてみちわが命は陰府に近づけり。汝の怒りはいたく我に迫れり、汝そのもろもろの波をもて我を苦しめ給えり。汝我を愛しむ者とわが友とを遠ざけ、わが相識る者を暗闇に入れ給えり。
第89篇: (エズラ人エタンの教えの歌)
われエホバの憐れみをとこしえに謳わん。われ口もてエホバの真実を万世に告げ知らせん、我わが選びたるものと契約を結び我が僕ダビデに誓いたり、我なんじの末裔をとこしえに固くし、汝の座位を立てて世々に及ばん。神は清き者の公会のなかにて畏むべきものなり、汝ラハブを殺されし者のごとく打ち砕き、おのれの仇どもを力ある腕をもて打ち散らし給えり。北と南は汝が造り給えり、義と公平は汝の宝座のもといなり。エホバ又いう、われ力ある者に助けを委ねたり、わが民のなかより一人を選んで王として高く上げたり、われわが僕ダビデをえて之にわが聖膏を灌げり、我が手はかれとともに堅くわがかいなは彼を強くせん。しかしわが律法をまもらずは、われ杖をもちて彼らの咎を糺し、鞭をもちてその邪曲をただすべし。されど彼よりわが憐憫をことごとく取り去らず、わが真実を衰えしむることなからん。主よ汝が真実をもてダビデに誓いたまえる昔日の憐れみは今いずこにありや、主よ願わくは汝の僕が受ける謗りを御心にとめ給え、われもろもろの民のそしりをわが懐中にいだく、エホバは永遠に褒めべきかなアメン、アメン
第90篇: (神の人モーセの祈祷)
主よなんじは古より世々われらの住処にてましませり。山いまだ生りいでず汝いまだ地と世界をつくり給わざりし永遠よりとこしえまでなんじは神なり。なんじ人を塵にかへらしめて宣はく、千年経ってもダメな人類を大水で流し給う。(ノアの箱舟神話より)我らのもろもろの日は汝の怒りによって過ぎ去り、すべて年の過ぎるは一息のごとし。我らが年をふる日は80歳になろうとも、されどその誇るところは只勤労と悲しみとのみ、その去り行くこと速やかにして我らもまた飛び去れり。(芭蕉「奥の細道」序文に似ている名文)願わくはわれらに己が日を数うることを教えて智慧の心を得しめ給え。
第91篇: 至上者のもとなる隠れたところに住まう人は全能者の蔭に宿らん。われエホバのことを述べてエホバはわが避所わが城わがよりたのむ神なりといわん、そは神なんじを悪人の罠と毒をながす疫病より助けい出し給うべければなり。なんじその翼の下に隠れん、その真実は楯なり。禍害はなんじに近づくことなからん、悪者の報いからもなんじを守り給えり。
第92篇: (安息日に用いる歌なり讃美なり)
いと高き者よエホバに感謝し聖名を褒め称えるは善きかな、あしたに汝の慈しみをあらわし夜は汝の真実をあらわすに十絃のなりものと筝とを用いるは善きかな。衆庶は栄えるともついにはとこしえに滅びん。されどエホバはとこしえに高きところにましませり。義しきものは棕櫚の樹のように栄えレバノンの香柏のごとくそだつべし。彼らは年老いてなお実を結び豊かに潤い緑の色みちて、エホバの直きことを示すべし。エホバはわが巌なりエホバには不義なし。
第93篇: エホバは統べ治めたまう、エホバは能力を友とし帯となしたまへり。されば世界は堅く立ちて動かさるることなし。なんじの証しはいと高く、エホバよ清きは汝の家にとこしえまで相応しきなり。
第94篇: エホバよ仇をかえすは汝にあり、ねがわくは光を放ちたまえ。世を裁く者よ願わくは立ちて高ぶる者にその受くべき報いをなし給え。彼らはみだりに言を言い出して誇りてものいう、彼らは寡婦と旅人との命を失い孤児を殺す。民の中の無知よ、なんじら悟れ愚かなる者よ何れのときにか智たらん。エホバその民を棄て給わず、審判は正しきにかえり心の直き者はみなその後に従わん。律法をもて悪事を行う者は汝には縁の亡き者なり。彼らは相語らいて義人の霊魂を攻め罪なき者を罪に定める。神はかれらの邪悪をその身に負わしめ、彼らを滅ぼし給う。
第95篇: いざわれらエホバに向かって歌い、救いの磐に向かいて喜ばしき声をあげん。そはエホバは大なる神なり諸々の神に優れる大なる王なり。エホバは我らの神なり、我らはその牧の民、その羊なり。メリバに在りし時のように、マサに在りし時のようにその心を頑なにする勿れ、そのとき汝らの祖は我を試しき、我憤りてそのため40年間かれらを広野に迷わしめたり。
第96篇: 新しき歌をエホバに向かって歌え、全地よエホバに向かって歌うべし。エホバに向かってその御名を誉めよ、日毎にその救いを伝えよ。諸々の国の中にその栄光をあらわし、諸々の民のなかにその奇しき技を顕すべし。尊貴と威力はその前にあり、能と善美はその聖所にあり、諸々の民の輩よ栄光と力をエホバに与えよエホバに与えよ。エホバ来たり給う、地を裁かんとして来たり給う、義をもって世界をさばきその真実をもって諸々の民を裁き給わん。
第97篇: エホバは統べたまう、全地はたのしみ多くの島々は喜ぶべし。雲とくらきとはその周辺にあり、義と公平はその宝座の基いなり。エホバよなんじ全地の上にましまして至高く、なんじ諸々の神の上にましまして至貴とし。光は正しき人のためにまかれ、欣喜は心直き者のためにまかれたり。
第98篇: (歌なり)
新しき歌をエホバに向かって歌え、そは妙なる事を行いその右手その清き腕をもて己のために救いをなしおえり。全地よエホバに向かって歓しき声をあげよ声を放ちて喜び謳え讃めうたへ。琴をもってエホバをほめうたえ、ラッパと角笛を吹き鳴らし王エホバに御前に喜ばしき声をあげよ。エホバ来たり給う、地を裁かんとして来たり給う、義をもって世界をさばきその真実をもって諸々の民を裁き給わん。
第99篇: エホバは統べたまう、諸々の民は慄くべし、エホバはケルビムの間にいます、地震わん。エホバはシオンにましまして大なり、諸々の民にすぐれて貴き。エホバは聖なるかな王の力は審判を好みたまう。その祭司のなかにモーセとアロンあり、その御名を呼ぶ者の中にサムエルあり。かれらエホバを呼びしに応えたまえり。彼らのなしし事に報い給えれどまた赦しを与え給える神にてましませ。そは我らの神エホバは聖なるなり。
第100篇: (感謝の歌)
全地よエホバに向かって歓しき声をあげよ、欣喜をいだきてエホバに仕え、歌いつつ御前に来たれ。われらを造り給えるものはエホバにましませばわれらはその僕なり、牧に羊なり。エホバは恵みふかくその憐れみ限りなく、その真実万世におよぶべし。
第101篇: (ダビデの歌)
われ憐憫と審判をうたわん、エホバよなんじを讃めうたわん、われ心を聡くして全き道を守らん、なんじ何れのとき我にき給うや、われ直き心もて我が家の内を歩かん、われ眼前に賤しき事をおかず、われ叛くものの業を憎む。僻める心はわれより離れん悪しきものを知ることを好まず、隠かに友をそしるものはこれを殺さん。全き道を歩む者はわれに仕えん、われ朝な朝なこの国の悪しきものをことごとく滅ぼし、エホバの邑より不義を行なうものをことごとく絶ち除かん。
第102篇: (なやみたる者思いくずれてその嘆息をエホバの御前に注ぎいだせるときの祈祷)
