私の通った東京の美術館

・・・・この美術館で見てきたもの***日本美術の名作を求める独りよがりな旅・・・・・

美術館へのアクセスは本文中に述べていますが、詳しくはマップファンウエブサイトをクリックしますと美術館を中心とした地図にリンクします。


上野公園エリア

1) 東京国立博物館 地図サイトへ

上野界隈の美術館の入場券は上野駅公園口で売っており、今何の特別展があるかなどの情報がえられる。公園口から上野公園を北へ抜けるように10分ほどあるけば噴水を横目に見て公園を出たところ正面が国立博物館である。入場券を見せて門を入ると広い庭の池をこえて正面が「本館」で、本堂のような堂々たる建築物である。常設展では日本の昔から今までの文化の歴史がわかる様になっている。ここでは特別展は行わない。いつも修学旅行生や小学生で賑わっている。本館右にあるのが「東洋館」であるが、あまり行ったことがない。本館の左が「表慶館」でインド風の建物があり入場はできない。大正天皇の結婚祝いに建てられた。本館の左の道なりにゆくと奥まったところに特別展を行う平成館がある。機能的な建築物である。ほとんどの特別展をこの平成館でみてきた。「ドラクロア展・自由の女神・19世紀前半の日本絵画展」「金と銀」「日本国宝展」「皇室の名宝展」「平成の寄贈品展」「平等院展」「美術の中の子供たち」「大徳寺襖絵展」「雪舟展」「横山大観展・松永耳庵コレクション展」「パキスタン・ガンダーラ彫刻展」「江戸蒔絵展・光琳光悦」などである。そして門を入ってすぐに左折して移設された池田藩上屋敷門の内側を見ながら行くと浅い水を張った近代的な建築物がある。これが「法隆寺宝物館」である。明治維新後廃仏毀釈で破壊を恐れた法隆寺がご機嫌をとるため天皇家へ寄贈した。ほとんどは常設展示物で、小さい金仏像が薄暗い部屋に夥しく展示してある。

2) 国立西洋美術館 地図サイトへ

上野駅公園口から2分ほど歩けば東京文化会館の前の右側に背の低い地下構造の近代的な建築物が見える。阪神淡路大震災を教訓に免震構造に改築されて2000年に新規オープンした。狭い庭にはロダンの「考える人」と「カレーの市民」の彫像が苦痛に苦しんでいる。この美術館のきっかけは松方コレクションにあることはよく知られている。モネの睡蓮など約2000点のヨーロッパの絵画があり常設されているが、特別展もやっている。「オルセー美術館展」、「イタリアルネッサンス美術展」、「プラド美術館展」、「大英博物館所蔵フランス素描展」、「ウインスロップ・コレクション」や最近みたのは「レンブラント展」である。

3) 東京都美術館 地図サイトへ

上野動物園の横のホームレスがテントを張っている森に赤いレンガ建ての半地下式建築物がある。各種美術展場として素人からプロまでの作品がいつも見られる。日展や二科展、院展、国画展など私はいつも定期的通っている。またときおり特別展もやっている。日展、院展は毎年見ている。「聖徳太子展」、「マルクシャガール展」、「ワシントンナショナルギャラリー展」、最近では「狩野探幽展」を見た。特別展は1500円、各種美術展は700円ぐらいで、レストランもある。日展などでは展示物が多くて2段に展示されていたりとにかく疲れることと、部屋の構造がシリーズではなく横に連絡されているのでよく迷うことが玉に瑕である。もう少し展示物を少なくしてゆっくり静かに見学できることが望ましい。

4) 上野の森美術館地図サイトへ

上野駅公園口を出て道を横断してすぐ左の小道を行く。東京文化会館の裏を通って日本芸術院へ行く手前左に黒い怪しげな小屋風建築物がある。これが上野の森美術館だ。素人の写生展示会などもやっている。「MoMAニューヨーク近代美術館名作展」、「日本の自然を画く展」や最近「ピカソの若いときの作品展」でピカソの具象絵画を見た。

5) 日本芸術院地図サイトへ

上野駅公園口を出て道を横断してすぐ左の小道を行くと東京文化会館裏の上野の森美術館を過ぎたところに日本芸術院がある。河合玉堂氏の資金で建立され、日本芸術院賞受賞作品約250点を所蔵している。展示場も小さいのでこの受賞作品から数点が時折展示される。「日本の四季」などを見た。入場は無料だ(金をとるほどの展示はやっていない)。誰も気がつかないのか人気もなく、静かに内庭をみて休息するにはいいところだ。

