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朽木ゆり子著 「フェルメール全点踏破の旅」

 集英社新書ビジュアル版(2006年9月)

17世紀オランダの風俗画家フェルメールの全作品

フェルメール展が日本で開催されて以来、フェルメールの絵画に対する日本人の関心が高まった。フェルメールの作品「真珠の耳飾の少女」をモデルのした映画も人気となった。女性を書いた作品が多いが、心を癒されたという記事が多かった。そして2008年8月2日から4ヶ月間上野の東京都美術館でフェルメール展が開かれる予定である。今回来日する作品は「手紙を書く夫人と召使」、「小路」、「ワイングラスを持つ娘」、「リュートを弾く女」、「マルタとマリアの家のキリスト」、「ディアナとニンフたち」、「ヴァージナルの前に座る若い女」の7点である。内5点が初来日であるそうだ。またこれを機会に日本のフェルメール熱が再燃する事は確かだ。フェルメールの描く単身女性の立ち姿が崇高さと力強さに満ちていると著者朽木ゆり子氏はいう。宗教画を描いているわけではないのだが、宗教的な物を感じているのかもしれない。17世紀のオランダ画家フェルメール(1632-1675)はオランダのデルフトに生まれ、描いた絵は生涯37枚しか残っていない。日常的な題材を象徴的な美にまで高める才能、寡黙な世界、技術的な完成度は見る者を引きずり込まずにはいられない様だ。

著者朽木ゆり子氏はニューヨーク在住のジャーナリストである。国際基督教大学を卒業後、コロンビア大学に留学、雑誌の日本版の編集長などをしながら、1994年よりニューヨークで生活している。著書に「盗まれたフェルメール」、「パルテノンスキャンダル」、「謎解きフェルメール」(いずれも新潮社)がある。2004年12月から2005年1月にかけて集英社の雑誌に連載するためフェルメール全点踏破の旅という企画に乗った。全点を見るという目的には4点を見られなかったので、全点踏破はかなわなかったようだ。著者の目はジャーナリストという職業柄、どうしても下世話な話題から入るのが特徴である。同時代作家との比較とか、美術史上の位置づけとかには興味はなく、絵画の盗難、オークションや所有者の変遷、美術館などに関心を持つ。本書の絵画の配列も、自分が見た美術館と展覧会のくくりで並べられており、制作年代順ではない。展覧会に貸し出し中ということもあり、所蔵美術館が前後している場合もある。美術館の旅が趣旨であるのでやむをえない。

フェルメールは37枚の作品を描いたといわれるが、34枚は世界の専門家が大筋で本人の筆であると合意している。「フルートを持つ女」、「聖女プラクセデス」の2点についてはフェルメールの作品と考えるには無理があるという点で世界の専門家が大筋で合意している。37枚目の作品「ヴァージナルの前に座る若い女」はこれまで「贋作」といわれていたが、2004年のオークションで32億円で落札された。真贋問題には商売もからんでいるようだ。フェルメールの作品が日本人に受け入れやすい理由として、宗教画でないことと、中世的寓意や象徴性が比較的稀薄である事が上げられる。主題が分りやすいことが特徴である。なお著者は絵画の専門家ではないので、小林頼子「フェルメール論」(八坂書房)を参考にしたといっている。フェルメールの旅とは、2/3の作品を持つ欧州と、1/3の作品を持つアメリカの都市の歴史とフェルメールの絵の歴史が交差するのではないかという期待を持っておこなわれた。

このオランダの16世紀から17世紀にかけて絵画の歴史をおさらいしておこう。16世紀は全体的に宗教改革の嵐が吹き荒れていた時期であった。1517年にマルティン・ルターがドイツでカトリック教会の免罪符販売を批判したことがきっかけで宗教改革運動が広がった。カルビンは禁欲的な協会改革を進め、カトリック教会で盛んであった聖像の製作や偶像崇拝を徹底的に排斥し、聖人画や聖母子像などをすべて禁止した。この動きはヨーロッパ各地に波及して、オランダもカルヴィン派の勢力が強く、16世紀中頃聖像破壊運動が起った。デルフトでも教会破壊が進んだ。1556年オランダ地方がスペイン領となるや、カルヴィン派が主流だったネーデルランドにカトリック信仰が復活した。1581年にスペインからの独立運動がおきユトレヒト同盟はネーデルランド連邦共和国(現在のオランダ王国)が独立した。南のアラス同盟はスペイン支配下で現在のベルギーが独立した。最終的には1648年にミュンスター講和でスペインはオランダの独立を認めた。経済の中心はアムステルダムに移って、オランダ領東インド会社ができ、商業金融の中心地となった。こうして17世紀はオランダの17世紀は黄金時代と呼ばれた。江戸幕府は日本の長崎平戸出島に外国としては唯一オランダの商館建設と貿易を許した。17世紀の聖像破壊運動は収まったが、オランダのプロテスタント教会は芸術を切り捨てた。こうして芸術のクライアントは教会から裕福な商人になった。宮廷の歴史画や教会の宗教画ではなく、商人は自宅を飾る親しみやすい絵画を求めた。日常的身近なテーマの絵が描かれた。風景画、静物画、風俗画など新しいジャンルが生まれた。依然は宮廷や教会の依頼という注文で成り立っていた美術市場は、不特定多数の買い手に向けて絵を描くように変化した。17世紀後半には美術市場は隆盛を見るようになったが、17世紀中頃の英蘭戦争から1672年フランスルイ14世から侵略されオランダの国力は衰退した。これによって17世紀のオランダ芸術の黄金期は終りを告げた。フェルメールは1675年に死亡するので、辛うじて黄金期に属する事ができたといえる。


フェルメール絵画1: 「真珠の首飾り」(推定1662-65)  ドイツ ベルリン国立絵画館

真珠の首飾り

「真珠の首飾り」と「紳士とワインを飲む女」を所蔵するベルリン国立絵画館はポッツダム広場の文化フォーラムにある。「真珠の首飾り」はフェルメールの最高傑作の一枚といってもいい。1662-65年の間に描かれたと推測される。フェルメールの女性単身画の特徴は、左の窓から差し込む光が女性やさまざまなものに反射する柔らかい金色の世界という構図である。壁にかかった鏡を見て少女は真珠の首飾りを結ぼうとしているが、鏡が小さすぎるなどおかしな点はある。マリアの受胎告知に例える人もいる。隠れ宗教画というわけだ。16世紀から17世紀のオランダはプロテスタントの宗教改革で偶像崇拝を禁じており、オランダでは宗教画は下火であった。