エホバよわが祈りをききたまえ願わくはわが叫びの声の御前に至らんことを、わが窮苦の日御顔を覆い給うなかれ、なんじの耳をわれに傾けわが呼ぶ日にすみやかに我に答え給え。わが諸々の日は煙りのごとく消え、わが骨は焚き木のごとく焼かれるなり。わが嘆息の声によりてわが骨はわが肉につく、われ醒めて眠らずただ友なくして屋根に居る雀のごとくなれり。わが仇はへねもす我をそしる。われは糧を食らうごとく灰をくらい、わが飲料には涙をまじえたり。これは皆なんじの怒りと憤りとによりてなり、なんじ我をもたげて投げ捨て給えり。なんじ起ちてシオンを憐れみたまえ、そはシオンに恵みを施し給えるときなり。願わくはわが神よわがすべての日のなかばにて我を取り去り給う勿れ。汝の齢は永遠なり汝の僕の子等はながらえん、その末裔は堅く御前に立てられるべし。
第103篇: (ダビデの歌)
わが霊魂よエホバを誉め祀れ、わが内なる全てのものよその清き御名を誉め祀れ、わが霊魂よエホバを讃めまつれ、そのすべての恵みを忘れるな、エホバは汝がすべての不義を許し汝のすべての病をいやし、汝の命を滅びより贖いだし慈しみと憐れみをなんじに与え、汝の口を嘉物にて飽かしめ給う。エホバはすべて虐げられし者のために公義と審判を行い給う。エホバの道をモーセに知らしめ、おのれの作為をイスラエルの子等に知らしめ給う。エホバの己をおそるる者を憐れみ給うことは父がその子を憐れむがごとし。エホバの公義は子孫のまた子孫に至らん、その契約を守りその訓諭を心にとめて行う者ぞその人なる。その聖旨を行う僕らよ、エホバを誉め祀れ、我が霊魂よエホバを讃めまつれ。
第104篇: 我が霊魂よエホバを讃めまつれ。わが神エホバよなんじは至大にして尊貴と力とを持ちたまえり、なんじ光を衣のごとくまとい天を幕のごとく張り風を使いとして炎を僕となし給う。エホバは地を基いの上に置き永遠に動くことなからしめ給う。なんじ叱咤すれば水退き、なんじ雷の声を発すれば水たちまち去りぬ。自然と獣の営みはエホバの思召すところ。
第105篇: エホバに感謝しその御名を呼び、その為し給える事を諸々の民らの中に知らしめよ。エホバに向かいて歌えエホバを褒め称え。ヤコブの子等よ神の選びしところの者よ、彼は我が神エホバなり。エホバはその契約を御心に記め給えり、アブラハムと結びし契約イサクに与え給いし、これを堅くしてヤコブのために律法となしイスラエルのためにとこしえの契約となし給えり。エホバ曰く、われ汝にカナンの地をたまいて嗣業の分となせり。飢饉の際ヤコブの子ヨセフはエジプトに売られて僕となりぬ。イスラエルの民もエジプトに行きヤコブはハムに留まれり。エホバは恵みを垂れてその民を強くしたまえり。またモーセとアロンを遣わしエジプトよりイスラエルの民は出ることを得たり。
第106篇: (巻1「律法」の「出エジプト記」をテーマにしたエホバの賛歌)
エホバよ汝の民に給う恵をもて我を憶え、汝の救いをもて我に臨み給え。さらばわれ汝の選び給える者の幸いを見、汝の国の歓喜を喜び、汝の嗣業とともに誇ることをせん。我らの祖たちとともに罪を侵せり、我ら邪なる悪しき事を行えり。祖たちはエジプトにてなし給える奇しき事績をさとらず、汝の憐れみの豊かなるを心に留めず海のほとり、紅海のほとりにて叛きたり。・・・(以下出エジプト記を参照)・・・彼らはエホバの命じ給える事に従わず諸々の民を滅ぼさず、諸々の国人と交わってその所作の真似をし、偶像を捧げたり、その契約をかれらのために思い出し、その憐れみの豊かなるにより聖意を変えさせたり。イスラエルの神エホバはとこしえより永遠まで褒むべきかな、すべての民はアメン唱えるべし、エホバを讃め称えよ。(アメンとはヘブライ語で「本当にそうです」という意味)
第107篇: エホバに感謝せよ、エホバは恵みふかくその憐憫かぎりなし。エホバの保護を蒙る者は皆そういうべし。エホバは敵の手より彼らを守り諸々の地を彼らのために集め給う。彼らは曠野に彷徨い飢え渇き魂衰えたり。その困窮のうちにエホバを呼ばわりたればエホバこれを患難より助けいだし、住まうべき邑にゆかんとて直き道に導き給えり。暗きと死の蔭より彼らを導きい出してその枷を壊し給えり。すべての人はエホバの恵みにより助けられし事績によりエホバを褒め称えん。エホバは諸々の君に侮りを注ぎ道なき曠野に彷徨わせ給う。しかし直き者を患難のうちから救い出しその家族を羊の群れの如くならしめ給う。
第108篇: (ダビデの歌なり讃美なり)
神よわが心は定まれり、われ歌い祀らん讃え祀らん、わが栄をもて称えまつらん。筝よ琴よさむべし、われ東雲を呼び覚まさん。誰かわれを堅固なり邑に進ましめんや、誰かわれを導きてエドムに往きしや。神は我らを棄てしにはあらず、願わくは助けを我に与えて敵に向かわしめたまえ、人の助けは空しければなり。
第109篇: (歌の長に謳わしめたるダビデの歌)
わが讃め称える神よもだし給う勿れ、彼らは悪の口と欺きの口をあけて我に向かい、偽りの舌にて我に語り、怨みの言をもちて我を囲み、ゆえなく我を攻め戦うことあればなり。我愛するに彼ら反してわが敵となる、我ただ祈るなり、彼らは悪を持て我が善に報い恨みを持てわが愛に報いたり。かかる人は憐れみを施すことを思わず、返りて貧しき者乏しきもの心痛める者を殺さんとして攻めたりき。かかる人は呪うことを好む、この故に呪い己に至る。我が神エホバよ願わくば我を助けてその憐憫にしたがいて我を救いたまえ、エホバは貧しき人の右側に立ってその霊魂を罪せんとするものより之を救い給えり。
第110篇: (ダビデの歌)
エホバわが主にのたまう、われ汝の仇を汝の承足とするまでは我が右に坐すべし、エホバは汝の力の杖をシオンよりつきい出しめたまわん。汝のいきおいの日に、汝の民は聖なるうるわしき衣をつけ、心よりよろこびて己を捧げん。エホバ誓いをたてて聖意を変えさせたまうことなし、ダビデ汝はメルキセデクの状に等しく永遠に祭祀たり。主は汝の右にありてその怒りの日に王たちを撃ち給えり。ここもかしこも屍を満たしめ、広大な地をすべる首領を撃ち給えり。
第111篇: エホバを讃めたたえよ、我は直き者の集いにて心を尽くしてエホバに感謝せん。エホバのみわざは真実なり公義なり大なり、その行うところは栄えあり威力ありその公義はとこしえに失することなし。エホバは憐憫と恵みに満ち給う。エホバを畏れるは智慧の始まりなる、これを行う人は皆あきらかなる聰ある人なり。
第112篇: エホバを讃めまつれ、えほばを畏れてその諸々の戒めをいたく喜ぶ者は幸いなり、かかる人の末は地に強く直き者の類は幸いを得ん。富と財はその家にあり。彼は散らして貧しき者に与える、その正義はとこしえに失することなし。その角は崇められん。
第113篇: エホバを讃めまつれ、汝エホバの僕よ讃めまつれ、今より永遠にいたるまでエホバの御名は讃むべきかな、日の出るところより日のいるところまでエホバの御名は讃められるべし。エホバは諸々の国の上に在りて高く、その栄は天より高し、諸々の諸侯と共に座らせ給わん。
第114篇: イスラエルの民エジプトを出、ヤコブの家異邦人より離れしとき、ユダはエホバの聖所となりイスラエルはエホバの所領となれり。海はこれを見て逃げ、ヨルダンは後ろに退き、山は躍れり。地よ主の御前ヤコブの神の御前に慄け、主は巌を池に変わらせ石を泉に変わられ給えり。