6) 東京芸術大学美術館地図サイトへ

国立博物館の通りを西へ寛永寺へ行く通りを挟んで両側に東京藝術大学がある。大学美術館は左側の校舎の門をはいればすぐ右にあるレンガの建築物である。芸大の歴史は明治以来日本の美術史そのものであった。芸大出身者の卒業作品を保存し、国宝「絵因果経」や狩野芳崖「悲母観音」、浅井忠「収穫」、高橋由一「鮭」などの名作を所蔵する。日常的には展覧会はやっていないが、「芸大美術館所蔵名品展」、「よみがえる日本画展」、「日本画の百年」などを見た。

7) 横山大観記念館地図サイトへ

右に不忍の池を見て不忍通りを北に向かい中華飯店を過ぎると左に閑静な数奇屋つくりの民家が見える。。これが横山大観の旧居であり、今は記念館となっている。門を入るとすぐ右に蔵があり入場料を払って玄関をくぐると筆や印などの日本画用具陳列棚がある。庭に面した客間には不動明王像があり、同じく庭に面した2間の畳の部屋は大観の遺品やスケッチの作品展示室になっているが、たいしたものはここにはない。作品を見るためではなく古い数奇屋つくりの家を見学に来たと思えばいい。庭の石もたいしたものである。大観の趣味の良さが偲ばれる。

8) 弥生美術館地図サイトへ

地下鉄千代田線「根津駅」を上に出て、言問い通りの坂を本郷通りのほうへ下る。1分ぐらいで弥生式土器発見地の案内版がありそこを左に曲がると東大にはさまれた住宅街を緩やかに下って左側に2つの美術館がならんで存在する。2つの美術館は弁護士鹿野琢見氏が建立された。そのひとつの弥生美術館は主として絵本や挿絵画家の作品収集で知られる。セピア色の昔懐かしい絵本の展示がある。小さな美術館である。一度しか行っていない。

9) 竹下夢路美術館地図サイトへ

もうひとつの美術館が竹下夢路美術館である。本郷にある夢路ゆかりの富士ホテルを模して作られた。夢路のポスター画、色紙、挿絵などセピア色の大正ロマンが色濃く息ついていた。2つの美術館は何気なく見忘れられた人気のない美術館であった。



台東区エリア

10) 朝倉彫塑館 地図サイトへ

山手線(京浜東北線では停車するかどうか不明)の日暮里駅を下車し大きな道路を1,2分歩いて左折し静かな下町住宅街を下る。直ぐ左に大きな洋館が見える。これが日本彫刻界の重鎮朝倉文雄の旧居である。余談だがもう少し下ると岡倉天心の主催した日本美術院跡公園がある。この住宅は大観の純数奇屋つくりとは違ってアトリエがコンクリートの洋館で住まいが数奇屋つくりの日本式の折衷住宅である。そして数奇屋住宅の真中に池を配してすばらしい石をしつらってある。建築物として一見の価値のある実にユニークな旧居である。展覧会はやっていないがアトリエには有名な「墓守」、「大隈重信像」などが林立している。

11) 書道美術館 地図サイトへ

洋画家が建てた洋館の美術館である。日暮里と鶯谷の中間にあるが私は鶯谷から行く。書道美術館とあるからには和紙に書が書いて壁にかざってあると思われるが、あるのは石ばかり。石に字が彫られている中国の書である。おそらく戦争中に中国からせっせと運んだのであろう。展覧会はやっていないが重苦しいほどの石がだまって立っている。見に来る人は誰もいない。さらに余談だが、日暮里駅から線路に沿って北方向にラブホテル街を恥ずかしげに歩いてゆくと正岡子規の旧居があるので、是非行かれることを進める。さらに近くには、夏目漱石も通ったという「羽二重団子」屋で一服というのもこの台東区エリア散歩コースの定石になっている。



文京区エリア

12) 永青文庫 地図サイトへ

地下鉄江戸川橋駅を出ると、音羽通りを護国寺に向かって5分ほど歩いて椿山荘の看板に従って左折する。目白坂、目白新坂のどちらでもよい。10分も歩けば椿山荘をすぎて講談社野間記念館が見え、さらに少し行って細い道を左折すれば別世界のような静かな空間に入る。そこに永青文庫が存在する。今説明したのは野間記念館へ行く表からのアプローチであるが、私は永青文庫へは神田川沿いの裏道をゆく。そのほうが史跡や公園などを楽しめるからである。江戸川橋駅から神田川を渡って直ぐ川沿いに左折し江戸川公園を歩く。しばらくすると水天宮の小さな祠が右の石段の上にある。このあたりが関口の神田川用水道工事史跡になる。江戸川橋より15分くらい歩くと新江戸川公園の手前の芭蕉庵につく。芭蕉もこの神田川用水事業に参加したといわれている。芭蕉庵には庭に小さな池を配した一軒の庵があるのみで芭蕉を偲ぶよすがもない。角の芭蕉庵を右に曲がって細い小路に入ると別世界になる。このあたりが旧熊本藩細川家の屋敷跡になり、今は「蕉雨園」という。明治時代には田中光顕という政府高官の所有であったが戦後野間一族の所有に帰した。さて江戸川橋地区の案内はこれくらいにして、永青文庫はこの蕉雨園の前にある。細川家の歴史資料と大名のお宝を公開するのがこの文庫である。といってもたいした文化財は私が行ったとき見られなかった。茶道具や家具など古色蒼然としたものが所狭しと羅列してあった。誰も見に来る人はいないので私一人で見学しているとガードマンがぴったり追尾してくれるので不愉快であった。