フェルメール絵画2: 「紳士とワインを飲む女」  ドイツ ベルリン国立絵画館

紳士とワインを飲む女

「紳士とワインを飲む女」はフェルメールの初期の作品である。この画は分りにくいが寓意が一定の役割を演じている。椅子にある楽器は愛の小道具、ステンドグラスの馬具は拘束を意味する「節度」の寓意である。二人が飲酒や愛に溺れないように節度を持ちなさいと云う寓意である。「真珠の首飾り」も「紳士とワインを飲む女」も風俗画といわれるジャンルに属する。フェルメールは厳密な意味での肖像画を描いていない。肖像画は依頼主から受注してから描くものである。不特定多数の絵画市場の客を相手に売るわけであるが、フェルメールにはやはり何人かのパトロンはいた。1695年21枚のフェルメール作品が売りに出されたという記録がある。著者は具体的にバイヤーの手を変遷していく様子を追いかけているが、私には興味はないので省略する。






フェルメール絵画3: 「取り持ち女」(1656)  ドイツ ドレスデン アルテマイスター絵画館

取り持ち女

フェルメールの絵で画に日付けが入っていて特定できるものは3枚しかない。これはその内の1枚である。1656年の作である。「取り持ち女」とは売春婦を仲介する「女衒」という意味である。絵ですぐ分るように右の売春婦の女の手に銭を渡している男が客である。「取り持ち女」は客の左にいる黒い装束の女である。この絵が売春婦の風俗を描くためというのはあまりに表面的で、小林頼子が云うように聖書「ルカ伝」の「放蕩息子」の戒めという教訓画であると理解するのが順当である。売春婦を中心として強烈な光が当てられ、女と客は赤を主調として色彩で、「取り持ち女」と第3の男は黒を主調とした闇の世界を現している。明暗効果を利用した三次元的な演出と、中心人物を前面に配置する事で真に迫った構成となっている。これをカラヴァッジオ様式というらしい。










フェルメール絵画4: 「窓辺で手紙を読む女」(推定1658-59)  ドイツ ドレスデン アルテマイスター絵画館

窓辺で手紙を読む女

フェルメールの初期の作品である。この絵でフェルメールは大きな転換点を迎えたとされる。この絵に始まって、フェルメールは画面の左からの光が入ってくる部屋の中で女性が一人佇むという彼の定番の構図を確立したようだ。その光はカラヴァッジオ様式のような強い光ではなく、ソフトで平明な光が導入された。この絵の壁には当初はキューピッドの絵があったとX線写真からわかっている。愛の寓意であるキューピッドからこの手紙はラブレターである事が暗示される。フェルメールの絵では塗りつぶして消そうとしているが、完全に消えていないところがある。何かあったなと分らせようとしているのだろうか。右のカーテンを大仰に引いているのが画面に奥行きと単純化をもたらしている。絵の要素を引き算して工夫をしているようだ。単純化によって静粛な雰囲気が出てきます。手前のテーブルの上の果物皿が傾いて果物がこぼれているのが唯一の動きです。これを心の動揺だと暗示させているようです。左上の赤いカーテンから光と風が入り込んでいる静かなひと時に、女の心が動いているようです。この絵は最初レンブラントの絵として流通していたが、フェルメールの絵とされたのは1858年だそうだ。



フェルメール絵画5: 「二人の紳士と女」(推定1660年)  ドイツ ブラウンシュバイク アントン・ウルリッヒ公美術館

二人の紳士と女

ブラウンシュバイク公国のアントン・ウルリッヒ大公(1633-1714)は美術に見識の深い人物で、フェルメールの絵を購入した。一時ナポレオンに美術品を奪われたが、ナポレオン追放後に返還された。1887年にアントン・ウルリッヒ公美術館が建設されて収納された。フェルメールの「二人の紳士と女」の絵は、ドイツ・ベルリン国立絵画館の「紳士とワインを飲む女」の絵と構図が極めてよく似ており、「紳士とワインを飲む女」の絵の後1660年ごろ描かれたと推定されている。 右の赤いドレスの女の顔には抜け目のない表情が見える。誘いをかける男に対して、笑っている女の顔には品がない。画面には赤と白の布のコントラストが鮮やかで、全体の色調も明るい。その反面女の顔半分は影になっており、男の顔全体も影に隠れている。衣類やテーブルクロスの質感は柔らかで、光の扱い方が一段と巧になった。不思議なのは女の右手は細くしなやかにもえるが、右手はまるで棒のように動きがない。光がソフトで質感が豊かに描かれ、立体的構図(遠近)も見事である。壁の絵画と窓のステンドグラスという道具立ても定番である。



フェルメール絵画6: 「絵画芸術」  オーストリア ウイーン美術史美術館

絵画芸術

ハプスブルグ家代々のコレクションの集大成を展示するウイーン美術史美術館は1891年に開館した。フェルメールの「絵画芸術」はこのハプスブルグ家代々のコレクションを飾るにはもってこいの作品である。壁の大きな絵はハプスブルグ家の支配する領地の地図である。しかしこの絵はハプスブルグ家のものではなかった。この絵の来歴は長い間不明で、転々と所有者は変わったが1813年フェルメールの作と認定された。一時ヒットラーに奪われたが、1949年の裁判でウイーン美術史美術館に展示される事になり、1958年には同館の所蔵品となった。「絵画芸術」は一見すると変な絵である。女がなぜトランペットと本を持ってポーズをとるのか。小道具が多すぎるてごちゃごちゃしている。少ない要素であれだけ完成度の高い絵を描いてきたフェルメールがどうして中期にこのような絵を描いたのか。上には豪華なシャンデリアが天上から垂れ下がっている。そういう意味でこの絵はフェルメールの絵の中でも寓意が主役を演じている数少ない絵の一つだ。描かれている女性は歴史の女神クリオで、菩提樹の冠をかぶり、名声を意味するトランペットを持ち、歴史を意味する分厚い本を抱えているのである。背中をみせて絵を描いている画家は歴史画の画家である。位の高い絵画を描いているので、画家の衣裳は貴族のように立派に描かれている。地図はハプスブルグ帝国の領土で欧州文化の中心で、シャンデリアは美術工芸品の粋であった。テーブルの上の石膏像は模倣の象徴である。つまりこの絵の目的は、画家という職業と絵の崇高さを讃えるためである。風俗画にこんな狙いをこめるフェルメール独特のひねり技であろう。