第115篇: エホバよ栄光を我らに帰する勿れ、汝の憐憫と真実の故によりてただ御名にのみ帰したまえ。神はみこころのままに凡てのことを行い給えり。異教の偶像は金銀をもて造りしが人の手のわざなり。イスラエルよなんじエホバに頼め、エホバは彼らの助け彼らの楯なり。エホバは我らを御心に記したまえり、我らを恵みイスラエルの家を恵み預言者アロンの家を恵み給う。今より永遠にエホバを誉めまつらん、汝らエホバを讃めたたえよ。
第116篇: われエホバを愛しむ、そは我が声とわが願いを聞き給えばなり。エホバ耳を我に傾け給いしが故にわが世にあらん限りエホバを呼び奉らん。死の繩われに纏い陰府の苦しみわれに臨めり、我は患難と憂いとにあえり、そのときエホバの御名を呼べり、我が霊魂よなんじの平安にかえれ、エホバは豊に汝をあしらい給えばなり。われ救いの盃をとりてエホバの御名を呼ぶまつらむ。エルサレムよ汝の中にてエホバの家の大庭の中にて我が誓いを償わん。エホバを讃めまつれ。
第117篇: 諸々の国よ我らエホバを讃めまつれ、もろもろの民よ汝らエホバを称えまつれ、エホバの憐憫と真実はとこしえに絶えることなし、エホバを褒めまつれ。
第118篇: エホバに感謝せよエホバは恵み深くその憐憫とこしえに絶えることなし、イスラエルは言うべしその憐憫はとこしえに絶えることないと。エホバは我を助けるものと共に我が方に坐す、エホバに頼むは諸々の侯に頼むよりも勝れり。諸々の国は我を囲めり、われエホバの御名によりて彼らを滅ぼさん。エホバの右手はいさましき働きをなし給う。ヤハウエ(エホバ)我を懲らしめ給えど死には渡し給わず。我がために義の門を開きけ、われその内に入りてヤハウエに感謝せん。エホバよ願わくは我らをいますぐ救い給え、エホバよ願わくは我らをいま栄えしめ給え
第119篇: (律法のいろは歌に相当、ヘブライ語のアルファベット22文字を冒頭に用いた詩形式である。8行詩×22=176句よりなる。8行のすべてにと同義語を含むこと)
*(アレフ):が道を直くしてエホバの法を歩む者は幸いなり/ホバのもろもろの証しを守り心を尽くしてエホバを尋ね求むるは幸いなり/かる人は不義を行わずエホバの道を歩むなり/ホバよなんじ訓諭を我らに命じてねんごろに守らせ給え/んじ我が道を堅くたてその律法を守らせ給わんことを/れ汝の諸々の戒命に心に留めるときは恥ることはない/れ汝の正しき審判を学ばば直き心もて汝に感謝せん/れらは律法を守らん、われを棄て果て給う勿れ。
詩の形式としては片ぐるしくて内容に乏しいので以下のアルファベットの項の8行詩は省略する。ただしいかにアルファベットの順だけを示す。
*(アレフ)*(ペテ)*(ギメル)*(ダレテ)*(ヘ)*(ワウ)*(ザイン)*(ヘテ)*(テテ)*(ヨーデ)*(カフ)*(ラメテ)*(メム)*(ヌン)*(サメク)*(ペ)*(ツァデー)*(コフ)*(レシ)*(シン)*(タウ)
第120篇: (京詣での歌)
聖地エルサレムに詣でる歌のことである。わが困苦にあいてエホバを呼びしかば我に答え給えり。エホバよ願わくは偽りの唇欺きの舌より我が霊魂を助け出し給え、禍なるかな我はメセクに宿りケダルの幕屋の傍らに住めり、我が魂は平安を憎むものと共に住めり。我平安を望む、されど彼らは戦争を好む。
第121篇: (京詣での歌)
我山に向かいて目をあげる、わが助けはいずこより来るや、わが助けは天地を作り給えるエホバより来る。見よイスラエルを守り給う者は微睡むことも寝ることもなからん。エホバは汝を護る者なり、エホバは今よりとこしえに至るまで汝の出ると入るを守り給わん。
第122篇: (ダビデが詠める京詣での歌)
人我に向かいてエホバの家にゆかんと言える時我よろこべり。エルサレムよ汝は稠くつらなりたる邑のごとく固くたてり。エホバの支流かしこに上りきたりイスラエルに向かいて証しをなし、またエホバの御名に感謝をなす。かしこに裁きの宝座設けらる、これダビデの家のみくらなり。エルサレムのために平安を祈れ、エルサレムを愛する者は栄えるべし。
第123篇: (京詣での歌)
天にいますものよ我汝に向かって目を上げる、見よ僕は主の手に目を注ぎ、その我を憐れみ給わんことをまつ。願わくは我らを憐れみ給え、おもいわずらいなき者の辱めと、高ぶる者の侮りとは我らの霊魂に満ち溢れぬ。 
第124篇: (京詣での歌)
今イスラエルはいうべし、エホバもし我らの方に忌まさず、人々我らに逆らいて立つとき、我らを生きるまま飲み干す勢いなり。エホバは褒めるべきかな、彼らを我らに渡した給う。我らの助けは天地をつくりたまえるエホバの御名にあり。
第125篇: (京詣での歌)
エホバに頼む者はシオンの山の動かさざる如く永遠にあるがごとし。エルサレムを山が囲むごとくエホバはその民を囲み給わん。平安はイスラエルのうえにあれ。
第126篇: (京詣での歌)
エホバ、シオンの俘虜を還し給うとき、我らは夢見る者のごときなりき。その笑いは我らの口にみち、歌は我らの舌にみてり。エホバはわれらのために大いなることをなし給えれば我らは楽しめり。涙とともに播くものは歓びと共に刈り取らん。その人は種を携えて涙を流して出でゆけど、束を携え歓びて帰り来たらん。
第127篇: (ソロモンが詠める京詣での歌)
エホバはその愛しき者に眠りを与え給う、みよ子らはエホバの与え給う嗣業にして、胎の実はその報いの賜物なり。年若き頃の子等はますらおの手にある矢のごとし。
第128篇: (京詣での歌)
エホバの道を歩む者は皆幸いなり。汝らは幸いを得また安処におるべし。汝の妻は家の奥にいて多くの実を結ぶ葡萄の木のごとく、子らは汝の庭に円居して橄欖の若樹のごとし。みよエホバを畏れるものはかく幸いをエル。エホバはシオンより恵みを汝らに賜わん。
第129篇: (京詣での歌)
今イスラエルはいうべし、彼らはしばしば我を若きときより悩ましめたり。されど我に勝つことは得ざりき。エホバは義し、悪しき者の縄を断ち給えり、シオンを憎む者は皆恥を帯びて退けられし。
第130篇: (京詣での歌)
ああエホバよ我深き淵より汝を呼べり。主よ願わくは我が声を聴き汝の耳を我が願いの声に傾け給え。もし諸々の不義の眼を留めたまえば、だれか能く前に立ち得ん、されど汝の許しあれば人畏まれ。我エホバを待ち望む、わが霊魂は待ち望む。イスラエルよエホバに望みを抱け、そはエホバに憐れみあり、贖いあり。
第131篇: (ダビデの詠める京詣での歌)
エホバよわが心驕らずわが目たかぶらず、われは大いなることはできず奇しきことも務めざりきが、われは我が霊魂を苦しめたり平安にすることはできる。嬰児の母に頼るがごとし。イスラエルよ今より永遠にエホバに頼りて望みを抱け。
第132篇: (京詣での歌)