13) 講談社野間記念館 地図サイトへ

講談社創業者野間清冶の邸宅を改装して2000年に完成した。日本画・洋画・彫刻など「野間コレクション」1万点を所蔵する。横山大観・河合玉堂・竹内栖鳳・上村松園、前田青邨などを所有する。私はここで「京都画壇の精鋭展」を見た。竹内栖鳳、小野竹喬、上村松園、福田平八郎などが展示されていた。

14) センチュリーミュージアム 地図サイトへ

総武線(中央線)御茶ノ水と水道橋の中間にある。お堀に沿って歩くと順天堂大学病院、東京医科歯科大学病院、杏林大学を過ぎたところの近代的なビルの地下にある。こんなビルに美術館があるとは誰も知らないだろう。主に書の展示が多いらしい。といのは何を見たのか資料も記憶も残っていない。余談だが近くには水戸藩下屋敷跡小石川後楽園や小石川東大植物園、森鴎外旧跡「観潮楼」があるので散歩コースになっている。



皇居周辺エリア

15) 東京 国立近代美術館地図サイトへ

地下鉄東西線の竹橋駅を上がって読売新聞社の前からお堀端にゆくのが一番近い。所蔵美術点数8500点、広い分野におよぶ。特別展の企画は多くはないが、改築前では「横山操展」、「鏑木清方展」、「前田青邨展」と常設展を見た。最近では「小倉遊亀展」を見た。

16) 東京国立近代美術館工芸館地図サイトへ

国立近代美術館をさらにお堀に沿って5分ほど歩いた先に赤レンガの歴史ある風格の建築物が国立近代美術館分館の工芸館である。なにやらゆかしいと思えばこれは旧近衛師団司令部庁舎である。磁器陶芸品・ガラス細工品など工芸品1500点を所蔵する。近代美術館と入場券がセットになっているので見に行かなければ損というわけだが、見に来る人は学生ばかり。

17) 千秋文庫博物館地図サイトへ

地下鉄東西線か半蔵門線の九段下で降りて上に上がると昭和館があり、そこから九段坂を登ると左に武道館への橋がある。さらに品川弥次郎と大山巌元帥の銅像を仰いで桜で有名な千鳥が淵に出る。山種美術館に行くときはここを左折してお堀沿いに下ってゆくわけだが、千秋文庫にゆくならば千鳥が淵を左折せずに少し行って九段坂上を左折し内堀通りを下って九段病院を過ぎ千秋文庫のがっしりした石作りの建築物に到着である。旧秋田藩佐竹家のお宝の展示館である。失礼な話だが私はいつも山種美術館の帰路に立ち寄るので、いつもろくなものは展示していない割りにはよく行く文庫である。「江戸の地図展」、大名の贈呈品であった「中国の山水画の模写作品展」などを見た。

18) 山種美術館地図サイトへ

千秋文庫を過ぎて内堀通りを下るとレストランのようなイタリア文化会館、旧大蔵省官舎マンションを過ぎるとKSビル1階に山種美術館が間借りしている。地下鉄茅場町駅上の山種証券9階にあった時代から、私は日本画専門美術館である山種美術館の自称常連客であった。「墨彩の美」、「創画会の巨匠たち」、「奥村土牛展」、「春の景・桜」、「速水御舟デッサン展」、「上村松篁展」、「日本画のトップランナー展」、「これこそ名画展」、「年暮れる展」、「迎春展・横山大観」、「千住博・若い世代の日本画展」など数知れず見てきた。地下鉄九段下駅からお堀沿いに歩いて15分くらいであまり便利なところではない。半蔵門駅からも遠い。しかし日本画作家を育ててきた山種美術館の役割は大切であった。九段館(?)の間取りは狭く2部屋しかないので展示物は多くはない。それが幸いして疲れずに参観できるのがうれしい。千鳥が淵からの散歩も楽しい。新館は六本木ヒルズにできるらしいがまだ行っていない。