フェルメール絵画7: 「小路」(推定1650年) (53.5×43.5cm)  オランダ アムステルダム国立美術館

小路

フェルメールの絵には風景画といえるのは生まれ故郷を描いた「小路」と「デルフト展望」の2枚しかない。2枚とも大変な名作である。小さな画面に大きな世界を表現するのがうまい。つまり極めて精緻な絵である。そこには穏かなオランダの小都市デルフトの日常世界が描きだれている。小さな絵の中にも、少女、働く女性があかいれんが壁と白い漆喰の色のコントラストの中で往来するのである。壁から暗い屋根を経て自然と空へ向かう遠近法は見事である。風俗画の延長からこのような均整の取れた風景画を描けるフェルメールの腕は確かである。さまざまな素材感が描き分けられている。レンガ、金属の取手、漆喰、木製の雨戸などの質感が一目でわかるのである。人物に用いられた色彩の配置も見事である。少女のくすんだ黄色と縫い物をする女の袖口の黄色と赤、掃除をしている女の赤茶色。「小路」がデルフトの何処を描いたのかについては諸説紛々で、とにかくフェルメールの生まれた家の近くであろうか。フェルメールの生家とされるところは宿屋「飛ぶ狐亭」といわれる。





フェルメール絵画8: 「牛乳を注ぐ女」  オランダ アムステルダム国立美術館

牛乳を注ぐ女

アムステルダム国立美術館は「牛乳を注ぐ女」 のほかに、「恋文」、「青衣の女」の3点を所蔵する。アムステルダム国立美術館はオランダ美術の宝庫である。女性単身像としては典型的なフェルメールの構図である。「窓辺で手紙を読む女」の次に描かれたといわれる。堂々とした女性の体格には豊で安定した雰囲気がある。パンや容器にも豊かさを感じる。美しいドレスを着た女性ではなく、ミルクを注ぐという行為に集中する日常的な姿を描いている。構図は極端に左に片寄っている。画面の真ん中に女性がいて、左にすべての要素が集められている。右側は壁だけで、右下にある足温器は情熱を暗示する小道具である。右下の床のタイルには小さくてよく分らないが、キューピットの模様がある。確かに寓意の意匠は書いてあるのだが作者の意図ははっきりしない。またテーブルの形が逆透視図法(手前の幅が小さく奥が広い)になっており、フェルメールの意図は全く分らない。女性の黄色の上着と赤のスカートと青のエプロンのコントラストは交通信号のように明確である。そして見る人の目を手前のテーブル上の小道具から牛乳の白い滝の流れに釘付けしている。見事な構図である。




フェルメール絵画9: 「恋文」(推定1669-71)  オランダ アムステルダム国立美術館

恋文

フェルメールの晩年の作品である。画中画が海の絵であるので、静かな海なら恋愛も順風満帆、荒れている海なら愛は実らないとされる。この絵はヨットが帆に風を受けて走る様子なので、恋文は良い知らせなのであろうか。絵は極端な区分がなされ、手前は左右とも手前の部屋とドアーを薄暗く描き、隣の部屋から女性たちの部屋をのぞき見る構図と成っている。そういう意味ではフェルメールにしては複雑な設定である。二人の女性は光によって照らし出され、意味ありげな視線を交差させている。右の若い女性はリュートの練習中に左の召使の女性から手紙を渡されたようだ。同じ設定は「女と召使」にも見られる。「女と召使」では恋の成就は不明であるが、この「恋文」では順調な恋のやり取りであろう。手前のドアーや棚の楽譜、上のカーテンなどの描き方が雑然としており、もっと暗くするか、カーテンで全面的に隠すかしたほうがきれいに見えるだろう。この絵に関して1970年ブルッセルでおきた「恋文」強盗事件が起きている。著者はその経緯を、朽木ゆり子著「盗まれたフェルメール」に小説仕立てにした。東パキスタンの難民支援に絵を人質にとって義捐金を強要した事件であった。犯人は絵を額縁からナイフで切り取って、丸めてポケットに突っ込んだため、絵は大きく損傷した。修復されたが絵は一回り小さくなり、修復部分は当時の絵の具ではない。



フェルメール絵画10: 「青衣の女」(46.6×39.1cm)  オランダ アムステルダム国立美術館

青衣の女

「青衣の女」は小さい絵ながら,無限の広がりを感じさせる絵である。「真珠の首飾り」、「窓辺で水差しを持つ女」、「天秤を持つ女」などと同じ頃に描かれた。フェルメールの頂点とも言える女性単身像の祈りと瞑想の世界である。手紙を読む女性の脳裏にはどんな思いがよぎっているのだろうかと見る人をして思わざるをない作品である。「真珠の首飾り」とともにフェルメールの最高傑作と呼び声の高い作品だ。「窓辺で手紙を読む女」と同じテーマではあるが、大分違う印象をあたえる。「窓辺で手紙を読む女」の色調は赤から薄い茶色であるが、「青衣の女」の色調は青から薄いセピア色の世界で、しかもフェルメール定番の左の窓がない。カーテンや窓などという日常世界のものさしを排除して単純化し、深い瞑想の世界へいざなうのである。女性は非常にだぶだぶの服を着て頭の小さい三角形を作っている。妊娠している女性との説があるが、どうもはっきりしない。手前の布の暗い青から始まって、青のグラデェーションは椅子から女性の上着、そして壁にも青の痕跡がある。すべてに青が介在する事で均質になるが現実性は失われ、仮想の世界に入るのである。そして極めつけは女性の手紙を持つ手である。手の指に力がこめられれているようで、半分口を明けているのは、手紙の内容が予想外な事で茫然自失しているのだろうか。指に光を当てそこに見る人の目の焦点を結ばせるのはやはり天才の技であろう。



フェルメール絵画11: 「真珠の耳飾りの女」  オランダ ハーグ マウリッツハイス美術館

真珠の耳飾りの女

ハーグのマウリッツハイス美術館には「真珠の耳飾りの女」、「デルフト展望」、「ダイアナとニンフたち」という3枚のフェルメール作品がある。「真珠の耳飾りの女」という作品は今やフェルメールの絵の中で最も有名な絵になった。1881年のオークションでこの絵は破格の安値で落札された。これをフェルメール作と認める人がオークションに参加しなかったためである。「真珠の耳飾りの女」のモデルの少女を物語にした映画や小説がヒットしたため、この少女は世界中の人気者になった。はたしてこの絵にモデルがいたのだろうか。なぜこれほど人々の関心を引いたのかといえば、それは少女の投げかける視線の親密さに原因がある。この視線が色々な物語を生むのである。この絵は肖像画ポートレートではない、むしろ写真でいえばスナップである。肖像画ではないからモデルは特定する意味はない。肖像画は依頼主を写実的で嘘でもいいから美人に、威厳を持って、上品に描くものである。服装も黒っぽいフォーマルなドレスや貴人服、軍服を着ている。17世紀のオランダで風俗画には人物の半身像がある。その人物は不特定の人物という意味で「トローニー」と呼ばれる。特定の人物を描く肖像画ではないという意味である。宗教画や歴史画に登場する人物像の習作だった。トローニーとしてのモデルは身近な人が選ばれた。誰かは分らない。少女の黄色の服と白の襟、青と黄色のコントラストの頭部で色調は全て決定される。真珠の輝きがメタリックである。色は極めて単純で、殆ど構図はない。振り向いた視線にだけに集中させるところはにくい。京都の永観堂の見返り阿弥陀の視線もこうだったのか。