エホバよ願わくはダビデのためにその諸々の憂いを心に記し給え、ダビデエホバに誓い全能者にいう。われエホバのために住まいを求めるまでは、己の家を建てず、臥床に上らず、わが目を閉じずと。エホバよ契約の櫃とともになんじの安居処に入り給え。汝の僕ダビデのために受膏者の面を退け給うな。エホバ真実をもてダビデに誓い給えばこれに違うことあるまじき。ダビデの子等の座位を約束され、エホバはシオンを選びて己が住処とせんと望み給えり。
第133篇: (ダビデの詠める京詣での歌)
見よ同胞相睦みてともに居るは、いかに善くいかに楽しかな。首に注がれたる尊き膏、髭に流れアロンに流れ、その衣の裾にまで流れしがごとく、ヘルモンの露降りてシオンの山に流れるがごとし。エホバはそこに幸いをくだし限り無き生命を与えたまえり。
第134篇: (京詣での歌)
夜エホバの家にたち、エホバに仕える諸々の僕よエホバを誉め祀れ。汝ら聖所に向かい手をあげてエホバをほめまつれ。
第135篇: 汝らエホバを讃称えよ、エホバの御名を讃称えよ、エホバの僕ら讃称えよ。エホバの家我らの神の家の大庭に立つ者よ讃称えよ。エホバは恵み深く汝らエホバを讃称えよ。エホバは己がためヤコブを選びその宝とし給えり、エホバはエジプト王パロと僕にその奇しき事績を見せ給えり。エホバは多くの国を撃ち、力ある王たちを殺し給えり。彼らの地をイスラエルの嗣業として与え給えり。エホバはその民のため審判をなし、諸々の偶像を廃棄し給えり。イスラエルの家よエホバをほめまつれ、アロンの家よエホバをほめまつれ、レビの家よエホバをほめまつれ、シオンの山にてエホバをほめまつれ。
第136篇: エホバに感謝せよエホバは恵み深し、その憐れみはとこしえに絶えることなければなり。神の神に感謝せよ、主の主に感謝せよ、智をもちて天地を作り給いし者に感謝せよ。エジプトを責め給えるものに感謝せよ、エジプトからイスラエルの民をい出したたまえる者に感謝せよ、その民を導きて曠野を移動せし者に感謝せよ、名だたる王大いなる王を殺し給える者に感謝せよ、彼らの地をイスラエルの嗣業として与え給うものに感謝せよ、我が敵より我らを助けい出し給える者に感謝せよ、すべてのいける者に食料を与え給う者に感謝せよ、天の神に感謝せよ、その憐れみはとこしえに絶えることなければなり。
第137篇: われらバビロンのほとりに座り、シオンを思い出でて涙を流しぬ。我らそのあたりの柳にわが琴をかけたり、我らを俘囚として捕えし者我らに歌を求めたり。我らを苦しめる者己を慰めんとしてシオンの歌一つを謳えという。われら外国にありていかでエホバの歌をうたはんや、エルサレムよ我もし汝を忘れなば、我の右手の技を忘れしめ給え。エルサレムを忘れ得ぬため琴の技も忘れ得ない。滅ぼさるべきバビロンの娘よ、汝に報いる人は幸いなり。汝の嬰児を取りて岩の上に投げ打つものは幸いなり。(イスラエルの民の哀歌 何という悲しい歌か、詩篇の白眉)
第138篇: (ダビデの歌)
われはわが心をつくして汝に感謝し汝を誉め謳わん。われ汝の清き宮に向かいて伏拝み、汝の慈しみと真実のために聖名に感謝せん。エホバよ地の全ての王は汝に感謝せん、彼らは汝の口の諸々の言を聴きたればなり。エホバは高くましませど卑しき者を顧み給う。たとい我患難の中を歩むとも汝我を再び生かし、その手を伸ばして我が仇の怒りを防ぎ、その右手で我を救い給いし。
第139篇: (歌の長に謳わしめたるダビデの歌)
エホバよ汝は我をさぐり我を知り給えり、汝は遠くより我が思いをわきまえ給う。わが諸々の道をことごとく知り給う。我が舌に一言ありとも、汝悉く知り給う。汝の右の御手我を保ち給わん、我なんじに感謝す、我は畏るべく奇しく造られたり。神よ汝のもろもろの聖念は我に貴きこといかばかりぞ、その御念の総計はいかに多きかな。エホバよ我は汝を憎くむものを憎む、我甚く憎みてわが仇とす、神よ願わくは我を探りてわが心を知り、我を試みてわがもろもろの思念を知り給え。願わくは我によこしまなる道のありやなしやを見て、我を永遠の道に導き給え。
第140篇: (歌の長に謳わしめたるダビデの歌)
エホバよ願わくは悪人より我を助け出し。我を守りて強暴人より遁れしめたまえ、彼らは心の内に害を企て、たえず戦いをおこす、彼らは蛇のごとく己が舌を利くす、その唇に蝮の毒あり。エホバよ悪しき人の欲しいままにすることを赦し給うな、悪言をなす者は世に立てられず、荒ぶる者は禍に追われて倒されるべし。我は苦しむ者の訴えと貧しき者の義とをエホバの守り給うを知る。義しき者はかならず聖名に感謝し直き者は御前に住まん。
第141篇: (ダビデの歌)
エホバよなんじを呼ぶ、願わくは速やかに我にきたまえ、われ汝を呼ぶときわが声に耳を傾け給え。われは薫物のごとく我が祈りを御前に捧げ、夕べの供物のように我が手をあげて聖前に捧げん。義しき者われを打つとも我はこれを愛しみ、その我をせむるを頭の膏とせん。我が頭これを辞まず。エホバよ願わくは我が口に門守を立て、わが唇の戸を守り給え。
第142篇: (ダビデが洞にありしとき詠みたる教訓の歌なり祈りなり)
われ声を出してエホバを呼べり、われはその聖前にわが嘆息を注ぎだし、わが患難をあらわす。わが魂わが内に消え失せなんとするときも、汝我が道を知り給えり。人我を捕えんとして我ゆく道に罠をかくせり。われ言う、汝はわが避け処、命ある地の居場所、願わくはわが叫びに御心をとめたまえ、われいたく卑しめられるなり。われを攻める者より助けい出したまえ。
第143篇: (ダビデの歌)
エホバよ願わくは我が祈りをきき、我が願いに耳を傾け給え。汝の真実なんじの公義をもて答え給え、なんじの僕の審判に関わり給うな、御前に生きるもので一人として全きな義人はなし。仇はわが魂を攻め、わが命を地に棄て、我を暗き冥府に住まわせたり。朝になんじの慈しみを聞かせ給え、われ汝に頼めばなり、わが歩む道を知らせたまえ、われ我が魂をなんじに挙げればなり。また汝の慈しみによりわが仇を討ち、魂を苦しめる者をことごとく滅ぼし給え、そはわれ汝の僕なり。
第144篇: (ダビデの歌)
戦することを教え、闘うことを教え給う我が磐エホバは褒むべきかな、エホバはわが慈しみわが城なり、わが高き櫓、われを救いたまう者なり、わが楯わが頼む者なり。人は息のごときものでその存ふる日は過ぎゆく影にひとし。神よわれ汝にむかいて新しき歌を謳い、十絃の事にあわせて汝を褒め称えん。汝は王たちに救いを与え僕ダビデを禍いの剣から救い給う神なり。エホバをおのが神とする民は幸いなり。
第145篇: (ダビデの讃美の歌)
エホバは恵み深く情けに満ち又怒り給うこと遅く、憐憫大なり。その大いなる能力とその御国の栄ある世を人の子らに知らすべし。汝の国はとこしえの国なり、汝の政治は万世に絶えることなし。エホバは己を愛しむ者をすべて守り給えど、悪しき者をことごとく滅ぼしたまわん。わが口はエホバの誉れをかたり、よろずの民は世々限りなくその清き御名を誉め祀るべし。
第146篇: エホバを褒め称えよ、われ生ける限りはエホバを褒め称え、我が神を謳わん。ヤコブの神を己が助けとし、その望みをエホバに置く者は幸いなり。天土とあらゆるものを造り、とこしえの真実を守り、虐げられた者のために審判を行い、飢えたる者に食いものを与え給う神なり。エホバは義しき人、他邦人、孤児、寡婦を守り給うなり、されど悪しき者は覆し給うなり。シオンよ汝の神は万世まで統べ給まわん、エホバを褒め称えよ。