19) 出光美術館地図サイトへ

山手線有楽町駅で下車し帝国劇場を目指してお堀のほうへ3分ほど歩くと帝国劇場の9階に出光美術館がある。石油資本出光佐三氏のコレクションである。収集品では江戸時代の僧仙崖義梵の書画、板谷波山の陶器、古久谷、古伊万里などの陶器など絵画と陶器あわせて15000点所蔵するといわれている。また陶器の歴史を示す陶器のかけらの展示室もありやはり陶器コレクションに圧倒的な力を持っている。とは言うものの日本画では「松林図屏風・長谷川等伯展」、「仏教絵画名品展・極楽と地獄」、「酒井抱一展」、「琳派の美」などいつも見逃さずに見に行っている。余談ながら会場脇に茶室模擬室があり、皇居を上から眺めながらお茶をすするのも一興かも。土地柄か御のぼりさん風の夫婦連れが多い。

20) 宮内庁三の丸尚蔵館地図サイトへ

昭和天皇の没後、現天皇は所蔵する美術品を国に寄贈された。これらの美術品を展示するため1992年皇居東御苑に尚蔵館が建立された。東御苑入り口で整理札をもらって入場し、しばらく行くと宮内庁病院や宮内庁警察の前に尚蔵館がある。旧藩主のお宝と違ってさすがに良い物がある。「各国の寄贈物展」などを見た。東御苑の見学ついでに立ち寄るためか、小さな二部屋の展示場にかかわらず結構賑わっているのは御のぼりさん効果か。



東京駅周辺エリア

21) 東京ステーションギャラリー 地図サイトへ

東京駅丸の内北口と中央口の間に東京ステーションギャラリーがある。とても便利な場所なので少し時間があれば入場料も安いので見ることにしている。「シエナ美術展」、「安藤忠雄建築展」、「守屋多多志高野山金剛峰寺障壁画展」、「有本利夫展」、「小泉淳作展」、「西田藤次郎展」などいい展覧会をやっている。写真展なども多いがそれは見ない。展示室は4つあり1つはレンガの壁むき出しのレトロな部屋もあり、結構広いので充実した時間が楽しめるしる。喫茶室もあって疲れをとるビールでも飲めれば最高だ。

22) 大丸ミュージアム

東京駅八重洲口中央で出て南よりからエレベータに乗る。便利がいいこと限りなしだが、あまり特別展をやっていない。「桜に見る日本の美展」、「近代の花鳥画展」などを見た。

23) ブリジストン美術館地図サイトへ

東京駅八重洲中央口を出て八重洲通りを海岸に向かって行き2筋目右側にブリジストン美術館がある。タイヤメーカブリジストンの創始者石橋正二氏のコレクションがブリジストン本社1階に寄贈され展示されている。所蔵品はルノワール、セザン、マネ、ドガなどのフランス印象派とその周辺のほかピカソ、ゴーギャン、ゴッホ、ルオーなどの作品が中心である。あまり特別展はやらず、いつ行っても見るものは同じである。

24) 日本橋高島屋催し場 地図サイトへ

東京駅八重洲北口を出て桜通りを東に5分ほど行くと中央通りにでる。角に丸善と高島屋が向かい合っているので判りやすい。高島屋8階催し物会場はお中元とお歳暮の時期を除いて春と秋にはいつも良い展示会をやる。「鏑木清方展」、「「日本近代美術の名品展」、「高山辰夫展」、「足立美術館名品展」、「堂本印象展」、「中根寛展」、「法隆寺展」、「高句麗平山郁夫展」、「片岡球子展」,「上村松篁展」などなど実にこまめに展覧会をやってくれる。これで高島屋で買い物をしなければ罰が当たる。

25) 日本橋三越催し場 地図サイトへ

東京駅八重洲北口を出てお江戸日本橋を過ぎて15分くらいでライオンのお出迎えする三越に到着する。地下鉄のほうが便利だが東京駅や上野駅からは連絡はない。三越劇場などもあり、芸術には理解のある老舗である。「東山魁夷展」、「小倉遊亀展」など数えるほどしか行っていないのは、交通が不便なせいと特別展の企画が少ないからであろう。ご愛顧のほどは高島屋には負けているようだ。