フェルメール絵画12: 「デルフト展望」  オランダ ハーグ マウリッツハイス美術館

デルフト展望

絵の中の時計塔の時刻が7時10分を指しているので、デルフトを南から見た夏の朝の光景である。スヒー運河の対岸にあった家の2階からカメラ・オブスクーラ(暗箱)の助けを得てスケッチしたと専門家は推測している。しかし建物の高さや影の長さを変えたりしている。影を強調することで絵に重みが加わり横の線ばかりの絵に縦の線が加わった。フェルメールは風景画において必ずしも写実的に描写しただけではなかった。「デルフト展望」はフェルメールの名を有名にした。1866年美術評論家テオフィーレ・トレは論文で、フェルメールを「忘れられていた天才」と形容した。この論文によってフェルメールはヨーロッパで知られるようになった。トレはこの絵を印象派の先駆けと絶賛した。20世紀に入ってブルースとがこの絵を「世界で最も美しい絵」と形容した。明るい色と光に輝く黄色い壁をそういったのだ。17世紀のオランダの風景画にしては空と水の分量が非常に多いには異例である。







フェルメール絵画13: 「ダイアナとニンフたち」(推定1653-54)  オランダ ハーグ マウリッツハイス美術館

ダイアナとニンフたち

マウリッツハイス美術館は最初この絵をマース作として購入したが、それは偽の署名で下からフェルメールの署名が出てきた。「マルタとマリアの家のキリスト」との類似性からフェルメールの作と断定された。 製作時期は「マルタとマリアの家のキリスト」との成熟度比較から諸説紛々であるが、リケドはこれを「マルタとマリアの家のキリスト」の前1653-54と推定した。フェルメールの初期に属する。いずれにせよフェルメールはこのような神話的・宗教的な内容を持った歴史画から出発したのだろう。ダイアナは狩の女神で、月の神でもあり純潔の象徴である。ダイアナをテーマにした絵には狩り姿、ニンフとの水浴シーンなど幾つかのパターンがあっていずれも裸体か半裸体で描かれる事が多いのだが、フェルメールの絵は画面の右端の女性が背中を見せているだけである。それでもフェルメールでは唯一の女性の半裸体画である。この絵は19世紀に背景の黒い森が青い空に換えられていることがわかり、削除されてもとの黒い森となった。地面に置かれた金属製の水盤は純潔のしるしであり、また足を拭く動作はキリストの足を拭く動作を思わせて、宗教画の忠節・純潔が感じられる。



フェルメール絵画14: 「手紙を書く女」(推定1665-66)  米国 ワシントン・ナショナルギャラリー

手紙を書く女

「手紙を書く女」は女性の満ち足りた表情や気品が、他の作品とは全く違っている。無表情で誇張もされていない。表情は自然で軽い微笑みが幸せを予感させてくれるようだ。テーブルの上におかれた真珠のネックレスに光が反射する様子は実に神々しく美しい。光はスポットライトのように人物だけに当てられており、部屋全体は暗い。彼女だけが発光体のように柔らかく輝いているのである。「手紙を書く女」は1665-66年に描かれたと推定されている。「青衣の女」や「真珠の首飾り」の後になる。画中画は暗くてよく見えないが、ビオラやベースといった楽器が描かれている事から愛の手紙を書いているらしい。愛はうまく進行しているようだ。時代がわかる羽ペンや女性の黄色のガウンを除けば、このポーズは今日でも十分に通用する。フェルメールはたしかに技法の構図もずば抜けているが、上手さから言えばいくらでもうまい画家はいる。しかしフェルメールが今日に訴えるのはやはりその精神性にあるといえる。この女性は誰かと云う下世話な話に熱中するのは馬鹿げているが、額が広すぎることや鼻が細長く、顔立ち・体つきが理想化されていないことからモデルはいたのであろう。フェルメールの妻ではないかという推測に根拠はないがありそうという気になる。あまりに幸福そうで、微妙な表情が描かれていないことから、この絵はほかの絵に較べて人気がない。



フェルメール絵画15: 「窓辺でリュートを弾く女」  米国 ニューヨーク・メトロポリタン美術館

窓辺でリュートを弾く女

「窓辺でリュートを弾く女」 の絵は絵の具の磨耗が激しくて、残念ながら白茶化た色彩感のない絵である。構図は典型的なフェルメールの女性単身像である。左側に窓があり、カーテンが光の入る状況を端的に表し、机と椅子の配置、壁の地図など「真珠の首飾り」や「天秤を持つ女」と同時期に描かれたと推測される。女性はリュートを弾きながら窓の外をじっと見ている。目の動きにいやに活気があるのが不思議だ。壁にかかっているのがヨーロッパ地図で、床にビオラダガンバが横たわっている。楽器は愛の徴なので色々な物語を想像してください。絵の具の磨耗はテーブルかけの布で著しい。また女性の眉毛が殆どなくなっている。若し眉毛があれば美しい女性になっているだろうに残念である。円熟期の作品だけに惜しい。さらにこの絵は来歴情報が少ない。










フェルメール絵画16: 「地理学者」(1669年) (52×45cm)  ドイツ フランクフルト シュテーデル美術館

地理学者

壁にあるフェルメールの署名と1969年の記号で時期は確定している。 「取り持ち女」と同じように絵の中に描いた年代が記入された貴重な例である。この絵は「書斎の学者」という伝統的な主題に従ったものである。女性単身像と同じように、左の窓から入ってくる光、テーブルとカーペット、地理学者はコンパスを持って窓のほうを眺めている。これはもう完全にフェルメールの世界である。女性か男性かの違いだけである。地理学者は活気にあふれ、女性像画の瞑想的な絵とは違った、元気な明るい爽快な絵である。女性画とちがいこの絵には小物が多く描かれ、かつディーテールが鮮やかである。コンパス、地球儀、海図、直角定規、丸めた紙、椅子などが実に詳細に描かれている。小さな絵にこれだけの内容を詰め込むのはたいした腕である。「地理学者」と「天文学者」の絵に出てくる男性主人公の顔立ちがよく似ていることから、誰を描いたのか詮索の的になる。モデルは顕微鏡で有名なアンソニー・ファン・レーウエンフックではないかと盛り上がりを見せている。無論「トローニー」であろうが、17世紀は地理発見(大航海時代)の時代であり、フェルメールの身近にこのような地理学者が存在していたのだろう。