第147篇: エホバを褒め称えよ、われらの神を誉め謳うことは善きことなり楽しきことなり。エホバはイスラエルのさまよえる者を集め給えり、心の砕けた者を癒しその傷を包み給う。エルサレムよエホバを褒め称えよ、シオンよなんじの神を褒め称えよ、汝の子等幸多かれ。エホバはその戒めを地に降し給う、その聖言はいと速やかに走る。エホバはその御言をヤコブに示し、その諸々の律法と審判とをイスラエルに示し給う。
第148篇: エホバを褒めたたえよ、その万軍エホバを褒め称えよ。天地のもろもろのもの皆エホバの聖名を誉めたたうべし。
第149篇: エホバを誉めたたえよ、エホバに向かいて新しき歌を歌え。聖徒の集いにてエホバの誉れを歌へ、イスラエルは己を造り給いしものを喜びシオンの子等はおのが王のゆえにて楽しむべし。聖徒は栄光の故にて喜び、その寝床にて喜び謳うべし。
第150篇: エホバを褒めたたえよ、その聖所にて神を褒め称えよ。その能力のあらわるる青空にて神を褒め称えよ。その力の偉大さ、秀でた大いなることによりエホバを誉めた称えよ。ラッパの声をもって、筝と琴をもって、鼓と踊りをもって、絃簫をもって神を褒め称えよ。

3) 箴言

ダビデの子イスラエルの王ソロモンの箴言、これは智慧と訓悔とを知らしめ哲言を悟らせ、聡き訓と公義と公平と正直を得しめ、拙者にさとりを与え、若き者に知識と謹慎とを得さしめるためである。知恵ある者はこれ聞きて学に進み哲者は知略をうべし。人これにより箴言と譬喩と知恵ある者の言とその隠語とを悟らん。エホバを畏れる者は知識の本なり。(モンテーニュやパスカルのモラリスト人間学に近い範疇の文学)
第1章: 愚かなる者は智慧を訓悔を軽んじる。我が子よ汝の父母の教えをきけ、これは汝の冠、首飾りになろう。我が子よ悪しき者汝を誘惑するも従う勿れ、そうでないと彼らは汝を殺し、生きたまま飲み込み、墓に持って行かれることになるからだ。我が子よ彼らとともに道を歩むこと勿れ、彼らは待ち伏せ命を狙う。我が戒めに従いて心を改めよ、彼らは汝の声に答えず颯のごとき患難と悲しみが汝を襲う。拙者の叛きは己を殺し、愚かなる者の幸いは己を滅ぼさん。
第2章: 我が子よ汝の耳を智恵に傾け心を悟りに向け、知識を呼び求め悟りを得んと努力するならば、汝はエホバを畏れることを悟り神を知ることを得る。エホバは知識と悟りをその口より出るものであるから。こうして汝は公義と公平と正直と一切の善を知らん。悪しき道より偽りを語る者より救われる。聡明は妓女より汝を救う。若き時の契約を忘れるな。悪人について行く者は帰らず。
第3章: 我が子よわが法を忘れる勿れ、汝の心に戒めを守れ。仁愛と真実を汝より離すこと勿れ、汝に平安と恩恵と誉れを得るによるなり。汝エホバにより頼め、汝の聡明に頼る勿れ。自らみて聡明とする勿れエホバを畏れて悪を離れよ。我が子よエホバの懲らしめを軽んじる勿れ、知恵は真珠よりも貴し、汝の財産もこれに比べるに足らず。智恵は銀よりも勝り、金よりも善きものなり。我が子よ聡明と謹慎を守れ、汝の魂の命になえい、汝を飾るものである。人もし汝に悪を為さずは汝之と争うこと勿れ。義者はその親しきものなり、義者の家はエホバに恵まれる。
第4章: 子等よ父の教えをよく聞け、聡明を知らんために耳を傾けよ、我善き教えを汝らに授く我が律を棄てるなかれ、知恵を得聡明を得よ。われ智慧の道を汝に教え、正しき道筋に汝に導けり。堅く訓悔をとりて離すこと勿れ、これを守れ。邪曲なる者の道に入る勿れ。汝の心を守れそれは生命の流れの源であるによりてなり。偽りの唇を棄て去り汝より遠く離せ。右にも左にも偏ること勿れ汝の足を悪より離れしめよ。
第5章: 我が子よ我が知恵を聞け、汝の耳我が聡明に傾けよ。汝謹慎を守り汝の唇に知識を保つべし。娼妓の口は蜜を滴らせ、その口は脂よりも滑らかなり。しかしその終わりは苦くもろ刃の刃のごとく利し。その足は死に下りその歩みは陰府に赴く。子どもらよ今我に聞け、娼妓の家に近づくな。汝は汝の家の水を飲め、汝の泉に幸いを受けしめ、汝の若き妻を楽しめ、かは美しき女鹿のごとく、その乳房もて常に足れりとしてその愛を持て喜べ。人の道はエホバの目の前にあり、彼はその行為を量りたまう。
第6章: 我が子よ汝もし朋友のために保証人となり、賛意を表するならば汝その口により罠にかかり、その口の言に捕らえられる。我が子よ汝の友の手に陥りなば自ら救え、相手をしっかり見つめその救済を求めよ。邪曲なる人悪しき人は偽りの言をもって事を行う。その禍は俄かに至る。エホバの心に嫌うもの7つあり、驕ぶる目、偽りをいう目、罪なき人の血を流す手、悪しき謀計をめぐらす心、速やかに悪に走る足、偽りを述べる証人、兄弟の内に争いを起こすものである。父母の戒めを棄てる勿れ、戒めを頸にかけておれ。それ戒めは燈火なり、法は光なり、教えの懲らしめは命の道なり。淫婦の諂いに騙されるな、隣の妻と姦淫するな。
第7章: 我が子よわが言をまもり我が戒めを汝の心に蓄えよ、我が戒めを守りて生命を得よ。智恵は我が姉妹、明理はわが友といえ。さらば淫婦に迷わず娼妓に遠ざからん。拙き者、若くて智慧の無い者の身を滅ぼしたる一つの例を示そう。彼が巷を過ぎ婦の門に近づくと、暗闇になかに娼妓の衣を着た狡そうな女が現れ、巷や広場の角に立って彼を引き寄せ接吻をし、我が床は美しい褥、エジプトの綾織で、没薬などの香水をふりかけてあり、明日の朝まで情を尽くして愛を通わさんと艶めきたる言葉で誘い掛けて来るのである。若い人がこの誘いに乗ったら最後、矢は肝を通し命を失わん。子等よ淫婦の道に傾くなかれ、さ迷う勿れ。
第8章: 拙き者よ汝ら聡明にあきらかなれ、愚かなる者汝明らかなる心を得よ。汝聴け我善ことを語らん、わが唇を開きて正しいことをいださん。われ智慧は聡明を住処とし、知識と謹慎にいたる。エホバを愛することは悪を憎むことなり。エホバを切に求むる者は我に至らん、エホバは義しき道に歩み公平な径の中を行く。これ我を愛する者に貨財を与えその庫を満たさん。エホバを得るものは生命を得、エホバより恩恵を得り、我を失う者は自己の生命を害い我を憎む者は死を愛するなり。
第9章: 拙劣をすてて生命を得、聡明の道を歩め。嘲笑者、悪人を攻めるな、反発を食らって自分がけがをするから。知恵あるものを攻めよ彼は汝を愛するだろう。汝知恵があるならそれは自分のために知恵があるからで、嘲るなら汝一人これを負わん。愚かなる婦は騒がしくかつ何事も知らない、また知恵なき者に向かいていう、盗みたる水は甘く、秘かに食う糧は美味なりという。
第10章: (ソロモンの箴言)
知恵ある子は父を喜ばす、愚かなる子は母の憂いなり。不義の財産は益なし、されど正義は救いて死を免れる。義者の首には福が来る。悪しき者の口は強暴を隠す。怨みは争いをおこし、愛はすべての咎を覆う。哲者の唇には知恵がある。知恵ある者は知識を蓄え愚かなる者は今にも滅亡を来たらす。義者の動作は生命にいたり、悪者の利得は罪に至る。義者hじゃ人を養い、愚かなる者は知恵なきに因りて死す。