両国・深川周辺エリア

26) 江戸東京博物館 地図サイトへ

総武線両国駅を下車して国技館を横目に見て歩く歩道を使って5分ほど行けば、3階の広大な広場に出る。ここは昔中央卸市場だったそうだが1993年に巨大な下駄に似た江戸東京博物館ができた。この広場は両国の花火のときは良く見えるだろうし、災害時の地域避難場所にもなるだろうが、 川べりにあるせいか何時も強い風が吹いている。3階の入り口で切符を買って6階の常設江戸東京展示場に入場すると木の目も真新しい日本橋を渡って、昔懐かしい庶民の暮らしや民具・家などを再現している。ところで企画展示室は1階(広場からは地下に見える)にある。「蕪村展」、「葛飾北斎展」を見た。さらに7階には博物館資料図書室や映像ライブラリーミュージアムショップなど見学に事欠かない。余談だが国技館の裏側に旧安田財閥の庭園がある。柳沢吉保ゆかりの浜離宮公園が海の潮を引き込んだ庭園とすれば、安田庭園は隅田川の水を引き込んだ庭園である。

27) 深川江戸資料館・芭蕉記念館 地図サイトへ

深川江戸資料館・芭蕉記念館はいうまでもないが美術館ではない。余談ついでに散歩コースを紹介するまでである。秋葉原で総武線に乗り換え2つ目の両国駅で下車する。あるいは地下鉄新宿線森下駅からや地下鉄東西線で門前仲町でおりるほうが近いかもしれないが、ここは散歩が目的なので両国を墨田川に沿って南下する道を選んだ。森下駅からは隅田川新大橋に出る手前の道を左折して南下すると8分ぐらいで右に芭蕉記念館がある。ここに芭蕉記念館があるわけは記念館の南に芭蕉の祠があり蛙の磁器が発掘されたところから芭蕉庵の跡と断定された。清澄通りを南下すると清州通りに交差しその次の通りを左折すると江東区役所の隣に深川江戸資料館がある。ここは江戸資料館として当時の長屋、船宿などが再現されており、タイムスリップして江戸深川界隈の情緒に浸ることができる。「深川澪通り木戸番小屋」という小説とテレビ映画があったがそんな時代の庶民の生活と猥雑な悪所の賑やかさが伝わってくるようだ。江戸下町探検隊としては是非皆様に推薦したい一番の散歩コースである。



赤坂・青山周辺エリア

28) ニューオータニ美術館地図サイトへ

地下鉄赤坂見付駅で下車して弁慶橋の方へ5分くらい歩けば、左にホテルオークラ、右に赤坂プリンスホテルの高層ビルが聳えている。堀を過ぎて直ぐ手前のホテルニューオータニ別館(ガーデンコート)に入ると6階に美術館がある。「日経日本画大賞展」など面白い企画もあるが、客足は少なくホテルの外人客が来るくらいである。大谷一族の所蔵絵画コレクションが時折展示される。現代西洋美術品の展示などを見た。このホテルニューオータニのある地は加藤清正藩邸の跡で弁慶堀の庭園にその痕跡が伺える。散策を薦める。

29) サントリー美術館地図サイトへ

地下鉄銀座線赤坂見付駅で下車して深いエスカレータを上ると直ぐ前に間口の小さなペンシルビル(東京サントリービル)が見える。その11階に佐治敬三氏のコレクションを展示するサントリー美術館がある。展示スペースは小さいが国宝「浮線綾螺鈿蒔絵手箱」、「ローマ王侯騎馬図屏風」や陶磁器などが有名である。ここで「光悦と宗達展」、「信貴山縁起絵巻」、「建仁寺展」を見た。

30) 草月美術館地図サイトへ

赤坂見付駅から青山通りを渋谷方面へ歩く。左に赤坂離宮をみてしばらく行くと右側に丹下健三氏設計になる前面ガラス張りの斬新な草月会館ビルがある。隣はカナダ大使館と2.26事件で暗殺された大蔵大臣高橋是清の小さな記念公園があり静かな一角になっている。華道草月流の創始者勅使河原蒼風氏のコレクションでは国宝「定家12ヶ月和歌花鳥図」や膨大な20世紀の作品が収集されている。残念ながらここで何を見たか資料・記憶にない。

31) 根津美術館地図サイトへ

地下鉄銀座線表参道で下車して閑静なブティック街を約20分ぐらい歩くと、道が交差するところに白壁の塀がみえ緑の邸宅が出現する。これが鉄道王といわれた東急の創業者根津嘉一郎の邸宅跡である。今は邸宅跡に根津美術館と庭園が公開されている。数多い収蔵品の中でもやはり光琳の国宝「杜若図屏風」、「那智滝図」および茶道具が目玉であろう。 「近世装飾画の名品・杜若図」、「国宝那智滝図」、「琳派の造形・伊勢物語と草花図・国宝八橋蒔絵硯箱」などを見た。根津美術館に来たら日本式庭園を見ておきたい。深い谷のあちこちに茶室を設置しさりげなく随所に石の造形を配する本格的な日本庭園の美もまた堪能できる。30分ほど散策して深山幽谷を味わい森林浴をされるのも来た甲斐があったというものだ。