フェルメール絵画17: 「ギターを弾く女」(推定1670年以降)  英国 ロンドン 美術館ケンウッドハウス

ギターを弾く女

イギリスロンドンの高級住宅街の北外れにある美術館ケンウッドハウスは「ギターを弾く女」を所蔵している。ギネスビールの創始者の曾孫でアィビィ伯爵の邸宅が美術館になった。1974年この美術館から「ギターを弾く女」が盗まれる事件が起きた。その後2000年にケンウッドハウスは改修されてすばらしい美術館に変身した。この絵は1670年以降に描かれたと推定されるが、しかし残念なことに絵全体から色彩が飛んでしまっている。保管状態が悪かったのであろうか、末期の作品で精彩がない。女の衣裳は「手紙を書く女」、「窓辺でリュートを弾く女」と同じ白いモールの襟を持つ黄色のガウンである。左から右へしだいに暗くなってゆく構図はフェルメールの定番である。しかし光は右の窓から差し込んで、右の影が長引いている様子はフェルメールには珍しい。壁に前に座っている構図は平面的で奥行きがない。右側の影と光の関係がいまいちすっきりしない。カーテンに光が当らないのも不思議だ。少女の顔はぼやけて立体感に乏しい。特に首から胸にかけての肌色は蒼くて気持ちが悪い。しかし光に輝く手、特に左手は真珠のような輝きをもって美しい。1670年代はフェルメールの晩年期でもはや絵の衰退は隠しようがないといわれている。それにしても40歳ぐらいで精気をなくするのだろうか。「ギターを弾く女」はフェルメールが死んだ時、フェルメール家に残っていた唯一の作品であった。妻はこれをパン屋に借金のかたに売り払った。アィビィコレクション財団はなぜかこの絵を展覧会に貸し出した事はない。



フェルメール絵画18: 「ヴァージナルの前に立つ女」(推定1670年代初め)  英国 ロンドン・ナショナルギャラリー

ヴァージナルの前に立つ女

ロンドン・ナショナルギャラリーは「ヴァージナルの前に立つ女」と「ヴァージナルの前に座る女」の2点を所蔵している。描かれた時期はこの「ヴァージナルの前に立つ女」の方が「ヴァージナルの前に座る女」より前になる。「ヴァージナルの前に立つ女」の絵は、室内に女性が一人立っていて、左の窓から光が差し込むというフェルメール定番の構図であるが、女性が光りに背を向けて居ること、全体的に光りが明るすぎて、光りのグラディエーションが描かれていないこと、影が短い事が定番とは違う点である。窓は日本の障子のように明るい。中央の女性の衣裳からして裕福な家庭のオ女である事は確かである。青のショールとオレンジの飾りを持つ白のブラウスが美しく描かれている。椅子の色も柔らかい青でコーディネートされている。金色のスカートはいかにも上品な質感である。絹のようにも見える。しかし顔の描き方が平坦で、年齢不詳というか若さがない。この絵には画中画が3枚もある。壁中央のキューピッドの絵は愛を象徴する。キューピッドが左手に持つカードには普通「1」という数字が書き込まれているはずなのだが、「一番好き」という寓意はあまりに露骨と考えたのかフェルメールはカードの数字を書き込んでいない。壁の小さな絵とヴァージナルの蓋に描かれた風景画はいずれも穏かなものなので、この愛は順風であろうとわかる。女性の純潔さを教える教訓画みたいなものだ。



フェルメール絵画19: 「ヴァージナルの前に座る女」(推定1675年ごろ)  英国 ロンドン・ナショナルギャラリー

ヴァージナルの前に座る女

「ヴァージナルの前に座る女」の絵はフェルメール最晩年の絵である。フェルメール定番の構図でありながら、「ヴァージナルの前に立つ女」の女性の衣服の質感が見事に描かれているのに、この「ヴァージナルの前に座る女」の女性の衣裳はごわごわで質感がおかしい。まるで厚手のカーテンを身にまとっているように見える。描きこみが足らないのである。この絵のテーマはヴィオラダ・ガンバとヴァージナルという楽器であるので典型的な純愛を象徴する絵である事は、「ヴァージナルの前に立つ女」に同じである。しかし画中画の描きこみがお粗末である。省略しすぎて、面倒だといわんばかりである。壁の絵はバビューレンの「取り持ち女」である。売春婦と純潔の愛を共存して描く事で見る物の判断を迷わせているようだ。「ヴァージナルの前に立つ女」と「ヴァージナルの前に座る女」の2枚の絵は、持ち主を転々と変えながら、最期にイギリスの画商が買って、ナショナル・ギャラリーの買うところとなった。最晩年にフェルメールはなぜこのような寓意の相反する解釈不能の絵と、やっつけ仕事のような絵を書いたのだろうか。生活が苦しかったのかもしれない。フェリメールが死んだ後、妻がパン屋の借金のかたにするくらいだから。



フェルメール絵画20: 「天文学者」(1668年)  フランス パリ ルーブル美術館

天文学者

パリ ルーブル美術館 オランダ絵画セクションには「天文学者」と「レースを編む女」の2枚の絵がある。額縁がいいと朽木ゆり子氏はいう。装飾だらけの金額縁ではなく、アールデコ風のすっきりしたデザインが気に入ったらしい。ロッテルダムにある「地理学者」が新進気鋭の学者というなら、ルーブルの「天文学者」には深い老練な智恵が感じられる。「天文学者」では人物の輪郭はソフトである。窓から入る光は柔らかい黄色味を帯びている。セピア色の光で、室内全体がほの暗い。暗くて分りにくいが、この絵には年代が入っている。1668年である。絵の人物の詮索は「トローニー」ということで、誰ともいわないでおこう。この絵もやはり「書斎の学者」という主題を踏襲したものである。天球儀はオランダの製作によるもので、星座の早見表がついている。手前に拡げられた本の書名やページ数までわかるように描かれている。本と窓の間にある器具は天体観測儀であるそうだ。こういった天文学の小道具をフェルメールに教えた(貸した)人物はレーウエンフックではないかと推測されている。そしてこの絵の依頼主も彼ではないかと推測されている。暗くてよく見えないが、画中画は「モーゼの発見」という主題であるそうだ。旧約聖書の出エジプト記の指導者モーゼが川で拾われる絵である。新しい知識を拾い上げるという意味と、宗教の神に通じる意味とが云々されているが決めてはない。緑のガウンを着た天文学者と机の布が同じ配色で薄暗さを演出し、地球儀と本と学者の顔と手に光が当る効果を倍増させる。1940年パリに進駐したヒットラーがこの絵をロートシルド家から奪いオーストリアの岩塩鉱山に隠匿した。戦後回収され1982年にルーブルに寄贈された。「天文学者」と「地理学者」の絵はいつも並べて展示される事が多いが、対にして描かれたわけではない。主題が同じだけである。