第11章: 偽りの秤はエホバに憎まれ義しい分銅はかれに喜ばれる。驕ぶれば恥もきたる、謙譲に人は知恵あり。財宝は怒りの日には益がない。しかし正義は救いて死を免れしむ。直きものはその正義によって救われ、反逆者は自己の悪によって捉えらる。他人の保証をなす者は苦難をうけ、保証を嫌う者は平安なり。慈悲のある者は己の霊魂に益を加え、残忍者は身を亡ぼす。義人の願うところはすべて幸いにいたり、悪人の望むところは怒りにいたる。善を求むる者は恩恵を得、悪を求むる者は悪しきこと来たらん。
第12篇: 教えを愛する者は知識を愛す、懲戒を憎む者は獣のごとし。善人はエホバの恩恵を受け、悪しき謀略をなす者はエホバに罰せられる。人は悪をもって堅く立つことはできず、正しき人は揺るがない。直き者の口は人救い。悪しき者の家は倒される。義人は生命を顧みる、悪人は残忍をもって憐憫に代える。悪人は唇の咎によりて罠に陥る、義者は患難より免れる。知恵ある人は他者の勧めをいれるが、愚かなる者は怒りを表す。勉め働くことは人の貴き宝なり、義しき道には生命あり。
第13章: 知恵ある子は父の教えを聞き、戯に嘲る者は懲らしめを聞かず。その口を守る者は生命を守る。勉め働く者の心は豊饒である。義者は偽りの言葉を憎み、偽りをもって得たる財貨は減る。知恵ある人の教えはいのちの泉なり、よく死の罠を遁れる。貧乏と恥は教えを棄てる者にきたる。戒めを守る者は尊ばれる。善人はその産業を子孫に残す。義しき者は食を得て飽きる、しかし悪人の腹は空し。
第14章: 知恵ある婦はその家を建て、愚かなる婦はこれを毀す。直きものはエホバを畏れ、邪曲な者はこれを侮る。哲者は知識を得ること容易くし。賢者の知恵は己の道を知る。笑うときにも心に悲しみあり、歓楽の終わりに憂いあり。拙き者はすべての言葉を信じるが、賢者はその行いを慎む。その隣を卑しむ者は罪あり、困苦者を憐れむ者は幸いあり。エホバを畏れるは堅き頼みなり、怒りを遅くするものは大なる知識あり、気の短い者は愚かなことをする。貧しき者を虐げる者はその創造主たる神を侮ることになる。義は国を高くし、罪は民を恥かしむ。
第15章: 柔和なる答えは憤りを鎮め、激しき言は怒りを起こす。心に楽しき事あれば顔色よろこばし。憤りやすい者は争いをおこし、怠るものの道は紆余曲折、直き者の道は平坦なり。無智なる者は愚かなる事を喜び、哲者はその道を直くする。相議する者なければ謀は成功しない、議者が多ければ謀必ず成る。一人では謀はできない。
第16章: 人の道は己の眼には悉く清しと見える。ただエホバ霊魂を図り給う。汝の作為をエホバに任せよ。さらば汝の謀ることは必ずなるべし。エホバを畏れることによりて人は悪を離れる。王の唇には神の審判がある。審判するときその口誤るべからず。王の怒りは死の使いのごとく、知恵ある人はこれをなだめる。悪を離れるのは直き人の道、おのれの道を守るは霊魂を守ることである。驕慢は滅亡に連なり、誇りは仆れに先立つ。知恵ある者の心己の口を教え、また己の唇に知識を増す。
第17章: 睦まじい家庭の一塊のパンは、争いごとばかりの家のぜいたくな肉料理に優る。貧者を侮る者はその創造主を侮ることである。人の禍を喜ぶ者は罪を免れない。人のことをあげつらう者は朋友を失う。争いの起源は堤から水を漏らすに似たり。争いの起こる前に先にこれを止めよ。争いを好む者は罪を好み、兄弟は危難の時に助け合うために生まれた。言の少なき人は知識在り、心の静かなる人は哲人なり。
第18章: 自己の欲する所のみを求め、すべての正しい判断から離れる事は愚かなるものである。愚かなる者は明哲を喜ばずただ己の主張が正しいと思い込む。悪者来たりて賤しめがやってき、恥が来れば凌辱も共に来る。愚かなる者の口は己の敗北となり、霊魂の罠となる。エホバの名は高き櫓のごとし、義者はこれに走る。
第19章: 正しく歩む貧しき者は唇の爛れた愚か者に勝る。心に思慮がなければ善からず、足にて急ぐ者は道に迷う。資財は多くの友を集めるが、貧しき者は疎まれる。偽りの証人は罰を免れない。人に媚びる者は多く、人に贈り物を与える者の友となる。貧しき者はその兄弟からさえ憎まれる。聡明は人に怒りを耐えさせる、過失を赦すは人の誉れなり。怠惰は人を飢えさせる。貧しき者を憐れむ者はエホバに喜ばれる。その施しはエホバが償い給う。人の喜びは施しをするにあり、貧しきは偽りに優る。
第20章: 酒は人をして嘲らせ、濃い酒は人をして騒がしむ。酒に迷わされるものは無智なり。王の怒りは獅子のごとく自己の命を害う。穏かにおりて争わないことが人の誉れである。愚かなる者は怒り争う。義人は身を正しくして歩みその子孫に幸いをもたらす。審判の位にあるエホバはその目をもってすべての悪を散らす。欺いて得た糧は人に旨し、されどにtにはその口は沙に満ちる。謀は相謀る(合議する)によって成功する。戦わんとするときはよく謀れ、エホバはよく見て偽りの秤を憎む。人の歩みはエホバによる。自分ではその道の良し悪しは分からない。妄りに誓いを立てる人は罠に陥る。王は恵みと真実をもって自ら保つ。
第21章: 王の心はエホバの手の内にあって水のごとく流れる。正義と公平を行うはエホバに悦ばれる。高ぶる目と驕る心は悪人の光にして罪なり。悪人の虐げは自己を滅ぼす。享楽を好む者は貧しき人になり、酒と膏を好む者は富を残せない。正義と憐憫を追求する者は命と正義と尊貴を得る。知恵ある者は強者の城を倒す。口と舌を守る(慎む)者は霊魂を守って患難に会わない。人は終日欲を図り獲ることを考え、義人は与えて惜しまない。
第22章: 嘉き名は大いなる富に優れり。恩恵は金銀より佳き。富める者、貧しき者を造り給いしはエホバなり。賢き人は禍を見て避け、拙者も進みて罰を受ける。悖れる者には荊と罠があり、霊魂を守る者はこれから遠く離れる。悖れる者には懲治の道がある。われ勧言と知識を含みたる勝れた言(箴言)をここに録した。怒るものと交わる勿れ、人の負債の保証人となる勿れ、先祖来からの地の境を変えるな。
第23章: 旨きものをたらふく食う勿れ、これ迷惑の食物なればなり。富を得んと思い煩う勿れ、富は必ず自ら羽が生えて天に飛び去らん、悪しき者の糧を食う勿れ、愚かなる者の耳に語る勿れ、古き地境を変えるな、孤児の畑を侵すなかれ、鞭を打ちて彼の魂を救うことができる。酒にふけり肉を嗜む者と交わる勿れ、汝の父母を楽しませ、汝を生める者を喜ばせよ。強い酒を飲んで夜更かしをするな。
第24章: 悪しき人をうらやむ勿れ、これと共に居る勿れ。知恵ある者は強し、知識ある者は力を増し、汝よき謀を持って戦え、勝利は識者の多きによる。悪をなさんと謀る者を邪曲なる者と呼ぶ。汝、弱き者、死地に引かれて行く者を救え、汝の魂を守るエホバこれを知らんはずはない。正しい者は7回倒れてもまた起きるが、悪人は禍に因りて滅亡する。知恵は家を堅く立てる、怠る人の葡萄畑を見るに石垣は崩れたままなのでこれを注意して教えた。汝の貧困は勤勉を教えられなかったことによる。