新橋・虎ノ門周辺エリア

32) 大倉集古館 地図サイトへ

地下鉄神谷町駅からホテルオークラへ行くとその一角に大倉集古館 がある。瓦屋根の石つくりで中国式大寺の風格がある建築物はいかにも堅固。旧大倉財閥の創始者大倉喜八郎氏のコレクションは東洋の美を集め、膨大な古書籍、古文書のほか国宝「古今和歌集仮名序」などがある。展示室は昼なお暗い洞窟のようで石にぶつからないように気をつけなくてはならない。「秘蔵の名品アートコレクション」で川端龍子、横山大観、平山郁夫などを見た。気分が鬱陶しくなったら桜田通りを渡ってエレベータに乗り愛宕山に登るのはいかが。ここには愛宕神社とNHK放送博物館があり数十メーターの低い山なので散策コースに最適だ。都心の真ん中で寺の多い静かな雰囲気が味わえるおかしな空間だ。



白金台・目黒周辺エリア

33) 東京都庭園美術館地図サイトへ

山手線目黒駅を下車して目黒通りを5分も歩くと首都高速をくぐる。その地域一帯が深い森になっており、大昔白金長者が武蔵野を切り開いたとされる旧跡が今、国立自然教育園となっている。その一角に東京都庭園美術館がある。ここは旧朝香宮邸としてアールデコ様式の建築としてきわめて有名である。つまり貴族の館であり、庶民にもここなら見学できる(赤坂迎賓館の瀟洒な館を見学することはほとんど不可能であるが)。アールデコ様式のガラス工芸品が玄関正面でお出迎えし、館内には優美な幾何学模様が散りばめられている。1階は洋風の客室と食堂、集会場、2階は洋風の居室、書斎、ベット室、浴室などプライベート空間である。日本式居室などはあるのだが公開されていない。「アールデコガラス工芸展」、「英国水彩画展」などを見た。展示会がある時期は展示パネルが壁の前に置かれるので美しい壁紙や柱、腰板などが見えず建築物としての鑑賞に堪えない。やはり何も展示していない時期にゆっくり部屋の中を鑑賞されるのがベストだ。乱暴な言い方をすれば展示などどうでもいい旧朝香邸そのものが美術品なのだ。また前の庭はプール付き西洋式庭園と池を中心にした日本式庭園からなるが、日本式庭園は茶室を含めて東京都迎賓館として外国人賓客に供されるため公開されていない。東京都庭園美術館と国立自然教育園はセットで見学するのが散策コースの常識になっており半日ほどの優雅な時間を楽しむことができる。

34) 松岡美術館地図サイトへ

松岡美術館は2000年に新橋のビルから白金台の松岡氏の私邸跡に移転した。目黒から歩いて20分以上はかかるが、途中に丹下健三氏の邸宅がある白金の森の裏側の閑静な住宅街のなかを行き、東大医科学研究所の前に松岡美術館はある。実業家松岡清次郎氏のコレクションは古代オリエントやエジプト彫刻、ガンダーラ・インド彫刻と中国陶磁器の収集にあった。さらに近代日本画には横山大観、下村観山、竹内栖鳳、玉堂など、フランス近代絵画にはルノワール、モネの作品がある。移転記念展「日本画名作展」では円山応挙、周文、狩野元信などを見た。彫刻などの常設展は新橋の時代に見ている。「フランス印象派展」も新橋時代に見た。

35) 畠山記念館地図サイトへ

地下鉄浅草線高輪台駅で下車、交番の横を曲がって女子学院の前を通り歩行者専用道路の細い道を5分ほど行くと大きな料亭・式場「般若苑」にぶつかる。そこを左折して閑静な館の畠山記念館につく。水を打ったような瀟洒な細道のアプローチをゆき、玄関で靴をぬいでスリッパに履き替え入場する。すると入り口に荏原一清氏の木彫の像がでんと鎮座している。今時靴を脱いで入る美術館など世界中にも数少ないであろうか。この美術館と般若苑は地続きになっており、その昔は島津藩の隠居所で明治時代にはかのカミソリ外相陸奥宗光の邸宅であったそうな。明治天皇も遊びに来たいう大きな行幸記念碑が角に立っていた。荏原製作所というポンプメーカの創始者荏原一清氏が昭和初期に購入し、昭和39年には美術館を建立して自分のコレクションを展示することになった。主なコレクションは茶道具、書画で、国宝「伝牧渓煙寺晩鐘図」など6点も含む。「琳派の襲ねー雅のかたち展」で本阿弥古悦・俵屋宗達の「金銀泥四季草花図下絵和歌巻」、「金銀泥下絵古今和集和歌巻」、光悦「赤楽茶碗」、緒方乾山「共筒茶筅」などの名品を見た。