フェルメール絵画21: 「レースを編む女」 (23.9×20.5cm) フランス パリ ルーブル美術館  

レースを編む女

「レースを編む女」は小さな、愛らしい絵である。宗教画や歴史画が大きいのは、それによって威厳や雄大さを誇張するためで、この絵はやはりこれくらいの小ささがぴったりの絵である。フェルメールの絵は全般に皆小型である。「レースを編む女」はこのサイズだけで、親しみやすさそして珠玉のような優美さを感じさせる。オランダの風俗画の主題として編み物は女性の典型的行為である。時代はそれを奨励する意図があったようだ。一切の背景を省いた構図はひたすら編み物に集中する女性の姿を描き切っている。静かな午後の柔らかい日差しが漂っている。右から差し込む光は壁の色彩を淡い色にして、少女の黄色の衣服を溶かし込んでいる。中央から右は黄色から薄い茶色の世界で、手前の布と糸が存在感を露にしている。この小さな絵でも手前から壁に向っての遠近感が表現されているのは見事である。少女のおでこには光が当り、口元あたりは陰になっている。頭にはリボンもイヤリング持ついけていない質素な少女である。手前は濃いグリーンのカーペットと白と赤の糸がいやに強調されている。1954年依頼されて奇才ダリがこの絵の複製を描いた。すばらしい技術で鮮やかな絵を描いた。おまけに「偏執狂的・批判的習作」と題した「レースを編む女」を残した。ダリの才能はすばらしい。



フェルメール絵画22: 「マルタとマリアの家のキリスト」(推定1654-55年) (160×142cm) 英国 スコットランド国立美術館 

マルタとマリアの家のキリスト

エジンバラ城の近くにあるスコットランド美術館はルネッサンスから印象派まで幅広くコレクションを持っている。「マルタとマリアの家のキリスト」はフェルメールの作品中最も大きな作品で(160×142cm)、かつ初期の(1654-55年)宗教画である。フェルメールは画家として初期には歴史画を書いてスタートした。したがって後の風俗画とは絵の大きさやタッチが異なる。当時は歴史画は格の高い絵と見られていた。 「絵画芸術」に見たように、画家まで偉そうな貴族然とした服装をしているのは滑稽である。しかし歴史画は依頼者が少なく、飯を食う事はできなかったようで風俗画に生きてゆく決心をする。若い時のフェルメールを垣間見る作品である。「マルタとマリアの家のキリスト」は聖書ルカ伝に書かれている物語である。キリストが遊びに来ているマルタの家で妹のマリアが熱心にキリストの話を聞いている時、家事をしている姉のマルタが小言をいうと、キリストは「しなくていけない事は多くない。マリアは大切な事をしているのだ」と諭した。ところが絵の中心にはマルタがいる。最も光を当てられて白の衣裳で明るいのはマルタである。マリアは影で暗緑色のスカートで沈ませている。キリストも暗い青の布を膝にかけ茶色の服で背景に溶け込みそうである。光の当て方はマルタ、マリア、キリストの順である。ここが従来の宗教画とは違うところである。主従が逆転している。かいがいしく働く事が女性の美徳といわんばかりである。キリストの言と反対のことを主張しているである。



フェルメール絵画23: 「天秤を持つ女」(1662-65)  米国 ワシントン・ナショナルギャラリー

天秤を持つ女

ワシントン・ナショナルギャラリーはアンドリュー・メロンという金融資本家で財務長官を務めた人物一人の力で設立された。彼は56年間ナショナルギャラリーに展示する構想で絵を募集し、ついに1936年にすべての絵と、そして建物建設資金・運営資金までアメリカ政府に寄付した。工事が完成したのは1941年であった。メロン一族はエルミタージュ美術館よりラファエロなどの絵を購入し、ナショナルギャラリーにいれる絵は今後この程度の質の絵でないといけないと範を示した。恐るべき資本力である。芸術品も運動選手も最高のものは、結局は一番金を持っている国に移動するという原則が示された。いま一番高い芸術品を持っているのはアメリカであろう。ナショナルギャラリーが所蔵するフェルメールの絵は「手紙を書く女」、「天秤を持つ女」、「赤い帽子の女」、「フルートを持つ女」の4枚である。「天秤を持つ女」はワイドナーが1942年に寄贈したものだ。不思議にこの絵の所有者の来歴ははっきりしている。この絵の構図もフェルメール定番の構図である。「青衣の女」や「真珠の首飾り」と同じ1662-65年ごろに描かれたと推定される。室内にいる単身の女性の立ち姿で、テーブル上で天秤のバランスを取る行為に集中している。絵の左に窓があるが、鎧戸は閉まっており,僅かな隙間から漏れ来る光がテーブルの上の宝石箱の真珠や天秤を光らせている。女性の衣服も黒に近い色で、室内は薄暗い。画中画は「最後の審判」である。大天使ミカエルが死者の魂を天秤にかけているはずだ。行いの正しかった人を天国に送るという審判である。その審判を薄くらい部屋で女性がおこなっている。女性の衣服が余裕がありすぎるのか、しかしお腹の部分がいやに膨らんでいるのは妊娠しているのか。何か身近なところで審判がおこなわれているようだ。



フェルメール絵画24: 「赤い帽子の女」  米国 ワシントン・ナショナルギャラリー (22.8×18cm)

赤い帽子の女

「赤い帽子の女」の女性は「トローニー」で肖像画ではない。赤い帽子にイヤリングをしているのだから女性なのであろう。しかしその顔はどう見ても男だ。とくに目と眉毛の間が広く変な顔である。口はだらしなく開いている。この程度の女は世間にはざらにいるのだから、難癖をつけるわけではないが絵にする顔ではないと思う。フェルメール自身の顔ではないかと邪推する人もいる。1925年にパリ国立美術学校の学芸員がある貴族の屋敷でこの絵を見てフェルメールの絵だと判定した。その直後メロンは高額でこの絵を買い取った。「赤い帽子の女」、「フルートを持つ女」の2枚の絵はフェルメールの絵だと世界中が認めているわけではない。ただこの絵が印象的なのは、赤と青の色彩のコントラストである。赤から青に移る過程に顔が存在する。色彩はそれだけで極めて単純である。全体が暗いのではえるのである。背景はお粗末なくらい簡単化されて色彩はない。