第25章: (ソロモンの箴言はユダの王ヒゼキアが編纂した。) 事を隠すは神の誉れ、事を極めるは王の誉れ、王の前より悪人を取り除け、王の前に高ぶること勿れ、貴人の場に立つ勿れ、位を下げられるのはみじめだから。隣の家の足繁く通うな、厭まれん。患難のとき忠実ではない者に頼ることはできない。心の痛める人の前で歌を歌くな、傷口に塩を塗るようなものである。北風は雨を起こし陰口を言う人は人を怒らす。
第26章: 愚かなる者は始末に困る。馬に鞭あり、ロバには轡あり、愚か者の背には杖がある。愚か者は恐らくは自分を智慧者とみているのだろう。自己に関わりのない争いに携わる者(評論家)、人の良し悪しを戯れ言にようにいうがかえって人を恨みを招くことになる。穏かな口で悪しきことをいう
第27章: 汝明日のことを誇るな、汝己の口をもて自ら褒めること勿れ。他人をして己を誉めしめよ。しかし愚かなる者の怒りは猛し、妬みの前は誰か立つことができるか。明白に誡めるは愛であり、愛する者の傷つくのは真実であるからだ。膏と香は人の心を喜ばす、心より勧言(勧告)を与える友人の美しさも斯くのごとし。我が子よ知恵を得てわが心を喜ばしめよ、我をそしる者に答えることができる。
第28章: 国の罪により公伯多くなり、智くして知識ある人によって国は長く保つ。弱者を虐げる貧しき人々は悪しき人でありすべてを洗い流す嵐のようなものである。義しく歩む貧しき人は富者より勝る。律法を守る者は智者である。義者を悪しき道に惑わす者は自分の罠に陥る。実直な者は幸いなり。義者の悦ぶときは大いなる栄があり、悪者の起こるときは民は身を隠す。正しく行く者を救え、曲れる路に従う者は直ちに倒れん。人を偏り見るのは良くない、人は一片のパンのために罪を犯す。
第29章: 言われても頑な頭を持つものは救われることなく滅ぼされる。義者増せば民は歓び、悪人権力を握るなら民は追いやられる。知恵を愛する人はその父を喜ばし、妓婦に交わる者はその財を失う。王は公義をもって国を堅くし、租税を強奪する者は国を滅ぼす。貧者を過酷なるものが虐げる。鞭と失跡は智慧を与え、放任された子らは悪しき者に染まる。なぜならこの世には悪しき人が多いからである。律法を守る者は幸いなり。
第30章: (ヤケの子アグルの言なる箴言、イテエル、ウカルに尋ねる形式 この章の内容は難解である) アグルは我は愚かで、知恵がなく、聖なるものを悟らず、天主を知らない、汝はよくこれを知っているかと質問した。これに対してイテエルは答えて言う。神は彼を頼む者の楯で、これ以上は言うな、神は汝がいつわる者かと思うから。嘘といつわりとから離れ、神を知らないとか、エホバは誰かとは言わない事を約束しなさい。飽くことのない性格4つ、不思議だと思うもの4つ、地は4つのことで震え上がる、地には小さいが4つの優れた小動物がいる、善く歩むもの4つである。これらのたとえ話は他愛もない話であるが、それくらい奇なる事実に満ちている。それらは全て神の創造物である。神を畏れなさい。 
第31章: (レムエルの母が彼に教えた箴言)願って得た子よ、汝の力を女に費やする勿れ、王を亡き者にするものに道を任せてはいけない、レムエルよ酒を飲むな、王のなすべきことではない。律法を忘れ、審判を枉げる恐れがある。濃い酒は亡びんとするもの、心に傷のある者に飲ますなかれ、酒におぼれて苦しさを忘れるから。義しい審判を行い、貧者と窮乏者の訴えを糺せ、賢き女を見出せ、その価値は宝石より貴きなり。商売に精を出し自らよく働け、田畑を買い葡萄園を耕せ、働くことは永遠の利益の源泉である。

4) 伝道の書

(ダビデの子エルサレムの王ソロモン 伝道者の言)集会で語る人を伝道者という。「コヘレトの言葉」と呼ばれる書である。著者はソロモンと言われることもあるが、ソロモンではない。伝道者にせよコヘレトにせよ、固有名詞ではなく広い意味では自由な思想家のような存在である。冒頭に「空の空、空の空なるかな、すべて空なり」という遁世的、諦念的思想で貫かれている。日本でいえば「方丈記」、「奥の細道」、「平家物語」の思想にちかい。むなしいかな、むなしいかな すべてはむなしい
第1章: 伝道者言う「空の空、空の空なるかな、すべて空なり」 日の下で人が苦労してやったことに何の意味があるのだろう。世は変わっても地球は永遠に存在する。万物巡り巡って同じ所へ還る。日の下に新しきことは無い。昔起こった事が今再び起こるに過ぎない。ああ皆空にして風を捕えるがごとし。我は大なる者になった、エルサレムにおりし如何なるものより多くの知恵と知識を得た。しかし知恵多ければ憤り多し知識を増す者は憂い多し。
第2章: 世の人は生涯何をなしたらいいかということを知らないため、愚かなことを行う。逸楽、笑い、酒、事業、子孫、財宝、妻妾全てにおいて我は偉大なる成功者となったが、諸々の事業もその労苦を顧みると空にして風を捕えるがごとし。智者も愚者も遭遇する出来事は同じ、智者はより長生きできるわけでもない。世が過ぎれば両者とも忘れられる。皆空にして風を捕えるがごとし。労して事業を成し遂げても、それを労しない人に譲るもこれは空にして大いに悪い。生きている間の労苦は憂いあり労苦は苦しく心は休む間もないこれまた空なり。神の心に選ばれしは神の一方的な指定であり本人の努力ではない。これまた空にして風を捕えるがごとし。
第3章: 世の中のこと万のことに期あり、万の技には時あり。人の労苦するするは、神が設けた給いし業である。神がなし給うところは皆その時に適いて美しい、神は人の心に永遠の思念を植え付けんがためなり。人が世の中にある内は快楽をなし善を行うほかに意味はない。何故人が苦労するのかそれは神の前に畏れさせるためである。人も獣も本を糺せば塵から生まれ塵に帰る。であるから人はその動作によりて逸楽をなすに如くはなし。
第4章: 諸々の虐げる者の手には権力があり。虐げられた者を慰めることは無い。この世の仕組みは人が互いに妬みあってなせるものである。(権力の遍在)之も空にして風を捕えるがごとし。労苦の極まりたるは、只一人で伴侶もなく兄弟もなく子もない者で一人斃れても、一人苦労してもこれを助ける者はいない。民は後に世に出てくるものは前任者を喜ばないこれは空にして風を捕えるがごとし。
第5章: エホバの前では足を慎め、軽々しく口を開くな、汝の詞を少なく、神に誓願を掛ければ請願を成就すべし、口による罪を犯すな、夢多ければ空なること多し言葉も多し、汝エホバを畏れよ。国の中には貧しき者を虐げることおよび公義を枉げることも多い。しれは人の上に居る人が多いためである。(不労階級のことか)国の利益は全くこれによる、王者が農事に努めるにあり。貨財が増せばそれをはむ者も多く、心労が増え富者は貨財にために眠ることもできない。人は死ぬとき財宝をもって冥界にゆく能わず、裸で生まれたように裸で死ぬ。結局人の善や美なるとは、神に賜る寿命の際迄働ける労苦によって得る幸いを享受することである。