36) 目黒雅叙園美術館 地図サイトへ

目黒雅叙園の創業者細川力蔵氏は日本画家のスポンサーで、1991年美術館を開館した。目黒駅を出て目黒不動尊に向かって細い坂道を西へ下ること10分ぐらいで目黒川に面して結婚式場目黒雅叙園がある。のっけから余談で申し訳ないが、広い前庭には振袖火事八百屋お七で有名な相手の青年僧吉三が、お七の処刑後霊を弔うためここで水浴びをしてから浅草へ1万日の修行にでかけたという井戸がある。約30年間毎日霊を弔ってついには上人になったという後譚があることを知る人は少ない。女は怖いという話です。目黒雅叙園の隣の寺にはお七吉三を弔った碑がある。さらにこの目黒雅叙園の地は浮世絵師安藤広重の江戸百景に描かれた「目黒爺が茶屋」の風景(目黒の秋刀魚の話でも有名だ)になっている。薀蓄はそのくらいにしてロビーをずっと行くと左のガラス壁から庭園が見え、右にはなんともいえない極彩色の立体的な絵の壁がある。そして突きあたりに美術館専用エレベータがあるが、これが総漆の螺鈿風なのである。目黒雅叙園の俗っぽさは何ともいえない。ここで日本画展を見たのだが詳細は記憶にない。最後にまた余談だが最近目黒雅叙園は会社更生法の適用を受けるようになったそうな。



渋谷周辺エリア

37) 松濤美術館 地図サイトへ

渋谷で井の頭線に乗り換え神泉駅で下車すると、直ちに閑静で豪華な邸宅の並ぶ住宅地になる。松濤は都内でも屈指の高級住宅街であるそうな。渋谷区が大金をはたいて建設した松濤美術館は巨大な石の塊にみえるほど荘重な感じに支配される。区にお宝はないようで企画展をやっている。何を見に行ったのかさっぱり覚えていない。

38) 戸栗美術館 地図サイトへ

松濤美術館 のほんの目の先に同じく荘重な石つくりの戸栗美術館がある。ここは旧鍋島藩屋敷跡であり、実業家戸栗氏の収集した陶磁器6000点を展示する美術館が1988年に開館した。「古伊万里の彩り」展を見た。

39) 太田記念美術館 地図サイトへ

山手線原宿はご存知若者の町だが、神宮前からけやき通りを表参道の方へ行き明治通りの手前を左折するとレストラン街の中の雑踏に大田記念美術館 がある。見過ごしそうなくらい小さな美術館である。東邦生命保険会社会長であった太田清蔵氏が集めた浮世絵12000点のコレクションが元になった。浮世絵専門館である。



新宿周辺エリア

40) 小田急美術館 地図サイトへ

新宿駅の小田急百貨店の11階に美術館がある。私がかって勤務していた会社の本社が新宿三井ビルにあったので新宿駅は大変よく通過した駅であるが、不思議にこの地区にはろくな美術館がない。小田急美術館も見たい企画展はやっていないが、日本画では「中村丘陵展」を見た。

41) 安田火災東郷青児美術館 地図サイトへ

日本画では「国画展」を見た。東郷青児はもとは伝統的な日本画を書いていたのだが、戦後キュービズムやシュールリアリズムの余波を受け美しい女性の裸体を幻想風に描くワンパターンの画家になった。



世田谷区周辺エリア

42)  世田谷美術館地図サイトへ

東急田園都市線用賀駅下車で歩くと大変なのでバスで美術館行きに乗る。区立なのに区立という字をつけないところにこの館の意地が見られる。世田谷美術館は都内屈指の緑地公園砧公園内にある。美術館の敷地も5700坪と大変広く環境にも恵まれているが、しかし隣にごみ焼却場があり運搬車の出入りと悪臭が鼻をつく(欲を言えばきりがないのでこの辺で手を打つことにしよう)。1986年の開館で大型展示の巡回会場にもなり区民都民の知名度は高い。フランス素朴絵画や日本人では高山辰夫、向井潤吉、牛島憲之などの作品や塩田岩冶氏から寄贈された北小路路山人のコレクションを持っている。私はここで「北小路路山人展」を見た。陶器、書などを見た。地図を見れば判るがこの地域には長谷川町子美術館、向井潤吉アトリエ館、静嘉堂文庫など美術館系施設が多い。