フェルメール絵画25: 「フルートを持つ女」  米国 ワシントン・ナショナルギャラリー (20×17.8cm)

フルートを持つ女

「フルートを持つ女」は保存状態が悪く、何度も修復された形跡があり、フェルメールの作品かどうか疑わしいとされている。1906年ブレデウスがブリュッセルの旧家のコレクションをみてフェルメールの絵だと判定した。1942年にナショナルギャラリーに買い取られた。「フルートを持つ女」と「赤い帽子の女」はよく似た絵である。両方とも色は違うが帽子をかぶり、横顔か正面かという違いはあるが、机に肘をついた上半身像である。私には「フルートを持つ女」と「赤い帽子の女」の二人の女性は同一人物であると思う。目と眉毛の間が広すぎることと口をだらしなくあけているところがぴったり同じである。真贋論争は今も続いており、絵の具の材料判定から真作だと云う人もいれば、フェルメールが死んでから、未完の絵を力のない画家が完成させたという説もある。まるでモーツアルトの「レクイエム」と同じような論争である。結局はこの絵の完成度はどうかということにつきるのではないか。これまで描いてきた女性の質と違いすぎる事が問題である。






フェルメール絵画26: 「ヴァージナルの前に座る若い女」(25×20cm) (推測1670年頃) 個人所蔵 

ヴァージナルの前に座る若い女

この小さな絵が2004年約32億円で落札された事で話題になった。落札した個人コレクターは誰かはわかっていない。フィラデルフィア美術館に貸し出されたいきさつも分らない。黄色いショールを身につけた女性がヴァージナルの前に座ってカメラポーズをとっている。頭には赤いリボン紐、顔つきは日本人形のようにかわいい。ドレスは余裕のある布で柔らかく包んでいる。構図が単純でそれ以外何も考える必要がない。紛れもなくフェルメールの構図なのだが、全体に色彩の生気がない。10年をかけて8人の委員会でさらに調査と修復作業がおこなわれ、キャンパスの布や絵の具の材料からフェルメールの作であると判定した。



フェルメール絵27: 「兵士と笑う女」(推定1658-59年)  米国 ニューヨーク フリックコレクション 

兵士と笑う女

ニューヨーク フリックコレクションは世界でも屈指の邸宅美術館である。ここにフェルメールの絵「兵士と笑う女」と「稽古の中断」、「女と召使」の3枚がかかっている。どの絵にもガラスでカバーせずに展示してあるので、自然な状態で見る事が出来る。フリックはカーネギーと一緒にカーネギー製鋼を設立した。子供が早死にして深い傷を負ったフリックはめげずにやがてUSスチールを起こして巨万の富を築いた。そのフリックが気に入った絵の一枚がこの「兵士と笑う女」であったという。女性が死んだ娘に似ていたかららしい。明るくて柔らかい絵である。左側の窓とカーテンから光が入って、部屋と右の頭巾を着た若い女を照らしているというフェルメール定番の構図である。手前の赤い服を着た兵士は逆光になって顔は見えない。光は全体にソフトで、女性の顔も健康的で笑顔がかわいい。窓ガラスを通して入ってくる光と、上のカーテンを通して入ってくる光の2種類が部屋の中で地図や壁、女性の顔や手、ワイングラスなどに反射する様子が丁寧に描き分けられている。とても美しい絵であろう。女性の黄色のドレスがとても豪華に見える。男女がワインを飲む風俗画はあまり芳しくない雰囲気を想像させる。逆にそのようなことをしてはいけないという教訓画でもあった。しかしなぜかフェルメールの絵にはそのようないかがわしいところはない。女性は楽しそうに笑っている。男性は客というより父親といってもいいくらいである。



フェルメール絵画28: 「稽古の中断」  米国 ニューヨーク フリックコレクション

稽古の中断

 「稽古の中断」の保存状態が悪かったらしく、絵の具の磨耗が激しくて精彩に欠ける。壁にかかった絵は暗くてよく分らないが、カードを持つキューピッドである。左の窓から光が差し込み女性と男を照らしいるのはフェルメール定番の構図である。壁の明るさは右へ行くほど明るく、テーブルの上の磁器の染付けが真珠のように光っているのが美しい。テーブルの上には楽器がおいてあり、絵の寓意とあわせて典型的な男女の愛を描いた絵と解釈される。ところが女性は子供のように若い。フリックが自宅に飾ったのはやはり亡くなった娘の追憶からではないだろうか。寓意をどう見るより個人の感情のほうが優先するのだろう。楽器の稽古を中断してみているのはどうもテーブルの上にある楽譜ではないようだ。これが楽譜なら男は音楽の先生であろう。物語はともかく、女の白い頭巾、赤い服、男の大げさなマントの質感に精彩がないのが残念である。



フェルメール絵画29: 「女と召使」(推定1667-68年) (90.2×78.7cm) 米国 ニューヨーク フリックコレクション

女と召使

「女と召使」はフェルメールの絵では異例に大きい。構図は「手紙を書く女」とよく似ているが、特に女の着ている衣服が全く同じである。肩にある絞りのしわまで同じである。ただ登場人物が「女と召使」は二人で、「手紙を書く女」は一人である。「女と召使」の背景は濃い茶色のカーテンで覆われていて、全面的に光が吸収されているのが異例である。見えるのは女と女中とテーブルだけである。女中の衣服の褐色も背景に吸収されそうで、テーブルも暗い青色で沈んでいる。色彩は極めて少ない。女が手紙を書いている時に、召使が伝言か何かを持ってくる。女はふと妖しげな不安に襲われる。半分口を開いているのがその不安を表している。テーブルの青い布も女の黄色いガウンもどこか大まかである。しかし私はこの暗い背景に浮かぶ女性の美しさに引かれる。闇の中の白と黄色、透き通るような手の肌色、そして髪を後ろに巻き上げている紐など何をとっても美しいと思う。ニューヨーク フリックコレクションは作品を貸し出さない。この3枚のフェルメールの絵を見たければフリックコレクションに行くしかない。個人の所有なのだから文句は言えないが、芸術品は個人が持つものではなく社会の共有財産である。金ではなく価値が問題なのだから。