第6章: 人の間に恒にあることだが、神はその心に慕う者には富と財と貴きを欠けることなく与えるが、その自分の富を食わないで、他人の財を食らう人間がいることは空なり悪しき病である。財を得てなお満足しない者、平安に葬られない者は生まれてこない方が幸せである。寿命が千年になっても幸いになれるものではない。人それぞれである。人の労苦はその口のためである。賢者も愚者も変わりはない。富者も貧窮者もおなじである。
第7章: 人は死ぬ人を見送ることが一番大事だ。賢者の心は哀しみを尊ぶ。賢き者の戒めは薬である、歌を聞くより勝れり。愚か者の笑いはこれまた空である。事の終わりは始まりより善し。容認心ある者は驕慢心より勝る。智恵の上に財産をおくは良し、幸いある日は楽しめ禍ある日は考えよ。空の世に在りては義しき人亡びる在り、悪人蔓延る在り。神を畏れよ、悪しきにおぼれるな義におぼれるな。智者の知恵は十人力。事物の理は遠くして甚だ深し、誰かこれを究むることを得ん。
第8章: 人は智者に如くなし。知恵はその人の顔に輝きをもたらす。我言う王の命を守るべし、王の言葉には権力があるからこれに逆らうな。王は自分の好むことができるから。命令を守る者には禍を蒙ることがない。智者の心は時と判断を知るからだ。悪しき事の報いが速やかに来ないときには世人心を専らにして悪を行う。世の中には空なることを見てきた。義しき人が悪人に遭うこともあり義人に遭うこともある。これも空なり。智者は知恵を知らんとして世の中のことを究んとする、それでも智者と言えどこれを知ると思うことがあるが、究めることはできない
第9章: 賢き者および義しき者のなすところは神の手にある。好みは人それぞれ、別問題である。すべての人に臨むところは皆同じ。その愛しみ、悪も妬みも消え失せてしまう。汝往きて悦びをもて汝のパンを食らい汝の酒を飲めば、それは神が久しく汝を嘉したまえばなり。汝の空なる生命の日の間そういうふうにしなさい。速く走る者が勝つとは限らない、強いものは戦いに勝つとは限らない。人に臨むところのことはある者は偶然である。このことを見て智慧となし大なることとせり。知恵は力に優ると言えど、貧しき者の知恵は軽んじられる。
第10章: 少しぐらいの愚痴は智慧と誉れより重い場合がある。自分が愚者であることを知っていれば温順は咎を生じない。司たるものからでる過誤は僕に害を与える。智者の言葉には恵みがあり、愚者の言葉はその人を飲み込む。愚者は言葉が多い。
第11章: 汝は風の道を知らない。汝は全てのことを知ってるわけではない。汝朝に種をまいて夕べに手を休めることはできない。実る木はどちらかは分からない。長い人生を生きて幸福であった時期より暗い日の方が多い。幸不幸は皆空なり。若者よ若い時に楽しみなさい、汝の思うように生きなさい。若い時と壮年なるときはともに空なり。
第12篇: 汝は若い時に創造主神を憶えなさい。年とって何も楽しみが亡くなってからでは遅い。力が亡くなって何もできない。塵は元のごとくに土にかえり、霊魂はこれを授けし神に帰る。伝道者いう、空の空なるかな皆空なり。

5) 雅歌

これはソロモンの雅歌である。愛の賛歌である。男女が愛し合い讃えあう歌という旧約聖書では極めてユニークな詞華集である。
第1章: 願わしきは彼その口の接吻をもって我に口づけせんことなり。汝の愛は酒よりもまさりぬ。これを持て娘ら汝を愛す。王我をたずさえて後宮に入れ給えり。我酒よりも勝りて汝の愛を誉めたたう。エルサレムの女子らよ、我はくろけれどなお美しき。我ら白銀の星をつけたる黄金の鎖を汝のために作らん。王その席につき給うとき、我がナルダその香りをいだせり、我が愛する者はわれにとってはわが胸に起きたる没薬の袋のごとし。ああ美しきかな、我がともよああ麗しきかな。
第2章: 我はシャロンの野花、谷の百合花なり。我が愛する者の男の子らの中にあるは、林樹の中にあるリンゴのあるがごとし。その実は我が口に甘し。かれ我をたずさえて酒宴の中にいれたまえり、わが上に翻したる旗は愛なりき。彼の左手はわが頭の下にあり、その右手をもて我を抱けり。エルサレムの女子らよわれなんじに野の鹿をさし誓いて請う、愛のおのずから起こるときまでことさらに呼び起こし醒ますなかれ。諸々の花は地に現われ、山鳩の声地に聞こえる。無花果ははその青き実を赤らめ、葡萄の樹は花咲きてそのかぐわしき香気を放つ。葡萄園は花盛りなれば、我が愛するものは我につき、我は彼につく。
第3章: 夜我床に在りて我が心の愛する者を尋ね士が得ず。邑の中を回りあるけど得ず。夜巡者に問うて彼を得て離さず。諸々の薫り物をもて身を香らせ、煙の柱のごとく曠野から来る者は誰。これはソロモンの乗り物で勇士60人が周りにあり。イスラエルの勇士なり、ソロモン王レバノンの木でもって輿を作り金銀で飾れり。シオンの女子らよ出で来たりてソロモン王を見よ。
第4章: ああ汝美しきかな、汝の眼は鳩のよう、髪の毛はギレリア山の山すその山羊、汝の歯は雌羊の洗い場よりいでたるがごとし、汝の唇は紅の繊維のよう、汝の頬はザクロの片割れ、頸頂はダビデの櫓にように高く、乳房は2つの小鹿が草をはむがごとし。我が妹および新婦よなんじは我が心を奪えり、汝の愛は酒よりはるかに勝れ、新婦よ汝の唇は蜜を垂らす、汝の衣の香料はレバノンの香気のよう、汝はその泉、生ける井の水、レバノンを流れる水なり。
第5章: 我が妹よ我が花嫁よ、我はその園に入れり、没薬と薫り物を採り、蜜を食らい我が酒とわが乳をのめり、我が妹よ門を開け、夜露に濡れたわが髪、我はすでに衣服を脱げり、足を洗えり。我我が愛する者のために門を開きしが、愛する者は見えず、呼びたれど応答なし。我愛に悩みたると告げよ、これぞ我が愛するもの、これぞわが伴侶なる。
第6章: 婦女のいと美しきものよ、汝愛する者はいずこに往きしや、我汝とともに尋ねん。我が愛する者は己の園に行き、香しい花の床にゆき、園の中で群れを牧し、また百合花を採る。我が愛するものは我につき、我は彼につく。ソロモン王には后60人、貴姫80人数知れぬ処女あり。
第7章: 君の女よ汝の足のいかに美しきかな。なんじの臍は円き盃のごとく、汝の腹は麦の周りを百合花で囲めるがごとし、汝の眼はバテラゼムの池のよう、髪の毛は紫花、汝の歯は雌羊の洗い場よりいでたるがごとし、汝の唇は紅の繊維のよう、汝の頬はザクロの片割れ、頸頂はダビデの櫓にように高く、乳房は葡萄の房。汝の鼻はレバノンの櫓の様に高い、髪の毛は紫花のごとし、汝の頭はカルメルのごとし、汝の頬はザクロの片割れ、頸頂はダビデの櫓にように高く、乳房は葡萄の房。汝の背の高さは棕櫚の樹に等しく、汝の口は美酒のようである。 我が愛するものは我につき、我は彼につく。
第8章: 願わくは汝が我が兄弟にように親しく、われ戸外であうときは口づけせむ、我を卑しむ者はいない。ザクロの甘酒を汝に飲ません。彼の左手はわが頭の下にあり、その右手をもて我を抱けり。それ愛は強くして死のごとく、妬みは堅くして陰府にひとし。その炎は火のごとくいと激しき炎なり。愛は大水も消すこと能わず、


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