43) 五島美術館地図サイトへ

東急大井町線上野毛駅の近くにある五島美術館は東急電鉄の創始者五島慶太氏の古美術コレクションを基に設立された。5000坪の地に秀麗な美術館がある。国宝「源氏物語絵巻」を尾張徳川美術館と所蔵する。ほかには紫式部日記絵巻や茶道具、陶磁器、刀剣などがある。私は当然国宝「源氏物語絵巻展」を見た。



大森駅周辺エリア

44) 龍子記念館地図サイトへ

東海道線大森駅で下車し山王口へ出ると駅前右の建物の2階に馬込地区散策案内所がありそこで地図を戴く。この地区は大正ロマン華やかな頃モダンガール、モダンボーイつまりモガ、モボという新人類の文士仲間が共同村を作ってでたらめな生活を楽しんだところである。つまり文学歴史散歩道になっている。美智子皇后さまに書道を教えた女流書道家の家などいたるところに記念館や史跡が散在する。最初から余談では龍子記念館にたどり着くまでに時間がかかる。どこをどう歩いたかは知らないが環七を横断して池上本門寺へ向かってゆくと大田区立川端龍子記念館に出た。龍子は最初洋画を学んでいたが日本画に転向した。そして会場芸術主義(壁いっぱいの巨大な絵を展示すること、会場でしか鑑賞できない芸術)を唱えて「青龍社」を昭和の始めに設立した。絵のうまい人はとかく奇抜な絵に走る傾向にある。始めの頃は龍子も典型的な日本画を画いていたが、そのうち河童の絵や動物のグロテスクな絵になった。この龍子記念館は高床式の大きな一間の展示場で、巨大な河童の絵が5枚もあればそれで壁は埋め尽くされる。絵自体に何も感銘は受けなかったが、美術館の人が親切で道路の反対側にある龍子邸のアトリエに案内してくれた。アトリエは小さい小学校の講堂くらいある大きな部屋であった。あれでは冬の暖房は不可能ではないかと余計な心配をした。私もいつかはあの何分の一かのアトリエを持ちたいなを羨望のまなざしで眺めた。後で分かったのだが龍子記念館へは山王口からバスが出ており荏原駅行き臼田坂下で下車2分だそうだ。



北区・板橋区周辺エリア

45) 板橋区立美術館 地図サイトへ

都営地下鉄三田線西高島平駅で下車し、寂しい駅前と人気のない道をてくてく歩くこと約20分で赤塚城址に出る。確かに歩く以外に交通の便がない。館の所蔵品は他の美術館とは性格を異にし前衛美術品である。そのためかほとんど人は来ない。しかし毎年イタリアのボローニア国際絵本絵画展が開催されるので、このような美術館が一つはあってもいいのではないかと思う。たしか「現代写真展」を見たような。

46) 青淵文庫・旧古河庭園 ほか地図サイトへ・・地図サイトへ

北区には美術館ではないが、王子と上中里あたりに旧古河財閥創始者の渋沢栄一ゆかりの史跡が多い。王子製紙会社内に紙の博物館があり、会社の新人教育や市民への啓蒙サービスに使われている。桜で有名な飛鳥山を散策しながらゆくと渋沢資料館に晩香櫨という建築物や迎賓館的な青淵文庫もある。さらに上中里まで歩くと旧古河庭園に着く。旧古河邸を公開したものであるが、明治政府の高官陸奥宗光の息子を古河財閥が養子に迎えたときに作った御殿がこの旧古河邸だそうだ。官民癒着の典型を見るようだ。それはそうとして、旧古河庭園の赤レンガ屋敷は時間を決めて参観者を受け入れる。構造は旧朝香宮邸に似ているが、1階が客間と集会場、2階は洋風の居室、寝室などの部屋、3階は日本式居室、茶室になっている。また旧古河庭園の前庭は英国風バラ園で有名だが、坂を下ると日本式庭園に変わるという手の込んだ庭園構造である。この一帯は飛鳥山で桜を見て渋沢財閥の旧跡を散策し、駒込の六義園に出るというなかなか興味の尽きないコースである。



青梅市周辺エリア

47)  玉堂美術館・吉川英治記念館地図サイトへ・・地図サイトへ

青梅線御岳駅で下車しケーブルカーで御岳山に登りそこで一泊して、翌日山を散策して下山した。多摩川の反対側に玉堂美術館がある。玉堂は戦争で東京からこの地に疎開した。戦後亡くなるまで(昭和32年)ここに滞在して多くのスケッチや作品を残したという。それを記念してこの館が建てられたが、玉堂美術館というものの残念ながら絵は何も展示していない。画室の再現やスケッチ帖があるのみである。多摩川を少し下ると庄屋屋敷の吉川英治記念館に出る。吉川英治も疎開し19年から28年まで滞在した。ここで新平家物語を執筆した。



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