フェルメール絵画30: 「窓辺で水差しを持つ女」  米国 ニューヨーク メトロポリタン美術館

窓辺で水差しを持つ女

ニューヨーク メトロポリタン美術館にはフェリメールの絵が5枚ある。いずれも寄贈されたものである。フェルメールは死後200年間忘れられた存在であったのだが、19世紀末フランスの美術評論家トレ・ビュルガーによって再発見され注目を浴びるようになった。アメリカは20世紀に入って、世界の産業・経済の中心として膨大な富を集積し。その財力で美術品を買いあさった。現在フェルメールの絵の1/3はアメリカにある。ヘンリー・マーカンドという銀行家は「窓辺で水差しを持つ女」ほか3枚のフェルメールの絵を買い、全点をメトロポリタン美術館に寄贈した。 「窓辺で水差しを持つ女」の絵は室内に一人の女性が立っている姿を描いているフェルメール定番の構図である。左のステンドグラス風窓から光が差し込み、室内は全般に比較的明るい。オランダの風俗画では身繕いの構図は女性の清さを象徴するための構図とみなされていた。女は化粧か手を洗うための水差しに左手をかけ、右手を窓を開けるようにかけている。水を棄てるためか、これから窓を開けて化粧するためかよくわからない。行為の順序だては別にして、フェルメールが表現しようとしたのは光と色のバランスや調和にあった。紫色のドレスが高貴な女性のように美しく、白い肩掛けと頭巾が清潔そのものである。テーブルの赤いクロスが実に豪華な雰囲気を演出している。壁にかけたヨーロッパ地図は壁に同化しているの気にならない。美しいの一言ですべてが表現できる。特に見事な技法は水盤にテーブルクロスの緋色模様が映りこんでいるところで、にくいまでの腕である。女性が何を考えているかというような物語は想像に任せよう。



フェルメール絵画31: 「眠る女」(推定1656-57)  米国 ニューヨーク メトロポリタン美術館

眠る女

「眠る女」を寄贈したのはデパート経営者ベンジャミン・アルトマンである。1696年に存在は確認されていたがその後200年行方不明になった。1908年にアルトマンが購入しメトロポリタン美術館に寄贈した。この絵は「取り持ち女」の後に描かれたと推定される。構図は扉の向こうに奥まった部屋が見えるというフェルメールでは異例の構図である。テーブルが前面に存在しワイングラスが顛倒して、椅子の配置も乱雑でいかにも女が酔っ払って眠っている様子である。日本で言えば置き火燵に足を突っ込んで居眠りをしている中年女というところだろうか。女の衣服はテーブルクロスと連続した赤色で一体化している。それにしてもこの女の髪型が剃りを入れたようにおかしい。鬘のようでもある。明暗の差が大きく、上の部分は塗りつぶしたように黒い。寓意を示す画中画にはキュピッドと仮面が描かれているようだ。不実の恋と云う主題になる。奥の部屋は意味不明である。フェルメールの寓意はいつも中途半端に終始する。寓意にこだわるようで、いい加減である。奥の部屋に男がいれば俄然寓意が明確になる。エックス写真で調査したところ、奥の部屋には男性が、ドアーのところには番犬が描かれていた。それを塗りつぶしたのである。これがフェルメールの風俗画のオリジナリティというものであるようだ。



フェルメール絵画32: 「少女」(推定1665-67)  米国 ニューヨーク メトロポリタン美術館

少女

この少女の顔は実に面白い。少女でなく少年でもよい。いずれにせよ肖像画ではなく「トローニー」のモデルなのだ。構図の単純なところは有名な「真珠の耳飾りの女」に似ている。背景、ポーズ、こちらを見る視線、スカーフによる髪のまとめかた、イヤリングなどそっくりである。色の配色で私は「真珠の耳飾りの女」に軍配を上げる。「少女」の絵は褐色一色のモノトーンの絵で色の調和は取れているが、変化に乏しい。どちらが好きかはその人の好みである。フェルメールの持つ古典的な傾向を理想化したのが「真珠の耳飾りの女」であるのに対して、「少女」の絵は額が広く、鼻が低く、唇も薄いという現実的な顔(何処にでもいる顔)ということだ。「少女」のほうがキャラクター性があるという点で、トローニーとしては優れたモデルだと云う人も居る。フェルメールの絵の何枚かは、女性の顔の性別があいまいになる時がある。「真珠の耳飾りの女」と「少女」の絵は対として描かれたという説がある。構図や技術的完成度も似ているし、違うのは顔立ちと色彩だけである。私達にどちらが好きと問いかけているようだ。



フェルメール絵画33: 「信仰の寓意」  米国 ニューヨーク メトロポリタン美術館

信仰の寓意

「信仰の寓意」は、フェルメールの絵の中では一番奇妙な絵である。 「マルタとマリアの家のキリスト」という宗教画が描かれて15-18年後、つまり1670年以降ということになる。フェルメール晩年になって、彼としては珍しく露骨に宗教的な寓意だらけの歴史画を書いた。持ち主は転々として、1928年フリードサムが30万ドルで落札した。アメリカの財力は凄まじくフェルメールの絵の価格を吊り上げたものである。光は左の厚手のカーテンに沿って入り込んでいる。この絵の小道具がいたる所に転がっているのでご注意のほどを。胸に手を当てるしぐさは信仰を意味し、胸に信仰が宿すということである。青と白の衣裳は誠実と純潔を意味する。床に転がる石に踏み潰された蛇とリンゴは原罪を意味する。女性は地球儀を踏みつけているのは信仰が世界を支配するいう意味らしい。女が見上げる天井のガラス玉は広大な宇宙を映し出す能力、画中画はキリストの磔の図である。この絵と「聖女プラクセデス」には共通した点がある。それは大げさな身振りと十字架の存在である。オランダのカルビン派は正式な教会を持つ事さえ禁じられた。いわば隠れキリシタンのように自宅にこのような絵を飾るという需要もあったのだろうか。フェルメールは出来るだけ寓意の世界から脱却し、構図と光、色彩という要素で女性の心のうちを描こうとした。なのにこの絵では完全に寓意の世界に逆戻りしている。



今回のフェルメールの旅で見られなかった絵(絵は左より)

フェルメール絵画34:「合奏」(盗難で行方不明)
フェルメール絵画35:「聖女プラクセデス」 個人所有非公開 
フェルメール絵画36:「手紙を書く女と召使」 ダブリン国立美術館
フェルメール絵画37:「音楽の稽古」 英国王室コレクション 

聖女プラクセデス合奏手紙を書く女と召使音楽の稽古

著者は33枚のフェルメールの絵を見る旅を終えた。見る事が出来なかったのは、1990年に盗難にあって今も行方不明の「合奏」、一般公開されていない個人所有の「聖女プラクセデス」、ダブリン国立美術館所蔵の「手紙を書く女と召使」、そしてイギリス王室コレクションでお蔵入りしていた「音楽の稽古」である。左の写真はその順に並べている。






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